27.悪戯者のいもうと
テオがアシェルとドリスに連行されたあと、リヴィは本の物色を再開した。床に置いたままであった本の山を、また腕の中に抱え込んで、本棚にならぶ背表紙へ視線を走らせる。
そういえば後ろの本棚には何があったかしらと、何気なしに振り返ったとき、リヴィは声にならない悲鳴をあげた。人形のように愛らしい少女が、本棚の陰からじっとリヴィを見つめていたからだ。
「だ、誰……あ……も、もしかしてマリエラ様ですか?」
リヴィがすぐにその答えに行きついたのは、先のテオの登場があったからだ。恐らくマリエラは、テオと一緒に書庫へとやってきた。リヴィへの挨拶に行こうと、テオがマリエラを引っ張ってきたのだろう。しかしテオとリヴィの会話が予想外に盛り上がり、今の今まで登場の機会を失ってしまっていた――
リヴィは一度持ち上げた本をまた床へと下ろし、マリエラに向かって挨拶をした。
「初めまして、リヴィ・キャンベルと申します。マリエラ様……でいらっしゃいますよね?」
リヴィが念押しすれば、マリエラは言葉もなくこくりと頷いた。「マリエラは人見知りだから」というかつてのフローレンスの言葉が思い出された。それでもテオと一緒に書庫を立ち去らなかったということは、最低限リヴィと挨拶を交わす気はあるということだ。
目の前の少女がマリエラである、との確信が持てたところで、リヴィは長く伝えられずにいた言葉を口にした。
「マリエラ様。屋敷にやってきた当初、お洋服を貸していただいてありがとうございました。何も持たずにここへやって来てしまったものだから、とても助かりました」
リヴィが丁寧にお礼を述べても、マリエラは何も答えなかった。本棚の陰に半身を隠し、ときおりつぶらな瞳を瞬かせるだけ。腰まで伸びた真っ直ぐな黒髪と、陶器のような白肌も相まって、人形相手に話をしているのではないかという錯覚すら覚えてしまう。
(ど、どうしよう……これ以上、何をお話しすればいいのかしら。バルナベット家のごきょうだいは、皆びっくりするくらい性格が違うのね……)
無表情かつ嫌いなものには容赦のない性格のアシェル、気さくで誰に対しても人当たりのよいテオ、とことん無口で人見知りのマリエラ。テオと話した直後では、マリエラの無口さがことさら際立って感じられた。
それでもマリエラの顔立ちにアシェルの面影があるためか、リヴィはマリエラに親しみやすさを感じていた。何とかして仲良くなりたい、と思った。
会話の糸口を探すリヴィは、マリエラが人形を抱き込んでいることに気が付いた。手作りの布製人形だ。茶色の毛糸が髪の毛がわりで、光沢のある2つのボタンが目のかわり。小さな頃から使っている物なのだろう、少し汚れてくたびれている。
「そのお人形……お名前は何というんですか?」
リヴィが優しく問いかけると、マリエラはさくらんぼのような唇を小さく動かした。
「……アリス」
「アリス、可愛い名前ですね。誰かが作ってくれた物ですか?」
2度目となるリヴィの質問に、マリエラははてと首を傾げただけだった。そうだとは思うけど一体誰が作ってくれた物だったかしら、と心の声が聞こえてくるようだ。
どうにかして会話を続けたいと、マリエラの様子を伺っていたリヴィは、ふと人形の左腕が取れかかっていることに気が付いた。腕と胴体をつなぐ縫い糸が、劣化して解れてきてしまっているのだ。
リヴィは勇気を出してこう提案した。
「マリエラ様。もしよろしければ、私が人形を直しましょうか?」
***
解れてしまった古い糸は、一度すべて解いてしまおう。
足りない部分には綿を足し、布に皺ができないようにと気を遣いながら、腕と胴体を丁寧に縫い直していく。
客間へと戻ったリヴィは、人形の修理に精をだしていた。一緒に客間へとやってきたマリエラは、椅子に座ってぷらぷらと足を揺らしながら、リヴィが人形を直す光景を眺めていた。2人の間に会話はない。しかしこの沈黙は居心地がいいと、リヴィは客間に入った当初から感じていた。
(マリエラ様はアシェル様と似ているのよね……。お顔立ちもそうだけど、雰囲気がそっくりだわ。だから沈黙でも居心地が悪くない……)
ちくちくと人形に針を刺しながら、リヴィはそんなことを考えていた。マリエラほどではないが、アシェルもそこそこ口数が少ない部類の人間だ。現に花壇への水やりのときには、挨拶を除き一言二言しか会話を交わさないこともある。けれどもリヴィは、アシェルの作る沈黙は居心地が悪くないと感じていた。
(出会った当初は、無口無表情のアシェル様が怖くてたまらなかったはずなのに。不思議な変化でわ……)
色々なことを考えながら手を動かすうちに、人形の修理はすっかり終わった。腕と胴体がしっかりと縫い直された人形は、くたびれながらも少しだけ新しくなったように見えた。
「マリエラ様、どうぞ」
リヴィが差し出した人形を、マリエラは言葉もなく受け取った。まずは人形の顔をしげしげと眺め、次に縫い直したばかりの左腕を見つめ、最後に人形をぎゅうっと抱きしめる。さくらんぼ色の唇をほころばせる様子からは、マリエラの喜びが伝わってきた。
リヴィは裁縫道具を箱にしまいながら、微笑ましい気持ちでマリエラの笑顔を眺めていた。
そのとき、客間の外で足音が聞こえた。リヴィが音のする方を見やれば、客間の扉が勢いよく開き、難しい表情をしたアシェルが飛び込んできた。そして開口一番、今まで聞いたこともないような大声でこう言った。
「リヴィ! さっきはすまなかった。テオが言ったことを真に受ける必要はない、綺麗さっぱり忘れてくれ!」
アシェルの勢いに目を白黒させながらも、リヴィは答えた。
「だ、大丈夫です。テオ様が言ったことは冗談だと理解しています。アシェル様の結婚候補者として屋敷に置いていただいているのに、まさかテオ様とも仲良くなろうだなんて、そんな不謹慎な事は考えていませんから……」
というのは偽ることのないリヴィの本音だった。テオの人の良さは、あの短い会話の中で十分に理解することができた。しかしリヴィには、どうしてもテオとの未来を想像することができなかったのだ。その理由は自分でもよくわからない。
リヴィの言葉が本心であると伝わったのだろう、アシェルは短く息を吐いた。
「そうか……そういう事なら、この件はもういいんだ」
それからすっかり興奮が冷めた様子で、テーブルの上の裁縫道具に触れた。
「これは裁縫道具か? また何かを作っていたのか?」
「いえ、マリエラ様のお人形を直していたんです。糸が解れてしまっていたから」
「……マリエラに会ったのか?」
「はい。書庫でお会いして、その後一緒にここへ――あれ?」
リヴィは間の抜けた声を上げた。さっきまでマリエラが座っていたはずの椅子に、マリエラの姿がなかったからだ。どこに行ってしまったのだろうと客間の中を見回してみれば、すぐに見つかった。マリエラはテーブルの下に子猫のように身を潜めていた。まるでかくれんぼのようである。
(い、いつの間にテーブルの下に隠れたのかしら。猫のような素早さだわ……)
ひょいとテーブルの下を覗き込んだアシェルが、呆れ声をあげた。
「マリエラ、そんなところで何をしている。人見知りなのは仕方がないことだが、足音が聞こえたらすぐに隠れるその癖は直した方がいいぞ」
アシェルの忠告にマリエラは答えなかった。もそもそとテーブルの下から這い出すと、リヴィとアシェルを交互に見つめにんまりと笑った。その手には左腕を直したばかりの人形と、恐らく床に落ちていたのであろう長い髪の毛。
「……その髪の毛は」
リヴィがその先を言うよりも早く、マリエラは人形の両腕を大きく広げた。それと同時にリヴィも大きく腕を広げていた。リヴィがそうしたのではない、腕が勝手に動いてしまったのだ。まるで人形を介してマリエラに操られているみたいに。
「ええ!? どうして……」
叫ぶことに意味はなく、リヴィの身体はリヴィの意思に反して動く。ぎこちない動作で席を立ち、両手を広げたままアシェルのいる方へと歩いていく。
そして次の瞬間には、アシェルの腕の中へと飛び込んでいた。
頬に触れる人のぬくもりに、リヴィは今度こそ本気で悲鳴をあげた。
「きゃああああっ」
「リ、リヴィ!?」
リヴィの身体はリヴィの意思に反し、アシェルの胸元にすりすりと頬擦りを始める始末だ。恥ずかしくて逃げ出したくても、リヴィの腕はしっかりとアシェルの背中を抱きしめていて、どう頑張っても外れることはない。まるでリヴィの身体がリヴィの物ではなくなってしまったみたいだ。
間もなくしてアシェルの怒号が響き渡った。
「マリエラ! いい加減にしないか!」
ふいにリヴィの身体には自由が戻った。弾かれるようにアシェルから距離をとったリヴィは、そのままの勢いで床に尻もちをついた。顔は火照り、手足はがくがくと震え、何が起こったのかすぐに理解することができなかった。
人形を腕の中に抱き込んだマリエラは、呆然と座り込むリヴィを見、それから眉を吊り上げるアシェルを見た。まんまるな頬にえくぼができる。
「あははっ」
愛らしく悪戯な笑い声を残し、マリエラは猫のように客間を立ち去った。後に残されたのは真っ赤な顔で座り込むリヴィと、どこか挙動不審のアシェル。
「ア、アシェル様、すみませんでした。身体が勝手に動いてしまったんです。冗談ではなくて……」
リヴィがやっとの思いで謝罪をすると、ややあってアシェルは言った。
「大丈夫だ、わかっている。あれはマリエラの『神が与えし力』だ。人形を介して他人を意のままに操ることができる。『人形』と私たちは呼んでいる」
冷静な説明をするアシェルを前にして、リヴィは顔の火照りが落ち着くのを感じた。
「『人形』……。マリエラ様は『神が与えし力』をお持ちなんですね」
「あまり強い力ではないから心配する必要はない。しかし念のため、悪戯は止めるようにと釘を刺しておく。髪の毛も捨てさせておく」
リヴィは、マリエラが長い髪の毛を手にしていたことを思い出した。あれはリヴィの髪の毛で、あの髪の毛がマリエラの手に渡ったことでリヴィは操られたのだ。マリエラが暗殺一族の一員であることを考えれば末恐ろしい力である。
アシェルが客間を立ち去った後も、リヴィはしばらく床に座り込んでいた。顔の火照りは治まっても胸の鼓動は鳴りやまない。ドクドクとうるさい音を立てて、全身に熱い血を送り出している。
にわかに頭に湧いた思いに、リヴィは気が付かないふりをした。
もっとあの腕の中にいたかった、なんて。





