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40.心なき殺人鬼

 その殺人鬼に狙われた者は、全身をボロ布のように切り裂かれて殺されるのだ。


 ジーンは薄ら笑いを浮かべながら、時計室の中へと歩み入ってきた。そして呆然と座り込むリヴィの髪の毛をつかみあげた。


「痛っ……!」

「アンタさー、アシェルから武器のひとつも持たされてねぇの? ま、仕方ないか。アシェルの奴、俺がエミーリエ・レスターを殺すんだと信じて疑わなかったもんな。フランチェスコ・レスターが黒幕だなんて、真犯人の思惑にまんまとはまってやんの。馬鹿な奴」


 ジーンの蛇の目がエミーリエを見た。獰猛な光に射抜かれて、エミーリエはびくりと肩を揺らした。でもそれだけだ。勝気な性格とはいえしょせんは少女。ナイフを手にした殺人鬼を相手にできることなどなにもない。


 ナイフの切っ先をリヴィの頬に突き付けて、ジーンは猫なで声で言った。


「さぁて、リヴィ・キャンベル。何して遊ぶ? あいにく手持ちがナイフ1本しかないから、あまり凝った遊びはできねぇけど」


 瞬間、リヴィはこぶしを振り上げた。渾身の反撃はジーンの鼻先をかすめ、髪の毛をつかむ手が少し緩んだ。

 リヴィはジーンから距離をとろうと身を捩った。しかししょせんはプロと素人だ。ジーンがリヴィを引き倒す方が寸分早く、硬い床に背中を打ち付けたリヴィは痛みにあえぐ。


「っ……うう……」

「決めた、まずは目をえぐり取ることにしよう。まさか本当に呪われちゃ堪んねぇしさ。右眼と左眼どっちからいく? マカロンをプレゼントした仲だし、そのくらいは選ばせてやるよ」


 ジーンの声は、バルナベット家の屋敷で話をしたときと同じ調子だった。「イチゴ味のマカロンとキャラメル味のマカロン、どっちが食べたい?」まるでそんな他愛のない質問をするような、くだけた調子。


(この人にとってはどちらも同じなんだ。お菓子を食べることも、他人の身体を傷つけることも同じ。私が美味しいお菓子を食べて幸福感を感じるように、人を殺すことで幸福感を感じることができる……)


 眼球にナイフの切っ先を突き付けられて、本当にもう逃げられはしないのだと悟った。淡い希望は打ち砕かれて、全身に震えが広がっていく。

 

 アシェルに見捨てられた大雨の夜、一度は死を覚悟した。どうせ誰からも必要とされない命なのだと思えば、崖から身を投げることは恐ろしくなかった。しかし今はどうしようもなく死ぬことが怖い。アシェルの存在があるからだ。

 

 大好きな人のそばにいる喜びを知ってしまった。

 大好きな人に触れる幸せを知ってしまった。

 アシェルと生きる未来を諦めたくはなかった。


「いや、止めて!」


 リヴィは叫んだ。こぶしを振り回して抵抗した。

 ジーンは楽しそうに笑った。リヴィの頭部を押さえつけ、右まぶたにナイフの切っ先を押し当てた。


(アシェル様――)


 ***


 時は少しさかのぼる。

 ジーンのターゲットがリヴィであると気付いたアシェルとテオは、リヴィを探し宮殿内を駆けていた。王国の心臓とも呼ばれる宮殿は、部外者の立ち入りが許されている区域だけでもかなりの広さがある。舞踏会場を含むその周辺施設に、宮殿人のいこいの場である広大な園庭。図書館に美術館、音楽堂。

 すでに時刻は午後8時を回っており、入口が施錠されている建物も多い。それでもどこにいるかわからない人を探すとなれば大変だ。


 人気のない廊下を駆ける最中に、テオが言った。


「アシェル兄、まずはドリスと合流しよう。もしもリヴィがお手洗いに行ったんだとしたら、もうドリスが見つけているはずだから」


 アシェルは駆ける速度を気持ちばかり緩め、答えた。


「ああ……そうだな。お手洗いはどちらの方角だ?」

「つきあたりを左に曲がって、渡り廊下を渡った先」


 2人は廊下の角を曲がり、園庭を横切る渡り廊下へとさしかかった。丁寧に刈り込まれた樹木が、夜風にさわさわと葉を揺らしている。気持ちのいい夜だ。

 

 ふいに渡り廊下の向こう側に人影が見えた。ドリスだ。しかしそばにリヴィの姿はない。

 3人は渡り廊下の真ん中で合流した。


「ドリス、リヴィは一緒ではないのか」


 アシェルが早口で尋ねると、ドリスは困った表情を浮かべた。

 

「それが、お手洗いには姿が見えませんでした。会場からお手洗いまでは少し距離がありますから、途中で迷ってしまわれたのかもしれません」


 本当にそうならいいが、とアシェルは心の中で呟いた。

 

 テオとドリスが少し目を離した隙に、会場から姿を消してしまったリヴィ。一体どこへ行ってしまったというのだろう。もしかしたら会場で知り合いに出くわし、人目につかない場所で話し込んでいるのかもしれない。慣れない人混みに疲れ、1人で園庭を散歩しているのかもしれない。ドリスの言うように、お手洗いに向かう途中で道に迷っているだけなのかもしれない。

 そうである可能性は捨てきれず、しかし心の中には不安ばかりが積もっていく。

 不吉な予感に押し潰されそうになる。


 はやる気持ちを抑えられず、アシェルはまた早口で言った。


「ドリス、早急にリヴィを()()()くれ。ジーンがリヴィの命を狙っている」


 ドリスの肩がぴくりと揺れた。

 アシェルが伝えたのは必要最低限の情報だけであったが、ドリスはおおよその状況を理解したようである。暗がりの園庭に隅々まで目を凝らし、それから静かな声で尋ねた。


「カラスを使います。少々目立ちますが、よろしいですか?」

「構わない」


 アシェルの速答に、ドリスはうなずき目を閉じた。

 それからいくらも間を置かず、渡り廊下の周囲には微風が巻き起こった。さぁぁ、と微かな音を立てるその風は、草むらに落ちた木の葉を舞い上げ、少しずつ少しずつ大きくなる。それと同時に3人の頭上では羽音が聞こえ始めた。カラスの立てる羽音だ。どこからともなく集まってきた数十羽のカラスが、漆黒の夜空をかき回すようにして飛んでいる。


 ぱちん、とドリスが指を慣らした。数十羽のカラスは同時に「ギャア」と鳴き声をあげ、方々へと飛び去って行った。数羽のカラスが建物の中へと入り、廊下のあちこちでは悲鳴が聞こえた。


 これがドリスの『神が与えし力(ギフト)』だ。力の名称を『寄生(パラサイト)』という。人間以外の生物を自由自在に操り、一時的のその視界を借りることができる。

 アシェルがリヴィを殺そうとしたあの夜、ドリスはこの力を使って馬車道にいるリヴィを発見した。嫌がらせの犯人がカーラであるとの情報を得たあとは、この力を使ってカーラの一挙一動を監視していた。

 バルナベットの屋敷にはさまざまな『神が与えし力(ギフト)』を持つ使用人がいる。しかし広範囲の探査能力においてドリスの右に出る者はいない。アシェルが偽名を使わせてまでドリスを夜会へ連れ込んだ理由がこれだ。


 ドリスは目を閉じたまま黙り込んだ。夜空を舞う数十羽のカラスの視界を借り、宮殿のどこかにいるであろうリヴィを探す。アイシャドウを塗った薄いまぶたの内側で、2つの眼球がせわしなく動く。

 そうした時間が数分にも及んだとき、テオがじれったそうに尋ねた。

 

「ドリス、まだ?」


 ドリスは目を閉じたまま答えた。

 

「カラスは夜目がききません。ネズミのように建物に入り込むこともできませんから、そう簡単には見つからないと思います」

「……リヴィが地下室にでも連れ込まれていたらアウトってことか。カラスの他に、目になりそうな生物はいないの?」

「あいにくカラスの他に生物の気配がありません。王族が暮らす場所ですから、害獣や野生動物の侵入には気をつかっているのでは――あ」


 話す途中で、ドリスは何かに気付いたように声をあげた。アシェルが期待を込めた声で尋ねた。


「見つけたか」

「見つけました。リヴィ様は時計塔の螺旋階段を上っています。まるで何か恐ろしい敵から逃げるようにして」


 時計塔。その言葉を聞いた瞬間、アシェルは駆けだした。リヴィが恐ろしい敵から逃げているのだとしたら、その敵はジーンの他にいない。もはや一刻の猶予も残されていなかった。

 人気のない園庭を駆け抜け、夜空にそびえる時計塔を目指した。アシェルのいた場所から時計塔までは、直線距離にすれば100メートル程度だ。それでもそのたった100メートルが今のアシェルにとっては果てしなく長く感じられた。


 アシェルが時計塔の扉を押し開けたとき、建物の内部は静寂に包まれていた。2階へと続く階段はすぐに見つかり、時計室へと続く螺旋階段も程なくして見つかった。

 2段飛ばしで階段をのぼる。夜空へと届かんばかりの長い長い階段だ。階段室のところどころに小さな窓が設けられているから、ドリスはそこからリヴィの姿を見たのだろう。懸命にジーンから逃げようとするリヴィの姿を。


 気が遠くなるほどに長い階段の先には、開け放たれたままの鉄扉があった。螺旋階段の最上部に位置する時計室の扉だ。

 中からは人の会話が聞こえてきて、アシェルはためらうことなくその扉へと飛び込んだ。

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