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少し時間が戻ります。

2.ウィラード(前)


 チッチッチッ……左手首に嵌めた腕時計から、時を刻むかすかな音が聞こえる。かつてはゼンマイ式を使っていたのだが、この魔法式腕時計を手に入れてから、その正確さにすっかり手放せなくなっている。

 なにしろいちいちネジを巻き直さなくても半永久的に動き、神殿に納められている標準時計との誤差もほとんどない。時を計るには正確なものに限る。

 それにしても、と妹が婚約者と共に消えていった部屋の扉を見据える。

――まだ婚姻前だというのに、侍女まで完全排除して密会とは何事だ。

 しかも妹はまだ成人前。特殊な事情がなければ即刻婚約破棄、出入り禁止を申し付けたい気分だ。男が年若い初心な娘になにを望んでいるか、同性ならば厭というほど分かることだ。

 中で囁かれているだろう睦言を阻む分厚い扉を睨み、手首の時計に目を落とす。何度見直したところで針の速度は速まりはしないというのに。

――二時間とはこんなに長いものだったかな。

 時の長さはいつでも同じはずなのに、この二時間が一週間でもっとも過ぎるのが遅いように思える。それ以外は、ここ半年がまさに矢が飛ぶごとく過ぎ去ったものだと、私は思い返した。


 半年前、突然辺境の領地からここ天都の別宅にやって来た両親に〝妹ができる〟と聞かされたときは、正直なんの冗談かと訝った。一人息子の私が三十になろうというのに、もう呆けたのかと。

 事実それは子宝の報告ではなく、神殿の――もっと言うなら王の意図が絡んだ、政治的なきな臭さの漂う養子縁組の話だった。

「――このたびの旱魃で一人取り残された異民の子です。最も信頼できる家筋に預けたく、あなたがたをお呼びしました」

 断ることも想定された要請のように聞こえるが、実質の命である。神官長じきじきどころか王の意向が透けて見えるうえに、その場には太政大臣と後継と名高いミア=ヴェール王子まで列席していた。

 無論公式の場ではないが、会見を秘密裡に設定したわりに出てくる人間が大物すぎる。そのことがさらに胡散臭く思えた。

 だが、それも最初だけだ。

「……はじめまして。よろしく、おねがいします」

 神官長の背後から現われたのは、どこからどう見ても普通の娘だった。とりたてて美貌でもなく、体つきや色彩に異常があるわけでもない。顔立ちは異民族らしくやや浅いが、奇怪ではなかった。

 奇怪というより、あどけないという感じだ。侍女服に包まれた肢体が瑞々しい女性のものだけに、その不均衡さが一層彼女の若さを主張しているようだった。

――この娘が一体なんだというのだ。

 むしろ珍しいというなら、同席している魔法士のルイセリオ・アクィナシアのほうがよほど目立つ。金色の髪、青い瞳に淡い色の肌。マーレインの力も魔法士としての実力も群を抜く彼は、最近あることでさらに名声を高めた。

「――なぜ彼がここに?」

「アクィナシア魔法士は彼女の婚約者です」

 さては彼が気に入った異民の娘をトゥーラの養女にして娶らせ、アクィナスの家位を上げさせようという魂胆か。父も察したのか、眉間の皺を深めて口を開いた。

「そのような茶番に付き合うくらいならば、離国にて湖を眺めておりまする」

「茶番ではありません。彼女はわれわれの大切な……客人でした。ですが、家族になってくれると申し出てくださったのです」

 黒銀の瞳を細め、年下の神官長が感慨深い眼差しを娘に向ける。孤児や要人に対するものではない、もっとあたたかな肉親に注ぐような視線だ。

「その彼女に最高の教育を与えられる家として、われわれはトゥーラを選びました。あなたがたならば、立派に彼女をこの国の娘に育てあげられるでしょう」

 ぞわり、と背筋を厭なものが走った。これは只事ではない。〝国の娘〟〝大切な客人〟〝異民〟〝アクィナス〟――それらが指し示すところはひとつしかない。

 父が蒼ざめてこそいないものの、わずかに口髭を震わせて核心の問いを口にした。

「まさかこの方は……確か還られたとお聞きしたように思われるのだが?」

「還られましたよ。ですが、戻られたのです」

 どういうことだ。

 探るように娘を見る。が、はにかんだ微笑みを返すだけだ。この会話をどこまで理解しているかも疑問だ。アクィナスが異界のものらしき言葉で娘に話しかけている。聞き取ることすらできない、古語とも違う言語だ。

 四ヶ月前のお披露目の場に居合わせていれば、そのとき見た人物と比較もできようが、あいにく背後に見え隠れする王位継承争いに巻き込まれるのを避けるために、出席を辞退していた。とんだ不覚だ。

「では……もうお一方も?」

「なんのことでしょう。貴家にお願いしたいのは、この方だけですが?」

 もう一人いるとされた異界の娘のことは、はぐらかすつもりのようだ。つまりそれは――二人ともこの世界にいる、ということだ。

――もう一人は、タチアナかミネアモードか。

 王族以外でもっとも権力を握るクガイ貴族フージェ・ハラン。その絶大な影響を逃れるものは少ない。最古のクガイといわれる四門のうち、残りの二家がもう一人の異界の乙女の行き先だろうとは容易に察せられた。特に現王サルディンは、フージェ・ハラン一族の筆頭クロヴィス・レン・クガイ=フージェ・ハランを当主の座から引き摺り下ろしたばかりだ。

「引き受けてくれますね?」

 再度の命に、父母と共に私は深々と頭を下げて受諾の意を表わした。

「謹んでお受けいたします」

「それはよかった。皆様もご安堵なさるでしょう」

 神官長は満面の笑みを浮かべると、懐から細長い小箱を取り出した。宝石が入っているものに似たそれを開けて、こちらに差し出す。

「これはあなたがたへの感謝の印です。お納めなさい」

 箱の中に納められていたのは、腕輪のように美しく細工された金属に繋がれた、小さな時計だった。


 四門はクガイの本流とも言われるが、実のところその特権をうまく行使しているのはフージェ・ハランのみだ。タチアナは廃れた神殿と最古の図書館を護る知識の従僕だし、トゥーラとミネアモードにいたっては過去に王族と覇権を争った一族で、今は辺境の地で飼い殺しも甚だしい。

 反乱を鎮圧された段階で一族が抹殺されなかったのは僥倖というものだ。ある程度の根強い賛成勢力がいることと、王の選出権をもつ〝四門〟という立場だからこその処遇である。

 とはいえ、わが一族もただで飼い殺されるほど甘くはない。離国へ追放となったことを逆手にとってセドゥ湖の水路を開拓し、かの僻地からとれる農産物を商都アウサーガへ流通させる経路を確立させた。

 巷では水賊たちを裏で束ねると噂されるが、とんでもない。元手がなく、また貴族は職を持つことを良しとされなかった時代からの影響で、表に出ずに人を使うことに長けているだけだ。

 そんな我が家に王が目を付けたというのは、事情を知れば頷けるものの、やはり晴天の霹靂だった。

――まあ僻地のほうが隠れやすいといえば、そうなのだが。

 特に両親の住まうイーユは、荒都(こうと)の呼び名が示すとおり荒れた山しかない。木は生えるが地面が岩で開墾が難しく、ほぼ無価値といわれる貧しい土地柄だ。

 ところが、新しい妹はそれを喜んだ。天都のような堅苦しい場所よりも落ち着くのだそうだ。そして誘われるままに荒地に適したコジの栽培を試みている山を登り、ベクの牧場を見回り、果てはセドゥ湖の漁にまで付き合う始末。

 領民の差し出す作物を笑顔で受け取り、一緒のテーブルで話したり物を飲み食いするのは序の口だ。どんな汚れる作業でも手を出したがり、果ては男性の作業服を着て現われたときは、さすがの父も私も開いた口が塞がらなかった。

 さらに困ったことに、そんな養女を両親がものすごく気に入ってしまったのだ。今日は山、明日は湖、その次は温泉と、本来の目的そっちのけで連れ回して溺愛する様子に、二ヵ月後ついに私は天都の別宅へ彼女を引き取ることにしたのである。


「マキアシャーナ。この屋敷では私が主人だ。君は完璧なトゥーラの養女となるために来たのだから、そのように振舞わなくてはならない。故郷の言葉も文字も禁止だ。いいね?」

「……はい、兄様」

 〝マキアシャーナ〟というのは彼女の本名をそのまま名としてつけたもので、本人は〝マキ〟と呼ばれたがっているが、私はあえてそれを避けた。

 彼女は〝マキアシャーナ・エストレラ・トゥーラ〟として生きることを選択している。その自覚を持たせるために、前の素性を臭わせるものは極力排除すべきと判断したのだ。

 〝兄様〟と呼ばせるのも、突然できた繋がりを形式だけでも本物にするためだ。まあ兄妹がいたことがないので、若干距離感を計りかねている部分はあるのだが。

 ともかく天都の中心部から離れた外苑の森にある閑静な屋敷で、私は新しい妹の教育をみっちりと行なった。基本的な言語の習得はもちろん、貴族の子女として必要な素養――文学、芸術の幅広い分野を実践も含めて容赦なく叩き込んだ。

 おかげで屋敷の使用人の大半が(正確には私の侍従一人を除いた全員が)妹の味方になってしまったが、それはそれで仕方ない。なまじ覚えが悪くなく、できないのかとけしかけるとむきになるので、つい欲が出てしまうのだ。

 特に彼女は、計算に強かった。数字と計算方法が故郷で習ったものとよく似ているのだという。二桁の掛け算を苦もなく解いたり、体積の概念や比、マイナスという考え方が分かると知った途端、私の裏の面がむくむくと頭をもたげた。

――これは相当な拾い物かもしれない。

 即座に父と連絡をとり、いくつかの帳簿を彼女に見せたところ計算間違いを正しく指摘してきた。以降、会計報告の確認の半分を任せるようにしている。計算の訓練だけでなく、物の名や地名が覚えられ、市場の変動を肌で感じとれるのだ。これ以上の教材はあるまい。

 食事の時間ですら勉強の材料に事欠かない。後宮で仕込まれたという作法に問題はないが、例えば使用された食材、飲み物、食器、飾られた草花などは恰好の出題対象だ。

 最初は色、形、触感などの形容詞の練習から、次には産地、流通経路、発見者や開発者の名前などに広がり、今ではさらに違ったものへと進化している。

「ではマキアシャーナ。今日の料理について説明をしてもらおう」

「前菜はニシ貝と青瓜の和え物です。貝の白に完熟していない瓜の緑が映えて、色どりが涼しげです。両方とも灰汁を抜いて軽く湯がかれ、こりこりとした触感が楽しめます。味付けは酢と砂糖、イーユ産の魚醤がちょっと」

「〝少々〟」

「……少々。あとは香りづけにロマランの葉?」

「疑問形でなくきちんと伝えなさい」

「香りづけにロマランの葉、シーム、セリノンが混ぜ込まれています。……ウィル兄様」

「私も食材に入っているのかね?」

「そうじゃなくて。なんで毎回食事のたびに解説しなきゃいけないの? もうお腹がへって死にそう……」

「〝どうして毎回食事のたびに解説をしなくてはいけないのでしょうか?〟だ。頭で覚えた知識をこうして現実ものと整合させることは、学ぶ醍醐味というものだよ」

 言葉遣いを指摘したせいか空腹のせいか、彼女が不満そうな顔になった。感情を表に出さない訓練もしているのだが、見ていると面白いからつい注意するのを忘れてしまう。

 前菜を小さく切り分けて一口食べ、説明に落ち度がないことを確認した私は「では、どうぞ」とうながした。

 途端、嬉々として彼女が食事の続きをはじめる。それを見て私も口元を緩めた。二人でこうして食卓を囲むようになってから、食事時が愉しくて仕方がない。

 回を追うごとに言葉に磨きがかかって会話が弾むのもさることながら、すべて残さず美味しそうに食べる姿に、私はもちろん給仕する侍従たちまでも充実した時間を送るようになっていた。

 彼女は食べすぎて体型が崩れることを心配するが、こちらとしてはそれに愛想を尽かされて婚約破棄となることを期待している。

 なにしろあの男、一年たったら彼女を学院に入れてここから連れ出そうと画策しているのだ。一途な愛情という美しいものではない。正しくは、あれは執着だ。

 先日は、あまりに構いつける私に苛立ったらしい彼女が、

「今すぐお嫁に行ってしまいますよ?」

と脅してきて焦った。

 実際は動詞を間違えて「お嫁に来てしまいますよ?」となったのだが、言わんとするところは明白だ。第一、冗談でも彼女が〝結婚〟などと言い出すはずもない。おそらくアクィナスが教えた台詞なのだろう。

 言い間違えに気付かぬふりをしてごまかしたが、私の反応は彼女の口からあの男に伝わるはずだ。そこからまた次なる手を打ってくるだろう。

――それをどう返すか。

 扉を睨み据えたまま、過去の出来事から現在の問題に至るまで考えを巡らせていた私は、ふと気付いて手首の時計に目を向けた。はっと身を起こす。

 小さな文字盤の上で細い秒針が半周を過ぎ、その長針が今しも頂点に辿り着こうとしていた。



*ロマラン、シーム、セリノンは香草の名前。


*ウィル兄が天都にいるのは、半分人質扱いです。謀反人の子孫だけど迂闊に扱えない、めんどうな立ち位置の一家だったり。


*マキは、イーユでのびのび遊んでいる頃に鍵を使ってこっそり[まほら]に遊びに行っていた予定。


*ちなみに名前は、

 ・マキアサノ→(女なので語尾をoからaに変化)→マキアシャーナ

 ・エストレラ→星の娘

となりました。ルイス命名。

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