22.荒らされた花園
花壇がめちゃめちゃだ、との連絡を受けたリヴィは、大急ぎで屋敷の園庭へを向かった。園庭には数人の使用人が集まっていて、荒らされた花壇を労しげに覗き込んでいた。
「リヴィ様があんなに大切に世話していらっしゃったのに……」
「獣のしわざかしら。ネズミやモグラが、餌を探して土を掘り返したのかも」
使用人たちはひそひそ声で話していたが、リヴィが近づくと一斉に口を閉じてしまった。これは珍しいことではなかった。屋敷には20人程度の使用人がいるが、積極的にリヴィに話しかけようとする者はドリスとヴィクトールだけ。その他の使用人は、挨拶と最低限の事務連絡を交わすだけだ。
決してリヴィが皆に嫌われている、ということではないのだ。屋敷の中でのリヴィの立場が曖昧であるだけに、皆がリヴィとの距離を測りかねているというのが正しい。
沈黙の中、リヴィは花壇を覗き込んだ。ひどい有様であった。積み直したはずのレンガ囲いはめちゃめちゃに崩されているし、土は掘り起こされて種が飛び出してしまっている。
(ひどい……本当に動物がこんな悪戯をするのかしら。わざわざ花壇を掘り起こさなくても、山には食べ物がたくさんあるのに)
そんな考えが頭をよぎっても、口に出すことはできなかった。屋敷の使用人を疑うということは、目の前にいる彼らを疑うということ。味方がいないこの状況で憶測を口にすることは危険だった。
願いが通じたかのように、間もなく花壇のそばにリヴィの味方がやってきた。ドリスとアシェルだ。小柄な使用人がドリスの横を歩いているから、彼女が2人を呼びに行っていたらしい。
2人が花壇脇に到着するやいなや、年かさの使用人が小柄な使用人を咎めた。
「カーラ、アシェル様までお呼びする必要はなかったでしょう。このようなことでお手をわずらわせてしまっては申し訳ないわ」
カーラと呼ばれた使用人は、気まずそうに肩を竦めた。
「すみません……リヴィ様が手入れされた花壇ですから、アシェル様にもお知らせした方がいいかと思って……」
話し込む2人のかたわら、アシェルが花壇を見下ろした。跡形もなく崩されたレンガ囲いに、無残と掘り起こされた花の種。不愉快そうに眉をひそめ、リヴィの方を見た。
「花壇が獣に荒らされたようだと聞いたが……この花壇はリヴィが手入れしたのか?」
リヴィの心臓はドキリと鳴った。
(どうしよう、怒られるかしら……。貴族の令嬢が庭いじりをするなんて、普通のことではないもの……)
そんなことを考えながらも、今さら真実をごまかすことはできなかった。リヴィはうつむいたまま、ぽそぽそと小さな声で答えた。
「はい……4日前に私とドリスで花の種を撒きました」
「そうか……それは気の毒だったな。物置に小動物用の捕獲カゴがあったはずだが、花壇のそばに置いてみるか?」
思いもよらないアシェルの提案に、リヴィははっと顔をあげた。
アシェルは、リヴィの令嬢らしからぬ行いを全く気に留めた様子がなかった。足先で散らばったレンガをちょいちょいとつつきながら、すました顔でリヴィの答えを待っている。
リヴィは遠慮がちに答えた。
「……では、お借りしたい……です」
アシェルはうなずいた。
「少し重さがあるから、あとで私が運んでおく。花壇にはまた花を植え直すとして……せっかくの機会だしレンガも積み直してしまうか。リヴィ、このあと時間はあるか?」
「はい、大丈夫です」
「ではさっさと済ませてしまおう。私が道具を運んでおくから、リヴィは動きやすい格好に着替えてくるといい」
リヴィにそう促した後、アシェルは使用人たちの方を見た。
「他の皆は解散して構わない。ドリスはリヴィの着替えを手伝ってやってくれ」
とんとん拍子に事が進んでいく様子を、リヴィは他人事のように眺めていた。
アシェルが味方でいてくれるのだと理解した途端、ゆううつだった心が軽くなった。花壇を荒らされた悲しみも、使用人たちに対する懐疑心も、いつの間にか消えてなくなってしまっていた。
今まで誰に対しても感じたことのない、無条件の安心感だ。
間もなく使用人たちは解散した。ドリスは着替えを用意するために一足早く客間へと戻り、花壇のそばにはアシェルとリヴィが残された。
ドリスを待たせてはいけないと考えながらも、リヴィはひとまずアシェルに謝罪することを選んだ。
「アシェル様、本当にすみませんでした。お手をわずらわせてしまって」
「気にする必要はない。どうせ今日は暇な1日だった」
アシェルは本当に、呼び出されたことを迷惑とは思っていない様子だった。しかしリヴィには、もうひとつアシェルに謝罪しなければならないことがあった。
「あと勝手に花壇をいじったことも、すみませんでした。貴族の令嬢が庭いじりをするなんて、普通に考えればとんでもないことですよね……」
リヴィは溜息とともに肩を落とした。
いくら屋敷の中で自由が許されているのだとしても、10年ものときを特殊な環境で過ごしたのだとしても、リヴィが伯爵令嬢であることに違いはない。貴族の令嬢とは美しく、そして気高くあることが求められるものであり、何を間違っても泥仕事など許されるはずがないのだ。
(こういう貴族らしからぬ行いが、使用人たちを遠ざけてしまうのかしら……アシェル様の結婚候補者という体裁もあるのだから、もっとしっかりしないとダメね……)
庭仕事は今日限りにして、明日からは大人しく客間で本を読んでいようか。そんな事を考えるリヴィの耳に、アシェルの無感情な声が流れ込んできた。
「この家に普通の人間は必要ない」
「……え?」
リヴィは思わず聞き返した。
「私は貴族の一員だが、使用人としての立ち振る舞いも心得ている。騎士の戒律も覚えているし、その気になれば男娼の真似事もできる。円滑な暗殺の遂行のためには、様々な人物に擬態する必要があるからだ」
アシェルは流れるような口調で続けた。
「私たちは普通とは縁遠い一族だ。私たちとともに暮らす貴女が、普通であろうとする必要はない。だから貴族の規律など気にすることなく、思いつくことがあればやってみるといい。――貴女が楽しそうに過ごしているのを見ると、私も嬉しいから」
いつも変わらず無表情のアシェルが、そのときばかりは笑っているように見えた。





