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ルイス好き~の声をいただきましたので、報われる話を書こうとしたらナナメに飛んでいきました。ぬるく笑ってやってください(笑)。3話完結。
『常に瞬間を享楽せよ。快楽が満たされれば満足だし、もしそれが満たされなければ楽しみが次の時間まで持ち越してゆく』
――Epikouros――
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1.ルイス
時を告げるための道具――時計。
以前はゼンマイ式だったが、先頃は小粒の法玉から動力を得て、半永久的に動くものが出回ってきた。これは魔法の原動力となる〝クオリア素子〟の存在が、聖地に住まう〝神〟レインにより明らかとなったことで物理的に集約、行使することが可能となったためだ。
もちろんその作業に魔法士は欠かせないが、これまで漠然とした概念のような存在だった魔法に形を与えられたことは、文明を大きく躍進させた。魔法式時計はまだ高価ではあるものの、人々の生活に確かな変化をもたらすものだった。
カチカチカチ、と目の前の置時計が、規則正しい音で時を刻んでいく。さすがに魔法式時計のうちでも最新の機構を組んだそれは、響きも小さく気にならないが、それでも他に聞こえるもののない静寂の中で際立って存在を主張していた。
いや――耳に入るのは他にもあった。
目と鼻の先、正確には唇と舌先から奏でられる、あわい水音。そしてその隙間から洩れる甘やかな吐息だ。
熱の籠もる息を大きく吐き、ソファの隣に座る彼女が囁く。
『……ちょ、ルイス。会話くらい、しよう?』
青い魔法話の指環が変換した故郷の言葉で、会った直後から性急に求める私を諫めた。が、頬を赤らめ、潤んだ目つきで覗き上げられたところで抑制には程遠い。むしろ逆効果だ。
腫れて赤く艶がかった唇をついばむ。
『会話なら、しているだろう?』
『どこが?』
『存分に口を使ってる』
『……このエロルイス』
恋愛に晩生で肝心なところの鈍い彼女に本気を教えるには、多少淫猥にならざるを得ないのが分からないのだろうか。まあ、分からなくても分からせるが。
『一週間に一度しか会えないんだ。ちょっとの時間も惜しいだろう?』
『惜しいけど……もうちょっとこう、ゆっくり、お互いの、きんきょう、とか』
言葉の合間を狙って口付ければ、むにっと鼻を摘ままれた。
『もうっ。話聞いてってば!』
『あとで聞くよ』
そう言ってまともに聞いたためしがないのを覚えているのか、マキの眉間に皺が寄った。
『ルイス。話聞いてくれないと、あたし――』
木漏れ日に輝く大樹の幹の色を思わせる眸が、軽く私を睨む。
『〝実家に帰らせていただきます〟』
『……またそれか。勘弁してくれ』
どうやら同僚であるアマラリーヴァが余計なことを吹き込んだらしく、私を操縦する必殺技だと時折どうにもならない要求を突きつける際に持ち出してくるのだ。
正直本気だとは思わない。思わないが――。
『ごめん。話を聞くから、それだけは撤回してくれ』
彼女の口から〝帰る〟という言葉が出るだけでも心臓に悪い。異なる文化、異なる世界、異なる時間からやって来た彼女。それは本当に失ってしまったら二度と手にすることはできないのだから。
懇願するように結い残した一房の髪を手のひらにすくい上げれば、彼女の表情が幾分やわらいだ。
『ほんとに、ちゃんと約束する?』
『ああ、約束する』
『じゃあ、許したげる』
途端とろけるような笑顔で私の髪に指を絡めてくるとなれば、これはもうキスをするしかないだろう。再び熱心に唇以外の場所に口唇を働かせば、マキの頬が丸く膨れた。
『ルイス、反省してない』
『してるよ。ほら、話して。いろいろ私に言いたいことがあるんだろう?』
『……うん』
頬や耳、首元にキスを落とされつつ、彼女が頷く。養子先の家で世話になっているマキは、現在こちらの世界のことを猛勉強中だ。
安全面と特殊な事情を隠すために、最低限の常識が身につくまで外に出すことはできない。当然友だちなどできようはずもなく、接触は天都の外れにあるこの屋敷の住人のみ。外出といえば、大神官ヘクトヴィーンの邸宅に月一度こっそり招かれるくらいだ。
無論、親友の少女の住まう東部都市イェドに行くことは叶わない。
加えて、彼女を一人前にすることに多大な責任を感じているらしい当家の主人が、彼女に異世界の言葉と文字を使うことを一切禁じていた。もとが明るくておしゃべりなほうだから、これがかなり堪えるらしい。
おかげで半年間でだいぶ上達したのだが、それでも長文や複雑な言い回し、聞き慣れない単語があるとつまずく。そして、できないと落ち込むのだ。
そのストレスを発散できるのが、この週に一度の私との逢瀬である。なにしろ好きなだけ母語で喋りつくしていいのだから。
『でね、ウィルがね――だから、あたしも言い返したんだけど、ウィルったらね――』
彼女が閉鎖的な世界にいるのは、可哀相だが仕方のないことだ。彼女自身を守るために、それは私も納得している。だから彼女の口から出るのが特定の人間であることもまた、どうしようもないことではある。
が、しかし。
『ちょっとルイス。ほんとに聞いてるの?』
ブラウスのリボンを解き、日の当たらぬ場所へ唇を進めようとしていた私の横腹が軽く小突かれる。香水とは違う、熟しきらない青い果実のような匂いがたまらなく私を誘うというのに。
『……聞いているよ。またウィラード様とやりあったんだろう?』
『そうなんだよ! なんであんなにへ理屈をこねくり回すかな、ウィルって!』
恋人の口からあまりに他の男の名前を連呼されては、さすがに耳を塞ぎたくなる。本音を言えば、耳ではなく彼女の口を塞ぎたいのだが。
年上で金も権力もある未婚の男など、彼女の周りから蒸発してしまえばいいのだ。
『きちんと言い返す言葉を教えただろう?』
『あ、あれは、ちょっと恥ずかしいというか……』
『言わなかったのか?』
『言ったよ! でもなんか逆効果で……すんごく嬉しそうになっちゃって』
『どう言ったんだ?』
「〝あんまりいじわるいうと、わたしいますぐおよめにきてしまいますよ?〟」
『……』
最悪だ。額に手を当ててソファにのけぞる。
〝嫁に行く〟と〝嫁に来る〟では正反対だ。それはあの男も極上の笑みを浮かべて、「喜んで」と言ったことだろう。
――今すぐ締め上げに行きたい……。
公僕という立場も忘れて夢想する。陛下の覚えもめでたい魔法士の[双月]士団長が、クガイ旧家の跡取りを手にかけては大問題だ。ぐっと堪える。
『今度はもう少し分かりやすい言葉にしよう。そうだな――』
小指から指環を抜き取りつつ、熟慮する。あいつの一枚どころか十枚でも百枚でも上を行かなければ気が済まない。
そう、なるべくなら彼女の名誉も守りつつ、陰でぐっさりとやつが悶え苦しむ程度のダメージのある言葉がいい。
「――」
短い言葉をそっと耳元で告げると、目を丸くして彼女が驚く。
「かんたん、ね?」
「効果は抜群だよ」
「そうかも。ありがと」
嬉しそうに破顔する彼女を抱き寄せ、指環を嵌め直す。そしてお互いの欲望を満たすために、より深いところへと堕ちてゆき――。
ジリリリリリリ……!
『……ルイス』
『だめだ』
リリリリリリリリ……リリリリリリリリリリリ!!
『鳴ってるよ?』
『なにも聞こえないし聞きたくない』
この激情を止めるものなどありはしない。
『放っとくと、次回のペナルティ増えるけど?』
『…………』
磁力を秘めているごとく離れがたい目の前の肌から、のろのろと顔を持ち上げる。手を伸ばし、テーブルの時計の頭頂を叩くようにして音を止めた。大きな息が口から吐き出る。
――まったく……なんでこんなものを作ったのだか。
マキからは〝タイマー〟と呼ばれる時限機能を役に立たないとは言わない。だが朝寝坊の人間を起こすには最適でも、週一度の恋人との逢瀬に打ち切りを告げるとなると最悪以外の何物でもない。
苛立ちをぶつけるように邪魔者の裏側のネジをいじっていると、マキに取り上げられた。
『来週また逢えるじゃん。ね?』
『……分かってる』
『あたしは逢えて楽しかったよ?』
『私もだ』
せっかく日の目を見た白肌に名残惜しく口付けし、ブラウスを整えてリボンを結び直す。ほどなく固く閉じていた扉が拳で叩かれ、細身の神経質そうな三十代の男がステッキをつきつつ現われた。
ウィラード・アドハム・クガイ=トゥーラ。現在の私の天敵だ。
浮かぶ表情は嗜虐のみと噂される彼は、私とはまた別の意味で周囲から奇異の視線を向けられる存在である。三白眼気味の目が、左腕にある白銀の腕時計をちらりと眺めた。
「二分超過だ」
「――彼女の気持ちを鎮める時間くらいは考慮してもらわねば困ります、ウィラード卿」
鋭く視線を返せば、頬を上気させた娘が目に入ったのか、峻厳な男の表情がわずかに険を帯びる。慣れぬ者なら気付かぬそれを見てとり、マキが申し訳なさそうに詫びた。
「ごめんなさい、兄様――」
「マキアシャーナ。お客様をお見送りしなさい」
こちらでの名を呼び、トゥーラ家の次期当主が命じる。離国に引き籠もりっぱなしの現当主夫妻に代わり、天都にある別宅を任されている彼は、実質当主も同然だ。
マキがもう一度「ごめんね」と私の手を握り、ソファを立つ。
彼女を困らせるのは本意ではないから、私も立ち上がった。外套掛けからとったマントをマキがふわりと着せかける。その仕草も慣れたもので、嬉しく思う反面、誰が練習台だったのかと考えると気が重くなるのは幸せの代償というものか。
「じゃあ、また来週に」
「ん。気をつけて」
名門トゥーラ家の子女に礼儀を尽くすように膝を屈め、右手をとって甲に口付ける。正式な婚約者同士なので立場的には頬にキスをしてもいいのだが、逢瀬の時間の延長を持ち出したら「節度を守った清い関係であれば」という条件付きとなったのだ。まったく忌々しい。
貴族にあるまじき商売根性の据わった男へも、慇懃に礼を捧げた。
「それでは失礼いたします。またお目にかかりましょう、ウィラード卿」
「失敬、アクィナシア殿。次回は不測の事態でお目にかかれないなどという吉報であれば、いつでも心待ちにしているよ」
「ご冗談がお上手で」
「冗談は嫌いだが?」
「……私もですよ」
あなたが、という言葉を慌てて呑み下す。これ以上余計なことを言わないうちに、再び頭を下げて屋敷を辞去した。預けていたコマに跨り、時を反芻するように宿舎までの道のりをゆっくりと帰る。
――あと半年の辛抱だ。
半年もすれば、マキがトゥーラへ来て一年が経つ。言葉もおよそ覚えたら、より慣らすために同年齢の子たちが通う学院に入学すべきというのは、王や彼女自身を含めた全員の意見だ。
そうなれば寮住まい、もしくは――うまくいけば、学院に程近い社宅で一緒に住めるかもしれない。一日でも早く彼女をこの家から出さなければ、いろいろと私の身が危うい。
――トゥーラに来る前にとっくに〝清い関係〟ではなくなっているのだが……気付かれたら、婚約解消の前に闇討ちに遭いそうだな。
憂鬱に思う。変人と評判の彼がここまでマキを気に入るとは、まったく予想外もいいところだ。それでも保護してもらっている以上、やはり彼を立てておかねばなにかと不味いのも事実。
とはいえ。
――タイマーを二分ほど遅らせてきたが、さてどうなるかな。
逢瀬を二分伸ばしたくらいで、どうこうできるとは思っていない。将来の義兄に振り回されるばかりの現状に少しばかり抵抗を試みただけだ。このままやられっぱなしなど、私の性分ではない。
かすかに笑ってマントの襟を詰め、衣服と肌と記憶とに彼女の残り香を封じ込めた。
え?というところをスルーしていますが、スルーの方向で(汗;)。
こちらは昼の部門ですからね。お日さま仕様でいこうと思います。
次回は兄様の視点で。