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閑話:マカロンのゆくえ

 リヴィとアシェルがエーデルワイスの花畑を訪れた、その夜の出来事だ。


 家族での夕食を終えた後、クラウスはダイニングルームで晩酌を続けていた。シェフ手作りのつまみをちびちびと摘まみながら、ワイングラスを優雅に傾ける。クラウスにとっては1日の終わりを感じさせる時間だ。

 クラウスが夕食後に晩酌をするのはいつものことだが、今日は1つだけいつもとは違うことがあった。酒を好まず、食事が終わればすぐに自室へと戻ってしまうことの多いフローレンスが、今夜は珍しくダイニングルームに滞在しているのだ。ミルクがたっぷりと入った紅茶を掻き回しながら、クラウスの晩酌風景を眺めている。2人の間に会話がないが、穏やかな空気が流れていた。


 ダイニングルームの扉が開いた。入ってきた者は、先ほど食事を終えて退席したばかりのアシェルだ。唇をきりりと引き結び、右手にはなぜか菓子皿を持っている。

 アシェルはダイニングテーブルの脇で足を止めると、強い口調で言った。


「父上、母上。話があります」

 

 クラウスは興味深げにアシェルを見やるが、フローレンスはミルク入りの紅茶に視線を落としたままだ。これから話される内容に興味がないのだと言うように。


「話、とはリヴィ嬢に関わることか?」


 クラウスの問いに、アシェルはすぐに頷いた。


「そうです」

「まさかとは思うが、リヴィ嬢と結婚する気になったのか?」

「すぐに結婚するとは言いません。ですが結婚も視野に入れながら、しっかりと彼女との関係を考えていきたいと思います」


 アシェルの答えは淀みない。クラウスは意外そうに眼をまたたかせた。まさか本当に、アシェルがリヴィとの結婚を考えているとは思わなかったのだ。

 驚きに満ちた表情は、すぐに悪戯気な表情へと変わった。


「アシェル……一体どんな心境の変化だ。一時はリヴィ嬢を殺すとまで言っていたくせに。あの雨の夜、お前とリヴィ嬢の間には何が起こったんだ?」


 大雨の夜にアシェルがリヴィを殺さなかったことは、クラウスとて当然知っていた。その夜以降、アシェルがたびたびリヴィの客間を訪れていることもだ。

 アシェルの変化を知りながらもクラウスは傍観に徹していた。初めからリヴィの処遇についてはアシェルに任せるつもりでいたからだ。「リヴィ・キャンベルと妻として迎え入れるかどうか、判断はお前に一任しよう。どのような結果になっても文句は言わない」そう言い放ったのは他でもないクラウスだ。

 アシェルは少し考え込む素振りを見せた。


「……特別、何かが起こったというわけではありません。ただあの夜のやり取りを通して、彼女に少し興味が湧いたのは事実です」

「ほぉ?」


 クラウスは話の続きを促すように、テーブルの上に身を乗り出した。しかしアシェルはそれ以上のことは言わず、今度はフローレンスに視線を向けた。

 退屈そうに紅茶をかき回すフローレンスの目の前に、菓子皿を置く。


「母上、どうぞ。仕事の土産です」


 フローレンスは紅茶をかき回す手を止めて、菓子皿に視線を落とした。アシェルが持ち込んだ菓子皿の上には見慣れない物体がのっていた。黄色、白、ピンク色。さまざまな色合いのその物体は、一見すれば子どものおもちゃのようにも見える。


「これはなぁに? 食べ物かしら?」

「『マカロン』という名前の菓子です。見た目が綺麗だという理由から、貴族の女性がこぞって買い求めているようですよ」


 ふぅん、と呟き、フローレンスはマカロンをひとつ摘まみ上げた。マカロンの端に申し訳ばかりにかじりつき、それから気だるげな口調で言った。


「それで、私に何か言いたいことがあるのかしら? ご機嫌とりのお菓子まで用意して」


 バルナベット家の次期当主であるアシェルは、仕事で頻繁に屋敷を空ける。行先は仕事の内容によってさまざまだが、土産の菓子を持ち帰ったのは初めてのことだった。フローレンスが勘繰るのも当然だということだ。

 アシェルは一呼吸を置き、それから決意を込めた口調で言った。


「私はリヴィ嬢との関係を真面目に考えるつもりです。ですから母上も彼女をいじめるような言動は控えていただきたい」


 フローレンスは意外そうに目を丸くした。

 

「心外だわ。私がいつあの子をいじめたというの」


 アシェルは声を荒げた。

 

「いつも、です。初対面のときも、晩餐のときも、ちくちくと心に刺さるような発言をしていたではありませんか!」


 リヴィが初めて屋敷にやってきたとき、フローレンスはリヴィの境遇を貶めるような発言をした。リヴィを交えた晩餐の席では、マリエラが席につけないのはリヴィのせいだと仄めかした。紛れもない事実だ。

 アシェルに睨みつけられても、フローレンスは堂々とした態度を崩さなかった。それどころかこれ見よがしに溜息を吐いた。

 

「アシェル……あなた、それでも私の子どもなの? 私の口が悪いのは元からじゃない。あの子にだけ特別きつくあたっているつもりなんてないわ」


 この発言には、今度はアシェルが意外そうに目を丸くする番だ。


「……母上は、私とリヴィ嬢の結婚に反対していたのでは?」

「別に反対なんてしていないわよ。単純に興味がないだけ。結婚くらい自分のしたい相手としたらいいじゃない。あなたが選んだ相手なら、老婆でも、娼婦でも、女神様でも、私は文句なんて言わないわ」


 そこで一度言葉を区切り、フローレンスはアシェルに向けてしっしと追い払う仕草をした。


「話は終わり? それならすぐに出て行ってちょうだい。紅茶が冷めてしまったじゃない」


 ***


 アシェルは拍子抜けした様子でダイニングルームを後にした。

 後に残されたフローレンスとクラウスは、各々の夜の楽しみを再開した。クラウスはワイングラスにとくとくとワインを注ぎ、フローレンスは紅茶を片手にマカロンをかじる。穏やかな時間が帰ってきた。

 しばしの沈黙の後、クラウスはご機嫌で言った。


「フローレンス。息子の成長というのは、いくつになっても嬉しいものだな」


 アシェルは昔から融通の利かない性格だった。暗殺の才能には秀でていたが、こだわりが強くクラウスと対立することも珍しくなかった。

 当初のアシェルがかたくなにリヴィとの結婚を拒んだのは、父親に対する反抗心が強かったためだろうとクラウスは予想していた。己の未来を勝手に決められることが嫌で仕方なかった。貴族の結婚とはそういうものだと頭では理解していても、だ。

 

 しかしアシェルはリヴィを受け入れた。過去の判断が間違いであったと認め、リヴィと真正面から向き合うことを選んだのだ。かたくななアシェルの性格から考えれば驚くような進歩だ。


 そうであるはずなのに、フローレンスは浮かない表情だ。


「成長ねぇ……。嬉しいことは嬉しいけれど、私はリヴィ(あの子)が心配だわ」

「心配? なぜ」

「だってバルナベット家の男は普通ではないんだもの。常識が通じない上に執着的だわ。リヴィ(あの子)にアシェルの愛を受け止めきれるかしら」


 クラウスの目は面白そうに細められた。


「なんだ、『常識が通じなくて執着的なバルナベット家の男』に心当たりがあるのか?」

「少なくとも1人は知っているわ。『悪魔憑き』と呼ばれていた娘に一目惚れして、殺しのターゲットであることも忘れて屋敷に連れ帰ってしまった愚かな男よ」

「懐かしい話を持ち出してきたな」


 くつくつと含み笑いを零し、クラウスはワイングラスを揺らした。

 鮮やかなチェリーレッドの水面が揺れる。

 傷口から溢れだしたばかりの血液のように、濃く香る。

 

 たっぷりと空気を含ませたワインを一口口に含み、クラウスは続けた。

 

「殺しを生業(なりわい)としているんだ。バルナベット家の一族が普通であるはずがない。普通ではないからこそ、『普通ではないもの』に惹かれるんだ」

「異常なものほど愛おしいということ?」

「そういうことだ」


 大雨の夜にアシェルとリヴィの間でどんなやり取りがなされたのか、クラウスは知らない。リヴィのどんな発言がアシェルを心変わりさせたのか、どんな行動がアシェルの心を打ったのか。

 多分一生、知ることは叶わない。

 

 人は本性とは死の直前にこそ見えるものだ。ならばアシェルはリヴィの本性を見たはずだ。

 弱々しく儚げで、生きることにすら怯えていた少女は、アシェルに何を見せたのだろう。

 何がアシェルを魅せたのだろう。一生知ることはない。


 フローレンスが尋ねた。


「クラウス、これから貴方はどうするつもりなの?」


 クラウスは答えた。

 

「どうもしないさ。2人の行く先を見守るだけだ。私たちは物語の傍観者でしかないのだから」

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