37.レスター候
リヴィがエミーリエの元へと向かって行った後、真っ先に声をあげた者はテオだった。
「さて。アシェル兄、これからどうするつもり?」
アシェルは人でごった返す会場内を見渡した。
「私はジーンを探してくる。奴に取引を持ちかけるのが一番手っ取り早いからな。仕事の邪魔はしない代わりに依頼者の名前を教えろ、と」
「オッケー。俺とドリスはどうすればいい?」
「エミーリエを見ていてくれ。さすがのジーンも、公衆の面前で殺しをするような真似はしないはずだ。もしもエミーリエが何らかの事情で会場を出ることがあれば危険信号だな。リヴィを会場から連れ出し、何が起こったかを悟られないようにしてくれ」
アシェルの口からリヴィの名が出た途端、テオは苦虫を噛み潰したような表情となった。そして不満を隠そうともせずに言った。
「……あくまでリヴィには全てを隠し通そうってわけね。最終確認だけど、本当にそれでいいんだね?」
「構わない」
アシェルの答えに迷いはなく、テオはもどかしそうに髪を掻き乱した。それでも文句は言うことなく、人混みへと消えていくアシェルの背を見送った。
ざわざわと賑やかな舞踏会場の一角で、テオとドリスは2人きりとなった。白ひげをたくわえた男性が、甘く香水を香らせた婦人が、2人のそばを何食わぬ顔で通り過ぎていく。
大勢の人が1か所に集まれば、個々の人間の存在感は薄くなる。例え会場内に『招かれざる客』が紛れ込んでいたとしても、多くの人はそれに気付かない。ギラつく刃が振り下ろされるそのときまで。
アシェルの姿が見えなくなり、少し気を取り直した様子のテオが言った。
「エミーリエを見失わないためには、二手に分かれた方が確実かな。俺は2階のバルコニーから会場全体を見渡しているよ。エミーリエの動向を見守りつつ、リヴィの動きも気にかけておく」
テオが見上げる先は、会場の後方部分に位置するバルコニーだ。あまり多くの人が滞在していないことに加え、そこに行けば会場内の様子を一望することができる。監視には持ってこいの場所だ。
ドリスはエミーリエの方へと視線を送った。
「では私はエミーリエ嬢のそばにいます。万が一ではありますが、ジーン・ロペスが早々にエミーリエ嬢に接触しようとする可能性もありますし」
「ん、そうだね。それがいい」
各々の任務が決まったところで、テオとドリスは挨拶もなく別れた。テオはバルコニーに上るための階段を探し、ドリスはエミーリエを取り巻く人の輪に紛れようとする。
しかし開始早々、任務の邪魔をする者が現れた。1人になったドリスに、とある貴族の男性がこう声をかけたのだ。
「可憐なお嬢さま。お一人でしたら1杯お付き合いいただけませんか?」
まさか自分が声をかけられるとは想像もしていなかったドリスは、まごつきながら答えた。
「いえ、私は予定が……」
「見かけないお顔ですが、夜会にはあまり顔を出されませんか。よろしければお名前を教えていただいても?」
拒絶の言葉など歯牙にもかけず、男性はドリスとの距離を詰めようとする。
ドリスは返す言葉を探し黙りこんだ。今、ドリスはフローレンス・バルナベットの名を借りて夜会に参加している。しかし本人の了承を得ているとはいえドリスは使用人の身、安易にフローレンスの名を名乗るのはためらわれたのだ。
狼狽えるドリスの目の前に、見慣れた癖毛が飛び込んできた。テオだ。
「彼女は私の妻です。ナンパでしたら他をあたってください」
ドレスを背中に守ったテオが強い口調でそう告げると、男性は何も言わずその場を立ち去った。「既婚者だったとはね、残念」これ見よがしに肩を竦めながら。
今また2人きりになった場で、ドリスはテオを相手にきびきびと頭を下げた。
「テオ様、お手をわずらわせて申し訳ありませんでした。では後ほど」
そのままエミーリエの元へ向かおうとするドリスの手を、テオは掴んだ。一体何事、と目を丸くするドリスを見つめながら言った。
「あー……一緒にバルコニーへ行こうか。ドリスが1人でいたんじゃ、多分仕事にならないから……」
テオの言葉の意味を正確に汲み取って、ドリスの顔はみるみるうちに赤くなる。触れ合った手のひらが熱を帯びる。
今夜のドリスは見慣れた使用人服とは違う、黒のマーメイドドレスを身に着けている。元々女性の中では長身の部類のドリスだ。ボディラインを際立たせるマーメイドドレスは悪魔的に似合っている。それに加えて人混みでも目立つ銀色の髪と、控えめながらも洗練された化粧。
一言で言ってしまえば、今日のドリスはかなり可愛いのだ。
***
テオとドリスと別れた後、アシェルはジーンを探して会場を歩き回っていた。
ジーンは快楽殺人者だ。仕事の効率よりも己の楽しみを優先させる。殺しによる快楽をより増幅させるため、事前にターゲットと接触しようとする節があることをアシェルは知っていた。ジーンいわく「ターゲットの人となりがわかった方が、いたぶるのが楽しい」のだと。アシェルには理解できない感覚だ。
(エミーリエの殺害を依頼した人物は、10年前の事件について詳細な事情を知っている可能性が高い。レスター候が姑息な手段でリヴィを蹴落としたことを知っているからこそ、同じように姑息な手段を用いてエミーリエを王家の婚約者の座から蹴落とそうとしている……。ならばその依頼者の接触することができれば、10年前の事件について確かな証言を得ることができるはずだ)
それがアシェルの推理であり、今夜はるばる夜会へと赴いた理由でもあった。
10年前、占星術師と共謀しリヴィに不吉な予言を授けた人物は、エミーリエの父であるフランチェスコ・レスターと見てまず間違いはない。しかしもう10年も前の出来事であるだけに、アシェルの力では有力な証拠を得ることができなかった。
そこでアシェルが目を付けた人物が、このたびジーンに殺人依頼を出した依頼者Aだ。ジーンが「今回の依頼は10年前の事件とつながっている」と明言した以上、Aは何らかの形で10年間前の事件と関わっている。フランチェスコ・レスターの悪事を一から十まで把握している可能性もある。
Aと接触することができれば、フランチェスコ・レスターの悪事を白日の下に晒すことができるとアシェルは踏んでいた。
(まずはジーンに接触し、『仕事の邪魔をしない』ことを対価として依頼者Aの名前を聞き出す。その後Aに接触し、公の場でレスター候の悪事を証言してほしいと頼む。渋るようなら金を積むか、多少脅しをかければいい。レスター候の悪事が真実であると認められれば、恐らくエミーリエは王家の婚約者の座から降ろされる。そうなることを見越して、Aが早々に殺しの依頼を取り下げてくれればいいが……そこまでスムーズに事が進むとも思えない。今日はAに接触が図れれば十分だ)
もしもアシェルの作戦がうまく運べば、エミーリエの命を助けられる可能性はあった。Aの目的は王家の婚約者の座だ。フランチェスコ・レスターの悪事を暴き、エミーリエが婚約者の座から降ろされるのならばそれで十分なはず。
しかしアシェルは、そこまでの交渉を熱心に行うつもりはなかった。提案はするが説得はしない。アシェルの目的はリヴィの汚名を返上すること。たとえリヴィの友人なのだとしても、エミーリエの生命にまで干渉するつもりは更々なかった。
ジーンを探すアシェルの目に、とある人物が映った。アシェルがその人物と会うのは初めてのことであるが、見間違えるはずはなかった。夜会に赴くにあたり、ヴィクトールから詳細な容姿的特徴を聞いていたからだ。
癖のない赤茶色の髪に、がっちりと肉付きのいい身体。数年前、乗馬中にひざを痛めたらしく、左手で杖をついている。10年前の事件の黒幕、フランチェスコ・レスターその人だ。
アシェルは少し考え、フランチェスコの方へと近づいて行った。
「貴方はレスター候か?」
前置きもなくそう問いかけると、フランチェスコは不思議そうにアシェルを見た。
「そうですが……失礼ですがどなたでしたかな?」
「私はバルナベット家の者だ。名はアシェル・バルナベット」
アシェルが感情なく名乗ると、フランチェスコはさっと顔を青くした。はくはくと数度口を動かし、それから恐怖をにじませた声で言った。
「あ……ああ……娘から話は伺っております。キャンベル家のご息女を婚約者として迎えられたのでしょう。不幸な事件に見舞われはしましたが、あの子は本当に良い子で――」
「リヴィに『厄憑き』の烙印を押した占星術師は、貴方が茶会に招いたのだと聞いた」
アシェルがフランチェスコに話しかけたのは単なる思い付きだった。私利私欲のために1人の少女を地獄へと突き落とした極悪人は、どんな言葉で己の罪を隠そうとするのだろうと、ほんの少し興味が湧いただけ。
フランチェスコはひたいに浮いた汗をハンカチで拭いながら、消え入るような声で答えた。
「……はい、確かに件の占星術師を招いたのは私です。まさかあのような不吉な予言をするとは夢にも思わず……キャンベル家には本当に申し訳ないことをした」
フランチェスコの物言いに、アシェルは違和感を覚えた。
(本当に彼がレスター候か? 想像していた人物とだいぶ印象が違う……)
卑劣な手段でキャンベル家を陥れたくらいなのだから、フランチェスコは狡猾で貪欲な男だ。占星術師の件を真正面から突き付けたところで、適当に言い逃れをされて終わりだろうとアシェルは予想していた。
しかし意外にもフランチェスコは素直に謝罪の言葉を口にし、自らの判断を悔いるような態度を見せている。それがアシェルにとっては意外だった。
「キャンベル家の領地が豪雨にみまわれた後、貴方は熱心に支援をされたのだとか。金銭的な面でも、人員的な面でも」
「ええ、ええ。キャンベル家とは先々代の頃より深い付き合いがあります。領地復興にあたりできるだけの支援はさせていただきました」
「レスター家から派遣された使用人が、キャンベル家の屋敷で『リヴィは厄憑きだ』との噂を流布していたことは知っているか?」
フランチェスコは足を拭う手を止め、目を瞬かせた。
「いえ……そのような事は存じ上げませんが……」
アシェルの中で違和感は膨らんでいく。フランチェスコが嘘を言っているようには感じられなかったからだ。嘘を吐く、ということは簡単に見えて難しい。言葉だけはうまく取り繕っても、人の感情とは眼球の動きや呼吸の仕方にまで現れる。
フランチェスコはアシェルを恐れてはいるが――嘘は言っていない。
アシェルははやる鼓動を抑え、質問を重ねた。
「貴方は……例の占星術師がその後どうなったかを知っているか?」
「……いいえ。彼とは元々の知り合いというわけではありませんでしたから、特別なことは耳にしておりません。あの……彼はどうなったのですか?」
「……知らないのであれば良い。聞いてみたたけだ」
アシェルはフランチェスコに背を向けた。彼と話をすることに、これ以上意味などなかった。
ドクドクと音を立てて心臓が鳴る。冷えた汗が背中を流れる。
(レスター候が黒幕なのではなかったのか……? 彼以外の誰がキャンベル家を……リヴィを陥れたというんだ……?)





