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15.あなたのぬくもり

 その花は、主に高山地帯に群生する。

 花びらに雪が降り積もったような、特徴的な見た目の花だ。

 アンデルバール王国のどこかに、その花が何万株と群生している場所がある。

 芝生に雪の花が咲き乱れたように、美しく幻想的な風景が広がっているのだという。



 柱時計の針は午後3時を回っていた。

 日課である読書を一区切りにしたリヴィは、客間でティータイムを楽しんでいた。ドリスが淹れてくれた紅茶をちびちびと飲みながら、菓子皿に盛られたマカロンをつまむ。幸福な一時だ。


 リヴィが黄緑色のマカロンをほおばったとき、客間にはアシェルが入ってきた。リヴィは大慌てでマカロンを噛み砕いたが、アシェルが口を開くほうが早かった。


「ドリスはいないのか」


 リヴィはマカロンの欠片を大急ぎで飲み込むと、そしらぬ顔で答えた。


「ドリスは少し前、ヴィクトールに呼ばれて出て行きました。本の整理をするのだと言っていたから、書庫にいると思いますけれど」

「ああ……いや、別にいいんだ。ドリスに用があったわけじゃない」

(……ということは、私に何か用事があるのかしら)


 リヴィは背筋を伸ばし、アシェルが話し出すのを待った。

 しかしアシェルはむっつりと黙り込むばかりで、それ以上何も話そうとはしなかった。沈黙にいたたまれなさを感じ始めたリヴィは、ふと思いついたことを口にしてみた。


「あの……アシェル様。お土産にいただいたマカロンなんですけれど……」

「ん、あれがどうした」

「とても美味しくて毎日ティータイムにいただいているんですけれど、私1人では食べ切れそうにないんです。使用人の皆さまにお裾分けしてもよろしいでしょうか?」


 アシェルが仕事の土産として箱いっぱいのマカロンを持ち帰ったのは、今日から4日前の出来事だ。以降、リヴィはティータイムのたびにマカロンを食べ続けているが、大量のマカロンは一向に減る様子を見せない。同じ菓子を食べ続けることは苦痛ではないが、いつか痛ませてしまうのではと気が気ではないのだ。

 リヴィが上目づかいでアシェルの様子をうかがと、不愛想な表情が少しだけ緩んだように見えた。

 

「貴女にあげた物だ。好きにしたらいい」


 リヴィはほっと肩を撫でおろした。

 

「ありがとうございます」


 アシェルから視線を外したリヴィは、西日で輝く窓の外を見やった。黄色味を帯び始めた太陽光が、長く続く馬車道を照らしている。


 大雨の夜、リヴィは絶望を抱えその馬車道を下った。「殺されないためには自ら命を絶つしかない」のだと、死神は何度も耳元でささやいた。リヴィは死神の声を受け入れ――崖上から身を投げた。

 しかしリヴィは死ねなかった。アシェルもリヴィを殺さなかった。

 その翌日以降、アシェルはリヴィの元を訪れるようになり、今ではこうしてささやかな会話ができるまでになった。屋敷にやってきた当初の険悪な関係からみれば信じがたい変化だ。


(それでもまだ、私とアシェル様の関係は他人以外の何物でもない。アシェル様が私を生かした理由も、これから私をどうしたいのかもわからない……)


 ささやかな会話はそこで終わりかと思われた。

 マカロンを土産に持ち帰った後も、アシェルは日課のように客間を訪れ続けているが、いつも社交辞令の会話を交わして終わりだった。2人の間で会話が弾むことなどなかった。


 今日も同じ日になるのだと信じて疑わなかった。

 アシェルが緊張の面持ちで口を開くまでは。


「この後、急ぎの用事はあるか」

「いえ……本を読む以外に予定はありません」

「では少し散歩に行かないか?」


 意外な提案に、リヴィは目をまたたいた。


「散歩、ですか?」


 ***


 散歩と言うくらいなのだから、てっきり2人で中庭を歩くものだと思っていた。

 しかし予想外にも、アシェルは屋敷の裏手にある馬小屋へと足を向けた。リヴィは黙ってアシェルの後ろを歩いていたが、馬柵(うませ)から顔を覗かせる馬を見たとき、こらえきれずに声をあげた。


「アシェル様! 私、馬には乗れません! 乗馬など習ったことがありませんし、骨折もまだ治っていませんし……」


 右脚脛骨の骨折は順調な回復をみせているものの、リヴィはまだ松葉杖なしに歩くことができなかった。馬に乗るなどもっての他だ。

 リヴィの必死の訴えに、アシェルは涼しい表情で応えた。


「私が後ろで支えるから、貴女はただ背中を預けていればいい」

「そ、そうは言われても……」


 困惑するリヴィを残し、アシェルは馬小屋の中へと消えて行った。

 そして次に姿を現したときには、右手で白馬の手綱を引いていた。雪のように白いたてがみと、黒真珠のようにつぶらな瞳を持つ美しい馬だ。


 その美しい馬にまたがることを想像すれば少し心が弾む。けれどもやはり楽しみよりも不安の方が大きかった。


「アシェル様、やっぱり私――ひゃっ」


 尻込むリヴィの身体をアシェルは軽々と抱え上げた。そのまま強引に馬の背中に乗せられて、リヴィは軽く錯乱状態だ。

 アシェルは地面に落ちた松葉杖を拾うと、馬小屋の外壁に立てかけ、すぐに白馬の元へと戻ってきた。そして慣れた動作であぶみに足をかけると、ひょいと白馬の背に飛び乗った。


「10分くらいで着く。ゆっくり歩くから楽にしていたらいい」


 後頭部のすぐ後ろからアシェルの声が聞こえ、リヴィは肩を強張らせた。

 背中越しにアシェルのぬくもりが伝わってくる。遠い昔に忘れてしまった人のぬくもりだ。


(まるでアシェル様に抱きしめられているみたい……そんなはずはないのに……)


 鼻の奥につんと涙の味がした。空っぽの心の中が満たされていく気がした。


 アシェルとリヴィを乗せた白馬はゆっくりと歩き出した。申し訳ばかりにならされた山道を、トコトコと足音を立てて進んでいく。

 リヴィは何も言わなかった。アシェルもまた何も話さなかった。木漏れ日が、2人の進む道を白くまぶしく照らしていた。


 そうして白馬にまたがり山道を歩くこと10分。

 たどり着いた場所には絶景が広がっていた。

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