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5.歩みよるために

 たっぷりと時間をかけて身繕いを終えたリヴィは、ドリスの勧めによりある人物と会うことになった。その人物の名前はヴィクトール、バルナベット家に仕える使用人の1人だ。

 屋敷の廊下をのんびりと歩きながら、リヴィはドリスに尋ねた。

 

「バルナベット家には、どれくらいの数の使用人がいらっしゃるのでしょう」


 すぐにドリスは答えた。

 

「全部で50名ほどです。そのうち20名ほどが屋敷で働いております」

「20名……? では残りの30名はどこに?」

「国内各地に散らばり、様々な任務をこなしています。例えば暗殺ターゲットの身辺調査、変装に必要な衣服の調達、国政に関する最新情報を入手したり、貴族間の力関係を調査するのも彼らの仕事です。円滑な暗殺遂行のためには、生きた情報が欠かせませんから」


 淡々と返される答えに、リヴィは背筋に汗が流れるのを感じた。

 

「あ、暗殺というのも大変なんですね……」


 そんなやり取りをしながら2人がたどり着いた場所は、屋敷の片隅に位置する古びた扉の前だ。ドリスによればそ扉の向こう側は古今東西の書物を収める書庫で、ヴィクトールはそこに滞在していることが多いのだという。

 ドリスの手が扉を開ける。

 ぎぎ、と鈍い音がする。


 扉の向こう側はたくさんの本であふれ返っていた。背の高い本棚にはてっぺんまでギッシリと本が詰め込まれ、それでも入りきらなかった本は床の上に山積みとなっている。まるで本の森だ。


(すごい数の本……バルナベット家の方々は読書がお好きなのかしら)


 そんなことを考えながら、リヴィはきょろきょろと視線を動かした。この書庫にいるはずだというヴィクトールの姿が見当たらなかったからだ。

 リヴィかヴィクトールを見つけるよりも早く、ドリスは颯爽と書庫の中に歩みいり、そして不機嫌交じりに言い放った。


「ヴィクトール、またそんな所で本を読んでいたんですか。きちんと椅子に座らないと腰を痛めますよ」


 ドリスの視線の先を見て、リヴィは思わず声をあげそうになった。床に積まれた無数の本にうずもれるようにして、男性が1人座り込んでいたからだ。

 長く伸びた髪を襟首で結わえ、左目には古びたモノクル。膝の上には分厚い本を開いている。リヴィよりは年上と思われるが、正確な年齢はわからない。彼がヴィクトールだ。

 本に埋もれたヴィクトールは、ドリスの睥睨(へいげい)を受けてひどく軽い調子で言った。

 

「椅子に座ろうという気持ちはあるんだよ。でも色んな本に手を付けていると、だんだん椅子まで戻るのが面倒くさくなっちゃってさ。ドリスもそういうこと、あるだろ?」

「いえ、ありませんね」


 ばっさりと切り捨てるドリス。開いた本にしおりを挟みながら、ヴィクトールは苦笑いだ。


(な、何だかとても変わった人物だわ……本当に力になってもらえるかしら……)


 いまだ床に座り込んだままのヴィクトールを見て、リヴィは途端に不安を覚えた。

 ふいにヴィクトールが立ち上がった。衣服についたほこりを払い落とし、モノクルを引き上げ、披露するは洗練されたボウ・アンド・カーテシー。本に埋もれた書庫が、一瞬優美なダンスパーティーの会場に見えた。


「お初にお目にかかります、リヴィ・キャンベル様。私はヴィクトールと申します。以後お見知りおきを」


 ヴィクトールはリヴィの右手をすくい上げると、手の甲に軽いキスを落とした。

 リヴィはヴィクトールの変貌にドギマギとしながらも、辛うじて「よろしくお願いします」とだけ答えた。


 床に散らばった本を丁寧に詰みなおしながらドリスが言った。


「ヴィクトール。クラウス様からリヴィ様に関するお話は聞いていますか?」

「大体のことは聞いているとも。アシェル様の結婚候補者なんだろう。髪と目が呪われているとか何とかで、キャンベル家では随分つらい目にあってきたんだとか?」


 ヴィクトールの答えを聞き、ドリスは満足そうだ。

 

「そこまで知っているのなら話は早いですね。リヴィ様はご家族からの冷遇により、長く社交の機会を奪われておりました。そこでヴィクトール、ぜひリヴィ様の花嫁教育を請け負ってはいただけないでしょうか?」


 ドリスの頼みに、ヴィクトールはぱちぱちと目を瞬かせた。

 

 これがリヴィとドリスが揃ってヴィクトールの元を訪れた理由だ。ヴィクトールはバルナベット家の使用人の1人であり、新人使用人に対するマナー教育を主な仕事としている。貴族界のマナーや礼節に関して言えば、屋敷の中でヴィクトールの右に出る者はいない。

 そして7歳のときに屋根裏部屋へ閉じ込められたリヴィは、貴族としての礼節などほとんど身についていない。今のままではバルナベット家の一員として認められるはずもない。

 

 マナー初心者のリヴィと、マナー教育のプロであるヴィクトール。リヴィが教えを乞う人物としてヴィクトール以上の適任はいないということだ。

 リヴィは遠慮がちに肩を丸め、ヴィクトールを見た。


「ヴィクトール……さん。仕事の空き時間で構いませんから、お願いできないでしょうか。アシェル様に見捨てられたら、私にはもう帰る場所がないんです……」


 リヴィの言葉を、ヴィクトールは冗談だとは捉えなかったようだ。モノクルの向こう側でヴィクトールの瞳は優しく笑った。


「そういう事情でしたら喜んで協力いたしますよ、リヴィ様」


 ***


 ヴィクトールが選んだ指導場所は、使用人教育に使用するのだという大部屋だ。屋敷の玄関口から比較的近い場所にあり、簡素な内装でがらりと広い。バルナベット家へとやって来た新人使用人は、この場所でマナー・礼節の一切を叩き込まれることとなる。

 

 ヴィクトールの教えは的確で、そしてわかりやすかった。リヴィも生徒として優秀で、教えられたことはすぐに飲み込んでみせた。

 貴族同士の挨拶の仕方、優雅に見える歩き方、会話時のマナー。想像以上の速さで指導は進み、ヴィクトールは満足そうだ。


「リヴィ様は優秀な生徒ですね。私の教えを素直に飲み込んでくださるのが良い。マリエラ様よりもよほど教えがいがありますよ」

「マリエラ様……とは?」

「アシェル様の妹君です。御年11を迎えられたばかりのバルナベット家の末娘ですね。週に2度、私がマナー教育を担当させていただいております」


 リヴィはほう、と息を吐いた。

 

「アシェル様にはごきょうだいがいらっしゃるんですね……」

「バルナベット家は3きょうだいです。21歳のアシェル様がご長男、18歳のテオ様が次男、11歳のマリエラ様が末娘」


 ヴィクトールの説明に続き、ドリスが口を開いた。リヴィの花嫁教育に際しすることのないドリスは、部屋の片隅でパラパラと本をめくっていたところだ。


「リヴィ様。もしもマリエラ様にお会いすることがあれば、一言お礼をなさってください。今リヴィ様が来ているワンピースは、マリエラ様からお借りした物ですから」

「え?」


 リヴィは今着ている衣服に視線を落とした。胸元部分に赤いリボンがあしらわれた可憐なワンピース。袖丈とすそ丈は少し短いが、ワンピースはリヴィの身体にぴったりと合っていた。着替えどころが手荷物ひとつ持たず、バルナベット家へやって来たリヴィのために、今朝方ドリスが客間へ運び込んでくれた物だ。

 

 膝の上の本を閉じ、ドリスは言った。


「リヴィ様が荷物を持たずお屋敷にいらしたのは、我々としても少々予定外でした。まさかアシェル様の結婚候補者に、我々使用人の私服をお貸しするわけには参りませんし、そこで止むをえずマリエラ様に貸与を願いまして」


 今明らかになる事実に、リヴィはしおしおと小さくなった。

 

「そ、そんな事があったんですね。ご迷惑をおかけして本当にすみません……」

「リヴィ様が謝る必要などありません。悪いのは全てあの狸ジジィで……失礼いたしました」


 伯爵家当主であるリヴィの父をまさかの狸呼ばわり。ドリスの散々な物言いに、リヴィは思わず吹き出した。


(何だか胸がすっとしたわ。私は昨日から、何度もドリスに救われている……)


 ルドリッチのこぶしからリヴィを守ってくれたのはドリスだった。リヴィのために温かな食事を運んでくれたのも、リヴィの呪われた髪を梳いてくれたのもドリスだった。リヴィとヴィクトールを引き合わせてくれたのもまたドリスだ。

 

 アシェルを含むバルナベット家の人々は、リヴィを次期当主の妻として認めていない。リヴィにとっては四面楚歌の状況だ。

 けれどもたった1人の味方がそばにいてくれることが、ドリスが隣にいてくれることが、今のリヴィにとってどれだけ有難いことか。


 温かな気持ちでドリスを見つめるリヴィの横顔に、ヴィクトールの視線と声があたった。


「リヴィ様は、私の想像よりもはるかに酷い仕打ちを受けておられたようだ。11歳のマリエラ様と同じ衣服を着られるなど、並大抵の痩せ方ではありませんよ。娘にまともな食事も与えないなど、キャンベル候は何を考えておられたのか」


 リヴィは静かにヴィクトールを見た。

 

「お父様は私を憎んでいるんです。私が呪われているとわかってから、キャンベル家は重要な取引先をいくつも失ってしまいましたし、一族にとって重要な縁談もふいにしてしまいました」

「ほう。重要な縁談をふいに?」


 リヴィの縁談話に、ヴィクトールは興味を示したようだ。

 

「はい。私は元々アンデルバール王国第3王子、オスカー殿下の婚約者だったんです。とはいっても婚約者だった期間はほんの半年程度ですけれど」

「ということは婚約者になった半年後に、リヴィ様は『厄憑き娘』の汚名を?」

「そうです。王族とのつながりを持つことはお父様の悲願でしたから、王族側から婚約破棄を突き付けられたとき、お父様は目も当てられないくらいに落ち込んでいて……」


 婚約破棄の文を受け取り、わなわなとこぶしを震わせるルドリッチの姿が、リヴィの脳裏にありありと思い出された。

 

 占星術師がリヴィに押し付けた『厄憑き娘』の烙印は、キャンベル家の運命をことごとく変えてしまった。もしあの予言さえなければ、リヴィは王家の婚約者として、ルドリッチは王族とのつながりを持つ大貴族の当主として、何不自由ない生活を送っていたというのに。

 永遠に失われた未来を想い、干渉にひたるリヴィの目の前で、ドリスとヴィクトールが雑談を繰り広げていた。

 

「オスカー殿下といえば、最近正式に婚約を発表されましたよね」

「ああ。お相手の令嬢はレスター家の長女だろう。名前は……何だったかな?」

「確かエマ……エミールだったでしょうか?」


 ドリスの声を聞き、リヴィは懐かしい顔を思い出す。

 それはもう2度と会うことは叶わないかもしれない、たった1人の友の顔だ。


(エミーリエ、元気にしているかしら。一言お別れを言いたかった……)

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