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五つめ 斜陽

戦場を染めるその色は、夕焼けの『赤』なのでしょうか・・・血の『赤』なのでしょうか・・・



 茜空の下、夕暮れに染まった城の大手門を、私は呆然と歩いていました。



 未だに燻っている火薬の匂いが鼻につきます。時折血の匂いと共に風に乗って流れて、吐きそうなほど気持ち悪くなります。


 夕暮れはまるで燃え上がったように朱く、戦が通り過ぎた悲惨な跡を真っ赤に塗りつぶしていました。


「っ、酷い・・・」


 私は初めて、『戦』というものを目にしました。


 至るところに飛び散った血痕。


 無造作に放置された兵卒たちの死体。


 ある者は頭に矢が刺さり、ある者は首を掻き取られて。


 そんな味方を弔う気力も残っていないほど、かろうじて生き残った者達は憔悴しきっていました。早朝から日が沈むまでずっと戦い続けているのですから、当然です。中には、片足を失いながらも槍を杖代わりにして必死に歩こうとしている方もいらっしゃいました。



 地獄絵図とは、まさにこのことで。


「これが、戦・・・」


 私は思わず息を呑んで、その光景から目を背けたくなりました。


 これが誠のものだなんて、思いたくなくて。


 これが奇妙様が起こしたことなのだと、思いたくなくて。



 高遠の別隊を全滅させた織田勢はその後も城攻めを苛烈に行い、日が傾くと大手門から兵を引き上げていきました。


 麟虎様が命を捨てて荷駄隊に放った火も早々に消し止められて、結局のところ、大した損害も出せなくて。

 私達の決死の策は、見事に破られてしまっていました。


 今はただ、暗くなったから城攻めを中断したに過ぎません。また朝になれば、今日のように大軍勢が城に押し寄せてくる。


 また、たくさんの人が死ぬ・・・


 想像するだけで、酸っぱいものがこみ上げてくる感じがします。




 ・・・戦とは、このようなものなのですね。


 吐きそうなほど気持ち悪くて。恐ろしくて。


 ただ馬鹿みたいに、人が次々と死んでいく。


 誰も幸せになることはない。


 なんて、不毛なのでしょうか・・・




 私の後ろを、お百合が黙ったままとぼとぼとついて参ります。


 麟虎様が討ち死になされた現実を、必死に噛み締めながら。


 そのことに、私はどの言葉をかけていいかわからなくて。振り返ることすら出来なくて。


「お百合・・・ごめんなさい・・・」


 歩みを止めて、背を向けたまま、私はそれぐらいしかお百合に言葉をかけてあげられませんでした。


 振り返ったら、泣いてしまうと思って。


 せっかくお百合が麟虎様との約束を守ろうとして、一生懸命涙を我慢しているというのに。


 私が泣いていい訳がないではないですか・・・

 


「ごめんなさい・・・ごめんなさい・・・」


 私はただ申し訳ない気持ちでいっぱいで、ひたすら『ごめんなさい』を繰り返していました。


 奇妙様と離れ離れになったとき、お百合が私の代わりに泣いてくれたときのように。


 今度は私が。



 ごめんなさい・・・


 お百合に、こんな悲しい想いを抱かせて。


 ごめんなさい・・・


 何も、助けてあげることが出来なくて。



 そんな『ごめんなさい』を繰り返す私に、


「・・・お百合は、大丈夫です」


 それは、お百合の精一杯の強がりのように聞こえました。


「・・・松」


 ふと、私の名を呼ぶ声が聞こえて、前を見据えると、そこには五郎兄様は立っていました。


 甲冑は泥で汚れ、頬は煤まみれで。昼からは自ら前線で指揮を取って奮闘なされていたためか、随分とお疲れの顔をしておりました。


「五郎、兄様・・・」


「この城はもうもたぬ。お前はお百合と逃げろ」


 短く、五郎兄様はそう仰いました。悲壮感漂うお顔で、私をずっと見つめています。


 五郎兄様が仰っていることは、私でも理解出来ていました。


 この高遠勢の半数が、討ち取られてしまった・・・


 残り千五百で、この城を守ることなど到底不可能でしょう・・・



 もう、五郎兄様には最期まで戦って討ち死にする以外の道は残されてない・・・


「城の裏手ならまだ囲まれてはおらぬ。今宵なら、闇夜にまぎれて藤沢川に小船を出せば敵にもきっと気付かれない」


「ちょっと待ってください!!私は五郎兄様と共に死ぬ覚悟です!!」


 侮られている。私は思わず、そう感じました。


 私が、おなごだからって。


 私が、奇妙様の元婚約者だからって。


「私も、武家の者です!!戦うと決めた以上、例え死んだって―――」


 そのように、私が精一杯威勢を張ろうとしたとき、


 五郎兄様が、ぎゅっと私の肩を掴んだのです。


 そのまま、無理やり自分の胸に抱き寄せて。


 私の頭を抱きかかえたまま、離そうとしてくれません。


「っ・・・五郎兄様・・・痛いです・・・」


「・・・死ぬな。後生だから、死なないでくれ・・・」


 それは、必死の哀願でした。


 普段の五郎兄様では想像も出来ないほど、可哀想だと思うくらい、惨めな声で。



 頬に触れ合う甲冑の硬く冷たい感触が、五郎兄様の苦しみだと思えて。


 五郎兄様が私を力強く抱きしめるその痛みが、私を想う現れだと感じて。



 痛いです・・・っ、


 痛いです・・・っ、五郎兄様・・・


「責任を感じている。我等がもし少しでも違う道を選べば、お前にこんな悲しい想いをさせなかった。せめてもの罪滅ぼしに、お前だけは死なせたくない」


「・・・ですが、五郎兄様と死に別れてまで生きたくはありません・・・」


「戦場で死するが男ならば、男の分まで幸せになるのがおなごの責任だ。松は兄の分まで生きねばならぬ。生きて、どうか幸せになってほしい」


 五郎兄様が死ぬ・・・そのことが無性に悲しくて・・・


 どうせなら、五郎兄様と一緒に殺されたほうがいい。


 そのほうが、何倍も嬉しい・・・



 でも、それで五郎兄様の死が無駄になってしまうなら。


 五郎兄様の想いが無駄になってしまうなら。


「兄の最後の願いだ。聞いてくれるな・・・?」


 どんなことがあっても、生きる。


 生きて、幸せになる。


 幸せになるために、戦い続ける。



 それがきっと、おなごにとっての『戦』なのだから。


「・・・わかりました」


 私は小さな声で返答しました。



 松は、戦います。


 この、苦しくてつらい現実と。


 例えどのようなことがあっても俯かず、不敵に笑ってやります。



 不敵に笑って、その苦しみと戦います。




 いつものように、五郎兄様は私の頭をそっと撫でてくれました。


 優しい手つきで。幼い頃から変わらない、無骨で大きな手のひらで。


 私はそうやって五郎兄様に抱かれ、頭を撫でられたままお百合に声をかけます。


「・・・お百合。聞こえますか?」


「はい・・・聞こえます。松姫さま」






「・・・夜が更けたら、城を出ましょう」

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