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1.呪われた令嬢

「リヴィ、お前に客だ。来い」


 扉の外側から父ルドリッチの声を聞いたとき、リヴィは破れた衣服の袖をつくろっているところであった。裁縫の手を止めぼんやりと考える。


(私にお客様……いったい誰かしら……)


 10年前にリヴィが隔離された当初こそ、たくさんの友人がリヴィの元を訪れた。とつじょとして自由を奪われたリヴィを憐れみ、温かな手紙や菓子を差し入れてくれる者もいた。

 しかし『厄憑きリヴィ』の名が広まってからというもの、リヴィの元を訪れる者はぱったりと途絶えた。リヴィのもたらす不吉を恐れるがゆえだ。誰しも我が身が一番かわいいものだから。


 この10年の間でリヴィの容姿は別人のようになってしまった。腰まで伸びたルビーレッドの髪に艶はなく、手足は枯れ木のように痩せ細っている。家族からの愛情が途絶え、満足な食事すら与えられなかった少女は、いまや死人とも見まがう風貌だ。


 かちゃり、と扉の外側から鍵を開ける音がした。

 リヴィは裁縫を一区切りにし、大きな布切れで長い髪をおおい隠した。続いて細長く切った布で、同じように目元をおおい隠す。やむをえず屋根裏部屋を出なければならないときには、不吉の源である目髪を隠すようにと言われているためだ。

 

 手探りで扉を押し開けると、少し離れたところからルドリッチの冷たい声が聞こえた。


「せいぜい粗相をしないようにすることだ。うまくことが運べば、お前は屋根裏部屋から出られるかもしれないのだから」


 父に続き手探りで階段を下りながら、リヴィはやはりぼんやりと考えた。


(私を屋根裏部屋から出してくださるようなお方……? 心当たりなどまるでないけれど……)

 

 リヴィは父とともに、屋敷の1階に位置する応接室へ立ち入った。家具に染みついた煙草の臭い、コーヒーの香り、花瓶に生けられた花の香り。たくさんの匂いが鼻孔に流れ込んできた。


「リヴィ、目隠しをとるんだ。そのままではお客様に失礼だろう」


 ルドリッチの声を聞き、リヴィはそろそろと目元をおおい隠す布を取った。窓から射し込む陽光に目がくらむ。屋根裏部屋の外で自由に物を見るのは何年ぶりのことだろう。

 

 応接室の中央にはリヴィの知らない女性が立っていた。年齢は20歳前後、肩の辺りで切りそろえられた銀髪が印象的な女性だ。執事服に似た衣服を身に着けている。

 女性は数秒リヴィの赤い瞳を見つめた後、うやうやしく腰を折った。


「初めまして、リヴィ・キャンベル様。私はドリスと申します。バルナベット家の当主であるクラウス侯の命令により、あなたをお迎えに参りました」


 そう丁寧に挨拶をされても、リヴィは満足に言葉を返すことができなかった。なぜクラウスという人物がドリスを迎えによこしたのか、その理由がさっぱりわからなかったからだ。ただ『バルナベット家』の名はどこかで聞いたことがあった。

 リヴィの疑問はルドリッチが解消してくれた。


「お前はバルナベット家の次期当主であるアシェル様に嫁ぐのだ。厄憑き娘の引き取り手など他にはあるまいて。粗相のないよう、うまく立ち振るまうんだ」


 リヴィはこてりと首をかしげた。


「アシェル……バルナベット様……?」


 やはりどこかで聞いたことのある名前だ。しかしどこでその名前を聞いたのかが思い当たらない。考え込むリヴィのかたわらで、ドリスとルドリッチの会話は続く。


「リヴィ様の身柄は本日のうちにお引き取りさせていただきます。ご家族との別れの時間が必要であれば1時間程度はお待ち申し上げますが、いかがいたしましょう?」

「必要ない、すぐに連れて行ってくれ」

「おおせのままに。馬車へ積み込む荷物はございますか?」

「厄憑き娘に持たせる財産などあるものか」


 実の娘の嫁入りの話をするというのに、ルドリッチの声は氷のように冷たかった。早くリヴィを屋敷から連れ出してくれ、と心の声が聞こえてくるようだ。

 リヴィはルドリッチの横顔を見上げた。屋根裏部屋から出るときには目隠しを強要されていたリヴィにとって、ルドリッチの顔を見るのは実に数年ぶりのことだ。数年越しに見る父の顔は、想像以上に年老いていた。厄憑き娘を抱えたキャンベル家、この10年間苦労は多かったのだろう。


 ルドリッチの顔がリヴィの方へと向いた。老いを感じ始めた瞳は、一瞬にして恐怖の色に染まった。


「その目で私を見るんじゃない!」


 ルドリッチはこぶしを振り上げた。

 殴られる、リヴィはその場に立ち尽くしたまま固く目をつぶった。


 しかしいつまで経っても、ルドリッチのこぶしがリヴィの頬を打つことはなかった。

 リヴィが恐る恐る目を開けてみれば、目鼻の先にはドリスの背中があった。ルドリッチのこぶしからリヴィを守るようにして立っている。それだけではない。ドリスの右手には抜き身の小刀。小刀の先端はルドリッチの喉首に突き付けられていた。


「私はクラウス候から『リヴィ様を怪我なく屋敷にお連れするように』と申しつけられております。たとえ実の父君であったとしても、リヴィ様への殴打を黙認するわけには参りません」

「ひ……あ……」


 にぶく輝く小刀に薄皮を裂かれ、ルドリッチはへなへなと床に座り込んだ。先ほどまで尊大な態度はどこへ行ったのやら、カチカチと歯の根を震わせるさまは無様としか言いようがない。

 

 リヴィは崩れるように座り込んだルドリッチを見下ろし、それからドリスを見た。リヴィよりもはるかに長身のドリスは、ちょうど小刀をさやに納めているところであった。

 人の薄皮を切り裂いた直後だというのに、ドリスの表情に目立った変化はない。お気に入りの万年筆でも扱うように、小刀を懐へとしまい込んだ。

 ドリスの手元を見つめていたリヴィは、小さな声でつぶやいた。


「アシェル・バルナベット様……『バルナベット家』……」


 リヴィの声は震えていた。『バルナベット家』の名に思い当たる節を見つけたからだ。


 リヴィの暮らす国は、名をアンデルバール王国という。貴族制が採用される封建国家であり、少数の貴族が王国各地を治めている。伯爵家であるキャンベル家もそのひとつだ。

 そして古くから続く貴族でありながらも、五爵位――公爵、侯爵、伯爵、子爵、男爵――のいずれにも属さない特殊な家がある。それがバルナベット家だ。王国北部の高山地帯に屋敷を構え、外界からは隔絶された生活を送っている。

 アンデルバール王国の民であれば、例え子どもであっても彼らの名を知らない者はいない。


 バルナベット家――彼らの生業(なりわい)は金をもらい人を殺すこと。

 冷徹無慈悲の暗殺一族だ。

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