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六つめ 若武者


 「どうして私達の後をついて来るのですか・・・?」


 新府城の廊下の途中で。お百合は眉間に皺を寄せて、私達に後ろをついて来られる源次郎様を睨みつけました。


 そんなお百合の怖い顔にたじろぎもせず、源次郎様は真っ向からお百合に反抗致します。


「それがしは、松姫様の守役でございます。松姫様のお側にいてお守りするのが、それがしの役目です」


「それは侍女である私の役目です!!源次郎様には居ていただなくても大丈夫です!!」


 毅然した態度で自分を主張する源次郎様に、どうやらお百合は大人げも無く腹を立てたようでした。


 「むっ」と頬を膨らませて、まくし立てるように源次郎様に反論して。


 それに負けじと源次郎様も。


「これは諏訪のお屋形様の命なのです!!この新府にいる以上、お百合殿もお屋形様の命には従ってもらわねば困ります!!」


「ふんっ、そんな十四、五のわっぱが松姫さまをお守り出来ますかっ」


「なっ!!信州武士を愚弄なさいますかっ!!」


 もう、いい加減にして下さい・・・


 二人の喧嘩を眺めながら、私は呆れてものも言えませんでした。


 『松姫さまをお守りする・・・』とは言いながら当の私は置いてけぼり・・・



 お百合も、長年私の侍女を務めてくれていることは側にいる私が一番知っています。私の『侍女』という立場に、強い誇りを持っていることも。


 でも、だからといって一回り以上も下の源次郎様と本気になって喧嘩をしなくてもよいではありませんか・・・


 もう三十路も過ぎているのに・・・恥ずかしいです。


「もう、二人ともやめなさい。お百合も大人気ないですよ」


「っ、はい・・・申し訳ありません・・・」


 私が仲裁に入ると、二人はさすがに喧嘩をやめてしゅんと小さく縮こまりました。


「源次郎様も、諏訪の兄様からの大切な命であることは私たちも存じています。側で守って下さること、本当に感謝していますしご苦労様でございます。でも、私達は今から部屋で行水をするつもりなのです。察していただけませんか?」


「へっ・・・行水・・・?」


 どうやら源次郎様は私達が行水のため部屋に向かっていることを知らなかったようで、虚をつかれたような少し間抜けなお顔をした後、これでもかというくらい慌てて。


 それこそ顔も耳も首もとも真っ赤になされて


「っっっ!!申し訳ありませんっ!!なんて失礼なことをっ!!」


「このわっぱ、顔が真っ赤ですよ松姫さま!!まさか松姫さまの水浴び姿を・・・っ!!」


「なっっ!!そんなことありませんっ!!」


「もしや、本当は松姫さまの肌を覗こうと・・・」


「違いますっ!!!!」


 赤い顔をして大慌てで弁解なされようとする源次郎様のお姿は、本当に可笑しくて。


 失礼だとは思うのですが、私もそんな源次郎様の姿を見ていて思わず笑ってしまいました。



 純粋でうぶな反応をなさる源次郎様が可愛くて、笑みを堪えることが出来なかったのです。






 部屋の窓を全て閉ざして、私は一人行水を行っていました。


 新府城にはお風呂もちゃんとあるそうなのですが、諏訪の兄様の許しも得ずに使うことは出来ませんし居候の私達が「使わせてほしい」などと言うこともはばかられて。


 仕方なく部屋で木桶に水をはり、手拭いを濡らして身を清めていました。



 襦袢じゅばんをはだけさせて、肩から腕に。腕から胸に。


 手拭いで拭くだけでもとても気持ちよくて。やっぱり汗や埃を身体から落とすとさっぱりして清々しい気分になります。



 そうやって良い気持ちで身体を拭きながらふと視線を動かすと、びしっと閉められた障子の向こうから二つの影が写っていて私は思わずくすりと笑みを零してしまいました。



 お百合と源次郎様。


 二人仲良く並んで、行水中の私のための見張り番。



 未だ赤い顔が戻らない源次郎様に私が


「恥ずかしいのでしたら、無理に側にいらっしゃらなくても大丈夫ですよ?」


 と気を利かせると、逆効果だったのか源次郎様は無理を押し切るように


「いやっ・・・別に恥ずかしくなどありません!!行水なんて、さらに無防備になって危険ではないですか!!見張り番が必要です!!」


 と見張り番に手を挙げて下さって。


 するとお百合が


「私も部屋の外で監視いたします!!このわっぱが覗かないように!!」


 行水中の私を守るため、見張りをして下さっている源次郎様を見張っているお百合。


 そんな、なにやら変な状況になってしまったのでした。



「・・・源次郎様。少しよろしいですか?」


「っ、はい。何でしょうか・・・?」


 私は身体を拭きながら、おもむろに障子の外の源次郎様にお声をかけました。


 行水の最中である私に声をかけられて緊張なされているのか、強張った声が返ってきます。


「このまま、少しお話をしませんか?源次郎様のこと、お聞かせ下さい」


「それがしのことですか・・・?どうして・・・?」


「戯れです。一人黙って水浴びをしても面白くありませんから」


 私は軽い口調で笑いかけます。


 私が自分から声をかけているからなのか、お百合はじっと私達の会話を聞いているだけで、何も口を挟もうとはしませんでした。


 私が会話を楽しもうとしているときは邪魔をしない。長年の付き合いで、そういったあうんの呼吸がお百合と取れるようになっていました。


「源次郎様は、信州上田の真田家の出でしたね」


 『真田』は、私でも存じているほど有名な家名でした。外様の家来ながら先代である父上からの信頼厚く、兵の駆け引きが巧みな軍略家揃いの一族です。


 年若きながらも源次郎様が立派に諏訪の兄様の近習としての務めをこなし、武士の風格が備わっているのも真田の出と聞くと納得の話でした。


国許くにもとから、奉公に参られたのですか?」


「はい。一人前の武士になるため、諏訪のお屋形様のお側で学ぶことが出来る機会に巡りあえて、それがしは幸運です」


「源次郎様は、諏訪の兄様のことを尊敬していらっしゃるのですね」


「お屋形様は、武士としてとても立派な方です。松姫様は、あまり快く思われていないかもしれませんが・・・」


 そんな源次郎様の声が聞こえて、私は苦笑いを浮かべるしかありませんでした。



 私と諏訪の兄様は、顔を合わせるといつもいがみ合ってばかり。十年経っても、それは全く変わっていなかった。


 私は奇妙様と、諏訪の兄様は遠山の方様と。私達は同じ、かつて織田の人間と繋がりを持っていた者同士です。でも、同じだからこそ反発してしまう。



 決して嫌っている訳ではありませんが、どうしても諏訪の兄様は苦手・・・立派な方だとは、正直思えませんでした。


 でも、周りはみな諏訪の兄様のことを高く評価しておられる。五郎兄様も昔、源次郎様と同じことを仰っていました。


「確かにお屋形様は無口で厳しい方です。人に対しても、自分に対しても。でもそれは、本当に『武田』のことを想っているから。『武田』に属する者全てを者を守るために、諏訪のお屋形様は一人で戦ってらっしゃるのだと思います」


 諏訪の兄様が、一人で戦ってらっしゃる・・・


「それがしも武士として、諏訪のお屋形様のように生きたいです」


 無邪気な声で、源次郎様は仰いました。


「それはまた・・・随分と生きづらそうですね」


 私が茶化すように軽く笑うと、源次郎様からも「確かに」と笑みを含んだ声で返ってきます。


「そういえば・・・」


 私はふと話を変えて


「源次郎様は、菊姫のことを好いているのです?」


「えっ!?突然何をっ!!」


 予想以上に源次郎様が動揺なされるので、(意地悪だとは思いましたが)可笑しくてつい笑みを零してしまいます。


「違いましたか?」


「そんなっ、それがしのような端武者はむしゃが姫様のことをなど・・・恐れ多いです!!」


 真面目な源次郎様らしい・・・


 その返答に、私は微笑ましく思いました。



 でも・・・


 源次郎様の、本当のお心はどうなのでしょうか・・・


「武者だの姫君だの、そのようなもの関わりないことです。最も大切なのは、自らの心ですよ」


 そうであってほしい・・・


 自らの口から出た言葉でしたが、それはまるで自分に言い聞かしているようで。



 私は、敵の大将である奇妙様に恋心を抱いている・・・


 それはきっと間違っていて、絶たなければならぬ感情であるはずなのに、自分の心のはずなのに思い通りになりません。


 私は、敵の大将を好いています。



 もし人を好く気持ちより身分や立場が優先されて、その想いさえ潰えてしまうのなら



 私は・・・


 こんな想いは・・・やり切れませぬ・・・



 せめて、自らの心の内だけは


 身分も立場も解き放って己に正直でありたい・・・と、思うのです。


「戯れで構いません。そのお心、お聞かせ下さい」


 叶わぬ想いばかりのこの乱世だから、確かな気持ちを聞きたいのです。


「・・・それがしは、そんな恐れ多いことは考えておりませぬ」


 慎重に言葉を選んで区切ながら、源次郎様はそのお心を話して下さいました。


「ですがそれがしは、松姫様のことを嬉しそうにお話なさる菊姫様に、憧れておりました」


「憧れ、ですか?」


「それがしにも兄が居るのです。聡明で文武両道な自慢の兄が。もう既に真田の家督は兄が継ぐことが決まっているほど、家中からも期待されていて。そんな兄がいるから、それがしはこうして身軽な立場で丁稚奉公が出来ているのです」


「お兄様と、仲が悪いのですか・・・?」


「仲が悪い訳ではないのです。ただ・・・大きな劣等感を感じています。兵学も、武芸も。何一つ兄上に勝る所がない。それが、とても悔しい・・・」


 男の兄弟の関係。


 それは、おなごの身である私は存じ上げませんでした。ましてや兄様方と競い合うなんてそのようなことをした覚えもありません。


 私が知っているのは、五郎兄様。


 五郎兄様は心底諏訪の兄様のことをお慕いしておりました。諏訪の兄様のために高遠の地を守り、戦い、そして亡くなられました。


 五郎兄様が諏訪の兄様のお話を私になさるとき、それはまるで自分のことのように誇らしい顔をなされていたことが、深く心に残っております。



 そんな五郎兄様のお姿が、なんだか目の前に写る源次郎様の影と重なるように思えて。


「いつか、兄上を追い抜きたい。兄上に負けないくらい強くて立派な武者になるのが、それがしの夢なのです。叶わぬ夢なのかもしれませんが・・・」


「大丈夫ですよ。源次郎様なら、きっとなれます」


 私は自信に満ちた声で、源次郎様に応えました。



 気休めなどではないですよ?


 源次郎様があまりにも純粋ですから、そのお心が私には手に取るようにわかるのです。



 お兄様に劣等感を抱くのは、お兄様を尊敬しているから。


 追いつきたいと思うのは、お兄様に憧れているから。



 そのような気持ちで一生懸命追い求めれば、立派な武士になれることを、私は知っているのです。


 五郎兄様を一番近くで見てきた私だから。


「信玄入道の娘である私が言うのです。間違いありません。きっと源次郎様は、強い武士になられます」


「っ・・・ありがとう、ございます・・・」


 そんな、源次郎様の感謝の言葉が小さな声で聞こえました。


 お顔はわかりませんが、その声色からどうやら源次郎様は照れてらっしゃるようで。



 ・・・本当、源次郎様は可愛いお方です。


「松姫さまも、大人になられましたねー。年下の殿方に至言の御教示なんて」


「五月蝿いです、お百合」


 からかわないで下さい。


 私自身も、柄にもないことをしたと少し恥ずかしいのですから・・・



 耳元で心地良く響く私と、お百合と、源次郎様の笑い声。


 それはとても穏やかな時間で、行水と共に、身も心も洗われていくような心地がしたのです。

若き日の真田幸村の苦悩・・・


幸村って、実力があるのにそれを発揮する機会に恵まれなかった感じがします。

やっぱ戦国時代では、次男以降は長男の忠実な家来になるしか道は選べませんでしたから。


もし幸村が真田家の長男だったら・・・歴史はまた、少し変わっていたのかもしれませんね。

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