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四つめ 桜


 奇妙様は、高遠のお城のことを覚えておいででしょうか。


 私がつつじを離れて、十年余りも長く暮らした場所です。二つめの故郷と言ってもいいほど、とても大切で懐かしい場所でした。



 初めて私が高遠のお城に来たとき、城下町の小ささに驚いたことを覚えております。つつじの町も山に囲まれた田舎だと思っていましたが、高遠の城下町はさらにこじんまりとしていて、悪く言えば寂れた・・・いや、でも!!周りの緑と協和したような、とてものどかで素朴な町なのです!!

 それが高遠の良い所だと、今ではそう思います。


 でも、五郎兄様の一団に付き従って初めて高遠を見たときは


「・・・これはまた、田舎な・・・」


「っ、松姫さま!?そんなこと言ってはいけませんよ!!これからは仁科さまのお城になるのですよ!!松姫さまもここで暮らすのですよ!!」


 私が思わず本音を口に出すので、お百合は慌てて私を諌めます。


「ですが私・・・つつじよりさらに田舎な場所があるとは思ってませんでした。お百合もそう思うでしょう?」


「まぁ、確かに少し田舎すぎるかとは・・・っ、いやっ、違います!!」


「っ、おかしなお百合」


 私は自然と、笑みを零していました。奇妙様との婚約がなくなってずっと憔悴していましたが、ようやく少しずつ元気を取り戻しつつあるような感じです。


 私に元気を出してもらおうとお百合が明るく振舞っていることを、私は知っていました。その気遣いが、嬉しくて。



 高遠の町に近づくと、小高い丘の上に白亜の建物が少しずつ見えてきます。『三峰』と『藤沢』という二本の川に挟まれた、高遠城の本丸です。


「立派です・・・」


 初めて見る天守というものに、私は圧倒されてしまいました。田舎のような高遠の町に、小さくとも立派なお城があって。


 つつじには、お城というものがありませんでした。父上が暮らしていた場所も、屋敷でしかありません。私は初めて、『お城』を目の当たりにしたのです。


 ここが、高遠・・・私の暮らす場所・・・


 初夏に訪れた高遠はとても温暖で、過ごしやすそうな場所でした。






 高遠のお城に着くと私はお百合と連れてすぐさま、五郎兄様の私室へご挨拶に向かいました。


 五郎兄様のお部屋へ向かう途中の縁側では、仁科のご家来衆や侍女の方々がつつじより運んだ荷の片付けるために慌しくあちらへ行ったりこちら行ったり、忙しそうに走り回っておりました。あまりに忙しそうでいたるところから喧騒が聞こえます。


 私達は五郎兄様のお部屋にお邪魔すると居住まいを正して

  

「五郎兄様。これから、お世話になります」


「あぁ、松か・・・長旅ご苦労だったな。疲れただろう、まずは休め」


 ご自分の荷を片付けながら、五郎兄様は優しくそう仰ってくださいました。


「ありがとうございます。でも、着いて早々休んでいられないです。私達も、みなの片付けを手伝わないと・・・」


「今日からここがお前の家になるんだ。もっと気を楽にしても構わんさ」


「ですが・・・」


 私は、申し訳なく思います。


 もう私は姫ではないのです。武田の家を追い出された、ただの居候に過ぎません・・・


 俯く私に、五郎兄様はいつものようにそっと髪を撫でてくださいます。


「そんな暗い顔をするな。せっかく高遠まで来たんだ、松に見せたいものがある。少しついて来い」


「えっ?五郎兄様?」


 荷の片付けもそこそこに、五郎兄様は部屋を出て行かれます。


 私とお百合は何のことだかわからなくて二人顔を見合わせて首をかしげた後、慌てて五郎兄様を追いかけました。






 五郎兄様が私を連れて来たのは、城の北にある離れのお部屋でした。


「ここだ。今日からお前の部屋として使うといい。開けてみろ」


 言われるがまま障子を開けてみると、そこは小窓が大きなとても日当たりの良いお部屋でした。


 まるで外にいるかのようにお部屋の中は明るく、右手には壁一面に棚があって、書物がたくさん並べ置かれていました。


 左手には、桃や紅の綺麗な打掛が飾られています。


 とてもおなごらしく、可愛らしい書斎でした。


「何ですか、このお部屋は・・・可愛らしい打掛がたくさん・・・」


「見てください松姫さまっ!!この書斎、源氏物語がこんなに揃ってます!!それにこっちは更級日記・・・古今和歌集も新古今和歌集もありますっ!!あぁっ、伊勢物語まで!!」


 お百合が棚の中の書物を手にとって、瞳を輝かせて私に呼びかけます。そしてその棚に置かれた歌集や物語の多さに、驚いていました。つつじの屋敷にも、こんなに物語はありません。


「ここは諏訪の姫君のお部屋だったらしい。姫君亡き後も、諏訪の兄上が大事に手入れなされていたそうだ」


「諏訪の、姫君の・・・」


 『諏訪御寮人』とも呼ばれた、この高遠の姫様。諏訪の兄様のお母上。

 その美しさと教養の深さから、父上から最も寵愛を受けた方なのだとつつじでも有名なお方でした。私も、その名前だけは知っておりました。


「この歌集も物語も打掛も、諏訪の姫君が集めていたものらしい。これからは、松が自由に使うといい。ここでゆっくり、歌の勉強をするのはどうだ?」


「歌の、お勉強・・・」


「諏訪の兄上が仰っていた。傷心の痛みを乗り越えるには、和歌が良いのだと。その悲しみを歌の世界で吐き出すことが、一番だ」


 五郎兄様は棚の中から古今和歌集を取り出して、私にそっと差し出しました。


「高遠はのどかなところだ。歌を詠みながらゆっくりと、奇妙殿のことから立ち直っていけばいい」


 五郎兄様の優しさが、じんと心に染みていきます。


 奇妙様と別れ別れになってしまった私をこれほど心配して下さっている。


 そんな私のために、このような素敵なお部屋を用意して下さった。


 五郎兄様から受け取った和歌集を開きます。


「花の色は・・・」


   花の色は うつりにけりな いたづらに わが身世にふる ながめせしまに


 それは小野小町の、私でも存じている歌でした。


 桜の花は、雨で空しく散ってしまう。私も同じように年月に流され色褪せてしまったのだ、と。



 その歌はまるで私のようだと思いました。


 幼いのころ、奇妙様と文のやり取りを始めてとても楽しかったこと。幸せだったこと。


 でも今は奇妙様を失い、何もかも色褪せてしまった・・・


「桜の花は、移ろったりなどしない」


「えっ・・・?」


 私の呟く歌を聞いて、五郎兄様はそう仰いました。


 花が移ろわないなど・・・訳のわからない私をしりめに、五郎兄様は部屋の大きな小窓を開けます。


 初夏の涼しい風がお部屋の中を吹き抜けて、前を見ると窓の外には大きな木が青々とそびえ立っていました。


「大きな木、ですね・・・」


「桜の木だ。もう時期は過ぎてしまったが、春にはそれは美しく満開に咲き誇るらしい」


 その大木は幹も太く、枝葉も力強く広がってとても存在感のある桜の木でした。


 五郎兄様の言う通り春には一面桃色になるほど、たくさん花をつけるのだろうと思うくらい、大きな桜の木です。


「高遠の桜は特別らしい。どれほど咲き誇っても白く褪せることはなく、ずっと美しい桃色の花を咲かせ続けるそうだ」


 色褪せることが、ない・・・


「確かに花は散ってしまうだろう。だが花が散っても、桜が死んだ訳ではない。花が散っても力強く青々と葉を茂らせている。花が散ったから、終わりという訳ではないんだ」


「そうです、松姫さま。ここからまた、一から始めましょう。お百合と一緒に」


 私はただ、五郎兄様やお百合の言葉をじっと聞いていました。



 その励ましが、とても嬉しかったのです。


 お百合がいてくれて、五郎兄様がいてくれて、本当に良かったのだと。


 きっと私一人では、前に進むことなど出来なかったでしょう。


 ずっと奇妙様を失った悲しみに溺れて、塞ぎ籠もっていたと思います。



 けれどその手を差し伸べられて、私はそうなのだと思いました。


 花は散っても、枯れた訳ではない。


 また、咲くことが出来る。


 だから


「・・・そうです、よね。ありがとうございます」


 私は二人に元気なところを見せるため、最大限に笑って顔を上げました。


「全てやり直しましょう。この高遠で」


 だからどうか奇妙様、松のことはご心配なさらないでください・・・



 私の全力の笑みに、お百合も五郎兄様もにこりと笑い返してくれました。


 

 高遠で始まる新しい暮らしが、少し楽しみに思えてきたのです。

高遠城といえば桜!!ってことで桜回です。

でも桜の名所としての高遠は幕末以降なので、まだ少し早いのですが・・・。


自分は高遠には行ったことがないので

松姫さまの小説を書く身としては一度行ってみたいです。

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