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余りめ 再会


 懐かしい方との再会に、私はつい浮かれてしまっていました。

 源次郎様を寺の客間までお連れして、粗茶を入れておもてなしを致します。


 客間には、私と源次郎様の二人きり。


 この戦が始まるという最中に、私には予想も出来なかった夢のような嬉しい出来事でございました。



「……お懐かしゅうございます、松姫様」



 源次郎様は、穏やかな表情でそう私に語りかけます。



「えぇ、まことに……まさか今一度、源次郎様とお会い出来るとは夢にも思いませんでした」



「それがしも同じでございます。この八王子に松姫様がいらっしゃることを聞いたときは、心底驚きました。ぜひすぐにでもお会いしたくて堪らず、このように押し掛けてしまった次第で」



 そのようなことを仰って苦笑いを浮かべる源次郎様は、本当に立派なお姿になられておりました。

 もう、新府にいた頃のような幼さは微塵も感じられません。身体つきも、随分と大きくなられて……源次郎様と比べると、きっと私などは本当に小さく見えるでしょう。


 帯刀されている太刀も、真田の家紋……六文銭をあしらったその朱色の甲冑も、とても良く似合っていらっしゃいます。


 武田が滅びても、こうして源次郎様が武田の赤備えの甲冑をお召しになっておられることが、なんだか嬉しくて。



「ご立派になられましたね、源次郎様」



「松姫さまにそのように仰っていただけるのなら、誉れでございます」



「今は、豊臣にお仕えしておられるのですか?」



「はい、真田も関白殿下に臣従した家でございますので。それがしは人質(しち)として大坂に送られたのでございますが……縁あって、今は関白殿下の馬廻りを務めておりまする」



 関白様の、馬廻り……!?


 馬廻りとは、当主直属の側近のことでございました。

 つまり、源次郎様は天下人の最もお近くにいらっしゃる武士ということで……



「まぁ、それは大変な出世ではございませんか……っ!!」



 私は、思わず大きく口を開けてしまい、恥ずかしくなってとっさに両手で覆い隠したのです。



「馬廻りといっても、ただの小間使いでございます。この八王子にも、関白殿下の使いとして前田上杉の大将に言伝てを伝えに来た次第で」



 いや、それでも天下人の小間使いなどというお立場は、充分すぎるほどご立派だと思うのですが……



「そうなのですか……ならば、こうして再びお会いできたのも“奇縁”、でございますね」



「えぇ、まことに」



 二人、笑みを交わしてお茶を口にして。

 私は、居住まいを正して話を切り出しました。



「……源次郎様のお立場を思えば、このようなことを申すのは無礼だと存じております。ですが、どうか……この心源院と八王子のお城のこと……どうか良しなに、お頼み申し上げます」



 私は、三つ指をついて源次郎様に頭を下げました。

 尼となった私が出来る、唯一のこと。


 どうか、戦火が広がらぬように、と。

 そのことだけが、今の私の不安の種なのです……



「頭をお上げください」



 源次郎様は、優しく私に声をかけてくれます。



「ご安心召されよ。無論、松姫様がいるこの八王子を、悪いようにする気など端からございませぬ」



 力強い笑みで、源次郎様は私に微笑みかけてくれました。



「寺領の安堵は、それがしから関白殿下に願い出ておきまする。今時分、寺の周りを囲ませている兵はそのまま寺の守りにつかせますので、安心してください」



 源次郎様は、胸を張って太鼓判を押してくださいました。

 源次郎様配下の兵がこの寺を守っている以上、豊臣の武者も、北条方の武者も、心源院の中で狼藉を働くことはないだろうと。



「八王子城攻めも、凄惨たるものにならぬよう前田上杉には言い含めておきまする。これでも、それがしはこの八王子では関白殿下の名代という扱いなのです」



 悪戯をした童のように、屈託のない笑みを浮かべていました。

 そんな顔は、なんだか昔の源次郎様のようで。とても、懐かしくて。


 好ましい。


 その笑みが、私が存じている源次郎様だったのです。

 こんなに、大きく立派になられても、源次郎様のその微笑だけは変わらない。


 目の前のお方は、私の存じている真田源次郎様。

 紛れもない、武田の武者の……



「本当、ご立派になられましたね……源次郎様は……」



 まるで、子の成長を喜ぶ父のように。

 子離れを寂しく思う母のように。


 私はそんな混ざり合った気持ちで、久方ぶりの源次郎様との再会を、その嬉しさを、胸いっぱいに感じていました。


 少しして、客間の障子が開かれます。

 お百合が、三つ指をついて部屋の中へと入ってまいります。


 私が、用意させた“もの”と共に。



「っ、お百合殿!!」



 姿を現したお百合を見て、源次郎様ははっと嬉しそうな顔をされて。

 お百合も、源次郎様に優しく微笑みかけて一礼を交わします。



「ご無沙汰しております、源次郎様」



「お百合殿も、ご健勝のようでなによりのこと」



 久方ぶりの再会に、私も、お百合も、源次郎様も、笑みが溢れて。

 八王子は戦の最中だというのに、ずっと張り詰めていた気が思わず緩んでしまいます。


 私と、お百合と、源次郎様。

 三人で向かい合うと、何だか甲斐の地にいるような気がして。


 あのころも、戦乱に巻き込まれて大変でした。今でもとてもつらくて、悲しくなる思い出です。

 でも、こうして月日が経ち、(よわい)を重ねると、そのようなことすら懐かしく感じてしまうのです。



「松姫さま。今しがた、膳の支度が整いました」



「まぁ、それは……」



 さすがは、お百合。

 天下の武田で長年侍女を務めた女子(おなご)です。


 私が何も言わずとも、源次郎様をおもてなしする膳の準備を、滞りなく済ませていて。


 もう姫でも侍女でもない、ただの尼になったというのにその手抜かりのなさには、私も脱帽してしまいます。


 お百合の手早い支度で、私と源次郎様の前に差し出される、食膳と酒器。

 源次郎様は差し出された酒器を、戸惑いながら見つめていらっしゃいました。



「寺の中で酒など……よろしいのでしょうか……?」



「構いませぬよ。さぁ、源次郎様……どうぞご一献」



 私は酒器を手にとって、お酌を勧めます。



「そんな……尼になられた松姫さまに、酌をさせるなどと……」



「いいのです。尼といっても、私はただ奇妙様の菩提を弔いたいだけの、生臭(なまぐさ)ですから。それに……」



 私は、柔らかな笑みを浮かべて



「私が、このお酒を飲みたいのです。源次郎様とせっかくまたお会い出来た喜びを、共に祝いたいのです」



 父譲りの頑固さで源次郎様のお言葉を押しのけると、私は源次郎様の手にした土器(かわらけ)に、そっとお酒を注ぎます。



「松姫さまは、変わらぬお人でありますな」



 源次郎様は観念したようにそう仰って、苦笑いを浮かべておりました。

 きっと、あの頃の……四郎兄様に食って掛かる私を、思い出しているのでしょう。


 それから二人、源次郎様と静かに酒を酌み交わして。


 私は、“あれ”からのことを、源次郎様にお話しました。そして、この今の尼の暮らしを。

 源次郎様は、大坂のことや豊家の様子、関白様のお話などをたくさん、私に教えてくださいました。


 穏やかで、楽しい時間(とき)。まるで、この八年の時を巻き戻していくような、そんな一時で。


 父も、兄も。麟虎様も、北の方様も。

 私が存じている武田に連なる方は、みな死んでしまったけれど。


 私がいる。

 源次郎様がいる。


 それだけで、とても、とても、嬉しかったのです。



「……もう、八年でございますな」



 尽きぬ話も一段落ついた頃、源次郎さまがふとそんな言葉を零しました。



「松姫様は、あの日の別れ際のこと、覚えておいででしょうか……?」



 少し照れくさそうに、源次郎様は顔を俯きになられました。その頬が赤く染まっているのは、酔いのせいなのか、それとも気恥ずかしさからなのでしょうか。



「はい、覚えておりまする。源次郎様が、私に上田に来るよう仰ったこと……」



「若気の、いたりでございます」



 からかい混じりに私が言いますと、源次郎様は恥ずかしそうに口を尖らせて。



「けれど、私は嬉しく思いましたよ。源次郎様のお心は……」



 それは、まことの想いなのです。



「お互いに、歳を重ねましたな」



「えぇ、本当に……」



 なんだか、私も源次郎様もしんみりとしてしまって。


 あの頃は……若い私達は、知らなかったのです。歳を重ねることが、こんなに寂しいものだったなんて。


 早く妙齢になりたいと、幼い私はそのように思っておりました。童のままでは、奇妙様の下へは嫁ぐことなど出来ない……一刻でも早く奇妙様の夫婦になりたいのだと、年をとることを焦ったこともありました。


 源次郎様もきっと同じで、立派な武士になりたいと時を焦っていたはずです。聡明な兄上がいらっしゃれば、なおのこと。


 けれど、実際に歳を重ねた今となっては……



「……あの時、自らの未熟さが歯がゆくて敵いませんでした。武田が滅び、織田すら滅び……松姫様の消息もぱったりと絶たれてしまった……あのお方は、どのような憂き目に合ってあられるのだろうと思うと、苦しかったのです……」



 源次郎様は顔を歪めて、そう自らの想いを吐露なされておりました。唇を噛むそのお姿は、見ている私もつらく思えて。


 そう、ですよね……

 源次郎様には、きっとたくさんのご心配をおかけしていたのですよね……



「けれど、私の心配は杞憂だったようです。松姫様は、まことお強いお方でございます。武田が滅びようと、どのような憂き目に合おうと、前を向いておられる。自らの道を歩んでおられる。仏門に入り、織田奇妙丸の御霊を弔いたいと……懸命に、この浮世と戦っておられる……さすが、かの信玄入道の血を引くお方でございます。それがしなどは、到底敵わない……」



 源次郎様はそっと、手にした土器を膳に置かれて。



「関白殿下の馬廻りといっても、それがしはただの人質(しち)……武田にいた頃から、何も変わらない……無為に歳を重ねただけの男です」



 酒が入ったからなのか、酔いが回ったからなのか。源次郎様はぽつりぽつりと、弱音を零していらして。

 その腕は、肩は、もう私の知っている源次郎様ではありませんでした。とても大きくて、勇ましくて、端から見れば立派な武者にしか見えないのに。


 それでも、源次郎様が目指すものには、未だ、全くといっていいほど、足りないのでしょうか……


 いくら身体が大きくなろうと、いくら歳を重ねようと、『人』というものはそう容易く変われるものではないでしょう。


 私だって、きっと同じです。


 武田は滅び、奇妙様はいなくなり、世の時勢はこんなに目まぐるしく流れているというのに、私の想いは未だ奇妙様に囚われているままです。

 『想いに殉じた』などと言えば聞こえはいいものの、ただ私は、自らを変えることが出来ていないだけなのだと、そう思う時もあります。


 目の前のことから目を背け、逃げているだけなのだと。



「此度がきっと、日ノ本で最後の戦になるでしょう」



 北条が関白様に屈すれば、まぎれもなく豊臣の名の下に天下一統と相成るでしょう。日ノ本の隅々まで関白様の支配する土地……長く続いたこの乱世も、遂に終わりを迎えます。


 戦のない世。


 それはきっと、喜ばしいことでしょう。

 もう、無残に人が死ぬなんてことはきっとない。

 私のように、不幸になる者もきっといない。


 けれど、それは、武者が武名を上げる場も二度と来ないということ。



「それがしはあの日、『日ノ本一の武者になる』のだと、松姫様にお誓いしたはずなのに、その誓いも果たせぬまま……もう二度と、その機会に巡り合うこともありますまい……」



 「ふがいない」と、源次郎様は仰りました。

 武士にとって、功名の機会を奪われることがどれほどのことなのか、女の私は存じません。

 むしろ私は幼いころより戦に翻弄され、戦を毛嫌いしてきた女です。


 そんな私が源次郎様の悔しさを推し測ろうなど、そのようなこと出来るはずもないのです。


 けれど、そんな私でも、たった一つだけわかることがありました。



「……それでも」



 私は、口を開いておりました。



「それでも、生きていくしかないでしょう?」



 まっすぐに源次郎様の目を見据えて。

 本当は、そのようなことを言うつもりなどなかったのです。

 尼となり俗世から身を引いた私が、関白様直属の側近たる源次郎様に向けて説法を垂れるなど、可笑しな話でしょう?


 きっと、私も酔っていて。

 懐かしい方との再会に、気も緩んでしまっていて。


 この時だけは、ゆるしてください。


 ……だって、まことに、そう、思うのですから。


 三十ほど歳を重ね、さまざまな出来事を経験して、そして私が学んだたった一つのことなのです。



「私も、源次郎さまも、生きなければなりませぬ。例え、生きる糧がなくなったとしても、道標を見失ったとしても」



 奇妙様がいないこの浮世でも、私は生きなければならないのです。



「残された、武田に連なる者として。私たちは生きていくのです」



 ……父上。五郎兄様。四郎兄様。北の方様。麟虎様。


 そして、奇妙様。


 死んでいった方々のためにも、私は、生きなければと思うのです。


 生きたいと、強く、強く、思うのです。



 たくさんの想いの上で、生かされた命なのだから。



「ですから、互いに、笑って生きていきましょう……?」



 私は精一杯の笑みを浮かべて、源次郎様に語りかけました。


 源次郎様は私の顔をぼんやりと見つめて、そして……



「……そう、ですね。ご教示、痛み入ります」



 ふっと笑みを零して、そう申されたのでした。


 なにか、憑きものが取れたようなお顔をなされて。



「やはり、松姫様は強いお方です……全く敵わない……」



「尼御前を捕まえて、なんですかその益荒男(ますらお)みたいな物言いは……」



 そんな、軽口を叩き合いながら、私はまた源次郎さまの土器に酒を注ぎます。



 外からの日差しが、障子を通して柔らかく降り注ぐ客間の中。


 こうして源次郎様と二人、微笑み合いながら酒器を酌み交わし。昔話に華を咲かせて。


 穏やかな一時はゆっくりと、けれど確かに、過ぎていくのでした。

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