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閑話:とある占星術師のゆくえ

過去の話

「はぁ……はぁ……」


 男は王都の路地を駆けていた。

 もう気が遠くなるほど長い時間、そうしてがむしゃらに足を動かしている。喉はかすれ、目は乾き、肺が痛みを訴えてもなお立ち止まることはない。

 夜空にぽっかりと浮かぶ満月が、建物の間から男の行く先を見守っていた。


「何だってんだ、畜生。理由も言わずいきなり切りつけてきやがって……あああ、痛ぇ……」


 男の左腕からはぽたぽたと鮮血がしたたり落ちていた。先ほど1人で路地を歩いていたときに、見知らぬ人物にいきなり切りつけられたのだ。あまり深い傷ではないけれど、傷口からは確実に生命が流れ出していた。

 男は十字路で足を止め、迷ったあげく左に折れた。その道を5分も走れば、王都を守る騎士団の宿舎がある。宿舎の入り口には夜番がいるはずだから、事情を説明すればかくまってもらえるだろう。


 宿舎を目指し、人気のない路地を懸命に駆けていた男は、ふいに足を止めた。薄暗い路地の先に人影が見えたからだ。

 その人影は子どものように小さかった。小さな右手にナイフを握りしめ、狭い路地の真ん中に立ち尽くしている。男は人影から距離を保ったまま声を荒げた。


「……一体何なんだ、お前は! さっきから俺の行く道を塞ぐような真似ばっかりしやがって……」


 男が人影に行く手をはばまれるのは、これが初めてのことではなかった。最初に腕を切りつけられてからというもの、男は何度も路地から抜け出そうとした。人気の多い通りに出れば、ひとまず身の安全は確保されるのではないかと考えたからだ。

 しかしどう足掻いても男は路地から抜け出せない。路地を出ようとするたびに、ナイフを持った人影に行く手をはばまれる。薄暗い路地に閉じ込められる不安感、焦燥感、絶望感。様々な感情が激浪となって男を襲う。


 ひゅう、と風を切る音がした。ナイフを振る音だ。


「……くそっ」


 男は悪態を吐き、人影から逃げるように来た道を引き返した。


 ***


 それからどれくらいの時間が経ったのだろう。

 男はついに力尽き、冷たい石壁を背に座り込んだ。


 喉と肺が張り裂けるように痛む。汗が目に入り視界がかすむ。動かし続けた手足は鉛のように重たい。血で濡れた衣服が肌にはりつく。気持ち悪い。


「おーい、ダメだろ。獲物が座り込んじゃ鬼ごっこはお終いだ」


 暗闇から甲高い声が飛んできた。まだ声変わりを迎えていない少年の声だ。男は汗で濡れそぼる前髪の間からその声の主を見た。


 男の真正面に立つ者はやはり少年であった。歳の頃は10代前半、珍しいオリーブ色の髪をしている。つんと小さな鼻の上で、2つの瞳が獰猛な光を放っていた。蛇だ、と男は思った。


「お、お前は……誰だ……」

「俺? 俺の名前なんか聞いてどうすんの? どうせもうすぐ喋れなくなるんだからさー、もう少し考えて質問しようぜ」


 男を小馬鹿にするように少年は笑った。

 しかし皮肉にも少年の発言は的を射ていた。逃げ場を失ったこの状況で、1秒先の命すら危うい状況で、少年の名前を尋ねることに意味などなかった。尋ねることがあるとすれば――


「俺を殺そうとするのは、×××に頼まれたからか……」


 男が消え入りそうな声で言えば、少年はにんまりと笑った。


「そうそう、そういう確信を突く質問をしてほしかったんだよ。アンタ、やればできんじゃん」


 少年は曲芸師のように指先でナイフを回し、言葉を続けた。


「お察しのとおり、俺は×××の依頼であんたを殺そうとしている。依頼の理由は知らね、そこまで聞いてねぇし」


 やはりそうか、と男は唇を噛んだ。

 

 半年ほど前、男は×××と名乗る人物からある依頼を受けた。それは貴族の茶会の席で、1人の少女に不吉な予言をしてほしいというものだった。提示された報酬はさほど高額ではなかったが、男は2つ返事でその依頼を受けた。占星術師などという肩書を持っていても、庶民を相手にした占いの報酬など微々たるもので、男は金が欲しかったのだ。

 男は依頼を遂行した。貴族の茶会で、1人の少女に不吉な予言を授けた。風の噂を聞くところによれば、その予言のせいで少女は大層つらい目にあっているのだという。だが男にとっては、哀れな少女の行く末などどうでもよかった。ただ日々を満足に暮らせるだけの金が手に入り、いつもより美味い酒が飲めた。それだけの話だった。

 路地で少年に切りつけられるそのときまでは。


「ど、どうすれば助けてくれるんだ……金か? それなら――」


 男の懇願を、少年の高い声がさえぎった。

 

「おいおいおい、別に俺は助けてやろうと思ってアンタと会話していたわけじゃねぇよ。ただアンタの人となりがわかった方が、この先の仕事が楽しくなるってだけ」


 少年はナイフを一振りし、男のいる方へと近づいてきた。

 男は地面に座り込んだまま、声にならない悲鳴をあげた。


 取り返しのつかないことをしてしまったのだと、そのとき初めて気付いた。悪事だと知りながら依頼を受けた。小金欲しさに1人の少女を不幸にした。もしも己の犯した過ちをたった一晩のうちに償わなければならないとしたら、それはどんな痛みになるのだろう?

 途端にズキズキと痛みだした左腕を押さえ、男は震える声で言った。


「や、やめてくれ……俺はただのしがない占星術師だ。一般市民だ。俺を殺せば、お前はこの先ずっと罪の意識に苛まれることに……」

「心配ご無用。アンタがしがない占星術師なら、俺はイカれたサイコ・キラーだ」


 少年は蛇の目を細め、光るナイフを振り上げた。


 明朝、男は生前の原型をとどめぬ惨殺死体となって発見された。

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