第7話 廃教会へ向かうには
マーティンは棚から持ってきたリュックの中から、拳くらいの大きさの小さな革の袋を三つ取り出した。代わりに彼は皿に乗ったミルクトーストを、綺麗な布にくるんで革のリュックに詰める。
次にマーティンは鞄がかけてあった棚に、一緒にかけられている革袋に手をのばす。カウンターの奥に置かれた、水瓶から革袋に水を入れて口をしめた。水は飲み物を頼まなかった人に対するサービスだ。
スフレの方針で出前に持っていった料理を、喉につまらせて死なれた縁起が悪いのでジュースや酒を頼まなかった出前には必ず水を持っていくように言われてるのだ。まぁ今回は届先が死人なのだが……
次にマーティンは手が汚れた時に拭けるように、ナプキンを用意し革袋と料理を一緒にリュックにつめる。最後に最初に取り出した小袋をベルトにつけて準備完了だ。
「準備できた。行くぞ……」
ミアにマーティンが声をかけた直後、扉が開いて誰から店の中に入ってきた。
「おはようございます!」
「ラッラスティ君? どうしたの?」
店に入ったのはラスティだった。ミアを見たラスティが少し恥ずかしそうに微笑む。
「スフレさんがミアさんにお礼をしろって…… でも僕はお金が…… そしたらここを手伝ったらお金をくれるって」
「わたくしはお礼なんて…… 待っててね。お姉ちゃんがスフレさんにお願いして手伝いをやめさせてあげる」
「えっ!?」
厨房に行こうとする、ミアの肩をつかんでマーティンが止めた。
「やめろよ。ラスティに恥をかかせるよな」
「でっでも…… わたくしにお礼なんて」
「ミアはいらなくてもラスティは礼がしたいんだ。それに願いを聞いてくれた人に礼をするのは悪いことじゃない」
「そっそれは…… そうですね。わかりました」
少し考えてからミアは、頷いて厨房に行くのをやめた。ラスティはホッとした表情をする。
「来たね! さっさと厨房に来て手伝いな」
「はっはい!」
厨房の入り口から、スフレが顔を出してラスティを呼ぶ。ラスティは嬉しそうに厨房へと駆けていった。
「じゃあ。改めて行こうか」
「はい!」
笑顔で小さく頷いてミアは、振り返り厨房に向かって口を開く。
「いってきまーす!」
ミアが元気よくスフレとラスティに声をかけていた。厨房で仕込みをしていた、スフレがぶっきらぼうに彼女に向かって手を振る。クグロフとラスティは厨房の入り口の近くまで来て、笑って二人に向かって右手をあげた。
店を出て町の通りをミアと並んで歩く。マーティンは何度も配達をしているが、依頼人と一緒に料理を持って出前に行くのは初めてで少し新鮮だった。
「北の平原にはステア像から行くぞ」
「はーい」
ステア像とは魔法を使った転送装置だ。イバルツの町から出るには、南から伸びる橋を渡るか桟橋から出る船に乗るしかない。船は西にある街道近くの桟橋にしか向かわない。目的地である北の教会に向かうには、どっちも遠回りなのでステア像を使う方が都合が良い。
”竜の髭”を出た二人は、修道院に向かう道を進む。しばらくすると出前協会がある分かれ道へと出た。マーティン達は分かれ道を右に進む。ちなみに左に行くと修道院へといくことが出来る。
分かれ道を進むと鍛冶屋や宿屋などが増えてきた。この辺りは冒険者ギルドが近く、彼らが利用する施設が多く作られていた。
二人でさらに通りを進むと開けた場所に出た。ここは道が円形に回ってそれぞれ小さな路地に続き、円形の道で囲まれた真ん中に二メートルくらいの灰色の像が建っている。あれがステア像だ。
「わたくしステア様の像を使うのは初めてで…… ちょっと緊張します」
ミアがステア像を見て、不安そうにしていた。マーティンは彼女に笑顔でうなずく。
「大丈夫。俺だって最初は戸惑ったけどすぐに慣れたからな」
「はい」
マーティンはミアを連れてステア像へ近づく。
ステアは光の精霊で背中に、長い金髪に金色の目をした美しい女性に近い姿をし、白く体の線が見えるほどの密着した白いローブを着て背中には白い翼が生えた姿をしている。なお、二人の目の前にある石像に色は塗られてなく灰色一色だ。
「先客がいるか……」
ステア像の周りには、武器を持った冒険者達が居て像に手を伸ばしいた。マーティンとミアは彼らのすぐ後ろに立つ。すぐに冒険者達が淡い白い光りに包まれたと思ったらすぐに消えた。横に立つミアがちょっと驚いた表情をした。瞬時に消えるから初めてだと驚くのは無理もない。この像には魔力がこまれた魔石が埋め込まれていて、触れて行きたい場所を頭に思い浮かべるといろんな場所へ転送してくれる。
行ける場所はここと同じような、ステア像が設置されてる場所に限られる。ちなみにこの像は冒険者ギルドが管理していて、使用する場合は、冒険者ギルドに許可を貰う必要がある。食事を冒険者に届ける出前協会所属の配達員にももちろん使用許可はおりている。
マーティンとミアは像の前に来る。像の正面には大きな石碑が置かれ、石碑にはこの地域の地図と転送可能な場所の名前が彫られていた。
「えっと…… 北の教会に行くには」
ミアが地図を見ながらつぶやいた。マーティンは彼女の横で石碑のある場所を指で指して口を開く。
「北の教会は確かバルスラ湿地帯の近くだから双子の木が一番近いはずだ」
「わかりました」
ミアがうなずき、ステア像の元へ行きマーティンも彼女に続く。マーティンとミアはステア像に手を置く。目の前が真っ白になって周囲が、建物だらけの町の景色から草に囲まれた平原に変わった。
「わぁ! すごいです。本当に一瞬で来ちゃいました」
像から手を離し、周囲を見てミアが目を輝かせていた。
「ふふっ」
「なっなんですか」
「いや…… なんか懐かしくてさ。初めて転送を経験した時の俺もミアみたいに興奮したなあって」
「うぅ」
恥ずかしそうにミアはうつむくのだった。二人は大きな二本の木と木の間に挟まれたステア像の前へと転送された。ここは双子の木、二本の木が双子のようにみえるからその名がついている。
聖女フローレンスの祝福を受けた双子の木の根元は、聖なる力が湧き出て魔物をよせつけない安全地帯となっている。像の右手はうっそうと水草が生えた湿地帯が広がり、水草をぬうように二メートルくらい幅の小さな板がかけられ道のようになっていた。
「いくぞ。教会はこの先だ」
俺は板の上に乗ってミアに声をかけた。ミアがこちらに近づいてきて板の前で立ち止まる。
「ここから先は板の道を行くんですね」
「あぁ。ここから先はバルスラ湿地帯だからな。板から下りるなよ。足を取られて一瞬で魔物の餌食になるぞ」
イバルツ北部は川が複数に入り組んでバルスら湿地帯が広がっている。バルスラ湿地帯はところどころ乾いた土の島のような場所があるが、たいていは地面がぬかるみ水が浮き出した沼のようになっている。湿地帯の徒歩で湿地帯を移動するには、点々とある島のような地面をつなぐようかけられた二メートル幅の板の道を行くしかない。マーティンとミアは二人で湿地帯を歩いて教会へ向かう。先導するのはマーティンで少し離れてミアが続く。
数十メートルほど歩くと、板の道から乾いた地面へまた板の道を歩き乾いた地面へと何度か繰り返していく。
「あれは…… ちょっと待て」
先導するマーティンが前方にある何かに気付いた横に手を出してミアを止めた。ミアが体を左に傾け俺の背中の横から前の様子をうかがう。二人がいる少し先に生えた水草の間から、キラーサーペントの頭をのぞかせていた。
キラーサーペントは五メートルを超える、水辺に生息する大蛇で、獲物に巻き付いて自由を奪い頭から丸呑みにする。振り返り小声でマーティンはミアに口を開く。
「少しだけ静かにして動くなよ」
「はっはい」
左手でベルトに着けた小袋の一つを取り出し、袋をあけて口を右の手のひらに向ける。
「うっ…… 相変わらずすごい臭いだな」
マーティンの右手の上に茶色の小さな玉が何粒も出てきた。マーティンは慣れた様子で、茶色の玉を軽く握ってキラーサーペントに向かって投げた。空中で玉は散らばり、キラーサーペントの周囲に散らばった。
少ししてから、汗と獣の臭いが混じったなんとも言えない、悪臭が周囲に立ち込める。臭いが発生してすぐ、キラーサーペントは頭を引っ込めて湿地帯の中へ消えていった。
「よし! もう大丈夫だ。行くぞ」
「いっ今のは?」
「臭い玉だ。今のはトロールの臭い玉だな」
強烈な臭いにミアは鼻をつまみ、声が少し変になっていた。配達員は魔物から逃げやすくするため、いくつかのアイテムが出前協会から支給される。彼がいま使ったのは支給品の一つで、強力な魔物の臭いで魔物を追い払う臭い玉だ。他にも聖なる力で魔物を遠ざける聖水、出前を終えたダンジョンから脱出するための脱出ロープなどが代表的なアイテムである。
「そうですか…… すごい臭いです……」
「心配するな。強烈だがすぐに臭いは消える」
「はーい」
鼻をつまんだままミアは歩き出した。マーティンは彼女の後に続く。キラーサーペントが居た場所が近づくと彼女は、鼻からおそるおそる手を離し臭いを確認した笑顔でこちらを向いた。どうやら臭いが気にならなくなったようだ。
「マーティンさんは強いのに魔物と戦わないのですか?」
こちらを見つめたまま、ミアは首をかしげて尋ねる。
「俺は料理を届ける配達員だ。必要がなきゃ魔物と戦うことはないさ」
「そうですか。でも…… あの実力なら出前の配達員より冒険者とかになったらもっとお金もたくさん稼げるんじゃ……」
「確かにな。でも、日帰りで魔物討伐やダンジョン攻略できるわけないだろ。ルルとロロを二人っきりで何日も留守にさせられない。だから俺は昼専門の配達員をやってるんだ」
「そうか。ルルちゃんやロロ君のために…… 偉いですね」
ミアが目を輝かせてマーティンに笑顔を向けた。
「偉いって…… 当たり前だろ。俺はあいつらの父親なんだからな」
少しだけ胸を張り、マーティンはイバルツの町の方角を見ながら答えた。二人を優先するのは、父となると決めた日から彼にとって、当たり前のことだった。笑顔でミアが納得したような顔でうなずいている。
「しっかし…… 戦えとか金が稼げるとかシスターとは思えない俗っぽい発言だな」
「えっ!? いえ…… そんな…… ただ戦ってるマーティンさんが……」
顔を赤くしてミアはうつむき、声が徐々に小さくなって聞き取れなくなっていく。
「どっどうした? 大丈夫か? 腹でも痛くなったか?」
「なっ何でもありません! さぁ。早く行きますよ」
「おっおい!? 危ないぞ」
顔上げたミアは早足でマーティンを置いて先に進んでいく。マーティンは慌てて彼女を追いかけるのであった。
湿地帯を進むこと二時間、水草に囲まれた建物が見えて来る。建物は緑の苔と草に覆われ、屋根に置かれた尖塔の先に突き出た十字架により教会であることがわかる。
あそこが目的地の平原の廃教会だ。マーティン達は板の道を渡り、石造りの教会の門の前に立った。ミアは両手を前に組んで祈りを捧げている。マーティンは教会を確認する。教会は窓ガラスが割れ、扉も破壊されて見える内部は、ひどく荒れされ物が散乱していた。
薄暗い湿原に寂しく佇む朽ちた廃教会はひどく不気味に見えた
「うん!? さっきまで晴れだったのに……」
いつの間にか空は雲に覆われて太陽が遮られ周囲が陰った。雨が降ると水かさがまし板が沼に沈む可能性がある、彼はすぐに祈りを捧げてるミアに声をかけた。
「ミア…… 行くぞ。ラスティの父親はどこに埋葬されてるんだ?」
「はっはい! えっと…… 教会の裏手にある井戸の近くだそうです」
マーティンは頷いて門から教会の敷地の中へ歩いていく。
「この教会の裏手には宿舎があって旅人をよく泊めていたそうです」
歩きながらミアがこの廃教会のことを話してくれる。
「十年ほど前に魔物の襲撃を受けた放棄されたそうです」
ミアが寂しそうに教会に視線を向けた。
「よく知ってるな」
「はい。イバルツ修道院に居るシスターロレンスが昔ここで奉仕をしていたんですよ」
ニコッと微笑んだミアの動きが止まって、急に眉間にシワを寄せた。
「不届きな旅人に口説かれたんだけどね。主に仕えるこの私を口説くなんてこの不届き者って! 説教してやったわよ。はははー」
しゃがれた声を出してミアが笑っている。おそらく眉間にシワを寄せた表情と声は、シスターロレンスのマネなのだろう。マーティンはシスターロレンスには会ったことないので、似てるのかいまいちわからなかった。二人は教会の横を通り抜け俺達は教会の裏手に回った。
「これは……」
教会の裏手は燃えて崩れ落ちた建物があり、黒く焦げた柱や石が周囲に転がっていた。ここは先ほどのミアの話にあった旅人を止めていた宿舎だろう。近くには馬を置くための納屋もあった。おそらくは魔物に襲われた時に燃え落ちたのだろう……
「うん!? まだ焦げた臭いが漂ってる……」
マーティンは立ち止まった。漂う臭いから建物が燃えてから、あまり時間が経ってないようだ。
「井戸がありましたよ」
ミアが指を指した先に屋根がついた古そうな井戸が見えた。
「あの辺りにラスティの父親が……」
マーティンとミアは井戸へ向かって歩く。
「チッ!」
歩いているマーティンが視線を下に向けた。彼の足元に霧が漂って来たのだ。
「マーティンさん…… 霧が!」
霧に気づいたミアが足元を見て声をあげた。
「気をつけろ。俺から離れるなよ」
「はっはい」
小さくうなずいてミアはマーティンの背中へと移動する。マーティンは腰にさした聖剣ホワイトスノーに手をかける。先ほどまで足元を漂っていただけの霧が、あっという間に周囲に立ち込めて視界が遮られる。彼らの目的地である井戸も霧に消えてかすかに影が見えるだけになった。
「ギギ……」
かすかな足音と声が霧の向こうから聞こえた。魔物がマーティン達に近づいて来ているようだ。
「はぁ。まったく。ミアの出前はこんなんばっかだな……」
「ひどいです。わたくしのせいじゃないですよ」
「まぁ。ミアのせいじゃねえけどさ…… 事実だろ」
ミアがプクッとほほを膨らませて怒りだした。マーティンはゆっくりと聖剣ホワイトスノーを鞘から抜くのだった。




