信じる力
あれから、一ヶ月が経った。先の戦いの件は、民に包み隠さず、余すところ無く公表した。やはり、神皇帝はけじめを取るつもりなのだろう。今では、天界は平和そのものだった。神皇帝も元に戻り、国の情勢も安定し、死神たちの問題についてもしっかりと考え、答えを模索している最中だった。
そして、花子は死神から神に戻された。神皇帝からは謝罪されたが、真実を知った花子は、許し、かの作戦に参加したメンバーは、今はどこの学校にも所属せず、天界で暮らしている。
仕事がなくなり、青蘭は屋根で昼寝をし、鈴は図書館から出ようとしなかった。千李は、禁忌とされている術を使ったことについては神皇帝より不問とされた。非常事態でやむを得ず使ったと、神皇帝に告げた所、正しい判断だと賞賛されたのだ。神皇帝とは、本来このように、伝統などにとらわれない性格なのだ。
花子はというと、幸樹の気配がないかどうか毎日、毎時間神経を尖らせていた。
千李には、幸樹が神になった気配がしたら、すぐに知らせると聞かされているが、やはり待っているだけというのは辛かった。千李は神皇帝となる一族だけに、感知能力では神皇帝を除いて右に出るものはいなかった。なので、千李から何の連絡もないということは、まだなのだということは頭では理解できる。しかし、それでも気になるのが人の性というものであった。
そわそわしていて、どこか落ち着いていない花子に、一度人間界に降りてみればいいのではないかと千李が提案したことがあったが、やんわりと断った。
やはり、幸樹の無事が確認されるまではけじめとして降りたくはないのだと。
自分を守って、人間として消滅した幸樹に、申し訳がないという考えだった。だが、そう答える花子はやはりどこか覇気がなかった。
あるとき、花子が城の廊下を歩いていると、鈴が前から歩いてきた。
「・・・そのような顔を幸樹に見せるのか」
すれ違いざまにぽつりと鈴が言う。花子は目を伏せ、呟く。
「まだ、ね、どうしていいかわかんないのよ。もう一ヶ月経ったのに、なんの音沙汰もない。不安、なのよ・・・!」
「・・・」
その言葉に無言でまた歩き出す鈴。花子も何も言わずただその場に立ち尽くした。
だが、少し遠くで、鈴が言葉を放つ。
「私は信じている。彼に貸すはずの本。忘れていたからな」
「鈴・・・」
「本好きがそう簡単にくたばるはずがない。もっとリラックスしろ。お前がそんなでは幸樹君が帰ってくる意味がない」
鈴は、それだけ言い残すとすたすたと行ってしまった。それは、鈴なりの励ましであったことを、花子はわかっていた。
一人残された花子はふっ、と微笑んだ。
「ありがと・・・鈴」
ふと、花子は思い立って城を出た。
赤い屋根の平屋がある。昔、花子達三人はよくこの屋根に登って空を見上げていた。大きくなって(月日が経って)からは仕事やら何やらで屋根に上り空を見上げる機会など無くなってしまったが、今改めて見上げてみると、新鮮な気持ちになった。人間と違って成長というものがないので、絵面で言えばあまり変わらないのだが、やはり、当時とは心境が違う。
「空って・・・こんなに人の頭をぼんやりさせるのね」
花子はポツリと呟く。
「当たり前だ。白い雲と青い空。果てしなく続くこいつらを見てたら、何も考えられなくなるぞ」
隣で同じく空を見上げている青蘭が笑って答える。
「そうね・・・あなた、いっつもこういう風にぼんやりしてて不思議に思ってたのだけれど、確かにこれはぼんやりできるわね」
薄く笑いながら話す花子に、青蘭も頷く。
「今のお前みたいに考え込みすぎてる時はぴったりだぜ」
「ええ、本当に。でも、ぼんやりする感覚って怖いの」
「怖い?」
その言葉にぴんと来なかった青蘭は首をひねる。
「そう、怖い。ぼんやりしたら、まるでとても大切なことを思い出せなくなるのではないかって・・・絶対に忘れてはいけない人の事を、忘れてしまうんじゃないかって」
「龍蘭・・・」
「幸樹君のことを忘れる瞬間が、怖いの・・・」
「それは罪の意識でか?」
その言葉に、龍蘭は青蘭を見る。いつになく真剣な顔をした青蘭に、花子はうろたえた。
「それとも、ただ単に大切な人を忘れるのが怖いのか?」
「それは・・・わからない。けど、忘れたくない」
俯いた花子に、青蘭がいつもと同じ調子で話しかけた。
「ま、大切な人を忘れたくないってんなら結構な事だが、罪の意識に苛まれてってんなら、早く忘れろ」
「忘れろって・・・!」
勢いよく体を起こした花子に、青蘭はやれやれ、というように肩をすくめて、自分も体を起こす。
「あいつは、今のお前は知りたくないと思うがな」
「え・・・?」
「命張ってまで守った奴が、守った事で心痛めてるんならあいつは後悔するはずだ。それは、お前があいつのやったことを否定する事と変わりがねぇ。お前は、それでいいのか」
「そ、れは・・・」
鈴にも、似たような事を言われたような気がする。花子は、何も言えなかった。
「簡単に言うと、早く立ち直れってこったな。あいつが戻ってくる場所を、他の誰でもない、お前が作るんだ」
青蘭は花子の肩をぽん、と叩くとよっこらしょ、と立ち上がった。
「お前に必要なのは過去に縛られない事だと思うぜ。それができないのであれば、いっそ忘れろ。じゃあな」
青蘭はそう言うと屋根から飛び降りて、人ごみの中へ消えていった。
「辛辣だなぁ・・・二人とも」
花子は一人、自嘲気味に笑った。
鈴は一人、廊下を歩いていた。思い出すのは、先ほどの花子とのすれ違いざまの会話だった。
『私は信じている』
あんな言葉、まさか自分の口から出るとは思わなかった。どこまでも、正義を貫き、どこまでも確実な道を歩いていた自分が。信じるなどと。希望論を口にする日が来るとは夢にも思わなかった。
一ヶ月前の出来事が、自分を変えたのかもしれない、と鈴は冷静に分析した。
(いや・・・違うか)
本当に自分の考え方を変えたのは、ついさっきの出来事だったのかもしれない、と記憶を引っ張り出す。
そう、それはわずか30分前の出来事だった。
鈴は、千李に呼ばれ、玉座がある大広間へ出向いていた。例の、一ヶ月前の、彼女の最終決戦の場となった場所だった。
「千李皇子、お呼びでしょうか」
鈴は千李の前で跪く。千李は玉座に座っているのではなく、玉座の前に立っていた。神皇帝の姿は見えない。
「そんなにかしこまらないでください、鈴殿。今日の話はリラックスして聞いて欲しいのです」
「はっ・・・」
鈴が立ち上がる。千李が微笑んだ。
「本日の午後に私の神皇帝の引継ぎ式行う事を決定しました」
「それは・・・おめでとうございます。新たなる神皇帝の誕生に、胸が張り裂ける思いでございます」
鈴はそう述べながらも、しっかりと予定を確認する。今日の午後なら空いているはずだ。
青蘭の補佐である鈴は、青蘭にこの決定を伝えなければならなかったので、
しっかりと頭に予定を叩き込んだ。
「話はそれで以上ですが・・・一つ質問したい事があります。・・・近頃の龍蘭殿のご様子はいかがですか?」
鈴は少し驚いたが、やや言いづらそうに話す。
「・・・ええ。一ヶ月前の件、まだ心を痛めているようです。会う事も、ぐんと少なくなりました」
その報告に、千李は俯いた。
「そうですか・・・やはり、幸樹殿のことが気にかかっているのですね。なんとかなるといいのですが・・・」
「それに関しては、なんともいえません。やはり、自分の不注意で彼を死なせてしまった事に負い目を感じているのでしょう。彼女自身が乗り越えるべき壁だと思います」
鈴は、今までの花子の様子を思い出し、彼女にしてみれば珍しく推測や、自分の意見も交えながら報告する。花子は殆ど人と話す事はなくなってしまった。顔を見てもとても暗い顔をしていた。仲の良い、鈴や青蘭でさえ実際会う回数も少なくなっているのだ。花子をよく知る者達は、とても心配している。相当ひどい状況といえるだろう。
千李は神妙な面持ちで、鈴の報告を頷きながら聞いていた。そして、少し考えたあと、悲しそうに口を開く。
「そうですね・・・私達にできることは、一刻も早く、幸樹殿が復活を遂げる事です。もっとも、うまくいっている保障はないのですがね・・・」
申し訳なさそうに言う千李に、鈴は話題を変えた。
「ところで千李様、あの死神共は・・・あれでよかったのですか?」
どこか棘の含んだ質問に、千李は自信を持って答える。
「彼らの事なら心配要りません。私がなんとかしますから」
「しかし・・・いくら、多少生活を考慮するといってもそんなことであの者達が満足するとは思えません。やはり、消しておくべきではなかったのでしょうか」
死神というのは本来自我を持たないので、反乱を起こすことなどないはずだった。しかし、溜まった鬱憤などが死神に自我を目覚めさせたのだ。これは、想定外の事態であった。
千李は、柔和な笑みを浮かべる。
「しかし、彼らを消したところで、次のときはどうするのですか?」
「え?」
「彼らを消したところで、次の死神が同じ事態に陥る可能性がある。それではいたちごっこです。それよりも、彼らの存在の仕方を考える事で、うまくやっていくことができるはずです。私は、その可能性に賭けたい」
「千李様・・・」
可能性。今までの鈴にとって、必要としなかった言葉だった。いつでも、ほぼ確実に成功する道を模索し、ベストの作戦を考えたり、自分の進む道を決めてきた彼女にとっては、無縁の言葉だった。
「それに、幸いにも私達一族には力がある。この力を持っていれば、彼らの抑止力になってくれるはずです。力で支配するのではなく、力を支配する事で、その力が平和に繋がってくれると、私は信じているのです」
「信じる、ですか」
また彼女に耳慣れない言葉だった。今までは、むしろ毛嫌いしていた言葉でもあったのだ。現に今も、少し心にまるで棘が刺さったような痛みを感じている。
そんな鈴の思いを見透かしたかのように、千李は微笑み、語る。
「鈴殿。信じる事は大切な事です。信じる事で道が開ける事もあります。信じなければ、道も閉じてしまいます。どうか、信じる事を大切にしてください。希望論という一言で片付けられない力が、信じるという行為には秘められていると思うのです」
千李の力強い、演説のような言葉に気おされた。今まで自分が経験したことのない生き方が、そこにはあるような気がした。
「わかりました。私も、信じてみようと思います」
鈴が笑顔でそう答えた。千李もほっとしたように頷いた。
新しい世界が見えた気がした。
「信じてみる、か・・・」
鈴はひとりぽつんと呟いた。
(今の私に一番必要なことかもしれないな。未来を、信じる。やれやれ、私も
人のことをいえた義理じゃないな)
鈴はすたすたと軽い足取りで、長い廊下を歩いていった。
町はいつも以上に賑わっていた。今日の午後、パレードがあるのだ。
そしてこの日、上流階級の神は必ず出席しなければならない行事があった。
それは、神皇帝の引継ぎ式。
そう、今日をもって、千李が神皇帝の座につくことになったのだ。
本来は、もっと前神皇帝は任期があったはずだったのだ。しかし、今回の問題を公表し、神皇帝自ら責任を取り、任期を終えるのを早めることに決めたのだった。
花子はその式典に参加しなければならなかった。仲間たちの励ましにより、少しは元気を取り戻したものの、まだ本調子とは言えなかった。
花子は喧騒の中を一人静かに歩いていた。考え事をしていると、周りの音がかき消されるように感じる。
(いつ帰ってきてもいいようにちゃんとけじめをつけなさい、か・・・)
二人の言う事は良くわかる。だがしかし、彼を守りきれなかった自分のふがいなさや、彼が戻ってきたとして、どんな顔で会えばいいかもわからなかった。
また、戻ってこないかもしれない可能性が高いということが彼女の中で一番の不安だった。一ヶ月の間、何の変化もなかった。確かに疑うのも無理はなかった。
特殊な環境で命を落とした場合は、存在自体を世界から消されるので、現世には彼のことを覚えている者は、おそらくいない。だがしかし、花子はしっかりと覚えている。
彼が存在した事を。だからこそ心配であり不安なのだ。現世で忘れられ、あげくの果てに命を張って守った人に忘れられたら本当に彼は報われない。
花子は絶対に彼のことを忘れるものか、と心に決めた。どんな事があっても、彼の帰りをいつまでも待つのが自分の義務だと。
だがしかし、頭でわかっていても、心の底からそんな風に思えるかは別。
どうしようもできない葛藤に苛まれ続けていた。
冴えない顔のまま、城へ登城する。広間にはたくさんの神達が集まっていた。そこには、鈴の姿も青蘭の姿も見える。
式典の内容としては、前神皇帝から千李に能力を授け、千李がスピーチをするだけである。
式が厳かに始まる。前神皇帝は千李に、手をかざす。その光が千李へ収束する。
神皇帝としての能力、すなわち、裁く力と断罪の力、そして再生の力。また、次の代へ同じように能力を渡せるように、能力を明け渡すこともできる力も授かった。
千李は凛々しい顔を皆に向ける。今、この瞬間から千李は皇子から神皇帝となった。
今までの千李とは、どこか纏う雰囲気が違った。
千李のスピーチが始まる。
「皆さん、今を持ちまして、私は神皇帝の名を授かりました。私のこれからの政策のテーマは、希望を持つこと。これです」
その言葉に、会場がわずかにどよめいた。千李は気にせず続ける。
「皆さん。希望を持って取り組めば、100%うまくいくとまではいいません。しかし、希望を持って取り組まなければ、100%うまくいかない」
花子は、その言葉が心に刺さった。
「信じるということは、思ったより大変かもしれません。でも、信じてください。希望を持ってください。希望論の夢物語だと片付けてしまうのは簡単です。しかし、その信じる力が、この国を、世界をよりよいものに変えていくでしょう!」
その言葉に会場は、わっと湧き上がった。
しかし、その言葉が、苦々しく花子を追い詰めた。やらなきゃいけない事はわかっている。信じることだ。しかし、それが難しい事もわかっていた。
「今回、前神皇帝の件でも、信じる力が活躍しました。その信じる力が無ければ、この国は今こうして平和では無かったかもしれない」
会場は静まり返った。この事件に関わったメンバーは、事件のことを思い出している事だろう。
千李は、一瞬、話すのをやめた。そして、しばらくして、また話し出す。
「今回の件でその信じる力の奇跡は、とても大きいものだった。そう・・・とても大きく、そして・・・」
その瞬間、バン!と勢いよく広間の扉が開く音がした。皆の視線が一斉に扉に注がれる。
そこにいたのは、5人が待ち望んだ人物。花子は心臓が止まりそうになった。
「すみません・・・川原幸樹、遅れました」
花子は式典の事を忘れ、扉の方へ走り出していた。
事件での事情を知らない者はいなかったので、誰もそれを止める者はいない。花子はそのまま幸樹へ抱きつく。
「幸樹君!!・・・おかえりなさい」
幸樹は、そっと抱きしめ返して、笑う。
「うん。ただいま、花子さん」
会場は拍手に包まれた。千李は笑顔でその様子を見つめると、天を仰いで、先程言うはずだった言葉を心の中で呟く。
(そう、とても・・・温かい奇跡)




