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3.ウィラード(後)


 ジリリリリリリ……!


 分厚い扉を通しても聞こえるほどの音量で、室内の時計のアラームが鳴っている。

 

 リリリリリリリリ……リリリリリリリリリリリ!!


 なかなかベルは鳴り止まない。何をしているのだと苛立ち、一瞬その〝ナニ〟に思い当たることが多すぎて眩暈を覚えた。

 なにしろ最初に〝面会は一週間に一度/一時間〟と決めたところ、様々に交渉して〝一週間に一度/二時間〟を条件付きながら強引に認めさせた男なのだ。

 飢えた獣に生肉を投げてやるような行為だとは分かっていたが、気魄に負けてしまった。〝殲滅〟などと二つ名のつく魔法士は伊達に修羅場を掻い潜ってはいないらしい。

 ベルが鳴り止む。

 腕時計でたっぷり二分が経っていることを確認すると、気を落ち着けるようにニ、三度息を吐いた。老いた侍従が心配そうな視線を向けてくるが、手を出すなと首を振る。ステッキをついて席を立ち、ドアを数度叩いたのちに開けた。

「――二分超過だ」

「彼女の気持ちを鎮める時間くらいは考慮してもらわねば困ります、ウィラード卿」

 男の隣に目を向ければ、案の定彼女は無垢の肌をムーメイの花びらの色に染めている。

「ごめんなさい、兄様――」

「マキアシャーナ。お客様をお見送りしなさい」

 思いのほか厳しい声が出た。妹が神妙な顔で男に断りを言い、席を立つ。続いて離席した彼にマントを着せかけるが、微笑みあう様子が睦まじすぎて腹立たしくてならない。

 アクィナスがさも紳士然とした顔で辞去の挨拶などしてくるから、厭味のひとつでも口にしなければ虫がおさまらなかった。

「失敬、アクィナシア殿。次回は不測の事態でお目にかかれないなどという吉報であれば、いつでも心待ちにしているよ」

「ご冗談がお上手で」

「冗談は嫌いだが?」

「……私もですよ」

 さすがにそれ以上揚げ足を取れば、妹に余計な心配をさせかねない。相手もそう判断したのか、もう一度きれいな礼をして屋敷を出て行った。

 まだ日も高い休日の昼空に、コマに乗った金色の頭が消えていくのを眺める。聖水でも撒くかと家の中をふり向けば、不安そうな顔をした妹と目が合った。

「どうかしたか?」

「ううん、なんでもない」

 明らかになんでもなくない顔でそう言うとは、触れるなということだろう。言葉と心と態度とが、常にバランスが取れているとは限らない。ならば、それを少し揺らしたところで罪にはあたるまい。

 視線で誘い、先ほどまであの男がいたソファに隣り合わせに腰掛けた。

「あの男になにかされたか? 言ってごらん」

 これで無理矢理手篭めになどという言葉が出てきたら、躊躇わずに彼を抹殺する――命よりも社会的に。

 胸の内でじょりじょりと刃物を研いでいると、残念というかやはりというか、彼女は首を横に振った。

「違うの。いろいろ考えてしまって」

「それは私のことかな?」

 あの男のことで頭を悩ませているのだったら、次回はペナルティを与えねばならない。真綿で首を絞めるようにじんわりと効くものを。

「あのね、兄様」

「なんだい?」

 甘えた口調で呼びかけられ、くずれそうな頬を引き締める。砕けた言葉遣いも二人きりならば見逃すことにしていた。

 良質の蜜水晶のような濃い黄褐色の瞳が、じっと私を見上げる。

「兄様――あたしのこと、嫌い?」

「……」

 しまった。私としたことが、言葉を返すのを一瞬忘れてしまった。

――こう来たか。アクィナスめ……。

 してやられたと心中で舌打ちしても表には出せない。

「ウィル兄様?」

「嫌いなわけないだろう。なにを言い出すかと驚いたよ」

 不安そうに聞きなおす妹の頭を、結った髪が乱れないように優しく撫でる。

「ごめんなさい、兄様。だってあたし――」

「私がいろいろと口やかましく注意するから、不安になったんだろう? だが、おまえが一人前の社会人になるためには必要なことなんだ」

「それは、トゥーラのため?」

 この子は分かっている。自分が時として、家や国や神話の代償として求められていることを。

 深い艶をもつ黒髪をそっと指で梳く。

「いいや、おまえのためだ」

 異界の乙女という立場のことだけではない。問題はあの男、ルイセリオ・アクィナシアだ。

 天都にいる誰よりも異質で、賛辞と非難の二分した評価を受ける男。その妻となる者に対し、周囲の眼は私ほど甘くはない。寄ってたかって粗を探し、貴族社会から排除する理由を見つけようとするだろう。それが予測できるからこそ、指導の手を緩める気は一切なかった。

 そのことはあの男も充分承知している。そうでなければ今の立場を堅実にするために王に媚び、人前に稀有な身を晒して聖地と天都を往復する日々を送ったりはしない。その必死さを私が知らないなどと思ってもらっては困る。

 最大の問題は、彼が社会評価的にトゥーラの娘を娶るのに不足ない人物で、婚姻に反対のしようがないこと。そして、その彼に妹が紛れもなく好意を寄せているということだ。

――これほど手を掛けても、どうせ離れていくのだな……。

 虚しくないと言えば偽りだが、それでも彼女が哀しむ姿を見ることになるくらいなら、多少恨まれても完璧に役目を果たす覚悟はできていた。

 この胸に宿るあたたかな感情を恋愛と呼ぶには、いささか保護者じみすぎている。もともと恋愛感情が稀薄なうえに嗜好が偏っているため、幸い込み入った状況にはならないが、ある意味非常に厄介ではあった。手間と時間を注ぎ込んだ彼女を手放すのが惜しいのだ。

「おまえはよく頑張っているよ。自慢の妹だ」

「ありがと、兄様」

 頬を染め、心から嬉しそうに彼女が笑う。てらいのない仕草に、こちらまでほっこりと温まった。このあたたかさを失うのは、正直かなり耐え難い。

「兄様。じゃあ、あたしを嫌いじゃないね?」

「ああ。大好きだよ」

「よかった。ルイスは?」

 それは答えられないな。嘘は言いたくないが、本音を告げるわけにもいかない。

「努力家ではあることは認めるよ」

 しつこいというか諦めが悪いというか、彼女に対する執着だけは秀でている。鋸で削りたいほど。

「ルイスのこと、嫌い?」

「……嫌いではないよ」

 単に反りが合わなく、むしろそろそろ存在を抹殺したい程度だ。

 おそらくわれわれは似すぎているのだろう。奇異の容姿と能力を持って生まれた男と、名門の跡取りに生まれたがゆえに幼き頃に傷を負わされ片端(かたわ)となった私。どちらも長らく陰に身を潜めることに馴染み、それゆえ一度手にした光を手放すことができない。

「兄様、ルイスも好きになって?」

「男同士だから遠慮しておくよ。大事な妹の婚約者だしね」

「ちがうー! 兄様とルイス、仲良くね?」

 かわいらしく小首を傾げられても、頷きたくはない。「努力しよう」と答えると、やや不満そうに睨まれた。

「ルイス、悪い人でないよ?」

「それは知っている」

「あたし、ルイス好き」

「……それも知っている」

「兄様も好き。だから、仲良くして?」

―― 一体どこまでがアクィナスに吹き込まれたものなのだろう。

 さすがの私にも判断がつきかねる。が、これはなかなか効いた。

「分かった、仲良くするように心がけるよ。おまえたちが、私の知らないところでさらに仲良くなってもらっても困るしな」

「兄様……さみしいの?」

 いささか遠回しの皮肉が、言葉そのままに解釈されたらしい。

「いや、さみしいわけでは……」

「でも兄様、ひとりでしょう?」

 私が独り身なのは単に好みの女性がいないだけで、別に結婚したいわけでも二人の仲が羨ましいわけでもない。強いて言うなら、あの男が疎ましいくらいだ。

「気付かなくてごめんなさい。……分かった。あたし、ルイスにお願いしてくる!」

「ま、マキアシャーナ?」

「大丈夫、分かったから。兄様も一緒ね?」

 なにが分かったのか、彼女は満面の笑みで両手を打ち合わせると、足取りも軽く二階へと立ち去っていく。おそらく自室にある紙とペンで、婚約者に頼みごとの手紙を書くのだろう。

――なんのことだ。まさか三人でナニかする……いや、そんなわけは。

 彼女のことだから、そんな思考は持ち合わせまい。第一あの男が承知しないだろう。

 三人で食事などという健全なことは、以前試みて、慇懃無礼な舌戦の災禍に巻き込まれて豪華な食事がまったく味わえなかったという経緯から、再考されることはないはずだ。

――では、二人の逢瀬を目の前で指をくわえて眺めろと……?

 二人の仲がどこまで進んでいるのかは気になる。もちろん妹の身を案じてという意味で、腕の立つ間諜(スパイ)の潜入を考えたこともあった――魔法士相手に無意味だと、すぐに却下したが。

 だからといって、塩も甘くなりそうな二人の睦言を間近に見るとなれば話は別だ。殺気を押さえ込む自信などない。

 来週やってくるかもしれない悪夢のような光景に、しばらくその場に根が生えたようになった。心なしか、古傷のある右足が痛みを訴えてくる。

――……これもすべてアクィナスの策謀か。

 引っかかってたまるかと、頭をうち振って気を取り直す。そして部屋の置時計の時刻設定を確かめると、二分ほど遅らされていたのできっちりと戻し、さらに二分早めておくことにした。


 あの手紙の内容は、三日後、宛人の口から直接聞かされた。

 貴族院議会の定例会に出席した私が会議を終えて廊下に出ると、待っていたらしい金髪の男が柱の陰から現われて声をかけてきたのだ。

「なにを言ったのです、あなたは」

「何の話だ?」

「マキのことですよ。なにを吹き込んだのです?」

「吹き込んだのは君のほうではないのか?」

 言い返すと、感情を抑えるように拳が固く握られる。

「マキが手紙で、結婚後はあなたも一緒に暮らしたいと言ってきました」

「…………全力で断る」

「私もです。一体彼女とどういう会話をしたら、こんな結論に達するのですか!」

 それは私も聞きたい。

 なぜか胸の底から湧き上がる可笑しさをへし折りつつ、素知らぬ顔で言い放った。

「そもそも君がやりはじめたことだろう?」

「あなたが時と場所を構わず、彼女を試すようなことをするからです」

「教育を任されているんだ。手を抜くつもりはない」

「……分かりました。そのことについては私から言い聞かせますから、面会時間を二時間十五分に伸ばしてください」

 すかさず交渉に入る。まったく魔法士などにしておくには惜しい男だ。

「それよりも、一時間四十五分に縮める代わりに彼女の食事時間に勉強の話題を持ち出さない、というのはどうだ?」

「一時間五十五分」

「四十五分だ」

「五十三分」

「四十七分だ。それ以上の譲歩は条件の変更を要求する」

「……分かりました。一時間四十七分で手を打ちましょう。ただし」

 晴れわたる青空の瞳が、笑いもせずに私を見やる。

「〝勉強の話題〟というのは〝彼女にとって学ぶべき事項すべてに関して〟と約束してください」

「厭味なくらいに抜け目ない男だな」

「義兄上にお認めいただきまして光栄です」

 まったく、小面憎いとはこういうやつのことを言うのだ。

「まだ兄ではない」

「いずれそうなります」

 蠱惑(こわく)な微笑に、通りかかった侍女たちが顔を赤らめて立ち竦んでいる。他の女など眼中にないようだが、彼女のことになると自分がどれほどの色気を周囲に振り撒くか、そろそろ自覚すべきだ。あからさますぎて、いろいろと不安になる。

「事が後先になるのだけは許さぬからな」

「……予防をする手立ては心得ています」

「貴様――」

――そこはもっときっぱり否定しろというんだ!

 罵声の代わりに眼光に力を籠める。が、言外に深い仲だと肯定した未来の義弟は、涼しい顔で「愛し合っているもの同士ですから」などとのたまった。

「あなたにもふさわしいお相手をお探ししましょうか、義兄上?」

「では、国一番の醜女を頼む」

「……意外ですね。あなたが人の美醜を気にかけるとは」

「人を判断するうえで、外見は重要だ。美しさは均一化されることが多いが、醜さはそれぞれ価値基準が異なる。掘り出し物が眠っているというものだ」

 さて、目の前のこの男がそれに値するかどうか。

 お互い探るように見つめ、青空の瞳がかすかに苦笑して逸れた。

「心得ましょう。……では、また週末に」

 略式の礼をし、ひとつに束ねた髪をひるがえして義弟候補が去っていく。忌まわしいとされる色の薄い髪が、今は日の光に晒されて太陽さながらだ。

――婿というのも面白いかもしれぬな。

 彼にトゥーラを継がせる未来を夢想して、すぐに打ち消す。やはり始終顔を合わせるには向いていない。

 彼女には仲良くすると言ったが〝仲〟にもいろいろと種類がある。私とあの男は、常時刃物を付き合わせるよりも、たまに会って互いの精神を長槍で削り合うほどの軽い応酬を交わすくらいの仲でいい。

 例えば日に数度しかすれ違わぬ、時計の長針と短針のように。

――さて、来週はどうするかな。

 せっかく進めたタイマーは役に立たなくなってしまった。逢瀬の時間を減らすことに成功はしたが、他になにがいいだろうと考える。ちなみに食事時間の質疑応答は、傍付きの侍従からも苦言を呈されていたので、元から辞めるつもりでいたのだ。彼女と一緒に食事が採れるのなら、どんな会話だろうと構わない。

――そういえば……東で新しい衣装が評判と聞いたな。

 襟元から肩、腕にかけてレースを用いた繊細な美しさが特徴のドレスは、十七の彼女には多少大人っぽい印象だが、背伸びをするには丁度いいだろう。

 普通のドレスよりも薄手の生地を複雑に重ねたスカート部分もさることながら、特に実用よりもデザインを重視した、うなじから腰辺りまでずらりと並ぶ小さなくるみボタンがなんとも――非常に良い感じだ。

――ふむ、素晴らしい。

 涼しげなあの男が苛立ち、落胆するさまを思い浮かべ、満足のあまり頬が緩んだ。腕時計を確かめる。時間は、まだたっぷりとあった。

――これからイェドと連絡をとってドレスを取り寄せるのに三日……次回が愉しみだ。

 新たな謀(はかりごと)に胸が湧き立つ。

 ドレスを纏った、美しくも触れることの出来ない陽炎のような妹の姿をありありと心に描きつつ、私は軽やかにステッキをついて王城を後にした。




<END>

読了ありがとうございました! 以下蛇足。

------

*ムーメイ:梅っぽい花。


*差別用語的な言葉が出てきますが、あれはウィルの自虐です。気になったらごめんなさい。


*ルイスが教えたのは、最初の質問だけです。あとは真紀の暴走。


*だめだ、こいつら…(苦笑)と思われた方は、拍手ぽちどうぞ。

 小話で真紀の愚痴をのっけてます。

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