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45.つどい

『ねぇ、あなた。レスター家のお嬢さまの話を知ってる?』

『エミーリエお嬢さまのこと? 知らないわ、何かあったの?』

『2か月くらいまえに王家主催の夜会があったでしょう。その夜会の最中に気が触れてしまったんですって。夜会の明朝、時計塔に1人でいるところを発見されたらしいわ』

『気が触れた? 一体何があったのかしら』

『さぁ……それが分からないのよ。でもエミーリエお嬢さまは、その日からずっと「ごめんなさい、ごめんなさい」と繰り返しているらしいわ。だから過去に何か悪いことをして、そのことが原因で祟られたんじゃないかって噂よ』

『へぇ……そんなことが起こっていたの。それでエミーリエお嬢さまは、回復される見込みはあるの?』

『今のところないらしいわよ。何人ものお医者様が手を尽くしても駄目で、意志疎通はできず、1人では食事もままならないんですって。だから王家の側も、オスカー殿下とエミーリエお嬢さまの婚約はじきに解消するつもりらしいわ』

『そう……人の人生とはわからないものね。そういえばオスカー殿下は、過去にも一度どなたかとの婚約を解消していなかった? もうずっと昔のことだけれど』

『確かにそんなことがあったわねぇ。お相手のご令嬢は確か……』


 ダークブラウンで統一された小綺麗な部屋に、数十人に及ぶ人々が集まっていた。ここはブリックヘイブンの街の片隅にある、とある小さな教会の一室だ。男性の多くはきっかりとした燕尾服を身に着け、女性は華やかで色とりどりのドレス。部屋の一角で提供されるシャンパンを楽しみながら、談笑に花を咲かせている。彼らは今日という良き日を祝うために、王国各地からこの場所へと集まった。

 

 熱心な井戸端会議を続ける婦人たちのそばに、クラウスとフローレンスの姿があった。クラウスは終始ご機嫌でシャンパンのグラスを傾け、一方のフローレンスは退屈そうに婦人たちの井戸端会議に耳を澄ませている。

 室内の多くの人々が遠巻きにクラウスとフローレンスの様子をうかがう中、果敢にも彼らに話しかけようとする者があった。


「クラウス殿。少しお時間、よろしいか?」


 突然の訪問客の姿かたちを、クラウスは上から下までしげしげと眺めた。


「貴殿は……ルドリッチ殿とおっしゃったか。キャンベル家当主の」

「ああ、覚えていていただけたとは嬉しい限りだ。まさかこうして再びお会いする日が来るなど夢にも思わなんだ」


 ルドリッチはからからと声をあげて笑った。ルドリッチとクラウスが顔を合わせて話をするのは、リヴィの暗殺依頼が出されたとき以来のことだ。

 クラウスは社交辞令の笑みを浮かべ、話題を振った。


「貴殿の領地からブリックヘイブンの街まではかなりの距離があっただろう。道中何も問題はなく?」

「問題、という問題はございませんでしたな。座りどおしで尻が痛いと、息子たちが少々ごねたぐらいだ」

「ああ、家族みなでいらしたのか。それはご苦労なことだ」


 それから先も、ルドリッチとクラウスは特段中身のない会話を続けた。人知れずあくびを噛み殺したフローレンスが、退屈そうに2人の元を立ち去った。元より自由奔放な性格のフローレンスだ。例え相手がリヴィの父親であったとしても、積極的に仲を深めるつもりなどないのだ。

 2人きりとなった会話の場で、ふいにルドリッチが声を潜めた。


「ときにクラウス殿。私はバルナベット家の皆さまとは末永く良い関係を築きたいと考えている。こうして良き日を迎えたところであるし、今後は随所で協力を惜しまずに――」

「お、クラウスさん。お久しぶりぃ」


 ルドリッチの真面目な声を、気の抜けた声がさえぎった。声の主はジーンだ。クラウスは声の調子を明るくして答えた。


「ああ、ジーンじゃないか。久しぶりだな。以前、仕事の話でお宅にお邪魔したとき以前か?」

「多分そうっすね。アシェルにはその後も何度か会ってるんですけど」


 軽い調子で話すジーンは、白いワイシャツにダークグレーのベストを身に着けただけの軽装だ。部屋の中にはきっかりとした燕尾服を着込む男性が多いものだから、図らずして人の視線を集めてしまう。会話の相手がバルナベット家の当主であるクラウスとなれば尚更だ。

 ひしひしと注がれる人々の視線を気にもかけず、クラウスとジーンの会話は続く。


「父君と母君もいらしているのか?」

「いえ、今日は俺1人ですよ」

「そうか、仕事が立て込んでいるのか」

「仕事はそんなに忙しくないんですけどね。招待状も貰っていない身で、大人数でおしかけるのはまずいかと思って」


 ジーンがやはり軽い調子で言えば、クラウスは眉をひそめた。


「……まさかアシェルの奴、ロペス家には招待状を送らなかったのか」

「あ、その件に関しては気にしないでください。うちの両親にも事情は説明してあるんで。俺が可愛い婚約者ちゃんに失礼働いちゃったもんだから、アシェルとはプチ絶縁状態なんですよ。ま、俺は招待状なんかなくても勝手に来ましたけど」


 クラウスは少しの間考え込み、思い当たる節を見つけたようだった。しかしさして気にした様子を見せずに言った。

 

「それにしてもすまなかったな。後日改めて謝罪に伺うことにする。アシェルとリヴィも連れて」

「それ良いですね。うちの親父、最近手応えのない仕事ばかりだとしょぼくれてるんですよ。クラウスさん、愚痴でも聞いてやってください」


 ジーンの言葉に朗らかな笑い声を返したあと、クラウスは部屋の中を見回した。そしてジーンに申し訳なさそうな表情を向けた。


「会話の途中ですまんが、フローレンスの姿が見えないから探してくる。興味もないイベントに参加させられるものだから、朝から機嫌が良くないんだ。放っておくと勝手に屋敷へ帰りかねない」

「どーぞどーぞ。じゃ、また後ほど」

「ああ、またな」


 クラウスが軽い足取りで会話の場を立ち去った後、ジーンににじり寄る者がいた。ルドリッチだ。クラウスの会話相手をすっかり奪われてしまったルドリッチは、不機嫌を隠そうともせずに言った。


「君はどこの家の者だね」


 ジーンは飄々とした調子で答えた。

 

「あれ、クラウスさんとの話、聞いてなかった? ロペス家の者だってば」

「ロペス家……聞いたことがない家名だ。新興貴族か?」

「いや、貴族じゃないけど。ちょっと金のある平民の家」

「お前は平民の分際で、貴族同士の会話に割って入るような真似をしたのか。無礼な奴め」


 ルドリッチの声には明らかな敵意が込められていた。クラウスとの会話を邪魔されたことを、心底疎ましく思っているのだ。

 ジーンはルドリッチに1歩近づき、にんまりと口の端をあげて言った。


「おっさんさぁ。リヴィがバルナベット家の一員になるってんでちょっと良い気になってるだろ。天下の暗殺一族を味方につけた気分……とでも言うのかさ。違う?」

 

 図星を突かれ、ルドリッチは言葉に詰まった。

 アンデルバール王国において、バルナベット家は王家に匹敵する知名度を持つ。人々はバルナベット家を恐れ、できれば敵に回したくないと考えている。つまりバルナベット家を味方につけることができれば、それは王家にも勝る強力な後ろ盾を得たも同然だ。ルドリッチが人目につく場所でクラウスに話しかけたことには、こうしたこずるい算段があった。

 

 にやにやと嫌味な笑いを止めないまま、ジーンは言葉を続けた。


「別に良い気になるのは構わないんだけどさ。キャンベル家の人間って、ずっとリヴィのことを虐めてたんじゃなかったっけ? つまりクラウスやアシェルにとって、アンタらは『可愛いお嫁ちゃんを虐めてた憎い相手』になるわけだ。クラウスさんに取り入ってバルナベット家を後ろ盾につけようだとか、こずるい考えは持たない方が良いんじゃねぇ?」

「貴族同士の礼節も知らない平民が、知ったような口を利くんじゃない!」


 ルドリッチの怒声は部屋の中に大きく響いた。人々は話すことを止めてルドリッチとジーンの方を見た。

 たくさんの人の視線が降り注ぐ中、ジーンはしばらく黙っていたが、やがて何でもないという調子で語り始めた。


「最近ではほとんど知ってる人もいないんだけど、ロペス家(うち)は元々貴族の家だったんだよ。それが先々代の頃に奪爵されたんだ。何でだと思う?」

「そんなもの、私の知ったことか」


 ジーンはくつくつと低い声で笑った。


「当時のアンデルバール王国宰相を惨殺したからさ。ひどい話だよな。バルナベット家だって王国の重鎮は何人も手にかけてるってのに、ちょっとやり方が違うくらいでうちだけ奪爵だ。まぁ先々代はロペス家の中でも相当イカれてたって話だから、かなり惨い殺し方をしたんだろうけどさぁ」

「あ、ああ……」


 ルドリッチの顔はみるみるうちに青くなった。ロペス家の生業を知り、ジーンが何者であるかを悟ったのだ。

 終いにはガチガチと歯の根を鳴らし始めるルドリッチに、ジーンは銀刃のナイフを突きつけた。蛇のような瞳に獰猛な光をちらつかせ、低い声で言う。

 

「おいおっさん。人殺しの経験もない凡夫の分際で、あんまりでかい顔してんじぇねぇよ。今日を過ぎたら2度とバルナベット家の周りをちょろちょろすんじぇねぇ。アシェルとリヴィに接触しようとすんのも止めろ。五体不満足で死にたくなかったらな」


 ルドリッチは「ひぃ」と情けない悲鳴をあげ、大慌てでジーンの元を立ち去った。

 

 静寂に包まれていた室内は、徐々に当初のざわめきを取り戻した。今日この場所に招待されている者たちは、懇意とまではいかずとも、多少なりともバルナベット家と付き合いのある貴族の家ばかり。血なまぐさい出来事には一定の耐性があるということだ。

 役目を終えたナイフを懐へとしまいこむジーン。渋い顔をしたテオが、背後から声をかけた。


「ジーン……祝いの席で物騒なことすんなよ……」


 ジーンは振り返り、嬉しそうに笑った。

 

「お、テオじゃん。久しぶり。そっちはもしかしてマリエラちゃん? しばらく見てないけど随分大人っぽくなったじゃん」


 テオの隣にはドレス姿のマリエラが立っていた。ジーンが無遠慮な視線を向ければ、マリエラはドレスのすそを握りしめテオの後ろへと隠れてしまう。臆病な小動物のように愛らしい。


「マリエラは恥ずかしがり屋なんだから、あまりじろじろ見るなよ」

「何でだよ。可愛いものを見ていたいと思うのは人の性だろ。そういえばお前、夜会のときも可愛子ちゃんを連れてたよな。銀色の髪のさ。あの子、誰? 今日は一緒じゃねぇの?」

「うるせ。こっちにはこっちの事情があるんだから、余計な詮索は止めろ」


 面倒な質問を一刀両断したテオは、ジーンに向けて右手を差し出した。ジーンはその右手を不思議そうに見下ろした。


「……何、この手。握手でもしてぇの?」

「違う。さっきのナイフ、俺が預かっておく」


 ジーンは不満そうに唇を尖らせた。

 

「えーなんでだよ。さすがの俺も、めでたい席でむやみと人を殺したりはしねぇよ?」

「信用できるか。リヴィの親父さんを見ろ、今にも死にそうな顔で震えてるじゃないか」


 テオが視線を送る先には、青い顔で唇を震わせるルドリッチがいた。リヴィの母と思われる人物が、心配そうな顔でルドリッチの背中をさすっている。少し離れたところにはリヴィのきょうだいと思われる少年たちが立っていて、やはり心配そうに父親の様子を伺っていた。

 すっかり大人しくなったキャンベル家一行を眺めながら、ジーンはふんと鼻を鳴らした。

 

「分不相応にいばり散らしてた糞ダヌキを黙らせただけだ。あんなのに取り入られたらバルナベット家としても迷惑だろ? 俺、結構いい仕事したと思うけど」


 テオは少し考えたあと、口元に手をあて含み笑いを零した。


「まぁ……正直かなりスカッとした。リヴィとアシェル兄にも見せてやりたかったよ」

「そうだろ? 俺から2人への結婚祝いってことにでもしといて。一度殺そうとした身でこんなことを言うのもなんだけど、俺、結構リヴィのこと気に入ってんだよね。あのくらいの異端児(ゴリラ)じゃなきゃ、アシェルの結婚相手は務まんねぇわ」


 ジーンがそう言い切ったとき、部屋の扉が大きく開かれた。扉を開けた者は、そろいの燕尾服を身に着けた2人の青年だ。青年の一方が声を高くして言った。

 

「会場の準備が整いました。参列客の皆さまは聖堂にお入りください」

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