結びめ 行方
武田が滅びて、もう三年が経ちました。
奇妙様の死を知らせた文はいまだ大事に持っております。
あの時、天正十年六月二日。
織田で反乱が起こりました。織田の重臣である惟任日向守が謀反を起こし、追い詰められた奇妙様は自害なされたそうです。
結局、私は奇妙様にお会いすることは叶いませんでした。
今までも沢山のお方を失いましたが、これほど悲しいことはないでしょう。
その報を聞いたとき、私は信じられなくて、気が狂うほど悲しくて、ただどうしようもない暗闇の中で、奇妙様のために生きようと考えるまで、長い時間がかかりました。
今、私は出家して、尼となりました。
村の子供たちをお寺に集めて読み書きを教えながら、父上や兄様たち、そして奇妙様へ祈る日々が続いております。
お百合も共に出家して、いつまでも私の側にいてくれました。
気付けばお百合はもう三十二で、色恋沙汰が多いお百合に夫がいないのは、私についてきたためだと思うと少し申し訳なく思います。
奇妙様が亡くなって私が尼になってから、一度だけ、麟虎様のことをお百合に聞いたことがあります。
「松姫さまが奇妙さまを悼むために尼になったように、お百合も麟虎さまを悼んでいるのかもしれませんね」
お百合はさっぱりと笑いながら私に答えてくれました。お百合が麟虎様の死を乗り越えて前を向いているのが、私は嬉しく思いました。
お百合も、麟虎様との最期の約束を今でも守り続けているのでしょう。
奇妙様、そちらはどうでしょうか。
私は今、とても幸せです。
この幸せ、貴方様と分かち合う日をずっと夢見ておりました。それはこれからも、生涯悪夢となりて私の前に現れると思います。
そのとき、貴方様は黄泉から私を守ってくださいますか?
今でも松は、奇妙様だけをお慕いしております。いつまでも、いつまでも。
松は、奇妙様を愛しております。
・・・閉幕。以上で松姫さまの人生を辿るお話は終わりになります。
本能寺の変の後、松姫さまは八王子に根を下ろして江戸時代まで生きていたそうです。
一説では、後の会津松平家の祖となる保科正之を育てたとかいないとか。
きっと、一度も嫁がずに奇妙様への想いを貫いたことは、武田の姫としてはあまり良くないことだったのかもしれません。
でも、それほどまで誰かを愛することが出来たなら、それは幸せなことなのかもしれませんね。
長い間時間をかけてしまいましたが、最後までお付き合いいただき本当にありがとうございました。




