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24.ギフト

 神はこの世界の人々に、ときおり不可思議な力を与える。

 人はその力を『神が与えし力(ギフト)』と呼ぶ。


 人も森も寝静まった真夜中。バルナベット家の屋敷の園庭を、足音もなく駆ける影があった。その影は古びた木造の倉庫にするりと身体を滑りこませ、壁に立てかけられていたクワを手に取ると、早口でこう呟いた。


「まったく忌々しい女。アシェル様から少し気にかけられたくらいで良い気になっちゃって。自分がアシェル様の隣には相応しくないこと、どうして分からないのかしら」


 ぶつぶつとそう呟く彼女の名はカーラ、バルナベット家に仕える使用人の1人だ。


 カーラは元々、とある有名な貴族の末娘であった。しかしある時、母親が「カーラは不貞行為の末にできた娘である」という事実を明かし、カーラは家を追い出された。名の知れた貴族の娘である以上、簡単に奉公先が見つかるはずもなく、放浪の末にたどり着いた場所がこのバルナベット家だ。

 今まで使用人からかしずかれる立場であったカーラにとって、使用人として働くことは屈辱ばかりであった。それでもカーラには希望があった。その希望こそがアシェルの存在だった。


 カーラはアシェルが好きだった。初めて見たときから、彼の美しい面立ちに惹かれていた。バルナベット家の次期当主であるという点も魅力的だった。

 いつかアシェルの目に留まり、バルナベット家次期当主の妻になることが、カーラの希望であり夢だった。そうすれば自分を捨てた全ての人たちを見返すことができる。

 

 そんな時、屋敷にやってきたのがリヴィだった。乞食(こじき)のようにみすぼらしい娘は、あろうことかアシェルの結婚候補者を名乗った。

 結婚などできるはずがないとカーラは確信していた。なぜならリヴィは貴族の妻として相応しくないからだ。美しくもなければ賢くもない。何の特技もない女など、アシェルに愛されるはずがない。

 カーラの予想どおり、アシェルはリヴィを結婚相手として認めなかった。まともな会話一つすることのないまま不用品として処分しようとした。いい気味だと思った。


「そうよ、あの女はアシェル様の妻には相応しくない。皆そう思っていたじゃない。それなのになぜ、まだあの女は生きているの……。アシェル様と2人でお出かけなんかしちゃって、アシェル様と2人で花壇の水やりなんかしちゃって、アシェル様に相応しいのはこの私なのにぃぃ……」


 土に汚れたクワの刃が、カーラの狂気を映した。

 初めは小さな嫌がらせだった。読みかけの本を書庫に戻してみたり、髪飾りを見つかりにくい場所に落としてみたり。しかし嫌がらせは徐々にエスカレートし、ドリスが使用人たちに警告するまでになった。

 警告を受けたカーラは、一度は嫌がらせを止めた。けれども廊下で仲良く話し込むアシェルとリヴィを見るうちにいらいらは募り、今度は花壇をめちゃめちゃにした。リヴィとドリスが花の種を撒いた花壇だ。アシェルをたぶらかすリヴィ、リヴィを守ろうとするドリス、2人に対するカーラなりの警告のつもりだった。私のアシェル様に近づかないでよ、と。


 しかし今度も、カーラの企みは失敗した。

 令嬢らしからぬ行いを諌められればいいと、カーラは花壇にアシェルを呼んだのに、アシェルは一言もリヴィを責めなかった。それどころかめちゃめちゃになった花壇に、今度はアシェルとリヴィが2人で花の種を撒き、毎朝2人で仲良く水やりをするという有様だ。


 何も持たない女が、カーラから希望を奪おうとする。アシェルの心を奪おうとする。

 だからカーラは今朝、ドリスとリヴィが客間を空けた隙を見計らって、リヴィの靴にガラスの欠片を入れた。リヴィを傷つけるために。


「足に傷を負えば、当分水やりなんてできないでしょう。いい気味だわ。私のアシェル様をたぶらかす糞女、次は何をしてやろうかしら。もう一度花壇をめちゃめちゃにしてやるか。それとも……顔に傷でもつけてやろうかしら」


 カーラはクワの柄を、指先ですっとなぞった。なぞった場所には刃物を押し付けたような傷ができていた。これがカーラの力だ。神から授かったギフトと呼ばれる力。


 この世界では、ごくまれに不可思議な力を持った人間が生まれる。力の発現は血統によるものだったり、育った環境によるものだったりと、様々な推測がされるが正確なところはわかっていない。

 ギフトの種類は様々で、時に世界を変えるような力を持って生まれる者がいれば、何の役にも立たない力のこともある。生まれたときから力を持つ者もいれば、死の直前に力を発現させる者もいる。

 魔法、超能力、異能、様々な呼び名を持つ神が与えし力(ギフト)


 カーラのギフトは『裁断(ナイフ)』、指先で対象物を切り裂く力だ。切り裂ける物体はせいぜい布程度に限られるけれど、カーラはこのギフトに誇りを持っていた。この力こそが、アシェルの妻として相応しい証だと考えていた。


「そうね……それがいい。あの女の顔に傷をつけてやりましょう。あまり深い傷をつけられないのは残念だけれど、仕方がないわ。ああ……でも花壇をそのままにしておくのも嫌。全部めちゃめちゃにしてやろうかしら? 全部全部全部、あの女の全部を……」


 クワの柄を握りしめ、カーラがうっとりと呟いたその時だ。

 きぃ、と静かな音を立てて物置の扉が開いた。カーラがはっと振り返れば、月明かりを背にアシェルが立っていた。烏羽の髪は夜風になびき、黒曜石の瞳は星粒のように輝いている。月の精霊と見まがうばかりの美しさだ。


「ここで何をしている」


 物置に響くアシェルの声に、カーラはぎくりと肩を強張らせた。時刻は午前0時をとうに回っている。人気のない園庭の物置で、クワを手にしてうっとりと微笑んでいたことを、一体どう説明すればいいというのか。

 カーラはまごつきながらも必死に言い逃れようとした。


「私、私はその……花壇の見張りをしようと思ったんです。リヴィ様とアシェル様の大切な花壇が、また害獣に荒らされては困るから、だから……」


 カーラが苦しまぎれの言い訳をする間に、アシェルは物置の扉を閉めていた。月明かりのなくなった物置内は、また暗闇に包まれて、カーラの目にはアシェルの表情がわからない。

 衣擦れの音だけを立てて、アシェルはカーラに近づいてきた。


「カーラ、私に何か言うことはあるか?」


 尋ねる声と一緒に、カーラの右手には温もりが触れた。それがアシェルの手の温かさだと気付いた瞬間、胸が高鳴った。湧き上がる幸福に涙が零れそうになった。

 やはりカーラはアシェルと結ばれる運命だったのだ。アシェルが真夜中の物置小屋を訪れたのは、カーラを咎めるためではなく、カーラと2人きりになるために違いない。リヴィと良い関係を築こうとしていたのは見せかけで、心の中ではずっとカーラを想っていた。


 妄想を膨らませたカーラはクワを取り落とし、アシェルの手を握り返した。


「アシェル様……私はずっと、貴方のことが――」

「違う」


 ぺキリ、と小枝がへし折れたような音がした。その音が何の音であるかを考えるよりも早く、カーラの右手には激痛が走った。


「ああああっ……! 手が、私の手が……痛い、痛い痛いぃぃ……」


 今まで感じたことのない痛みに、カーラは身体をくの字に折り曲げて叫ぶ。右手の骨が折れたのだとすぐにわかった。そして骨を折ったのが他でもないアシェルだということも。

 ひぃひぃと悲鳴をあげるカーラの頭上に、アシェルの冷たい声が降り注いだ。


「もう一度訊く。私に何か言うことはあるか」


 カーラは涙と鼻水でぐちゃぐちゃになった顔でアシェルを見た。暗闇に立つアシェルは無表情だった。慈悲も、憐れみも感じさせなかった。

 大変なことをしてしまったのだと、そのとき初めて気が付いた。


 カーラは汚れた床に両手をつき、深く首を垂れた。


「も、申し訳ありませんでした……全て私がやったことです。リヴィ様の私物を勝手に移動させたのも、花壇を荒らしたのも、靴にガラスの欠片を入れたのも……」


 申し訳ありません、申し訳ありません、とカーラは何度も謝罪した。右手は赤く腫れ上がり、ズキズキと鋭い痛みを訴え続けるけれど、何よりも目の前の男が恐ろしくて仕方なかった。


 かつてのアシェルは、不要と認めたリヴィを虫けらのように殺そうとした。暗殺を生業とするバルナベット家の人々にとって、人の命は金よりはるかに軽い。

 外部から隔絶された環境で過ごすうちに、いつしか彼らの恐ろしさを忘れていた。


 謝り続けてのども枯れてしまった頃、カーラの耳にはアシェルの声が聞こえた。


「カーラ、もういい」


 先ほどとは打って変わって人間らしい声だった。罪が許されたのだと悟ったカーラは、静々と顔を上げた。

 月の精霊のように美しいその男は、死神のように邪悪な微笑みを浮かべ、カーラの首筋にそっと手を触れた。


粉砕(アバドン)

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