第1話 魔王が賭けたもの
砂漠には、ときどき幻が現れるという
旅人は蜃気楼だと笑い、商人は財宝だと噂し、冒険者は夢を見た者だけが辿り着ける城だと語る
その城の名は――千夜一夜の大遊技城「ミレニアム・パレス」
黄金に輝く巨大な城には、豪華なホテル、名優たちが舞う劇場、世界中の秘宝が並ぶオークション会場、昼も夜も笑い声の絶えない遊技場があり、すべてを見て回るには一年かかると言われている
人々は口をそろえて言う
「ここで叶えられない欲望はない」
その夜、遊技場では歓声が響いていた
魔獣レース
巨大な角狼、炎を吐く黒豹、翼を持つ疾風鹿
観客は金貨を握りしめ、一頭の魔獣へ未来を賭ける
勝者は歓喜し、敗者は膝をつく
誰もが次こそ勝てると信じていた
その特等席に、一人の男が座っている
漆黒のマント
王冠
誰もがひざまずく存在
現代の魔王である
「余は負けぬ」
魔王は山のような金貨を卓へ積み上げた
「三番に賭ける」
鐘が鳴る
レースが始まる
砂煙が舞い、観客は熱狂する
しかし最後の直線で、一番人気だった三番は転倒した
勝ったのは、誰も賭けていなかった九番だった
場内が静まり返る
魔王は鼻で笑った
「次だ」
さらに金貨を積む
また負ける
また賭ける
また負ける
気づけば、山のようにあった金貨は半分になっていた
そのとき、隣の席に一人の老人が腰を下ろした
質素な灰色の服
杖一本
どこにでもいる老人だった
老人はレースを見ず、砂時計を眺めている
「面白いものですな」
魔王は眉をひそめた
「何がだ 」
「勝った者は、もっと勝ちたがる」
「負けた者は、負けを取り返したがる」
「どちらも、次の一枚を卓へ置く理由は同じです」
魔王は笑った
「老人、お前に余の何が分かる」
老人は穏やかに答えた
「では、お尋ねします」
「もし今夜、すべて勝ったなら、明日は何をなさいますか」
「決まっておる。また来る。」
「では、世界一の富を手に入れたら」
「もっと増やす」
「では、世界中の金貨を手に入れたら」
魔王は答えに詰まった
老人は静かに言う
「欲望は、満たされると終わるものではありません」
「大きく育つものです」
魔王は立ち上がる
「くだらん」
「余は魔王だ」
「世界は余のもの」
老人は笑わなかった
怒りもしなかった
ただ一言だけ残した
「世界を手に入れても、自分の心だけは支配できぬ者がおります」
魔王は振り返りもしない
最後の金貨袋を卓へ投げた
「全部だ」
レースが始まる
歓声が響く
魔獣たちは砂煙を巻き上げて駆ける
そして――
また負けた
魔王はしばらく動かなかった
城を出る頃には、夜明けが近づいていた
砂漠の風は冷たい
歩きながら、魔王は小さくつぶやく
「……世界を支配しても、自分の心は支配できぬ、か」
足は止まらない
だが、その言葉だけが何度も胸の奥で繰り返されていた
魔王はふと振り返る
遊技城の入口には、もう老人の姿はない。
「あ、あの老人は、たしか……」
そこまで言いかけて、首を横に振る
思い出せない
それでも、不思議と胸のざわめきだけは消えなかった
砂漠の彼方では
ミレニアム・パレスがまるで何事もなかったかのように黄金色に輝いていた




