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17.初めてのおでかけ

 エーデルワイスの花畑で和解をしてからというもの、アシェルとリヴィの関係は劇的に変わった。変わった、とは言うまでもなく良い方向にだ。屋敷の中ですれ違えば立ち止まって雑談を交わすこともあるし、アシェル自らが客間を訪ねてくることもある。

 骨折が完治するまで晩餐会への参加は見送ることとなったが、リヴィはもう屋敷での生活に疎外感を感じることはなかった。

 

 そんな日々がいくらか続いた。


「リヴィ。今日、少し街に下りてみないか?」


 リヴィがアシェルからそう声をかけられたのは、朝食を終えて客間でくつろいでいるときのことであった。突然の誘いに、リヴィはこてりと首をかしげた。


「街に……ですか。ええと、何のために?」

「貴女の服を買うためにだ。マリエラの服では、もうだいぶん窮屈そうに見える」


 そう指摘されて、リヴィは着ている衣服に視線を落とした。

 アシェルの妹であるマリエラから借りているワンピース、以前のリヴィにはぴったりのサイズだったが、今は少し窮屈だ。バルナベット家の屋敷で過ごすうちに、リヴィの体型が健康的になってきた証だ。

 

 借り物のワンピースのすそを撫でながら、リヴィは申し訳なさそうに言った。


「とても嬉しい提案ですけれど、私はお金を持っていませんし……」

「金なら私が出す。貴女が心配することじゃない」

「松葉杖がとれたばかりで、まだ歩くのが遅いですから、アシェル様にご迷惑をおかけするかも……」

「移動には極力馬車を使うつもりでいるし、必要なら休憩をはさんでもいい。私が誘って出かけるのだから、何が起こっても迷惑などとは思わない」


 アシェルが表情ひとつ変えずにそう言い切るものだから、リヴィは続くいくつかの言葉を飲み込んだ。そんなものだろうか、と不思議な気持ちになった。

 キャンベル家の屋敷で暮らしていた頃、リヴィは生きているだけで皆に迷惑をかけていた。アシェルの言葉に嘘はないのだと頭ではわかっていても、本当にそこまで気づかってもらっていいのだろうかと不安になってしまう。


(けれどいつまでも服をお借りしているわけにはいかないし……だからといって私1人では街を歩くことなどできないし……)


 リヴィは決意を固め、アシェルを見た。


「でしたら、お願いしてもよろしいでしょうか?」


 アシェルは満足そうにうなずいた。


「準備ができしだい出発しよう。私は外で馬の手入れをしているから、身支度が済んだら声をかけてくれ」


 早口でそう言い残し、アシェルは客間を出て行った。

 リヴィはしばらく静けさの中に佇んでいたが、やがていそいそと立ち上がった。屋根裏部屋生活が長いリヴィは、幼少時をのぞき他人と買い物に出かけた経験がない。外出のための身支度と言われても、何をすればいいのかさっぱりわからないのだ。


(ドリスを探して、何を準備すればいいのか教えてもらわないと……アシェル様とお出かけするのなら、少しおめかしした方がいいのかしら?)


 そこまで考えて、リヴィはふととある可能性に思い至った。


(もしかしてこれはデートというものになるのかしら……いえ、そんなはずはないわよね……ただ一緒に服を買いにいくだけなのだし、アシェル様も深くは考えていらっしゃらないはず……)


 それでも何だか心がムズムズしてしまうリヴィであった。


 ***


 ドリスの力を借り、身支度を済ませたリヴィが屋敷から出ると、アシェルは御者と話をしているところであった。どうやら今日の行程について打ち合わせを行っているようだ。2人のそばにはすっかり準備の整った馬車が停まっていて、先頭に繋がれた2頭の馬がのんびりと尾を揺らしている。

 リヴィが2人のところにたどり着くより早く、アシェルがリヴィに気が付いた。


「リヴィ、もう身支度が済んだのか。馬車の準備はできているから先に――」


 そこで言葉を切ったアシェルは、リヴィの頭の先から爪先までをまじまじと眺め、驚きに満ちた表情を浮かべた。


「本当にリヴィか? いつもと全然、印象が違う」


 率直な意見をぶつけられて、リヴィは顔に熱がのぼるのを感じた。


「か、髪を結んでいるからだと思います……。髪の色が目立たないように、ドリスがきっちりと編み込んでくれたから……」

「……そうなのか。女性とは髪型ひとつで全体の印象ががらりと変わるものだ」


 アシェルはリヴィの説明に疑問を抱いた様子はない。

 

 ここだけの話であるが、リヴィの印象がいつもと違うのは、髪型が変わったことだけが原因ではなかった。顔にはしっかりと化粧がほどこされているし、衣服は借り物の中でもリヴィに一番似合うミントグリーンのワンピース。靴はおしゃれながらも歩きやすいメリージェーン・パンプスだ。手首にはほんのりと香水を香らせるという徹底具合である。

 これらは全てドリスの手ほどきによるものだ。リヴィが「アシェル様とお買い物に行くことになったの」と伝えたとき、ドリスは過去に類を見ない興奮ぶりであった。画家顔負けの筆さばきでリヴィの顔に化粧をほどこし、ピアニスト顔負けの指さばきでてリヴィの髪を編み込んだのである。使用人仲間からリヴィの足に合うメリージェーン・パンプスを借りてきてくれたのもドリスだ。「リヴィ様、これはアシェル様との距離を縮める絶好の機会です。多少こずるい手段を使っても構いません。リヴィ様の魅力で、アシェル様の心をがっしりと捉えてください」何度も念押しするドリスに、リヴィは言葉を返すことができなかった。


(だって私には他人を惹きつけるような魅力なんてないんだもの……アシェル様と結婚だなんて贅沢なことは言わない。使用人として雇ってもらえれば十分だわ……)


 ドリスには申し訳ないけれど、それがリヴィの本音だった。


 ふと、馬車道の向こう側から馬が駆けてくるのが見えた。馬の背には男性が1人またがっている。馬が屋敷に近づくにつれて、アシェルは苦虫を嚙み潰したような表情となった。


「父上……」


 馬にまたがるその人物は、アシェルの父親であるクラウス・バルナベットその人だ。

 クラウスを乗せた馬は、アシェルとリヴィの目の前で停まった。慣れた調子で馬から下りるクラウスに、アシェルは不機嫌気味に声をかけた。


「随分と早いお帰りですね。1週間は家を空けるのだと思っていました」


 クラウスは快活と返事を返した。


「思ったよりも早く仕事が終わったんだ」

「のんびりと観光でもしてくれば良かったではないですか」

「直前に人を殺した身で、呑気に観光などできるはずがないだろう。何を言っているんだ、お前は」


 クラウスは怪訝そうに眉をひそめ、アシェルは心底面倒くさそうに溜息を零した。

 

 リヴィはハラハラとしながら2人の会話風景を見つめていた。棘のある言動から察するに、アシェルがクラウスとの遭遇を望んでいなかったことは明らかだ。それがどのような感情からくるものなのか、リヴィにはよくわからなかった。

 クラウスの視線は一瞬リヴィの方へと向き、それからまたすぐにアシェルの方へと戻った。

 

「それで、お前たち2人はここで何をしているんだ。馬車を用意しているということは、どこかへ出かけるつもりだったのか?」

「……リヴィの服を買いに行こうと思っています。いつまでもマリエラのお下がりを着せていては気の毒でしょう」


 不機嫌全開のアシェルが答えた途端、クラウスはさも愉快そうに目を細めた。

 

「ほう……リヴィ嬢の服をねぇ……」


 にんまりと呟いた次の瞬間には、クラウスは懐から分厚い札束をとりだした。そしてその札束の半分を、まるで土産菓子でも渡すようにしてアシェルの目の前に差し出すのだ。

 アシェルの眉間のしわはみるみるうちに深くなる。


「……何ですか」

「今回の仕事は割が良かった。買い物に行くというのなら小遣いをやろう。せっかく街に下りるのだから、必要な物は金に糸目をつけず買ってくるといい」


 アシェルは札束を手の甲で払いのけ、つっけんどんに返事をした。

 

「いりません。金なら持っています」

「お前にはあまり大きな金の管理は任せていないだろう。女性の買い物は想像以上に金がかかるものだぞ。私がやると言っているのだから、変な意地は張らずに受け取っておけ」


 クラウスの口調は明らかにこの状況を楽しんでいた。対照的に、アシェルは今にも怒鳴り出さんばかりの不機嫌具合だ。それでもクラウスの言うことが正しいと悟ったのだろう。クラウスの手から札束を奪い取り、礼も言わずに馬車へと乗り込んでいった。

 会話の席に残されたのはクラウスと、今まで蚊帳の外であったリヴィだけ。リヴィはクラウスの顔をちらりと見やり、それから怖じ怖じとお礼を言った。


「あ、あの、クラウス様。ありがとうございます……」

「気にするな。欲しいものがあれば対価を支払うのは当然のことだ。対価イコール金だとは言わないが、金で済ませられる部分は金で済ませてしまった方がいい。アシェルもその事はよくわかっている」

「は、はぁ……?」


 クラウスの発言には含みがあった。

 リヴィはしばらく考えたが、クラウスの言葉の真意にたどり着くことはできなかった。

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