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望まぬ再会

 何の因果か、今年の『日本高等学校選手権水泳競技大会』の開催地は京都だった。


 会場となる京都アクアリーナは、国際大会が開ける設備のメインプール、それから飛込みプールや温水プールの他にもアイススケートリンクやトレーニング施設を備えた総合運動施設だ。


 建物自体は五階建てになっており、緑に包まれた広い公園が併設されている。


「まさか、あいつがいる京都が開催地とはな……」


 ライバルの顔を思い浮かべ、部員や陽菜と会場のメインエントランスを通り抜けながら一人呟く。


「どこが会場にせよ、古後とは試合で当たることになるか……」


 あいつほどの実力だ。絶対に勝ち抜いてきているに違いない。


 陽菜が水泳部のマネージャーになることを反対した理由の一つに、古後に会わせたくないからというものがある。


 過敏になりすぎだとは思うが、オレは神経質で心配性なんだ。陽菜が他の男にとられるような原因になりそうなものは全て芽を摘み取っておきたいと思ってしまう。


「何だ? ピリピリしてんなぁ掛川」


 艶やかな黒髪を後ろに流しながら、ホタテがオレに声をかける。オレは言葉少なに頷いた。


「負けたくない相手がいるもんで」


「試合でか? へえ。篠宮以外にはとんと興味なさそうなアンタにもライバルがいるとはねぇ。ただあんたみたいなデカ男が殺気立ってると、凶悪犯にしか見えないから迷惑だ。罰としてちょっと走りこみでもしてこい。そこは公園だし」


「なんか理不尽じゃねえ!?」


 嗜虐的な笑みを浮かべてオレに走りこみを命じたホタテは、顎でクイと陽菜を指した。


「あとで篠宮にタオル持っていかせてやるからさっさと走ってきな。何か知らんが邪念は捨ててくるんだよ」


「……っ! ……行ってきます」


 顧問にはお見通しらしい。尻がこそばゆい気持ちになったオレは、蜘蛛の巣を払うように頭を振り、ジャージ姿のまま走りだした。


 芝生広場の『緑の丘』には、選手の家族なのか、シートを広げてピクニック気分を味わっている人たちもいた。その人たちの邪魔にならないようランニングをしていると、だんだん荒ぶっていた気持ちも鎮まってくる。


 これなら試合に集中出来そうだ。純粋に古後と対戦出来る気がする。よきライバルとして。


 そう思って顔を上げた瞬間、向かいから走ってくる人物の姿を認めて、息が止まりそうになった。


「古後……」


 この一年、オレの心を不穏にさせていた人物が目の前で立ち止まったのだ。黒地に赤のラインが入ったジャージを羽織った古後は、一年前より前髪も身長も少し伸びた様子だった。相変わらず黒縁の眼鏡をかけていて、レンズ越しの瞳がオレの姿を捉えた瞬間驚きで見開かれた。


「掛川……? 掛川やんか! 久しぶりやなー!」


「え、あ、おう……」


 こいつこんなに興奮するようなキャラだったか……?


 古後のはしゃぎように若干気後れしながらも、オレは手を振り返す。古後は耳に髪のかからないオレの短髪や切れ長の目、それから青と金のラインが入った白のジャージを一瞥してから小さく頷いた。


「なんや、あんまり久しぶりな感じせえへんな。目つきが悪いのも相変わらずやし」


「ほっとけ」


「そうトゲトゲすんなや。ホンマに聞いてた通りやなぁ」


「聞いてた通り……?」


 一体誰にオレの話を聞いたっていうんだ。オレが怪訝そうな目を向けると、古後は何でもなさそうな様子で答える。


「ああ、ヒヨコに聞いてん。メールでよく掛川の話するから」


「ヒヨコに……?」


『ヒヨコ』という言葉だけで、鎮まっていたもやもやが汗のように噴き出した。真夏の太陽が後頭部をじりじり焼いているというのに、胸の中は薄ら寒いような心地さえする。


「ヒヨコと、メールしてんのか」


「ん? ああ、ちょくちょく。たまひよの話とか色々な。妹らの世話忙しくて中々返せへんねんけど」


「その……ヒヨコっていうのは……」


「ああ、これもヒヨコに聞いてん。前に掛川に会った時、篠宮さんのことを『ヒヨコ』って呼んでた理由が気になってメールで尋ねたら、掛川に『ヒヨコみたいだから』っていう理由で名付けられたって言うてた。それ聞いたらめっちゃ納得してもうて、俺も『ヒヨコ』って呼ぶことにしたんや」


「へえ……」


 足場が削られていくような心地がした。不思議とオレ以外の人間が陽菜のことを『ヒヨコ』と呼ぶことはなかったから、『ヒヨコ』という愛称はオレと陽菜の間でだけ成り立つものだと思っていたのに、古後は平気でオレたちの中に滑りこんできた。音もなく。


焦った、いや焦ってる。だってこいつは知らない。こいつはオレと陽菜の築き上げてきたものを知らない。


 同じ学校の奴らに陽菜が告白される度にハラハラすることはあった。


 でも陽菜は必ずオレの元にいるっていう妙な自信があった。校内の奴らでオレと陽菜が幼なじみということを知らない奴はほとんどいないから、周りが勝手に陽菜はオレのものだと思いこんで陽菜に手を出そうとする奴はあんまりいなかった、から……。

 陽菜が告白を断る度に、あいつにはオレしかいないという妙な優越感に浸ったりもした。


 でも、古後は違う。


 誰にも邪魔されないように、誰にも陽菜を奪われないように長い年月かけてオレが築き上げてきた高い高い壁を多分こいつは、平気で乗り越える。


 そうだ。その予感を感じ取ったから、オレは初めて会った時から古後を警戒していたんだ。自分のライバルになり得る相手がどんな人物かくらい、自分が一番よく分かってる。


 ――――会わせたくない。これ以上近寄らせたくない。古後と陽菜を。


 そう思った瞬間に、足元が暗くなった。

 先ほどまでは抜けるような青空だったというのに、いつのまにか灰色の分厚い雲が横たわって太陽を遮っていた。まるで今のオレの心模様だ。視界の端で、見知らぬ親子がビニールシートを畳み軒先へ避難しようとしていた。


 そして……。


「ショウちゃーん! タオルとドリンク持ってきたよー!」


 最悪なタイミングで、陽菜がこちらへとやっていた。


「何だか今にも降り出しそうだねー……って」


 陽菜の瞳が古後の姿を捉えて、クリスマスプレゼントを見つけた子供のように輝く。


「カナくんだー! 久しぶりだねぇ。メールしてるから久しぶりな気がしないけど久しぶりだねぇ」


 ドリンクを脇に抱えて、古後の両手を握りぶんぶん振りまわす陽菜。オレは衝動的に陽菜の肩を引き寄せ、古後から引き離した。

 同時に四つの目が不思議そうにこっちへ向いて気に入らないと思った。


「ショウちゃん?」


「もう戻る。いくぞ」


「え? でも折角カナくんに会えたのに……」


「お前はうちのマネージャーだろ」


 押さえつけるように言うと、陽菜は萎縮したように押し黙った。古後は「ヒヨコ、掛川は試合前でピリピリしてんねんで。察してやり」と言った。


「そういうものなの……?」


 この苛立ちは試合前のせいではないと自覚しながらも、陽菜のせいだと知られるのは癪だったので、オレはむっつりと頷いた。

 試合前の張りつめたような緊張感による高ぶりの方がずっとマシだと思いながら。


「じゃあ、行くね。カナくん、またメールするね」


 後ろ髪を引かれるようにそう言う陽菜の細い手首を掴む。強く握りすぎたのか陽菜は痛みに顔をしかめたが、構ってやる余裕はなかった。


「……ショウちゃ」


「ヒヨコ」


 と呼んで、今までの鮮やかな響きがもうないことに絶望した。


『ヒヨコ』と呼ぶ時、オレはいつも特別な甘い響きを感じていたのに、もうそれは色あせて朽ちてしまったように思われた。


「今年もオレ、四百メートル個人メドレーの選手で出る。多分古後も。それで、それでお前……オレと古後、どっちの応援するつもりだ?」


 学校指定の夏用制服の上に、胸元に学校名の入ったジャージを羽織っている陽菜に向かって問いかける。陽菜は急にそのジャージが重たく感じられたように肩を揺らした。


「そりゃ、ショウちゃんだよ」


 それはお前がうちの部活のマネージャーだからか、とは聞けなかった。


 間もなく雨が降ってきて、オレはジャージの上着を脱いだ。それを傘代わりに頭から被り、陽菜をジャージの中へと入れて雨に濡れないようにし、会場へと急ぐ。

 この後ろ姿を古後が呆然と眺めていればいいと、性格の悪いことを考えた。





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