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39.狙われた少女

 ――お前を殺すぜ、リヴィ・キャンベル。


 ジーンの宣告を聞き、リヴィは背筋に冷水を浴びせられたような心地になった。足元から恐怖が湧き上がり、全身が急速に体温を失っていく。それなのに切り裂かれたばかりの傷口だけが異様に熱い。


(誰かがロペス家に殺人依頼を出したんだわ……『リヴィ・キャンベルを殺してくれ』との殺人依頼を……一体誰が……?)


 リヴィは恐怖に支配されながらも、視線だけは決してジーンから外さなかった。一度目を離せば取り返しのつかないことになるだろうと思ったから。

 抜き身のナイフを曲芸師のようにもてあそびながら、ジーンは緊張感のない口調で語り始めた。


「正体を見抜かれちまったのは予想外だったけどさー。俺の演技、別に悪くはなかっただろ? 最近はまってんだよね。殺しのターゲットにほんのすこぉし良い夢を見せてやってさ、そこからどん底に突き落とすんだ。さっきまで希望に満ちあふれた顔をしていた奴が、鼻水垂れ流して命乞いする様なんて傑作だぜ」


 ジーンはくつくつと肩を揺らして笑った。人の死をあざけるようなその発言に、リヴィは恐れを通り越して怒りすら覚え始めた。


(この人はアシェル様とは違う……人を殺すことが楽しくて仕方ない根っからの殺人鬼なのね。説得の言葉など通じるはずもない。私はもう助からない……)


 そう思えば不思議と頭は冷静になった。殺されることは恐ろしいけれど、それ以上に真実を知りたいという気持ちが膨れ上がった。

 リヴィを殺すため、ロペス家に殺人依頼を出した人物の正体を知りたいと思った。


「私の殺人依頼を出したのは、ひょっとしてルドリッチ・キャンベル?」


 リヴィの質問に、ジーンは間延びした声で訊き返した。

 

「ルドリッチ? 誰それ?」

「私の父よ。父は以前、バルナベット家に殺人依頼を出して私を殺そうとした」

「ふーん……アンタも苦労してんだね」


 などと労いの言葉を口にしながらも、ジーンは会話の内容にさして興味を抱いた様子はない。リヴィの質問に答えようともしない。それどころかナイフを握り直し、リヴィのいる方へと歩いてきた。おしゃべりは終わりだ、とでもいうように。

 一度は死を覚悟しながらも、やはり殺されることは恐ろしく、リヴィはジーンに背を向けて駆け出した。


 宮殿随一の高さを誇る時計塔は、塔とは言いながらもかなりの広さがある。1階部分はがらりと広い講堂になっており、2階部分は長い廊下の左右に小部屋が連なっている。宮殿で働く侍女や官吏が、会議や会合の場として頻繁に利用する施設なのだ。

 そして2階の廊下の先には窓のない部屋があり、上階に向かって長い螺旋階段が伸びている。螺旋階段を上りきった先には時計室があり、広い宮殿を一望することができる。この螺旋階段の階段室が塔のように見えるというのが、時計塔という呼び名のゆえんだ。


 2階へと続く階段を上ったリヴィは、長く伸びた廊下を駆けていた。本当であれば逃げ場のない2階には上がりたくなかった。しかし1階の講堂には満足に身を隠す場所がなく、建物の入口をジーンに塞がれていては、階段を上るしか選択肢がなかったのだ。

 どこまでも続く薄暗闇の廊下に、リヴィの呼吸音がこだまする。


(どこかの部屋に身を隠してジーンをやり過ごす? でも廊下は直線だし、部屋に入るところを見られては元も子もないわ……)


 リヴィはちらと背後を振り返るが、暗闇の廊下にジーンの姿はない。その気になればリヴィを捕まえることは簡単であろうに、あえてリヴィを自由にさせているのだ。

 俺を楽しませてみろ、ジーンの声が聞こえる気がした。

 

 息が枯れるまで逃げろ。

 血反吐を吐いて抵抗しろ。

 足掻いて足掻いて足掻いて俺を楽しませてみろ。


(わかってる、こうして逃げることに意味なんてない。それでも何もできずに殺されるのは嫌)


 走るうちにも、傷口からはドクドクと鮮血が溢れ出す。それでももう、不思議と痛みは感じなかった。


 ふいに廊下の先に人影が見えた。リヴィは驚いて足を止めた。まさかジーンに先回りをされたのかと思いきや、そこにいたのは思いもよらない人物だった。


「エミーリエ、ここで何をしているの?」


 リヴィは弾む息を整えながら尋ねた。暗闇の廊下に立っていた者は、夜会の会場にいたはずのエミーリエであった。

 エミーリエは華奢な肩をすくめ、申し訳なさそうに言った。

 

「ごめんなさい、悪気があったわけじゃないのよ。ただオスカー様とリヴィは2人きりで何を話しているのかと気になってしまって……あ、安心してね。話の内容は聞いていないのよ。やっぱり盗み聞きはいけないと思って、時計塔の2階で話が終わるのを待っていたの」


 それからリヴィの背後を見やり、不思議そうに言葉を続けた。


「もうオスカー様との話は終わったの? なぜそんなに急いでいるの?」


 そのとき、リヴィの耳にコツン、コツンと規則的な足音が聞こえてきた。ジーンの足音だとすぐにわかった。足音はまだ遠いけれど、もたもたしていればすぐに追いつかれてしまう。

 リヴィはエミーリエの手を握り、早口で説明した。


「私、追われているの。相手は常識の通じない殺人鬼だから、見つかればエミーリエも危ないわ」


 エミーリエは一瞬けげんそうな顔をした。それでも背後から聞こえる人の足音に、リヴィの説明が真実であると悟ったようだ。リヴィの手を握り返し、暗い廊下の先を指さした。


「リヴィ、時計室に上りましょう。時計室の扉は鉄製だし、内側から鍵がかけられるようになっているの。籠城するにはもってこいの場所だわ」

「時計室……」

 

 リヴィは時計塔の外観を思い出した。時計塔の1,2階部分はごくごく一般的な箱状の建物であり、建物の南側から上方に向かって長く螺旋階段が伸びていた。螺旋階段を上った先が時計室である。時計塔の高さはかなりのものであり、時計室にたどり着くためには急勾配の螺旋階段を上りきる必要がある。


(平地を走るならまだしも、この足で螺旋階段を上りきることができるかしら……)


 リヴィはにぶい痛みを訴える右足に触れた。骨折こそしっかりと完治しているけれど、リヴィの足はまだ激しい運動には耐えられない。ほんの数十メートル走っただけで悲鳴を上げる足では、長い螺旋階段を上りきることは困難に思われた。


「リヴィ、行きましょう」


 力強いかけ声とともに、エミーリエはリヴィの手を引いた。リヴィは導かれるように1歩、2歩と歩み出した。

 屋根裏部屋に閉じ込められた後も、エミーリエはずっとリヴィの味方でいてくれた。

 エミーリエがそばにいれば、どんな困難も乗り越えられる気がした。


 ***


 ジーンの魔の手から逃れようと、リヴィとエミーリエは螺旋階段を上り始めた。しかし順調であったのは初めのうちだけで、足取りは段々と重たくなっていった。

 2人の間に会話はなく、無機質な階段室にはあらい呼吸音が響くだけ。


(足が鉛のように重たい……時計室まではあとどれくらいかしら……)


 リヴィは壁に手をつき、窓の外を見た。螺旋階段のある階段室には、ところどころに窓が取り付けられており、外の景色を望むことができる。窓の外にはいくつかの建物の屋根を見下ろすことができるが、まだそれほどの高さはないように思われた。

 時計室への道のりは遠い。

 

 呼吸を整えようとするリヴィの耳に、ギャアと不気味な声が聞こえた。カラスだ。窓の外をカラスが飛んでいる。それも1羽ではなく大量に。


(夜なのにカラスが飛んでる……それもあんなにたくさん。何だか気味が悪いわ……)


 1羽のカラスと目が合った気がして、リヴィは慌てて窓から視線を外した。

 大きな深呼吸を2度して、まだ階段を上り始める。最期まで足掻ききるために。


 それから間もなくして、リヴィとエミーリエは無事螺旋階段を上り切った。時計室に飛び込むやいなやリヴィは膝から崩れ落ち、後からやってきたエミーリエが扉を閉める。分厚い鉄の扉はそう簡単には破られまい。

 こめかみに流れる汗をぬぐい、エミーリエは笑った。


「これでひとまずは安心……リヴィ、お疲れさま」


 こんな状況でもエミーリエはいつも通りだ。その強靭な精神力をうらやましいと思う反面、申し訳ないとも感じてしまう。ジーンの狙いはリヴィだ。しかし快楽殺人者のジーンがエミーリエを見逃すという保証もない。

 リヴィは息を整え、小さな声で謝罪した。


「ごめんなさい、エミーリエ。私のせいで大変なことに巻き込んでしまった」

「リヴィのせいじゃない。私が勝手に巻き込まれただけなんだから、気にしないで」


 エミーリエの声は本当に気にしていないという様子で、それ以上の謝罪を口にすることはためらわれた。そこでリヴィは、ふと頭に湧いた疑問を口にしてみた。


「これからどうすれば良いのかしら。ここに籠城していたとしても、ジーンが簡単に諦めてくれるとは思えない……」


 リヴィは時計室を見回した。

 時計室は、時計塔に取り付けられた巨大な時計の整備をするための部屋だ。四方の壁には時計盤が透けて見えて、部屋の中央には見慣れない機械が置かれている。せめて窓があれば、屋外に助けを求めることができるのだけれど、部屋には小窓ひとつ見当たらなかった。

 

 エミーリエは月明かりを透かす時計盤を眺めながら答えた。

 

「ここで一晩を明かすしかないんじゃないかしら。日中の時計塔には多くの人が出入りするから、朝が来てしまえば彼も諦めると思うのよ。侍女が、私の不在に気付いて探しにきてくれると良いんだけどね。あいにく私には抜け出し癖があるものだから、放っておかれてしまうかもしれないわ」

(そ、そういえば以前にも、エミーリエは大切な接待の席を抜け出していたわ……でもそのおかげで、私はエミーリエと再会することができた……)


 ブリックヘイブンの街中での出来事を思い出し、リヴィは懐かしい気持ちになった。殺人鬼に命を狙われているという鬼気迫る状況下でも、話し相手がいるだけで少し心が軽くなる。もしもエミーリエがいなかったら、リヴィは長い螺旋階段を上りきることすらできなかったかもしれない。

 感謝の気持ちを伝えようとリヴィは口を開いた。


「エミーリエ、私――」


 その瞬間、辺りには轟音が鳴り響いた。リヴィとエミーリエは声にならない悲鳴をあげ、同時にその音のした方を見た。

 時計室の扉は開け放たれて、ギィギィと錆びた音を立てて揺れていた。誰かがその扉を力任せに蹴り開けたのだ。エミーリエが呆然と呟いた。


「うそ、何で。扉の鍵はかけたはずなのに」

 

 2人は瞬きをすることも止めて、薄気味悪く揺れる鉄扉を見つめていた。

 もったいぶるように間をおいて、鉄扉の向こう側から姿を現した者は、右手に抜き身のナイフをぶら下げた殺人鬼――ジーン・ロペス。

 

「見ぃつけた。ダメだろ、かくれんぼはもっと気の利いた場所に隠れなきゃさー」


 間延びした声を聞き、リヴィはこの悪魔からは決して逃げられないのだということを悟った。

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