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4.銀髪の使用人

 太陽の匂いがする布団の中でリヴィは目覚めた。

 屋敷の東側に位置する客間には、まぶしいばかりの朝日が射しこんでいる。


 リヴィが布団の中で眠気眼をこすっていると、少し離れたところからドリスの声がした。


「おはようございます。リヴィ様」


 リヴィはベッドから身体を起こし、その声のした方を見やった。客間の片隅に立つドリスは、数枚のワンピースを衣類かけに掛けているところであった。


「おはようございます、ドリス。すみません……私、夕食もとらずに眠ってしまったみたいで」

「長旅でお疲れだったのでしょう。すぐに朝食をお持ちいたします」


 ドリスは速足で部屋の扉へと向かって行く。リヴィは申し訳なさそうに声をすぼめた。

 

「あ、ありがとうございます。でも私、先に身体を洗った方がいいかなって……」


 昨晩のリヴィは、ドリスが入浴の準備をしてくれている間に眠りへ落ちてしまった。髪にはほこりが絡みついたままであるし、手足はくすんで汚れたまま、衣服はカビ臭いワンピースのままだ。

 食事の前に身体を洗わなければと、リヴィはもそもそとベッドから下りた。しかしそんなリヴィを一瞥し、ドリスはきっぱりと言い放った。


「水も食事もとらずに湯船に浸かるのはお勧めできません。浴槽に湯を張るにも時間がかかりますから、どうぞ先に朝食をおとりください」


 リヴィの返事をするよりも先に、ドリスはさっさと部屋を出て行った。


 再び客間へと戻ってきたドリスは、大きなお盆にいっぱいの料理を抱えていた。山盛りのパンに具だくさんのスープ、たっぷりとドレッシングがかかったサラダに、朝食には不似合いな分厚いステーキ、それから数種類のフルーツ。

 1人分の朝食とはとうてい思えない料理を前に、リヴィは「うっ」とうめき声を零した。


「ドリス……私、こんなにたくさんは食べられません……」

「詰め込めるだけ詰め込んでください。リヴィ様は痩せすぎです。昨晩ベッドにお運びしたときは、赤子を抱き上げたのかと思いました」


 リヴィは「えっ」と戸惑いの声を上げた。

 

「そういえば私、昨晩はソファで……ドリスがベッドまで運んでくれたんですか?」


 ドリスはこくりと頷いた。

 リヴィは途端に体温が上がるのを感じた。


(ソファで寝落ちしてしまっただけではなく、他人にベッドまで運んでもらうだなんて……まるで小さな子どものようだわ)

 

 しかしドリスはリヴィの赤面など気にかけた様子もなく、着々と朝食の準備を進めていく。


「まずはスープからお召し上がりください。いきなり油物を召し上がっては胃袋がびっくりしてしまいます。シェフにお願いして、ステーキはできるだけ柔らかく焼き上げております。全部とは言いませんが極力たくさん召し上がってください。パンにはたっぷりとジャムをつけるのがよろしいでしょう。フルーツも栄養価の高そうな物を選んでまいりました」


 ドリスの早口に圧倒され、リヴィはこくこくとうなずいた。

 

「わ、わかりました。頑張って食べます……」


 椅子に腰かけたリヴィは、そろそろとスプーンを持ち上げる。目の前には3人前はあろうかという豪勢な朝食、食べ切ることなど到底できそうにない。

 けれどもできるだけ頑張って食べようと思った。屋根裏部屋で暮らしていた頃、リヴィに与えられる食事は残飯のような物ばかりであった。リヴィの健康や体調を気づかってくれる人など誰1人としていなかった。


(自分のために作られる食事があるというのは、こんなにも嬉しいことなのね……)

 

 鼻の奥につんと込み上げるものを感じながら、リヴィは温かなスープを一さじ口に運んだ。


 ドリスの気づかいに感謝を覚えながらも、結局料理の1/4も食べ切ることができず、リヴィは音を上げる羽目となった。

 リヴィが空にできた皿は、最初に手を付けたスープの皿だけ。あとはパンを2つとステーキを2切れいただいただけだ。サラだとフルーツに至っては手つかずのままである。

 それでもリヴィの食事風景を眺めていたドリスは満足そうだ。


「リヴィ様の食事量は把握いたしました。次回からは食べ切れる分量でお持ちしますので、どうぞご安心ください」


 食器を片付けるドリスを眺めながら、リヴィはほっとした表情で腹をさすった。


(よかった。毎回この量の食事を持ち込まれたのでは、いつか胃袋がはち切れてしまうわ……)


 少し身体を休めた後、リヴィはドリスに連れられて屋敷の浴室へと向かった。

 おっかなびっくり立ち入ったバルナベット家の浴室は、伯爵家であるキャンベル家のそれよりもはるかに豪華であった。大理石づくりの床と壁に、金色の蛇口からとぽとぽと湯を注がれる猫足バスタブ。少し高いところに設けられた大窓の向こう側では、深緑の木々がさわさわと枝を揺らしていた。

 

 リヴィは浴室の豪華さに恐れおののきながらも、わざわざ準備をしてもらった以上カラスの行水で済ませることもできず、1時間以上もしっぽりと湯に浸かり込むこととなった。

 

 ***


「ドリスは、私のことが怖くはありませんか?」


 リヴィの問いかけに、ドリスははてと首を傾げた。

 

「怖い? なぜ私がリヴィ様を怖がるのです」

「私が呪われているから……です。キャンベル家の者たちは、私と会話をすることすら嫌がりました。でもドリスは、私を普通の人間として扱ってくださいます」


 ドリスは答えを探すように黙り込んだ。

 豪華な浴室での入浴を心ゆくまで堪能したリヴィは、ドリスとともに客間へと戻った。椅子に腰かけ、ドリスに濡れた髪をぬぐわれながら、ふと頭に湧いた疑問を投げかけたところだ。

 

 ドリスが平気でリヴィの『呪われた髪』に触れるものだから。呪われることが怖くはないのだろうかと不思議に思ったのだ。

 ドリスはリヴィの表情をうかがうように答えた。


「怖くない、と言えば嘘になるかもしれません。もしもリヴィ様が本当に他者を呪う力をお持ちなのであれば、真っ先に呪いを受けるのはこの私。ふと恐ろしくなる瞬間があることは事実です」

「そう……」

 

 柔らかなタオルで長い髪を拭われながら、リヴィはしょんぼりと項垂(うなだ)れた。

 部屋の中はしばし沈黙となり、とんとんとタオルが髪を叩く音だけが響いた。


(悲しむことなんてない……怖がられるのは当然だもの。こうしてそばにいてくれるだけで感謝しないと)


 リヴィは小さく息を吐き、顔を上げた。リヴィの目の前には大きな鏡がある。客間に泊まった客人が身繕いをするための鏡だ。

 鏡越しに見たドリスの顔は、なぜかうっすらと微笑みを浮かべていた。


「そう、私はリヴィ様が怖い。けれどもそれ以上に楽しみで仕方がない。もしもリヴィ様が本当に呪いの力をお持ちなのであれば、その呪いが私の身に降りかかったとすれば、バルナベット家の人々はリヴィ様を『次期当主の妻としてふさわしい人物である』と認めざるをえない」


 ドリスの言ったことが理解できず、リヴィは低い声で尋ねた。

 

「それは……どういう意味でしょう?」


 微笑を浮かべたドリスは、今度はくしを用いてリヴィの髪を梳いた。ひとふさひとふさ丁寧に。呪いの源と言われたルビーレッドの髪を愛おしむように。


「バルナベット家の家業は依頼を受けて人を殺すこと。けれども、何もバルナベット家はアンデルバール王国の法の外側にいるわけではありません。人を殺せば法の下で裁かれる。ではなぜバルナベット家の人々は、裁きを受けることなく安穏と暮らしているのか。なぜだかわかりますか?」

「えっと……」


 リヴィは必死に考えるが、ドリスの質問の答えに行きつくことはできなかった。

 ドリスはリヴィの髪を梳きながら楽しげに語り続けた。


「簡単なことです。バルナベット家の人々は、人を殺したときに決して証拠を残さない。自殺か事故か殺人か、それすらもわからないように上手く殺すんです。だからアンデルバール王国の法ではバルナベット家を裁くことはできない。だって彼らが本当に人を殺しているという証拠などないのだから」


 そう言われてしまえば、確かにそれだけのことなのかもしれない。けれどもドリスの説明に疑問を感じ、リヴィははっきりとした口調で尋ねた。


「でもバルナベット家は、暗殺一族として王国中の人々に知られています。彼らがそれだけの数の依頼を受けて、仕事をこなしているということでしょう。その気になれば証拠などなくとも、依頼者の証言だけでバルナベット家を裁くことはできるのではないですか?」

「依頼者は何も語りません。金の力で人を殺そうとすれば、その刃はいつか自分に返ってきます。だから皆、バルナベット家に殺人依頼を出したことを他人に明かそうとはしない」


 リヴィは数度まばたきしてから呟いた。

 

「……そういう事だったんですね」


 鏡の中では、ドリスがリヴィの髪に香油を塗りこめているところだ。丁寧に手入れをされたルビーレッドの髪は艶々と宝石のような輝きを放っている。日に焼けず真っ白な肌と、枯れ木のように細い手足も相まって、鏡の中のリヴィは精巧に作られた西洋人形のようだ。

 また1滴、手のひらに香油を垂らしドリスは語り続ける。

 

「証拠を残さずに人を殺すのは大変です。ターゲットの素性によっては、殺人計画を練り上げるだけで数か月かかる場合もある。しかしもしリヴィ様に他者を呪う力があるのであれば。そばにいるだけでその者を傷つけ、ときに殺す力があるのだとすれば。暗殺一族にとってこれ以上魅力的な力はありません」


 ドリスの恍惚とした声を聞きながら、リヴィはふいに恐怖を覚えた。

 厄憑き娘と呼ばれ、10年ものあいだ屋根裏部屋での生活を余儀なくされたリヴィ。血の繋がった家族ですら必要以上にリヴィと近づこうとはしなかった。呪いの力が不確かなものであるにも関わらず、だ。


 けれどもこのドリスはどうだ。リヴィのことを恐れながらも、呪いを目の当たりにすることが楽しみで仕方がないという。言葉の端々から「どうぞ存分に私を呪ってくださいませ」と狂気的な意思すら感じるほどだ。


(私、とんでもないところに来てしまったみたい……)


 この屋敷の中でリヴィの常識は通用しない。そのことをひしひしと思い知らされた。

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