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20.悲劇の始まりは

 その日の夜のこと。

 ヴィクトールは屋敷の階段を静かにのぼっていた。目指す場所は、屋敷の3階に位置するアシェルの私室。「今日の夜、皆が寝静まったころ部屋に来てくれ」と、アシェルから声をかけられたためだ。呼び出しの理由はとんと検討がつかない。面倒な話でなければいいが、と考えてしまう。


 ヴィクトールが部屋に入ったとき、アシェルは窓のそばに立っていた。窓越しの夜空を眺めながら、じっと何かを考えているようだ。ヴィクトールはこくりと息をのみ、それからかしこまった態度で尋ねた。


「アシェル様、どのようなご用件でしょう」


 アシェルは夜空から視線を外すことなく言った。


「今日、リヴィと2人でブリックヘイブンへ行った」

「はい……存じております」

「いつまでもマリエラのお下がりでは気の毒だから、服を買ってやろうと思ったんだ」

「はい……とても良い考えだと思います」


 ヴィクトールはアシェルの様子を注意深くうかがった。

 リヴィとアシェルがブリックヘイブンを訪れたことは知っていた。今日のお昼頃に、ドリスからその話を聞いたためだ。

 しかし歯痒いことにも、ヴィクトールは彼らの外出がどのような結果に終わったのかを知らなかった。こうしてアシェルから話題を持ち出されてしまうと、何か問題があったのだろうかと不安を覚えてしまう。

 

「父上からの金銭的な援助もあり、服については十分な物を買ってやることができた」

「はい……」

「その後はカフェに立ち寄り2人で食事をした。食後のケーキと紅茶も頼み、雑談で1時間ほど時間をつぶした」

「……はい」

 

 淡々となされる報告を、ヴィクトールは固唾を飲んで聞いた。話の行く先はまったくと言っていいほどわからなかった。

 たっぷりと沈黙をはさんだ後、アシェルは神妙な面持ちで口を開いた。

 

「――という1日だったわけだが、どう思う?」

「……はい?」


 予想外の質問に、ヴィクトールは素っ頓狂な声で聞き返してしまった。その後も答えあぐねていると、アシェルはもどかしそうに言葉を付け加えた。


「私は非常に有意義な1日だと感じた。リヴィも初めての外出を楽しんでいるように見えた。この見解に間違いはないと思うか?」


 そういうことか、とヴィクトールは膝から崩れ落ちそうになった。

 

 アシェルが深夜にヴィクトールを呼び寄せたのは、リヴィとの間に問題が起こったからではなかった。多分、純粋にヴィクトールと雑談がしたかったのだ。リヴィとのお出かけの感想を誰かに言いたくて仕方なかった。リヴィも同じように楽しんでいただろう、と誰かの同意を得たくて仕方なかった。

 冷徹無慈悲とささやかれる暗殺者の人間らしい一面に触れて、ヴィクトールは微笑ましい気持ちになった。ゆったりとした声音で、諭すようにして言った。


「リヴィ様は感情を取りつくろうことが得意な方ではありません。一緒にいるアシェルが『楽しんでいるようだ』と感じたのなら、本当に楽しんでおられたのだと思いますよ」

「そうか……」


 ヴィクトールの回答は、アシェルにとって満足のいくものだったようだ。堅苦しい表情をふっと緩め、ヴィクトールのいる方へと近づいてきた。雑談は続く。


「カフェに向かう途中で、エミーリエ・レスター嬢に会ったんだ。知っているか?」


 ヴィクトールは首をひねった。

 

「いえ……どこかで聞いた名前だとは存じますが」

「オスカー・グランド殿下の婚約者だ。つい数か月前に婚約が発表されたばかりだろう」


 アンデルバール王国の第3王子であるオスカー・グランド。その名前はヴィクトールとて当然知っている。オスカーの名を足掛かりにして記憶をたどれば、いくつかの記憶に行きついた。

 

「ああ……思い出しました。赤茶色の髪の、快活な印象を受ける女性ですよね。婚約が発表された当時、どこかで絵姿を拝見した記憶があります。確かずいぶんと長いこと、オスカー殿下とは非公式の婚約関係にあったのだとか……彼女がブリックヘイブンの街を訪れていらっしゃったのですか?」


 アシェルはうなずいた。

 

「オスカー殿下の国内視察に同行しているのだと言っていた。レスター家とキャンベル家は古くから付き合いがあるらしく、エミーリエ嬢の方からリヴィに声をかけてきたんだ」

「ははぁ……そんな偶然がありましたか」


 そういえばリヴィとエミーリエは同じ年頃か、とヴィクトールは考えた。

 いつの間にかまた神妙な面持ちとなったアシェルが、静かな声で尋ねた。


「ヴィクトール……リヴィからオスカー殿下の話を聞いたことがあるか?」

「はい?」


 本日2度目となる予想外の質問である。ヴィクトールがまじまじとアシェルの顔を見つめれば、アシェルはまたもどかしそうに言葉を付け加えた。

 

「オスカー殿下の名前がでたとき、リヴィが少し浮ついているように見えた。例えば王家とキャンベル家の間には深い付き合いがあるだとか、そんな話をリヴィから聞いたことはあるか?」


 ジェラシー、という言葉がヴィクトールの頭に浮かんだ。オスカーの名前を聞きそわそわとするリヴィを見て、どうやらアシェルはジェラシーを感じたようである。

 これはもしかすると、本当にもしかするのかもしれない。ヴィクトールは緩みそうになる口元を手のひらでおおい隠した。それから何食わぬ顔で言った。


「そういえば……リヴィ様はかつてオスカー殿下の婚約者だったとの話を聞いたことがあります」

「何?」

「婚約者だったといっても、もう10年も前の話ですよ。リヴィ様が『厄憑き』だとの噂が持ち上がり、婚約から半年と経たず破談になってしまったようです」


 ヴィクトールがその話を耳にしたのは、リヴィが屋敷にやってきて間もなくの頃だった。花嫁修業の休憩時間に、リヴィの口から偶然その話が語られた。

 話の発端は何だっただろうか。キャンベル家にとって重要な縁談がふいになったことでルドリッチがリヴィを恨んでいる、そんな話が始まりだったはずだ。

 

 ふとヴィクトールはカチリ、とパズルのピースがはまったような感覚を覚えた。繋がってはいけない点と点が繋がってしまった気がした。

 

 キャンベル家とレスター家には同じ年頃の娘がいた。両家の間には古くから親密な付き合いがあり、娘たちも友人関係を築いていた。あるときキャンベル家の娘が王家の婚約者となり、家族はたいそう喜んだ。しかし婚約からわずか半年後に、キャンベル家の娘は占星術師から『厄憑き』の汚名を着せられ、そのことが原因で婚約は破談となった。空いた穴を埋めるように、レスター家の娘が王家の婚約者となった。


「臭うな」


 そう呟いたのはアシェルだった。ヴィクトールは静かにうなずいた。

 リヴィは不幸な少女であった。占星術師から不吉な予言を受けたせいで、キャンベル家に降りかかる不幸をすべて背負わされた。他者を呪う力など持ちはしないのに、存在自体が災厄であるかのように扱われた。屋根裏部屋に閉じ込められ、婚約者を失い、家族からも虐げられて育った。

 

 ではリヴィに不幸をもたらした者は誰だったのか。「赤い目髪は災厄を運ぶ」と予言した占星術師か、予言を鵜呑みにしたルドリッチか。あるいは――それ以外の人物か。キャンベル家の栄光を妬む何者かが、裏で占星術師をあやつり、リヴィにあらぬ予言を授けた可能性は?

 

 今やもう、アシェルとヴィクトールの間に安穏とした雰囲気はなかった。

 ヴィクトールは左目のモノクルを引き上げ、低く掠れた声で言った。


「探りますか」


 アシェルは厳格な主の顔で答えた。

 

「お前の手のまわる範囲で調べてくれ。諜報員を使うとなると、父上に話を通さなくてはならないから」

「――御意」

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