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五つめ 前夜


 三万の織田勢は真っ直ぐこの高遠城に進軍して参りました。


 夕刻ほどになると、その様子が高遠城の本丸からも見えてきて。


 私はその鎧甲冑の武者の群れを、じっと眺めておりました。



 見渡す限りに広がる指物を指した人馬の波。漆黒の甲冑と妙に色の白い木瓜紋の旗の対比が異様に不自然で。そんな軍勢がまるで蠢くように、この高遠を侵食しておりました。



 っ、なんですかこれは・・・



 その光景を目の当たりにしたとき、私はとても怖くてたまりませんでした。


 口にする以上に、思っていたものをはるかに凌駕するほど三万という軍勢は大きくて。


 『人』がつくり出すようなものにはとても思えませんでした。


 雪崩や、嵐のようだと思いました。こんなもの、抗うことなんて出来るのでしょうか・・・



 けれど、この軍勢は全て奇妙様が率いていらっしゃるのですね・・・


 このときは、奇妙様という人物が本当に大きく見えました。


 この十年の間に、奇妙様はこれほどの大軍勢を率いる立派な大将になられていたなんて。



 文のやり取りをし二人で色恋遊びを楽しんでいた、幼い頃の奇妙様。


 『全てを振っても松殿をお守り致します』と仰って下さった、奇妙様。


 離れ離れになっても、ずっと求めては焦がれてしまう、私の奇妙様。


 それは、私が存じているどの奇妙様とも違う印象を受けたのです。



 とても大きく、そして・・・怖い。



 夜が更ける頃には高遠城は囲まれ、早朝から織田勢の城攻めが始まるでしょう。


 きっと雪崩のように高遠城を飲み込み、押し潰してしまうことでしょう。


 一縷の望みもない戦だと、五郎兄様は仰っていました。


「だが、それでも一筋の光明を求めるのなら・・・敵の荷駄隊を潰すことだ」


 いくら高遠勢が篭城し奮戦したところで、きっと奇妙様は高遠城を包囲したまま別隊を組織し甲斐へ進軍を行うでしょう。さすれば、私達の努力とは関係なく甲斐の国が蹂躙されてしまいます。


 高遠勢の目的は、敵の足を止め甲斐へ入らせないこと。


「織田勢の泣き所は、敵地深くへ入り込む遠征のためどうしても糧道りょうどうが伸び切ってしまうこと。そして三万という大軍勢であるが故に、大量の兵糧を要することだ」


 軍議の席で、五郎兄様はそう述べておられました。


「明朝、織田勢は城攻めを開始するだろう。敵の城攻めが始まる前に、我らは三千のうち千五百を埋兵(伏兵のこと)とし藤沢川のほとりに逃がす」


「城攻めが始まれば敵は夢中でこの城に押し寄せるだろう。この城自体を餌とし敵を引きつけている間に別隊が敵の荷駄隊を強襲、これを焼き払う」


「己の食う飯がなくては、織田は甲斐への征伐など出来るはずもない。尾張へ帰らざるを得なくなる。もしかすると士気が乱れ敵は瓦解するかもしれない。その混乱に乗じて死力を尽くし打って出れば、大将の首も狙える」


 それが私達が織田の大軍勢に勝つ、唯一の手段。


「勝機を逃すな!!この高遠で、織田を打ち負かす!!」


 圧倒的な兵量差。


 けれど五郎兄様は勝つことを諦めていませんでした。軍議の場で強く、それは強く勝つことを訴えて、諸将の方を鼓舞しておられました。


 その姿は、どこか出陣前の父上に似ているような気がして。



 『甲斐の虎』の再来だと、思いました。


 五郎兄様なら、きっと織田の大軍勢にも勝てる。


 それはみなも同じなようで、じっと五郎兄様の言葉を聞き、その采配を信じて、戦支度は夜通し進んでいきます。






 その夜更けに。


 戦支度の慌しさでお百合とはぐれてしまい、なかなか部屋にも戻って来ないお百合を探して城の中を歩き回っていたときでした。


 人気のない、城の裏口の側。ほのかな松明の明かりが妙に頼りない、薄暗い場所で私は人影を見つけて。


「あっ、いました・・・お百っ!!」


 声をかけようとして、私はお百合以外にもう一人誰かいることに気付いて慌ててしまいました。


 っ、麟虎様・・・・・・


 お百合と麟虎様の密会に鉢合わせしてしまったようで。


 どうしていいのかわからなくなって、私は意味もわからず近くの茂みに隠れました。


 二人の話に、そっと聞き耳を立てて。


「・・・夜が明ける前に、城を出なければなりません」


 麟虎様のお声が聞こえます。


「敵の荷駄隊を奇襲する、埋兵の指揮を任されました。あのひしめく敵軍の中に、突っ込んでいかなければなりません」


 ただ麟虎様が淡々と話されているだけで、お百合の声は全く聞こえませんでした。

 じっと、麟虎様のお話を黙って聞いているようでした。


「明日、私は死にます」


 っ・・・!!



 思わず私は息を飲んでしまいます。


 けれどお百合はそう伝えられても、俯いたまま何も言わずに。 


「お願いがあるのです。もし私が死んでも、百合殿。どうか泣かないで下さい」


「貴方には、松姫さまを守ってほしい。どうか、私に何があっても心を強く持って下さい。私は貴方のために、自分の役目を果たします。だから、貴方も松姫さまのためにその役目を果たして下さい」


 とても、とても優しい懇願でした。


 口になされていることは、とても悲しいことなのに・・・



 相手を想っているからこそ、退かなければいけない場面。


 相手を尊重しているからこそ、成就してほしいその役目。



 例え、自分をないがしろにしても。


 例え、明日自分が冷たい首級になろうとも。



 そんな麟虎様の想いを痛いほどわかっているから、きっと、お百合は何も言わないのでしょう。


 そんな二人のぼやけた輪郭が、私の瞳にはとても切なく映るのです・・・



 ・・・どうしてですか。


 ・・・どうして、こんなに寂しいのですか。


 ・・・どうして、こんなに切ないのですか。


 好いている二人が、どうして結ばれないのですか・・・



 お百合がそっと、麟虎様に抱きつきます。


「・・・約束します」


「例え何があっても、泣きません・・・松姫さまは、私がお守り致します・・・だから麟虎様は、何も心配せずに励んで下さい・・・」


 震えた声で、少しずつ。けれど確かにお百合はそう麟虎様に告げていました。


「約束、です・・・」


「・・・はい。確かに、約束です」


 『約束』と言うお百合に、優しく『約束』と返す麟虎様。


 とても素敵で哀しいその抱擁を、私はただ見つめていました。




 そして、夜が明けて。


 戦が、


 忘れもしない、地獄が始まったのでした。

戦を前に、交錯するそれぞれの想い・・・


高遠城の戦いが、ついに始まります。

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