第4話 我が町イバルツ
石造りの大きな橋の上をマーティンは一人で歩いていた。
「ふぅ…… 今日の配達はこれで終わり。後は店に戻って報告しておしまいだな。あいつら腹空かせてるだろうな」
マーティンの腰くらいの高さがある、石造りの橋の柵の上からから見える、夕日に照らされた水面に船影が伸びていた。馬車がすれ違えるほど巨大な橋は、綺麗なクルル湖の水面の上に建てられている。石造りの橋は荘厳で湖に浮かぶ小島へ続く。小島は城壁に囲まれ、中心に四角い尖塔の先に、十字架が掲げられた巨大な修道院が建ち、その周囲に町がひろがっている。あそこがマーティンの住むイバルツの町だ。
王都から離れた森と山に囲まれた辺境の地にイバルツはある。しかし、教会の聖女フローレンスが、住んでおり巡礼で訪れる人が多く町は常に賑わっている。
橋を進むマーティンの前に立派な城門が近づいて来た。開かれた城門の先には街頭がつき人が多数往来する賑やかな町が見える。
この島には元々修道院だけしかなかった。大昔の戦争の際に湖の周囲にあった町や村の人々を、避難させ壁で囲み城塞となった。戦争は長く続き、いつしか避難した人達は、そのまま修道院の周囲に家を建て住みついたのだ。
マーティンは橋を渡り、立派な城門をくぐって町の中へ入った。小島は修道院が立つ北側へ向け、せり上がった地形をして修道院の背後は切り立った崖になっていた。マーティンが渡ってきた橋は町の南側にあり、そのまま真っすぐ進めば、町のメインストリートに繋がり蛇行しながら修道院へ続く。町のメインストリートは人が多く賑わっていた、道の脇には小さな石造りの様々な店が並んでいる。
やや緩やかな上り坂となった道を進み、せり上がっている島のちょうど真ん中くらいへとやってきた。
「さて……」
もう少しでマーティンが配達員として働く店があるが、彼はいつもここで少し休憩を取る。
マーティンは通りの端に移動して振り返った。視界に湖に浮かぶ巨大な橋と、夕日に照らされた美しく赤く染まった湖面が一望できた。ここより上は建物高くて湖が見づらいのでマーティンはここで立ち止まる。
真っ青な湖が夕日に染まった綺麗な景色をマーティンは少しの黙って見つめていた。町から見える湖の景色が好きで彼はこの町へ越して来た。彼らと一緒に……
「おかえりー!」
「わっ!?」
白いシャツに真っ黒な半ズボンを履いた男の子が、走って来てマーティンの足にだきついて来た。
「ロロ! いつも言ってるだろ。急に抱きつくと危ないって」
「えへへへ」
「まったく……」
マーティンは足にしがみつく男の子の頭を撫でる。この子の名前はロロ。顔をあげたロロは口元を笑顔で、彼の唇からは八重歯がのぞく。ロロは耳が長く尖っていて、額から小さな角を生やし、やや丸いくりっと真っ赤な瞳にピンク色の髪をした元気あふれる男の子だった。マーティンはロロに尋ねる。
「ロロ。ルルはどうした? 一緒じゃないのか?」
「ううん。あそこ!」
ロロがマーティンの足から離れ後ろを指差す。少し離れたところに青く長いストレートの髪の小さな女の子が立っていた。女の子はロロと同じ白いシャツを着て、下半身は吊り下げるベルトのついた黒いミニスカートに黒い靴に膝上までの黒い薄手の靴下を履いている。青い髪の間から羊のような角とロロと同じような尖った耳の先端が見える。恥ずかしそうにうつむいて、もじもじしながら女の子は近づいてくる。
「おっおかえり…… お父さん……」
女の子の前にマーティンはしゃがんだ。うつむいて小さな声で、おかえりという彼女の頭を笑顔で撫でた。
「ただいま。ルル」
嬉しそうに笑う女の子。彼女の名前はルル、ロロの双子の姉だ。二人の角と尖った耳は魔族の特徴である。
ルルとロロは魔族と人間との間に、生まれた双子の姉弟で年齢は五歳。わけあって人間であるマーティンとここイバルツで親子として暮らしていた。
ルルとロロはマーティンの左右にわかれ、それぞれが手をつなぐ。三人で横に並んで町の通りを歩く。夕食時が近いせいか近くの家々からはいい匂いが漂っていた。
「今日はちゃんとスフレに言って迎えに来たんだろうな?」
「えっえっと…… もっもちろん!!」
「ううん。ロロは黙って出ていった……」
「こら!」
ルルに向かってロロが手をのばした。マーティンはロロの手を引っ張ってルルから離した。マーティンはロロをにらみつける。ロロはごまかすように、両手を頭の後ろに置いて、唇を尖らせて口笛を吹く仕草をする。ちなみにロロはまだ口笛は吹けないので、口からはかすれた音が出てるだけだ。その姿は間抜けでちょっとだけかわいいがマーティンは父親としてロロを叱る。
「はぁ…… 後でスフレに一緒に謝ろうな」
顔をこちらに向け、二人は笑って頷いた。
「さて…… じゃあ行くか」
マーティンとルルとロロが数十メートル歩くと、黒い屋根の二階建て石造りの建物が見えてくる。島は平らな土地がすくないため、町の建物は縦長で小さいの多いが、その建物は周囲の建物よりもやや大きく作られていた。
軒先には竜が口を開け火を吐く姿をかたどった、金属製の看板がぶら下がっている。ここはマーティンが配達員の専属契約を結ぶ食堂”竜の髭”だ。朝から夕方まで彼はこの店の配達員として働いてる。
マーティンが配達員として働いている間、ルルとロロは店で面倒を見てもらっている。準備中の札がドアノブに掲げられた扉を開けて三人で中へ入った。チリンという客の入店を知らせる鈴が鳴る。
店内は木造の床に白い壁で、入り口の正面の奥に八人が座れる、カウンターと手前に四人がけの四角いテーブルが十席ほどならんでいた。カウンターの隣に厨房への入り口があり、そこからいい匂いが漂ってくる。三人で厨房へ向かって歩く。
「戻ったかい? あっ! ルル! ロロ! あんた達はまた抜け出したね? 黙って迎えに行くんじゃないっていつも言ってるだろ!」
三人が店に入ってすぐに厨房から、右手にナイフと左手に芋を持った、黒のロングスカートに灰色の長袖シャツに、白のエプロンを着けた背が高い女性ができて声をかけてきた。女性は茶色の長い髪を後ろで結び丸い頭巾をかぶり、凛々しく美人ではあるが目は鋭くぱっと見た感じは少し怖い。彼女はスフレ。”竜の髭”のオーナー兼シェフだ。
「あぁ。ただいま。ほら。二人共スフレに謝れ」
マーティンは両手を離して、二人の背中を軽く押してスフレに謝罪するように促した。
「ごめん」
「スフレ…… ごめんなさい……」
「勝手に居なくなったら心配するだろ。まったく…… 次からはちゃんと私に言ってから行きな」
スフレは二人に注意をすると小さく息を吐く。ルルとロロは顔を見合わせて気まずそうにしていた。
「(こいつらも夕方の仕込みで忙しく作業してる、スフレに声をかけるのが忍びなかったんだろう)」
マーティンはルルとロロの思いを汲み、素直に謝った彼らをそれ以上は責めなかった。
「一、ニ、三、四、五、六、七、八と……」
マーティンはポケットに手を入れて客から受け取った、出前チケットを八枚出した。出前チケットは冒険者ギルドに持っていくと、注文した料理の値段に距離に応じた配送料がついた金額に換金してくれる。通常なら配達員の取り分は配送料となるが、マーティンはこの店と専属契約を結んでおり同額の給料を毎月受け取っている。
配送をした分だけ稼げるから専属契約の方が損だが、マーティンにはルルとロロがいて配達料が割増しになる、夜間の配達ができないので専属契約して給料をもらう方が都合が良い。手に持った出前をチケットをスフレの前に差し出した。
「スフレ。これが今日の分だ」
「あぁ。お疲れ」
スフレから俺から出前チケットを受け取ると厨房へと下がっていった。
「これいつものだよ。また明日も頼むね」
厨房からスフレは細長いパンがはみ出した、大きなバスケットを持って出てきてマーティンの前に差し出す。この大きなバスケットの中には、マーティン親子の夕飯と朝飯用のパンが入ってる。毎日スフレはルルとロロのために、夕飯を作ってくれて持たせてくれるのだ。
「いつも悪いな。じゃあまた明日」
マーティンはバスケットを受け取って、スフレに挨拶をしルルとロロへ声をかける。
「よし! 今日は終わりだ。帰るぞ」
「わーい。お父さん。それ俺が持つよ」
「お父さん…… ダメ…… ロロはつまみくいするから」
「そうだな。じゃあルルが持ってくれ」
両手を伸ばすロロを右手で制してマーティンは、バスケットをルルの方に差し出した。
「ブスー!」
ロロは不満そうに口を尖らせ、ルルはバスケットを受け取り、大事そうに両手で抱えるように持つ。二人の姿にマーティンの頬は緩み笑顔になり一日の疲れが癒される。
「さぁ。帰ろう」
マーティンは二人を連れて店の入口へと戻った。
「エリック! 忘れてた。ちょっと待ちな」
帰ろうとするマーティンにスフレが声をかけて来た。マーティンが立ち止まり、振り返るとスフレは口を開く。
「さっき出前協会から使いが来たよ。明日の朝に来いってさ」
「出前協会に? 何の用だ? 配達員会議は来週だぞ……」
「あたしに聞いても知らないよ。とにかく行ってきな」
配達員はみんな出前協会というギルドに所属している。マーティンはこの店と専属契約を結んでいる”竜のひげ”に常駐しているが、ほとんどの配達員は出前協会からの呼び出しに応じて様々な店の出前を代行する。
「わかった。ありがとう」
右手をあげスフレに返事し、マーティンはロロとルルを連れて”竜の髭”から出た。三人の家は”竜の髭”から近くすぐ裏にある。扉から出てすぐ脇の路地を入って進み。”竜の髭”の裏で細い路地を、一本はさんだ向かいにある二階建ての小さな家に三人は向かう。彼らの家はちょうど”竜の髭”の勝手口の前にあり、開いた勝手口から真剣な表情で芋の皮を向いているスフレが見える。ロロが彼女に手を振るとスフレは笑って手を振り返した。
家へは厨房を抜けて裏口から出た方が早いが、仕込み中は忙しく鍋とか危ないので、ルルとロロを連れてはスフレが通してくれないのだ。扉を開けて家の中へ入る三人。入ってすぐの玄関の横に階段があり二階へ行ける。一階は小さなキッチンと、食事を取るダイニングで二階は二部屋という間取りだ。二階の部屋は一つは寝室で、もう一部屋は将来のルルとロロの寝室予定だが今は物置にしていた。最終的には二階の寝室はルルとロロの個室になりマーティンは一階で過ごす予定だった。ちなみにこの家は彼の持ち家だ。そのせいで昔の仕事で稼いだマーティンの金はなく必死に働かないといけない。
「お父さん! 早くご飯にしよう!」
「ダメ…… 手を洗う」
「えぇ!? 面倒だよ」
「そうだな。偉いぞ。ルル。ロロはルルの言うことをちゃんと聞け!」
「ちぇ」
ルルの頭を撫でるマーティン、バスケット抱えて彼女は嬉しそうに笑う。マーティン達は三人で手を洗い、夕食を食べるのであった。
「あぁ…… もう…… 早くベッドに行けって言ったのに……」
食事の片付けをして戻ってくると、椅子に座ってルルとロロが眠っていた。二人を抱っこして一人ずつ寝室に運ぶ。ベッドに二人を寝かしてマーティンも横になった。
「ふわぁ…… 俺も疲れたし寝るかな」
穏やかな子供二人の寝顔を見てあくびをするマーティン。異世界から転生して二十年以上が経ち、彼はそれなりの激動の人生を送っていたが、仕事も充実し今が一番幸せを感じていた。二人を撫でながら目を閉じたマーティン、いつもの通り三人で並んで眠りについた。
翌朝、マーティンは一階で朝食の準備をしていた。
「お父さん…… おはよう……」
マーティンが朝食の準備を始めて五分ほどで、ルルが目をこすりながら一階に入ってきた。ダイニングに置かれた丸テーブルに設置された椅子にルルが座る。テーブルの上に、昨日スフレからもらったパンが皿に乗ってる。ルルはパンに手をのばす。
「おはよう。ロロは?」
「まだ寝てる」
「そうか」
マーティンは二階へ上がり、寝室の扉を開けて中へはいる。ベッドの上で大の字で寝てる、ロロの肩に手をかけてゆする。
「起きろ! 朝だぞ」
「まだ学校には早いよ……」
ロロは目をこすって不満そうにしてる。二人は修道院が主催してる、読み書きを教えてくれる学校に通ってる。
「悪いな。今日は学校に行く前に出前協会に寄るからな。早く起きろ」
「ふわぁ……」
ベッドの上に起き上がり、ロロは両手を上にあげ背を伸ばしてあくびをした。ロロの手をひっぱりベッドから出し、マーティンは一階に連れて行って彼をテーブルに座らせるのだった。




