第3話 森の攻防戦
静かに泣き続けるミアの声がマーティンの耳に届く。彼はとりあえず謝ってさっさと帰ろうと考えた。
「怒鳴って悪かったよ……」
必死にミアは首を横に振った。彼女はマーティンが悪くないということを伝えようとしている。だが、そんなことはどうでもいい。マーティンは早く配達を終え帰りたいのだ。彼はミアの前に鞄をまた突き出した。
「とりあえずこれ食って元気出せ。なっ? だから出前チケットを……」
「ヒック…… 私達は薬草取りに来た時にゴブリンに襲われたみんなはぐれて……」
ミアは料理を受け取らずに、両手で目をこすり泣き続けながら話を始めた。眉間にシワを寄せ苦い顔をするマーティン。
「いいから話しを聞け…… そして料理を受け取って俺に出前チケットをよこせ……」
マーティンはミアに聞こえないようにすごい小さな声でつぶやく。彼女はマーティンの様子に気付くことなく話しを続けていく。この森に薬草を取りに来たミア達は、森のもう少し奥で霧に飲まれ、ゴブリンの群れに襲われた。ゴブリンから逃げる途中にバラバラになり、ミアは泉を目指してここにまで逃げて来たという。人の好いマーティンは結局すべての話を黙って聞いていた。
「グス! 私は…… 仲間を…… 助けに…… 行かないと…… ヒック…… うわーーーん」
ミアは鼻をすすり言葉に詰まって最後は大きな声で泣き出した。顔を空に向け肩を震わせながら、ミアは涙を流しわんわん泣いている。マーティンは聞き飽きたというような顔をする。そう彼にしてみればこんなことはよくある話なのだ。配達に行ったら魔物に依頼人が、食われたり殺されてたりするのは…… だから出前チケットが光り、依頼人の状況を教えるようになるように改良されたのだ。
「ヒック。ヒック……」
泣き続けるミアをマーティンは少し冷めた目で見ていた。
仲間を失って泣き叫ぶ冒険者、こんな光景を彼は何度も見てきた。いまさら泣く冒険者を見ても、マーティンは同情する気もおきない…… はずだった。
「あぁ! ちきしょう! なんなんだよ」
普段のマーティンなら強引に出前チケットを、奪って逃げてやるところだが、ミアにはどうしてもそんな気がおきなかった。むしろ彼女を助けてやらなきゃという気持ちが、なぜだがマーティンに沸いて来ていた。
「チッ…… しょうがねえ」
「えっ!? なんですか?」
ミアの両肩をつかみマーティンは、彼女の顔をジッと見る。驚いて顔を赤くしてミアは視線をそらした。
「君の仲間を助けに行ったら料理を受け取るか?」
「へっ!? はっはい……」
マーティンを見つめ間の抜けた返事をするミア、彼は笑って小さくうなずいた。
「じゃあ行くぞ。ついて来い」
指でマーティンは、優しくミアの涙を拭い、頭を撫で精一杯の作り笑いをした。泣き止んだ彼女に向かってマーティンは森の奥へを指して先に歩き出す。
「はぁ…… 俺はなんでこんな無駄なことを…… なんだ!? どうした!?」
パンという頬を叩く音がした、振り返ると少し頬を赤くしたミアが、慌ててマーティンの後をついてくるのであった。ミアを助けた場所から数分も歩くと、再び周囲に霧が立ち込めていき視界が悪くなっていく。周囲は静かで立ち込める霧の向こうはほとんど見えないが、マーティンの肌には殺気立った気配が伝わって来る。ミア達が襲われた場所に近づいて来たようだ。マーティンは振り返りミアに声をかける。
「助ける仲間は三人でいいな?」
ミアは目を見開き驚いた顔で見た。仲間の人数を彼が言い当てたから驚いようだ。マーティンは彼女が何に驚いているのかすぐに察して答える。
「ここに来る前に泉で三人の配達員に会ったんだよ。だから仲間は三人だと思っただけだ」
「そうなんですね。わかりました。はい。三人です。魔法使いのリーアちゃんに剣士のリュート君に弓使いのジャンゴさんです」
ミアは心配そうに仲間のことを話し出した。
「三人は冒険者として経験が浅い…… むしろ村から出てきたばっかりだったりして」
「えっ!? どうしてわかるんですか?」
「そりゃあ。君を雇ってるからだよ。聖女フローレンスの方針で修道士は修行として日々体を鍛え魔法も会得している。その力を活かして奉仕活動の一つとして冒険者を手伝ってだろ。安価で雇える修道士を使う冒険者はケチな奴か経験の浅いやつだけだ。それに君が親しく話すということは同じくらいの若い子だろ。だったら新人に近いかなってな」
「すごい……」
ミアはまた驚き、信じられないといった顔で、ミアはマーティンを見た。マーティンは真面目な表情になりゆっくりと口を開く。彼女にもう一つ事実を伝えなければならないからだ。
「仲間の二人はすでに出前チケットが赤くなっていた…… もう死んでるぞ」
「うっ……」
ミアは足を止めて両手で口を押さえた。仲間が死んだという事実に彼女はショックを受けたようだ。チラッと横目でミアを確認したマーティン、このまま怯えて帰るとか言わないかと少し期待した。
「それなら…… わたくしがきちんと埋葬してあげないといけませんね。みなさんがゾンビさんになっちゃいます」
泣くのを我慢して肩を震わせながら前を向き、ミアは拳を握って顔の近くに持ってきた。神に仕える修道女として仕事をするという決意が彼女の顔にみなぎっていく。
「(なんだ…… 仲間が殺されてビビって、逃げ出すかもとは思ったが意外と肝が座ってるんだな。なんか懐かしいなあいつもそうだった……)」
笑いながら首を小さく横に振ってマーティンは前を向き歩き出した。歩き出してすぐに彼は振り返りミアに口を開く。
「止まれ」
「どうしたんですか?」
「静かにしろ。俺の後をゆっくりついて来い」
マーティンは小声でミアに指示を出す。彼女は黙って小さくうなずいた。真っ白な霧がかかって、かすかに見える木のそばで何かが動いたのだ。
右手を剣にかけマーティンはゆっくりと前に進む。ミアは彼から少し離れて付いてくる。幹が太く高い木が俺の目の前に近づいてきた。マーティンはいつでも剣を抜けるよう右手に少し力を込めた。
「なんだ!? 木の枝に何かが吊るされて…… うわ!? こいつはひでえ……」
ミアがマーティンに続いて来ようとする。彼は振り返り彼女に叫んだ。
「止まれ! 見ないほうが良い」
「大丈夫です。私も覚悟が…… ヒィィィィ!!!!!?」
「あっ!? もう……」
マーティンの横に立ったミアが悲鳴をあげた。二人の前に木には、首に縄をつけられた上半身裸の男二人の亡骸が吊るされていた。二人は体中が傷だらけで、顔は腫れ上がり赤く目が飛び出しそうに前に出て、腹は破られ内臓が飛び出し、鳥か魔物にでもついばまれたのかぐちゃぐちゃになっていた。ミアは顔から血の気が引いてしゃがんだ。
「オエエエエエエーーーー!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!」
木の根元に向かってミアは勢いよく吐いた。びちゃびちゃを言う音が森に響く。教会では葬儀を行うが、その際には死体には綺麗に死化粧を施す。ミアは放置された死体を見慣れてなくほぼ初めて目にしたのだ。マーティンはミアの横にしゃがんで彼女の背中をさする。
「まったく何が埋葬してあげるだ。だらしねえな。って!? おい!」
ミアはマーティンの手をどけて黙って立ち上がり、服の裾を両手ではたいてこちらを向く。ミアは頬を赤くして必死に答える。
「わっわざとですよ…… お腹を空っぽにしたのでこれでもう吐きません! 早くリュート君とジャンゴさんを下ろしてあげましょう!」
「はいはい。まったく素直じゃねえな」
「ほっほんとですよ!!!」
頬をプクっと膨らませるミアにマーティンは微笑んだ。彼女の行動が昔の知り合いに似ていたのだ。ミアは腕をまくり死体に向かって歩いて行く。しかし…… 霧の奥から殺気をまとった集団の気配をマーティンは感じ取った。
「チッ! ミア! 下ろすのは後回しだ。こっちに来い」
「えっ!?」
マーティンはミアの手を掴み、彼女を自分のそばへ引き寄せた。引っ張られてよろめきながら、こちら来た彼女をマーティンは背中へ隠す。
少しして霧が立ち込める木々の間から、百体を超えるゴブリン達が姿を表す。手には剣や斧などの武器を持ってる。ゴブリン達の武器には拭いきれない、リュートとジャンゴの血が付着していた。ゴブリン達はマーティンとミアの前へ進んでくる。二人を取り囲むゴブリンが醜く笑う。背中に隠したミアがマーティンの背中に触れる。彼女は恐怖で激しく震えている。背中を向いたマーティンはおびえるミアに声をかける。
「ミア、動くなよ! ここでじっとしてろ!」
「えっえっ!? でっでも…… 一人じゃ……」
「心配するな。すぐに終わる」
恐怖で声を震わせるミアにマーティンは微笑むと剣に手をかけた。ジッとゴブリンが並ぶ隊列を見た彼が足を踏み出すと、あっという間にゴブリン達の間をすり抜けて彼の背後へと回った。
獣革を着たゴブリンの小さな背中に、狙いを定めて右手に意識を集中し剣を抜く。
「よっと」
剣を抜く同時にマーティンは、最後尾に居た一匹のゴブリンの背中を斬りつける。マーティンの剣はゴブリンの背中に左脇腹から右肩に向かって切り裂いた。背中から血が滴るよりも早く、背中にできた傷から周囲に白い霜ができて瞬く間に全身にまわりゴブリンが凍りく。斬られたゴブリンとほぼ同時に周囲に居たゴブリンも次々と凍りついていく。真っ白に霜がおりゴブリン達は凍りつき醜い顔をさらすのだった。
「じゃあな」
マーティンは剣先で凍った、斬ったゴブリンを軽くつつく。ピキッと言う音がして亀裂が走っていく。亀裂はゴブリン全員に広がっていき、ガラスが割れるような甲高い音がしてゴブリン達は粉々に砕かれた。
小さい粒となったゴブリンは地面に散らばり、雪が降り始めた時のように地面を薄っすらと白く染めていた。
「はい。終わり」
剣を鞘に納めながらマーティンはミアの前に戻ってきた。
「すごい…… あなたは一体……」
地面に散らばったゴブリン達を見つめミアがつぶやく。
「俺は…… そんなの決まってるだろ。君に出前を届けに来たただの配達員だ」
「えっ!? でも……」
「余計な詮索はするな。今は仲間を助けるんだろ?」
声を低くしてマーティンは、ミアの言葉を遮り問いかけた。彼の問いかけにミアは黙って、少し考えてからニコッと笑って口を開く。
「そうですね。リュートくんとジャンゴさんを下ろすのを手伝ってください」
「あぁ。わかった。でも…… まだもう少し待っててくれ」
「えっ!?」
視線を森の奥へと向けるマーティン。視線の先は白い霧が森の木々の間に立ち込めている光景だった。直後に足音がし、森の向こうから、巨大な何かが歩いて来た。
「来たな……」
白い霧に大きな人影が映りミアが身構える。白い霧の中からゆっくりと三メートルは、あろうかという大きなゴブリンが二人の前に姿を表した。
大きなゴブリンは左手に木の大きな棍棒を持ち、革でできた粗末な服を着ていた。この大きなゴブリンは群れのリーダーであるゴブリンボスだ。普通のゴブリンは集団ではやっかいだが、個体では子供でも追い払えるくらい脆弱だ。だが、ゴブリンボスは個体でも強く、経験豊富な冒険者でも苦戦することもある。
「うん!? あれは……」
ゴブリンボスは右手に茶色の髪をした女性を抱えていた。
「リッリーアちゃん…… ひどい……」
抱えられている女性がミアの最後の仲間だった。ゴブリンボスはマーティン達と目が合うと、リーアを乱雑に地面に投げ捨てた。気を失ってるかリーアは地面に叩きつけられ転がる。
地面に投げ出されたリーアは、服は乱暴に破かれ下半身は露出していた。太ももから足にかけて垂れる血と、ゴブリンの体液が彼女に訪れた不幸を物語っていた。ゴブリンはメスが居ないから、繁殖するためには他種族のメスを利用するしかない。人間がゴブリンに捕まり男が餌に女は繁殖に利用されるなんてのはよくあることだった。リーアも死んではないだろうが心まではわからない。
「うががががあああああああああああああああああああーーー!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!」
叫び声をあげながら、ゴブリンボスが左手に持った棍棒を振り上げる。
「じゃあさっさと片付けてくるわ」
「えっ!?」
マーティンはミアに声をかけて走り出した。同時に二人に向かってゴブリンボスも駆け出した。
「悪いな…… 俺はお前の相手をゆっくりしてる時間はないんだよ! なんせ次の配達の予定があるんだからな」
ゴブリンボスとすれ違いマーティンは背後に回り込んだ。大きな巨体を支える、緑色の皮膚がボコボコして汚い太ももに向けてマーティンは剣で斬りつけようとした。だが、ゴブリンボスはすぐに振り返り、彼に向かって渾身の力を込めて棍棒を振り下ろしした。
「ほう…… 反応できたか。偉い偉い。さすがゴブリンのリーダーだ。褒めてやるよ。じゃあもう一段だけ神速移動のスピードを上げてやるよ」
ニヤリと笑ったマーティンは足に力をいれ強い力で地面を蹴って飛び上がった。振り下ろされる棍棒の横を、通り過ぎてマーティンはゴブリンボスの首の後ろへとやってきた。神速移動とはマーティンが神から授かった特殊能力で、素早く目にも止まらない速さで動ける移動術のことだ。彼は神速移動を使ってこの世界を生き抜いてきたのだ。
「永遠の氷に囚われるがいい……」
右手にもった剣でマーティンは、ゴブリンボスの首を横に斬りつけた。硬い感触が右手に伝わったが強引に剣を振り抜いた。ゴブリンボスの首が一メートルほどパックリと割れる。斬りつけた直後から、ゴブリンボスの首の傷口から氷が湧き出してゴブリンボスを包んでいく。あっというまにゴブリンボスは氷に飲まれていった。
「終わったか」
マーティンは静かに地面へと着地した。周囲から霧が晴れていく。ミアの元へ戻るために彼は剣をさやに収めて歩き出す。振り返り見上げると氷漬けになった、ゴブリンボスが恨みがましい表情を浮かべている。
「リーアちゃん!」
ミアがリーアに向かって駆け出した。横たわる彼女にミアは自分の上着を脱ぎかけて泣きながら抱きしめていた。マーティンはミアの後を追いかけてリーアの元へ。
「ひどい…… どうしてこんなことを……」
リーアを抱きしめミアは、しばらくの間彼女の体を優しくさすっていた。マーティンは黙ってその様子を見ていた。リュートとジャンゴは町に、遺体を持ち帰り埋葬することになるだろう。リーアは教会が保護して、人里離れた療養所に送られ堕胎などの適正な処置を施される。彼女の精神が耐えられるか次第だが、新たな名前を与えられ生まれ変わって生きていくことになるだろう。
「うん!? あぁ。救助か……」
たくさんの人の気配を感じたマーティン。さっきはなく魔物ではない気配だ。泉に居た配達員からの連絡で町から救助が来たようだ。後の処理は救助に任せようとマーティンはミアに声をかける。
「ミア。救助隊が来た。後はそいつらに任せるから俺はそろそろ……」
こちらを振り返りミアは涙を指で拭った。
「はっはい。最後にリュートくんとジャンゴさんを下ろすのだけ手伝ってください」
ミアは必死に笑顔を作ってマーティンに答える。マーティンはうなずいて彼女に答え、木に吊るされたリュート達を下ろすミアを手伝った。ミアは白い布で死体をつつんで祈りを捧げる。ひざまずき二体の死体の前で祈りを捧げるミアを、マーティンは少し離れたところから見ていた。
「どうした?」
祈りを終えたミアが振り返り、笑顔でポケットに手を突っ込んだ。
「マーティンさん! あの…… これ…… 約束ですから」
「おぉ! まいどあり」
ミアはポケットから、出前チケットをだしてマーティンに渡した。マーティンはミアに料理が入った鞄を渡した。マーティンは店の名前は言ったが彼の名前は伝えていない。しかし、ミアは彼の名前を知っているようだった。配達が終わった安堵感で、そのことにマーティンは気づかずに、チケットを料理を渡したらすぐに町へと戻るのだった。




