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41.たった1人のヒーロー

(アシェル様――)


 右まぶたにナイフの切っ先を押し当てられて、リヴィは心の中でその名を呼んだ。

 

 そのとき、どこか遠くでカンッと甲高い音が聞こえた。空耳かとも思ったが違う。その音はカンカンカンと鐘を打ち鳴らすようにして大きくなる。

 足音だ、とその場の誰もが気付いた。誰かが羅螺旋階段を上ってくる。この場で何が起こっているのかを知っているかのように、迷いなく、淀みなく。


「あー……こりゃ不味いな」


 そう呟いたのはジーンだった。ナイフの切っ先はリヴィのまぶたに押し当てたまま、鉄扉を見やる。リヴィもまた視線だけを動かして、開け放たれたままの鉄扉を見た。

 カァンッ、というひときわ大きな音を最後に、足音は聞こえなくなった。間を置かず扉の向こう側からは1人の青年が顔を出した。長い螺旋階段を上ったばかりだというのに息1つ乱さないその人は――リヴィが心の中で助けを求めたアシェルだった。


「アシェル様」


 リヴィは、今度ははっきりとその名前を呼んだ。

 アシェルの視線は目まぐるしく動き、部屋の中の様子をうかがった。壁際にへたり込んだエミーリエ、床に倒れたリヴィ、リヴィの頭部を抑え込み顔にナイフを押し当てたジーン。

 黒曜石の瞳には一瞬にして怒りが燃え上がり、次の瞬間、アシェルはジーンの横面を渾身の力で殴り飛ばした。


(本物のアシェル様だ……幻などではない……)


 ジーンの身体が人形のように吹き飛ぶのを、リヴィは他人事のように眺めていた。まるで夢を見ているような気持ちだった。ジーンに殺されかけたことも、アシェルに助けられたことも、全てが夢の中の出来事であるかのような不思議な気持ち。遅れてやってきた恐怖心と、突然もらさたされた安堵感が入り混じり、少し気を抜けばふわふわと気を失ってしまいそう。


「リヴィ、危険な目に遭わせてすまなかった」


 リヴィの傍らにしゃがみ込んだアシェルは、リヴィを抱きしめ謝罪した。自分のものではない温かさに包まれれば、胸の奥に熱がせり上がるのを感じた。

 助けにきてくれたことが嬉しかった。

 事情など何も知らずとも無条件で守ってくれたことが嬉しかった。

 また生きて会えたことが嬉しかった。


(ああ……私は心の底からアシェル様が好きなんだ。この人の腕に包まれていたら、殺されかけた恐怖心も、傷の痛みも忘れてしまう……)


 リヴィの腕の傷に軽く触れたあと、アシェルはゆっくりと立ち上がった。するどい眼差しが見据える先には、床に座り込んだままのジーンがいる。アシェルに左頬を打たれたばかりのジーンは、鼻孔からだらだらと鮮血を垂らし、忌々しげな表情で文句を吐き散らかしていた。


「力いっぱい殴りやがって。顔の骨が折れたらどうすんだ、馬鹿野郎」


 アシェルはジーンの膝元まで歩いていくと、冷たい口調で警告した。


「リヴィは殺させない。この仕事からは手を引け、ジーン」


 ジーンを見下ろすアシェルの視線は氷のように冷たい。ジーンもまたアシェルを睨み返し、2人はしばし無言のまま睨み合った。

 そのままいくらか時が経ち、先に折れたのはジーンだった。これ見よがしに溜息を吐いたジーンは、ナイフを捨て両手を顔の横に掲げた。わざとらしい降参のポーズだ。


「はいはい、言われたとおりに致しますよっと。依頼者にいくら金を積まれようと、もうリヴィ・キャンベルの命は狙わない。これで良いだろ?」


 ジーンの口調があまりにあっさりしているものだから、リヴィは拍子抜けしてしまった。殺しを生業としてる以上、多少の障害があっても仕事を遂行しようとするのが当然のような気がしてしまう。

 リヴィに説明するようにジーンは言葉を続けた。


ロペス家(うち)はバルナベット家とは違うんだよ。自分の命を危険にさらしてまで仕事をやり遂げようとするような、大層なプロ意識は持ってねぇの。安全第一、殺しは楽しんでなんぼ。依頼者にもそこんとこはキッチリ説明してあるから、仕事を途中で投げ出しても別に問題はない。任務遂行を確約できないってことで、料金もお安く設定してるわけだしさ」


 一時前までの殺伐とした雰囲気はどこへいったのやら、飄々とした調子でジーンは語る。そのあけすけとした様子が、ジーンの言葉の真実性を物語っているようだった。


(ジーンが私を殺そうとしたのは、依頼者がそれを望んだから。お金を対価として凡人ではなしえない汚れ仕事を請け負っただけ。アシェル様もそのことをわかっている。だから必要以上にジーンを痛めつけることなく、冷静に話をしようとしている……)


 ジーンはサイコ・キラーだが、話の通じない狂人ではない。その事実を目の当たりにすれば、不思議とジーンに対する恐怖心は薄れていった。彼はもう敵ではない。

 ぼんやりと佇むリヴィの目の前で、ジーンとアシェルの会話は続く。


「ジーン、依頼者の名前を言え」

「俺を頼るんじゃねぇよ、馬鹿。手がかりはいくつもあるんだから、自分の力で真実にたどり着いてみせろや」

「もっともな意見だ。しかし真実を知る人物が目の前にいるというのに、みすみす見逃す馬鹿がいると思うか?」


 ジーンはわざとらしく溜息を吐いた。

 

「アシェル、お前さー……」

「リヴィを傷つけた。本当ならこの場で殺してやりたいくらいだ。依頼者の名前を吐けば見逃してやる、というのは良心的な提案だと思わないか?」

 

 アシェルは足元のナイフを蹴り飛ばした。ジーンが降参の合図とともに手放したナイフだ。カラカラと音を立てて部屋の隅へと飛んでいく。

 ジーンは手の届かないところへ飛んで行ってしまったナイフを見つめ、次いで無表情のアシェルを見上げ、それから八方塞がりとばかりに肩を落とした。


「……依頼者を売って命が助かるなら悪くない、か」


 そしていくらも間を置かずその名前を口にした。

 全ての元凶である人物の名を。


「依頼者の名前は――エミーリエ・レスター」

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