42.お前が憎いと×××は言った
依頼者の名前は――エミーリエ・レスター。
ジーンの言葉を聞きリヴィの心臓は跳ねた。エミーリエはリヴィのたった1人の友人の名前。リヴィが屋根裏部屋に閉じ込められた後も、ルドリッチの目を盗んでは会いに来てくれた心優しい少女。オスカー・グランドと婚約し、輝かしい未来が約束された女性。そして――リヴィをこの時計塔へと呼び出した張本人でもある。
(エミーリエが私を殺そうとした……? まさか、そんな事があるはずはない……)
リヴィは困惑の表情でエミーリエを見た。リヴィと一緒に時計室へとやってきたエミーリエは、ジーンの登場以後、部屋の隅で押し黙ったままであった。それがひどく慌てた様子で口を開いた。
「違う、でたらめよ! 私は何もしていない!」
(そう、でたらめに決まっている。ジーンはこの場を逃れるためだけの嘘を吐いている……)
そう頭では考えながらも、リヴィはジーンの発言を嘘だとは決めつけられずにいた。なぜならジーンにはこの場で嘘を吐くメリットがないからだ。命の危険を冒してまで依頼者を守ろうとする矜持など、彼は持ち合わせてはいない。
ジーンは安穏と立ち上がった。赤く腫れあがった頬を手のひらで押さえ、無感情にエミーリエを見た。
「ま、悪く思わないでくれよな。任務の遂行は確約しないし、ロペス家に守秘義務は存在しない。依頼を受けたときにそう説明しただろ? 不満があるのなら、次の殺人依頼はバルナベット家に出すといーよ。うちとは違って色んなところがキッチリしてる家だからさ。その分、依頼料は馬鹿高ぇけど」
それだけのことを感情もなく言い放つと、ジーンはエミーリエに背を向けた。ズボンについた埃をぽんぽんと払い落とし、何事もなかったかのように時計室の出口へと向かっていく。
アシェルはジーンを止めなかった。カツン、カツンと螺旋階段を下りる音が聞こえ始めてもなお、エミーリエだけを見つめ佇んでいた。アシェルもリヴィと同じことを考えているのだ。ジーンにはこの場で噓を吐くメリットがない、と。
ジーンの足音がほとんど聞こえなくなった頃、アシェルは満を持して口を開いた。
「相手が素人であれば、真実を吐かせる方法は無限にある。リヴィ、貴女はどうしたい?」
リヴィの背後で、エミーリエが「ひっ」と悲鳴をあげた。涙を浮かべた2つの瞳がすがるようにリヴィを見る。やめて、尋問などさせないで、私は何も悪くないのよ。
言葉なく訴えるエミーリエを見て、リヴィは覚悟を決めた。
「私はエミーリエを信じたい。……でもそれ以上に真実が知りたい」
「……わかった」
アシェルはうなずき、先ほどジーンに向けた眼差しを今度はエミーリエに向けた。見られた者を凍てつかせるような冷たい眼差しだ。
エミーリエは息を詰まらせ、両手で頭を抱え込んだ。この先に待ち受ける未来が恐ろしくて仕方ないというように、何もかもめちゃめちゃになってしまえというように、貴族の令嬢にあるまじき粗雑な声量で叫んだ。
「ああああああっ!! そうよ、全部私がやったことよ! 私がロペス家にリヴィを殺してくれと頼んだの!!」
エミーリエの告白は、薄暗闇の時計室にやたらと大きく響いた。リヴィは何も言えなかった。夢の中の世界に引き戻されたような心地だ。頭の中がふわふわとして考えがまとまらなかった。
(なぜ? どうして? エミーリエはいつだって私の味方でいてくれた。小さい頃から優しくて正義感の強かったエミーリエが、どうしてロペス家に依頼してまで私を殺そうとしたの……)
言葉を失くすリヴィに代わり、アシェルが質問を口にした。
「10年前。とある無名の占星術師が、茶会の席でリヴィに不吉な予言を授けた。貴女が仕組んだことか?」
「そうよ。私がお父様に頼んで、茶会の席に占星術師を招いてもらったの。可愛い娘のおねだりだもの、お父様は反対などしなかったわ。占星術師に小金を渡し、依頼の内容を指示したのも私よ」
少し前までの委縮した様子が嘘のように、エミーリエは饒舌に語る。もうどうにでもなってしまえ、と清々しささえ感じる態度だ。
アシェルの質問は続く。
「キャンベル家の領地が豪雨に見舞われた後、レスター家の使用人が『豪雨はリヴィの呪いだ』との噂を広めた。これも貴女の指示によるものか」
「……指示、なんて大層なことはしていないわよ。当時の私は7歳だもの。『リヴィの事が嫌いだから、ちょっとだけ嫌がらせをしてやって欲しいの』って、使用人相手に可愛くおねだりしただけ。正直、10年も屋根裏部屋に閉じ込められることになるなんて想像もしなかったわ。いい気味ね」
「ロペス家に占星術師の殺害を依頼したのも?」
「……私よ。だって真実を語られると困るもの」
淀みなく返される答えが、エミーリエの言葉が真実であることをひしひしと伝えていた。尋問を逃れるためのでっちあげではない。7歳の少女エミーリエは、悪意を持ってリヴィを貶めた。口封じのために占星術師を殺した。10年の年月が流れているとはいえ、許されることのない罪だ。
アシェルとエミーリエの会話を頭の中で反芻して、ようやく現実を現実を認めることができた。リヴィは消え入りそうな声で尋ねた。
「エミーリエは……私のことが嫌いだったの?」
エミーリエは表情を歪めた。
「嫌いよ、大っ嫌い。物心がついたときにはもう、あなたの事が嫌いだった」
「……それはどうして」
「私がいつだってリヴィの引き立て役だったからよ! 読み書きも、計算も、音楽も、美しさも、私は何一つあなたに勝てなかった。お母様はいつだって私とリヴィを比べて溜息を吐いていたわ。これがどんなに惨めなことかわかる?」
(そんな……私はエミーリエのことを引き立て役だなんて、一度もそんな風に考えたことはない……エミーリエのことが好きだから傍にいただけなのに……)
エミーリエは「ふぅ……」と息を吐き、どこともわからない虚空を見つめながら言った。つらい過去を思い起こすように。
「リヴィがオスカー殿下の婚約者に選ばれたとき、お父様もお母様も当然のことのようにその事実を受け入れた。私なんかが王家の婚約者になれるはずがないって、皆そう思っていたのよ。夜、廊下で使用人たちが話しているのを聞いてしまったわ――『仕方ないわよね。リヴィお嬢様の髪がルビーなら、エミーリエお嬢様の髪はまるで馬の尻尾だもの』」
そんな、とリヴィは呟いた。
リヴィはエミーリエの赤茶色の髪が好きだった。丁寧に煮出された紅茶のようで美しいといつも思っていた。王家の婚約者に選ばれたことで優越感を抱いたこともない。貴族の結婚はたいがいが政略結婚だ。王家は政略結婚によりもたらされる様々な利益を考慮して、オスカーの結婚相手としてリヴィを選んだ。ただそれだけの話だ。リヴィとエミーリエを比べたのではない。
結局のところはエミーリエも被害者だったのだ。大人たちの悪意のある言動がたった7歳の少女を追い詰めた。必要のない劣等感を抱かせ人の道を踏み外させた。「人と比べなくたって良いのよ、エミーリエが頑張っているのは知っているからね」「エミーリエの髪は紅茶のように温かな色だね、素敵」誰かがそう言ってあげるだけで良かったのに。
誰も不幸にはならなかったのに。
長らく黙り込んでいたアシェルが、ふいに口を開いた。
「リヴィを貶め、王家の婚約者の座を奪い取った。貴女はそれで満足したはずだ。なぜ今夜リヴィを殺そうとした?」
「そうね……もしもブリックヘイブンの街で再会したとき、リヴィがまだ不幸のどん底にいるようだったら、私はリヴィを殺そうなどとは思わなかった……」
――リヴィ……あなたは今、幸せなの?
――……そうね、幸せだわ。そう思えるまでには色々なことがあったけれど。
ブリックヘイブンの街で、リヴィとエミーリエはそんな会話を交わした。そのささやかな会話がこのたびの事件のトリガーとなった。一度どん底に突き落とした憎き相手が、自分の知らないところで幸せを掴みかけていた。エミーリエにはその事実が許せなかった。
エミーリエの顔がリヴィの方へと向いた。いつもの勝気なエミーリエの顔だった。
「ねぇリヴィ、王家の婚約者なんて楽しいもんじゃないわよ。オスカー殿下が王座に就く可能性は限りなく低いのだから、私はしょせん『官僚の妻』。他の2人の婚約者のように大切になんかしてもらえない。茶会や夜会のたびにその差を見せつけられて、惨めなものだわ。王家の婚約者になった私よりも、暗殺一族の婚約者になったあなたの方が、ずっと自由で幸せかもね」
最後の方はどこか皮肉めいた調子だった。
リヴィはエミーリエの瞳をまっすぐに見据え、気になっていたことを口にしてみた。
「私が屋根裏部屋に閉じ込められていたとき、エミーリエは人目を忍んで会いに来てくれた。あれはどうして?」
「あなたの惨めな様子をこの目で見たかったからよ」
「今日、時計塔で私を待っていたのは?」
「あなたが苦しんで死ぬ様を間近で見たかったから。それ以外に理由なんてない」
「そう……」
リヴィの頭の中に、エミーリエと遊んだ懐かしい日々が思い出されては消えた。
いくら願ったところで、あの尊い日にはもう帰れない。





