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18.初めてのおかいもの

 アシェルとリヴィを乗せた馬車は、曲がりくねった馬車道をのんびりと下っていく。客車の小窓からは爽やかな風が吹き込み、ふと外を見やれば木々の小枝に小鳥の姿。出発当初は最悪であったアシェルの機嫌も、時間が経つにつれて順調に回復していった。


 出発から30分ほどが経った頃、馬車は山道を抜けた。周囲にはちらほらと民家が見え始め、馬車が進むにつれてその数は増えた。そしてさらに30分が経つ頃には、馬車の走る道は石畳となり、小窓の外には綺麗なレンガ造りの建物が建ち並んでいた。

 ここが本日の目的地であるブリックヘイブンという名の街だ。

 

 馬車はブリックヘイブンの街中からは少し離れたところにある、小綺麗な建物の前で停まった。

 

「バルナベット家ご用達の服飾店だ。男物でも女物でも、たいがいの物はここで揃う」


 簡単な説明をした後、アシェルはさっさと馬車から降りていった。そしてアシェルに続いて馬車から降りようとするリヴィに向けて、さも当然といった様子で手を差し出すのだ。

 リヴィは硬直した。男性からエスコートを受けるなど初めての経験だったからだ。


(わ、私が手に触れても迷惑ではないのかしら……。松葉杖がとれたばかりだから、手を貸してもらえるのは嬉しいけれど、アシェル様に不快な思いをさせてしまっては困るわ……)


 だからといってエスコートを辞退することなどできず、リヴィは注意深く様子をうかがいながらアシェルの手に触れた。

 しかし元々、人形ばりに表情の乏しいアシェルだ。エスコートの最中にも眉ひとつ動かすことはなく、その感情をうかがい知ることはできなかった。


 小綺麗な建物の内部は、たくさんの衣服で埋め尽くされていた。男性向けの革靴から女性向けの肌着に至るまで、生活に必要な一通りの衣服をそろえている。シャツやワンピースなどは豪華なデザインの物が目立つから、庶民向けというよりは貴族向けの店といった印象だ。

 

 アシェルがカウンター台に置かれたベルを鳴らすと、建物の奥からは中年の女性が顔をだした。目じりが下がった優しい顔立ちをしている。

 女性はアシェルの顔を見ると、目尻にしわを作って笑った。


「あらあら、ブラウン家のアシェル様ではありませんか。ご無沙汰ですねぇ」


 アシェルはすぐに答えた。


「仕事が立てこんでいたんだ。ようやく一段落して、久しぶりに呑気な街歩きだ」


 リヴィはおやと首を捻った。女性店員がなぜアシェルを「ブラウン家のアシェル様」と呼ぶのか、その理由がわからなかったからだ。

 困惑するリヴィの目の前で不可思議な会話は続く。


「お仕事は順調ですか。ブラウン家の領地では、質のいい綿を栽培されているのでしょう」

「綿の生育は順調だ。今年は穏やかな天気が続いているから、どこの領地でも平年以上の収穫が見込めるんじゃないか」

「そうですねぇ。収穫まで、このままのお天気が続いてくれればいいですけれど」


 安穏と続けられる会話を聞き、リヴィはようやく理解した。


(そっか……今のアシェル様はアシェル・ブラウンなのね。暗殺を生業とするバルナベット家ではなく、ごくごく普通の貴族家系であるブラウン家。そういう設定なのね……)


 暗殺一族であるバルナベット家は、アンデルバール王国で1、2を争う有名貴族だ。屋根裏部屋生活を送るリヴィでさえその名前を知っていた。

 だからバルナベットの人々は、一般人に擬態するためもうひとつの名前を持つ。アシェルの場合、その名前がアシェル・ブラウンだということだ。王国内では、アシェルという名はあまり珍しいものではないし、ブラウンという姓もありふれている。綿の栽培を主力産業とする領地も腐るほどある。誰と何を話したところで、人々の記憶に強く焼き付くことはないだろう。


 しばらく雑談を続けたあと、アシェルはようやく本題に触れた。


「今日は彼女の服を買いにきたんだ。生活に不自由のない一通りの物が欲しい」

「あらそう、こちらの可憐なお嬢様の……。失礼ですけれど、アシェル様とはどのような関係のお嬢様で?」


 まさかそんなことを尋ねられるとは思っていなかったのだろう。アシェルは見るからに動揺していた。何かを言おうと口を開くものの、結局何も言えずにまた口を閉じてしまった。

 そんなアシェルの様子を見て、女性店員は何かを悟ったようだった。目尻の笑いじわをさらに深くして、少し悪戯気に笑った。


「あらあらあら、無理に答えなくてもよろしいのよ。言葉にするのが難しい関係だってありますものねぇ。ささ、アシェル様、お嬢様。どうぞ奥の方にお進みくださいな。せっかくの機会ですから、いろいろと試着なさってみてください」


 女性店員がアシェルとリヴィの関係をどのように解釈したのかはわからない。けれどもあれこれと詮索されないことはリヴィにとってありがたかった。アシェルもそう考えているはずだ。

 

 女性店員が言ったとおり、今の彼らの関係を言葉にすることは非常に難しいのだ。


 ***


 それから先、リヴィはほとんど着せ替え人形状態であった。

 店の奥側にはかなり広めの試着スペースとなっていて、店内の品物を何でも試着することができる。女性店員が服や靴を運びこみ、リヴィがそれを試着し、試着スペースの外で待機しているアシェルに見せる。延々とその繰り返しだ。

 試着の途中で、リヴィは何度も「あの、そろそろ試着はおしまいに……」と言いかけたが、ノリノリの女性店員はそれを許さなかった。「あら、こちらもお似合いですねぇ」「お肌が白くていらっしゃいますから、あちらのワンピースも試着してみては?」あれこれと言葉を変えては、リヴィに次の服を着せようとする。どうやらこの店にとって、バルナベット家――もといブラウン家はかなりの上客らしかった。

 頼みの綱のアシェルも、一向にリヴィに試着を止めさせようとする様子はない。

 

 そんなこんなで小1時間が経つ頃には、試着スペースには試着済みの服の山ができあがっていたのだった。


「さてアシェル様……どの服をお買い求めになりますか? どれも非常にお似合いでしたけれど」


 喜色満面の女性店員が、試着スペースの外にいるアシェルへ向けて呼びかけた。そのときのリヴィはといえば、試着スペースの隅っこにぐったりと座り込んでいたところだ。


(ふ、服を買うのは大変なのね……マリエラ様もフローレンス様も、いつもこんな思いをして買い物をしてらっしゃるのかしら……)

 

 アシェルは疲れ果てたリヴィを一瞥し、それから積み上げられた服の山に視線を送ると、表情ひとつ変えずにこう言い放った。


「試着した物は全ていただこう。ワンピースも、靴も、髪飾りも、全てだ」


 まさかの豪遊宣言に、リヴィは思わず悲鳴をあげた。


「アシェル様! 私、そんなにたくさんは要りません! 服は3着もあれば十分ですし、靴など履きやすい物が1足あれば……」


 アシェルはそっぽを向き、不機嫌交じりの声で答えた。

 

「父上に『必要な物は金に糸目をつけず買ってこい』と言われただろう。貴族の家で暮らすのだから、このくらいの服や靴は必要だ」

「そうだとしても、私のために散財してはアシェル様が怒られてしまいます。せっかくクラウス様が気を利かせてくださったのに……」


 不安いっぱいのリヴィが訴えても、アシェルは聞き入れてくれそうにない。相変わらずそっぽを向いて腕組みなどしながら、クラウスへの不満を隠そうともせず言った。

 

「使ってはいけない金なら、初めから渡さなければいいんだ。こうして私の手元のよこしたのだから、どれだけ使っても文句を言われる筋合いはない。1枚も残さず使い切ってやる」

(い、意地になってる。変なところで意地になっていらっしゃるわ。アシェル様には案外子どもっぽい一面があるのね……)


 思えば出会った当初から、アシェルはクラウスに対してかたくなな一面があった。親子とはそういうものなのだろうと理解はできても、アシェルに子供気な一面があると知れば微笑ましい。『冷徹無慈悲の暗殺一族の次期当主であるアシェル・バルナベット』そんな大層な肩書を持っていると思えばなおさらだ。


 たくさんの商品が売れて、ほくほく上機嫌の女性店員が言った。


「お買い上げありがとうございます。商品をおまとめするのに少し時間がかかりますけれど、店内でお待ちになりますか?」


 アシェルは腕組みをしたまま考え込んだ。


「いや……どこかで適当に時間を潰してくる。荷物はまとまりしだい、外の馬車に積んでおいてもらえるか?」

「承知しました。せっかくですからお洒落なカフェテリアでランチなどなさってきては? 女性に人気のカフェテリアが、この近くに何軒かありますから」

「ああ、それがいいな。そうしよう」


 まさかの快諾である。試着スペースの隅っこで、リヴィは声にならない悲鳴をあげた。

 

 今日はリヴィにとって『初めての出来事』が多すぎた。同じ年頃の男性と2人きりで出かけるのは初めてだし、貴族の女性としてエスコートを受けるのも初めてのこと。手に余るほどの買い物をすることも初めての経験だ。

 そして今ここに、『同じ年頃の男性と2人きりで食事をする』という初体験が加わろうとしている。リヴィはパンク寸前だ。


(アシェル様と2人きりで食事だなんて……どんな顔をしてパンをほおばればいいの……?)

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