仲直り
学校まで戻り水泳部の奴らと解散したオレと陽菜は、互いに目を合わさないまま帰路を辿った。
いつもなら「ショウちゃん見上げてると首痛くなるよー!」と笑いながら横を歩く陽菜は、相変わらず数メートル後ろをついてきている。それだけでオレは心に隙間が空いたような心地を味わった。
いつもより家が遠く感じるのは気まずいからだろうか。陽菜の家の外灯が見えてきた時にはほっとした。
家の前では、陽菜の父親が煙草をくゆらしていた。
帰る前に陽菜が倒れたと連絡を入れておいたので、大事な一人娘が心配で外で待っていたのだろう。オレと陽菜の姿が見えると、急いで煙草を消し、ほうれい線がくっきりと浮かぶ顔を綻ばせた。
「おお、帰ったか」
ふくよかな腹を揺らしながらおじさんが歩み寄ってきた。オレは開口一番謝る。
「おじさん、すみませんでした。オレがヒヨコをちゃんと見てれば……」
「いやいや、ショウくんは悪くないよ。うちの陽菜が勝手にショウくんの試合を見に行きたいって駄々こねてついて行ったんだから、倒れたのは陽菜の自業自得だ。こちらこそ迷惑をかけて悪かったね」
そう言って陽菜の頭を小突くおじさん。しかしその目はとても優しく細められていた。
「いえ。じゃ、オレはこれで失礼します。……じゃあなヒヨコ」
オレはおじさんに一礼すると、陽菜に一言かけて自分の家の門を開けた。鍵を回してドアを開ける瞬間までおじさんは手を振ってくれたが、陽菜は下を向いたままだった。
帰宅してからも、気分が晴れることはなく、暗い部屋のベッドで横になっていた。
明日は決勝なのに何やっているんだか。しかし大会の方へ気持ちを切り替えようとすると古後が頭に浮かび、芋づる式に陽菜のことが浮かんでまたもやもやとしてしまう。
図体がでかいのでベッドから足をはみ出しながら、もう七度目になる寝返りを打った。ちょうどその時、枕元に放り投げていた携帯が軽快な音を立てて鳴った。
メールだ。
亀のような動きで携帯を開くと、画面の明るさに一瞬目がくらんだ。
「……おばさんか」
メールは陽菜の母親からのもので、『今晩うちでご飯を食べないか』という用件だった。オレは携帯を一旦閉じてタオルケットを頭から被る。そして少し悩んだあとで返信した。
『お邪魔します』と。
陽菜を怒った手前、あいつの家に行くのは決まりが悪い。が、長々と気まずい状態を引きずるのは嫌だったので、ご飯を共にし、かつ陽菜をそれとなく甘やかしてあいつの機嫌を直そうと思った。
両親に陽菜の家でごちそうになる旨を伝え、家を出る。インターフォンを押すと、陽菜の母親が愛想よくドアを開けてくれた。
「いらっしゃい、決勝進出おめでとう」
出迎えてくれたおばさんはミントグリーンのエプロンを身につけていた。相変わらず若々しい美人だ。
色素の薄い焦げ茶の髪やアーモンド形の目といい、陽菜はおばさん似らしい。ラベンダーのポプリが柔らかく香る玄関で靴を脱いでいると、おばさんは楽しげな様子でオレに耳打ちしてきた。
「陽菜、ショウくんを怒らせたんですって? 謝りたいそうよ。ほら、今も様子うかがってこっち見てる」
おばさんの視線を辿っていくと、リビングに続くドアの隙間から陽菜がこそこそと顔を覗かせていた。
本人は隠れているつもりだろうが、綿あめのようにふわふわした髪がドアからだいぶはみ出ているし、そもそもガラス戸だから全身丸見えなんだが……陽菜は気付いていないらしい。
頭のネジが緩い娘が可愛くて仕方ないのか、おばさんはクスクス笑っていた。
「陽菜、ショウくん来てくれたわよ。ご飯よそってあげてね」
「はぁい」
間延びした声を出した陽菜は逃げるようにキッチンへと引っこむ。オレがリビングに入ると、対面キッチンの向こうで食器棚から茶碗を取りだす陽菜が見えた。
……陽菜と結婚したらこんな感じだろうか。
悩みごとは尽きないくせに、幸せな妄想は膨らむんだからオレの脳は大したもんだ。
ピンクの布地にカラフルなドット柄があしらわれたエプロン姿で、ご飯をよそう陽菜。それを目で追いかけつつ、オレはおじさんに促されるまま木製のテーブルへ掛けた。
テーブルには千切りキャベツとトマトの添えられた豚カツと具沢山なみそ汁、それからシーザーサラダが並んでいた。カラッときつね色に揚げられた豚カツは、おじさんの分よりオレの方が一回り大きい。
「あの……」
育ち盛りだから大きいのにしてくれたのだろうか。
疑問に思って顔を上げると、向かいの席でニッコリしているおじさんと目が合う。それからオレは、陽菜が
「はい」
とオレの前に置いたご飯を見て目を丸めた。
ほかほかと湯気を立てた白米がてんこ盛りだった。
「明日は決勝だものね、陽菜ったら帰宅するなり『ショウちゃんが勝つために今日は豚カツ作る!』って言いだして。ビックリしたわ」
「あー! お母さんってば! それは内緒にしてる約束だったのにショウちゃんに言っちゃダメー!」
陽菜はおばさんに向かって真っ赤な顔で怒った。
面白そうに肩をすくめるおばさんを横目に、オレはさっきまでの憂鬱はどこへやら、足がふわふわ浮いているような気持ちになった。
「……へえ。ヒヨコ、オレのこと応援してくれんのか」
口角が自然と上がってしまっている気がする。
今にもだらしなくにやけたい気持ちを抑え平静を装って尋ねると、陽菜はコップに麦茶をそそぎながら
「……当たり前だよ。ショウちゃんのこと応援してるに決まってるもん」
と拗ねたように呟いた。
「だから、仲直りしてくれてもいいよ」
上から目線で、けれどどこか懇願の色がまざった口調で陽菜が言った。
ああもう。やっぱりこいつのこと好きだわ。
「ヒヨコちゃんがどうしてもって言うなら、仲直りしてやってもいいぜ」
憎まれ口でそう返すオレ。陽菜は不満の色をあらわにしながらも
「むー。じゃあ仕方ないからどうしても仲直りしてあげる!」
と鼻息荒く言ってオレの隣に座った。
帰宅途中はあれほど寂しかった隣が埋まったことに、オレの胸は充足感で満たされた。
やっぱり、オレの隣には陽菜が、陽菜の隣にはオレがいることは当たり前なんだ。そうじゃなきゃダメなんだ。
帰宅した時の陰鬱な気持ちはどこへいったのか、オレははつらつとした気分で好きな子が作った手料理に舌鼓を打った。