婚約破棄された無能鑑定士令嬢は、冷徹宰相に独占される
王城の大広間で、わたしは笑われていた。
第一王子アルベルト殿下との婚約披露宴。
祝福の夜になるはずだったその場で、殿下は高らかに告げた。
「リゼット・オルディア。お前との婚約を破棄する」
ざわめき。
わたしが黙っていると、殿下はさらに言葉を重ねた。
「理由は単純だ。お前の鑑定は遅い。王家に不要だ。今日から“無能鑑定士”と呼んでやる」
会場のあちこちで笑いが起きた。
わたしの鑑定は確かに遅い。
宝石の値踏みや剣の等級判定には向かない。
けれど、わたしの本領は別だ。
契約の改竄、血統の偽装、功績の横取り。目に見えない嘘を剥がす。
地味で、嫌われる能力。
だからこそ、今夜みたいな場で必要になる。
「婚約破棄、受け入れます」
わたしが頭を下げると、殿下は満足げに杯を掲げた。
「物分かりがいいな。ついでに不正会計の罪も問う。今夜をもって王都追放だ」
やはり来た。
婚約破棄だけではなく、社会的抹殺。
だからわたしも、準備は済ませている。
「承知しました。ですが追放命令の前に、王命鑑定を一件だけ実施します」
「は? お前にそんな権限があるわけ――」
「あります」
わたしは文書を掲げる。
黒狼の封蝋。宰相府の正式印。
侍従が確認して震え声で言った。
「宰相カイル・レーヴェン閣下の承認文書です。真正に間違いありません」
殿下の顔色がわずかに変わる。
わたしは壇上の中央に置かれた国宝へ歩く。
「鑑定結果。王冠は本物です」
殿下が勝ち誇ったように笑った。
「当然だろう。くだらん――」
「ただし、殿下の血統紋章は偽物です」
一拍。
次の瞬間、会場が弾けたように騒がしくなった。
「でたらめだ! 衛兵、こいつを捕らえろ!」
「動くな」
低い声が広間を凍らせる。
扉が開き、黒衣の男が現れた。宰相カイル。
長身、銀灰の髪、冷たい青眼。王国で最も恐れられる男。
その後ろで近衛騎士が剣を抜く。
「続けろ、リゼット嬢」
「はい、閣下。殿下の紋章は三か月前に改竄されています。王家固有波形と不一致。さらに婚約誓約書も改竄済みです」
侍従が誓約書を持ってくる。
わたしは第三条を指した。
「『王子側からの一方的破棄時、王家は賠償を行う』。この条文だけ削除されています。封蝋再溶解痕と筆跡偽装も確認」
殿下の側近伯爵が青ざめた。
わたしは会計帳簿を掲げる。
「改竄に使われた公印蝋は伯爵家執事が持ち出し。口止め料、金貨二百枚。領地帳簿に記載あり」
伯爵が崩れ落ちる。
殿下は唇を噛み、叫んだ。
「まだだ! そんなの証拠にならない!」
「では、血統鑑定を行います」
わたしが術式を展開すると、淡い光環が殿下の額に触れて消えた。
結果は一行で十分だった。
「第一王子アルベルト殿下と先王陛下の血縁一致率――ゼロ」
悲鳴が上がる。
王妃が椅子から崩れ落ちた。
宰相が片手を上げると、近衛騎士が殿下を取り押さえる。
「放せ! 僕は王子だ!」
「王子として扱われていただけだ」
宰相の声は氷のように冷たい。
だが、わたしの肩に触れた手だけは驚くほど温かかった。
「十五年前の取り違え記録は地下文書庫で確認済み。今日、リゼット嬢の鑑定で最終確定した。連行しろ」
殿下と伯爵は泣き叫びながら連れて行かれた。
わたしを笑っていた貴族たちは、今度は目をそらすばかりだ。
国王陛下が立ち上がった。
「リゼット・オルディア。そなたへの婚約破棄は無効。加えて王国監査院特務官に任ずる」
どよめきが再び広間を満たした。
王家すら監査できる独立権限。
わたしは膝を折って答える。
「謹んで拝命いたします」
宰相が一歩前に出た。
「陛下。特務官の直属監督は私が務めます」
「任せる」
即決。
つまり今日から、わたしは宰相府所属になる。
その直後、宰相はわたしにだけ聞こえる声で言った。
「今夜、迎えに行く」
「……監査業務の件ですか?」
「違う。男としてだ」
耳の奥で心臓が鳴った。
会場の誰にも聞こえないように、彼は続ける。
「君を守るだけでは足りない。独占したい」
冷徹宰相の口から、こんな露骨な言葉が出るとは思わなかった。
さらに彼は、わたしの手を取り、指先へ口づける。
その瞬間、広間の空気が止まった。
「君は私の最重要人物だ。仕事でも、私生活でも」
政治的宣言であり、公開告白でもあった。
その夜。
わたしが屋敷で荷をまとめていると、予定通り宰相が来た。
黒の外套のまま、玄関でまっすぐ言う。
「迎えに来た。宰相府の隣の館を君に用意した」
「仕事用の館、ですよね」
「半分は。もう半分は、私が毎晩通うためだ」
露骨すぎて、笑うしかない。
でも嫌ではない。
わたしはずっと彼に惹かれていた。
誰も信じなかったわたしの鑑定を、彼だけは最初から信じてくれたから。
「ひとつ確認です。わたしが必要なのは、便利な鑑定士だからですか」
彼は即答した。
「違う。鑑定士として有能だから必要だ。だがそれ以上に、リゼットという女を愛している」
まるで判決のような断定。
わたしは逃げ道を失って、でも嬉しくて、笑ってしまう。
「閣下、ずるいです」
「君にだけは、ずるくなる」
彼は一歩近づき、わたしの腰に腕を回した。
視線を絡めたまま、低く言う。
「仕事では対等に扱う。私生活では全力で甘やかす。これでどうだ」
それは、わたしが言う前に欲しかった条件だった。
「……受けます。恋人として」
次の瞬間、唇が重なる。
短いのに熱く、離れたあとも息が乱れる。
彼は無表情のまま囁いた。
「これで君は私の恋人だ。二度と手放さない」
翌朝、宰相府監査室。
わたしは特務官として最初の無双を始めた。
「財務卿の裏帳簿、改竄箇所三十二。軍需局、架空発注十一件。王家会計監督官、賄賂の流れ確定」
わたしが一枚ずつ証拠を並べるたび、役人たちが青ざめる。
昨日まで「無能」と笑っていた連中は、今日は震えながら署名した。
爽快だった。
積み上げられた嘘を、ひとつずつ壊していくのは。
昼、宰相が監査室へ入ってくる。
彼は有無を言わせず、わたしの書類を閉じた。
「休憩だ、リゼット」
「まだ五件あります」
「恋人を過労死させる趣味はない」
堂々と言われると、周囲の役人が息をのむ。
彼はわたしの手を引いて執務室へ連れていき、紅茶を差し出した。
「柑橘。君の好みだ」
「完璧ですね、閣下」
「恋人の嗜好くらい把握している」
そして、書類の山の前で平然と言う。
「ご褒美が必要だな」
「仕事中です」
「だから短くする」
そう言って、彼はわたしの唇へ二度目の口づけを落とした。
露骨。強引。甘い。
心拍が上がるのに、嫌な感じは一切ない。
「午後も無双してこい」
「命令ですか?」
「お願いだ。私の一番有能な恋人」
その言葉だけで、もう負ける気がしなかった。
夕方には財務卿、軍需局長、会計監督官が同時更迭。
特務監査班が正式発足し、署名欄にはこう並ぶ。
班長 リゼット・オルディア
監督 カイル・レーヴェン
わたしは書類を抱えて彼の執務室に戻る。
彼は立ち上がり、当たり前のようにわたしを抱き寄せた。
「今日だけで王国の膿を三割切った。見事だ」
「無能鑑定士の仕事としては上出来でしょうか」
「訂正しろ。君は王国最強の鑑定士だ」
彼はわたしの耳元で、ゆっくりと言い切る。
「そして私の恋人だ。誰にも譲らない」
「独占欲が強すぎます」
「今さらだろう」
思わず笑ってしまう。
婚約破棄された夜に、わたしはすべてを失ったと思った。
でも実際は逆だった。
偽物の婚約者を失い、本物の居場所を得たのだ。
嘘を暴くのがわたしの仕事。
本物を守るのが、わたしたちの仕事。
次に泣くのは、偽装で生きてきた者たち。
次に笑うのは、わたしと、わたしの隣で露骨に甘やかしてくるこの男。
見せてあげる。
無能と呼ばれた令嬢の、痛快な無双と、分かりやすい恋の勝利を。
ここまで読んでいただきありがとうございます!
ブックマーク・評価・感想などいただけると作者が喜びます。
特に感想をくれるととても喜びます!
(反応が良ければ連載版の作成も検討しています)




