一つめ 婚約
初めて貴方様に文を書いた日のこと、今でもはっきり覚えております。
あれは師走に入ったばかりの、寒い日のことでした。私の住んでいる館は白い雪に包まれ、火鉢の音を聴きながら侍女のお百合の言葉に首をかしげたのです。
「婚約、ですか?」
私は初め、どのような意味かわかりませんでした。それもそのはずです。たった七つで色恋沙汰なんてわかるはずないのですから。
「はい、松姫さま。おめでとうございます!!」
お百合は実に嬉しそうな顔をしていました。そんなお百合と対称に、婚約する当の私は何が何だかわからないというのが本音で、ただお百合の話を現実味もなく聞いているだけでした。
お百合はこのとき確か十五、六になるという頃でしょうか。私が生まれてからずっと側にいてくれた姉妹のような者なのです。お百合は色恋沙汰が好きで、幾度も殿方に文を出しては私に嬉しそうに話すのです。ただ、実に楽しそうに文を書くお百合を見て、私は幼きながらこれが「恋」なのだと知りました。
「お相手の方は『奇妙』さまと申するそうでございます。お年は確か・・・十一です。幼きながら聡明で凛々しい殿方だそうですよ!」
お百合の説明を受けながら、私はここで婚約が男と女の契りを結ぶことであると気付きました。けれども、その実感は全く湧かず
「『奇妙』? 字の通りに変な名前ですね」
「もう。そのようなことを言うのは贅沢というものですよ! 奇妙さまは隣国の御曹司、あぁ~ さぞかし豪華な暮らし振りで・・・」
お百合は目を輝かせ、魂がどこか飛んだような顔をしていました。それほどまで御曹司というのが良いものなのでしょうか・・・
とはいえども、私の父上も数国を治める大名でした。
『甲斐の虎』、武田信玄入道晴信。それが父上のお名前です。
そして父上の五女として生まれた私も、大国の姫君として不自由ない生活をさせてもらっていました。
「婚約、とは・・・その奇妙なる方と結婚するのです?」
「それはもちろん、そうですよ。いずれ奇妙さまと結婚なされるのです。ですから今から仲良くして・・・あっ、そうです。奇妙さまに文を送ってみてはいかがですか?」
「文を?」
「松姫さまがどういう方なのか知っていただき、奇妙さまがどういう殿方なのか知れば、より仲が深まるものですよ!文のやり取りで深まる恋なんて、平安の公家みたいで素敵ではないですか!」
「平安・・・?公家・・・?」
本当のことを申し上げると、私は何もわかっていませんでした。
ですが、知らない方と文通を通じて仲良くなるということに、私は好奇心と憧れを覚えていました。
私の住んでいるつつじの館は山の麓にあり、雪が積もれば外に出ることが叶わなくなってしまいます。
それに加えて私は姫の身分。自由に外に出ることも出来ず、遊び相手もお百合ばかりで、子供心に鬱憤が溜まっていたのです。同じ大名の子として、奇妙様もその気持ちはわかっていただけますでしょう?
私は文を書くことに楽しそうだと了承して、早速筆をとりました。
奇妙様とはどんな方なのでしょう?
優しい方なのでしょうか?
面白い方なのでしょうか?
楽しく文通ができるでしょうか?
仲良く・・・お友達に、なれるのでしょうか?
とドキドキしながら習ったばかりの仮名を書きました。
奇妙様と結婚することになりました、松と申します。
松は奇妙様のお顔を存じませんが、これから仲良くしたいと思います。
どうか、よろしくお願いいたします。
すると、しばらくして
文を頂戴し、誠に嬉しきことでございます。
それがし、松殿の夫になる者、奇妙と申します。
以後、仲良くしていきたいと思いまする。
私は奇妙様から帰ってきた文を何度も読み返しながら、子供心ながらこの新たにできた繋がりに心躍らせたのです。今は、これが恋心だと知らないまま。
まずは主人公の松姫さまと、侍女のお百合の登場です。
お百合は架空のオリジナルキャラクターです。基本は実在した人物を登場させる予定ですけど、侍女だけはしかたなく・・・(汗
『奇妙』という名前は、松姫さまの婚約者『織田信忠』の幼名『奇妙丸』から取ってます。
『信忠』という名前は諱と言い、普通はあまり口にしない名前なんです。なので、文中でも極力諱は使わない感じです。