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14.不可解な態度

 大雨の夜から1週間が経った。


 右脚の脛骨を骨折するという重傷を負ったリヴィは、ベッドの上での生活を余儀なくされていた。

 3度の食事をベッドの上でとり、数日に一度の入浴を除き客間から出ることもない。屋根裏部屋に閉じ込められていた頃よりも、さらに不自由な生活だ。

 それでも運び込まれる食事は滋養にあふれ、ドリスとヴィクトールが話し相手になってくれる。開け放たれた窓からはそよ風が流れ込み、どこからともなく小鳥たちのさえずりが聞こえる。孤独感や閉塞感を感じることはなかった。


 温かな日射しが射しこむ昼下がり、リヴィはベッドの上で1人読書にふけっていた。一節一節丁寧に文章を読み、意味がわからないときは何度も読み返す。1ページを読み終えるまでには途方もない時間がかかるが、リヴィにとっては幸福な時間だった。


(屋根裏部屋にいたときは満足に本など読めなかったもの……。1日中好きな本を読んで過ごせるなんて夢みたい)


 まだ厄憑き娘などとは呼ばれていなかった頃、リヴィは本好きの少女として知られていた。年齢のわりに難しい本を読むと、将来に期待がよせられていたのだ。

 しかし10年に及ぶ屋根裏部屋生活は、リヴィから勉学の機会をことごとく奪った。言葉を話すことに不自由はないものの、リヴィの読み書きの速度は自分でも情けなくなるくらい遅い。


 だからリヴィは本を読む。失くしてしまった10年の時をほんの少しでも埋めるために。


 リヴィが本のページをめくったとき、きぃと客間の扉が開く音がした。雑用を済ませたドリスが戻ってきたのかと思えば、扉から顔をのぞかせる者は私服姿のアシェルだ。

 リヴィは本を閉じ、アシェルに向かってぺこりと頭を下げた。


「アシェル様、こんにちは」


 無難な挨拶にアシェルから返事はなく、客間はしんと静まりかえった。開け放たれた窓から、さんさわと木の葉がそよぐ音が流れ込んでくる。


(ま、またこのパターンだわ……アシェル様は毎日毎日、何のために客間へいらっしゃるのしら……)


 無表情のアシェルを見つめ、リヴィは心の中でひっそりと首をかしげた。


 あの大雨の夜から今日で1週間。骨折により生活が不自由になったという点を除けば、リヴィの生活は大雨の日以前のままだ。

 バルナベット家の夕食に招かれることもなく、ドリスとヴィクトール以外の使用人から積極的に話しかけられるでもない。やるべき仕事を与えられるでもなく、達成すべき目標を与えられるでもなく、基本的には放置状態だ。

 だからこそリヴィは、一日の大半を読書にあてるという贅沢な時間の使い方ができるのである。


 そんなリヴィの生活の中で、唯一の大きな変化というべきは『アシェルが顔を見せるようになったこと』だ。

 あれだけリヴィを避けていたアシェルが、この1週間は毎日のように客間へ顔をだしている。訪問の時間は不定期、滞在時間は30秒足らず。何を話すでもなく、何を尋ねるでもなく、ただリヴィの顔をじっと見つめ何事もなかったかのように帰っていく。不可解な訪問だ。


(元から感情の読めないお方だったけれど、ここ最近は本当にアシェル様の考えがわからないわ……。私を殺さなかった理由も結局わからないままだし……)


 互いに無言のまま数十秒のときが過ぎた。

 アシェルは唐突に身をひるがえし、何食わぬ顔で客間を出ていった。


 結局今日も、アシェル訪問の理由はわからないまま。


 ***


 それからさらに1週間ほどが経ったある日のこと。

 

 リヴィはヴィクトールとともに屋敷の廊下を歩いていた。

 療養のかいもあり、リヴィは松葉杖をついての移動ができるまでに回復していた。折れた骨は順調に癒着をはじめ、無理をしなければ痛みを感じることはない。すり傷や打撲の痕も消え、少しずつではあるが自由な生活を取り戻しはじめていた。


 こつん、こつんと松葉杖をつきながら、リヴィはヴィクトールに話しかけた。


「ヴィクトール、荷物運びに付き合わせてしまってごめんなさい。本くらい自分で運べたらよかったのだけれど……」


 リヴィが申し訳なさそうに視線を送る先は、ヴィクトールが抱えた本の山。冒険小説に料理本、歴史書に動物図鑑、ジャンルの違う本が十数冊にわたり積み上げられている。

 重たい本山を抱え直し、ヴィクトールはからからと笑った。


「このくらいのこと、いつでもお手伝い致しますよ。読書仲間が増えれば私も嬉しいですから。それにしても――」


 ヴィクトールは積み上げられた本の背表紙をしげしげと眺めた。


「たった2週間の間に、随分とむずかしい本を読まれるようなりましたね。もう文章を読むことに不自由はありませんか?」


 リヴィは遠慮がちに笑い返した。


「まだまだ不自由ばかりだわ……。それでも折角たくさんの本があるのだから、興味を惹かれた本には目を通してみたいと思って」

「その前向きな姿勢だけで大したものです。人間の成長のためには好奇心と探求心が欠かせません。挑戦を続ける限り、人はどこまでも成長できるものなのですよ」

「ヴィクトールにそう言ってもらえると嬉しいわ……」


 リヴィが恥ずかしそうに微笑んだとき、2人の足は階段に差しかかった。リヴィの滞在する客間は屋敷の1階に、そして書庫は2階に位置している。書庫から客間に本を運び込むためには、階段を上り下りすることは避けられない。松葉杖をつくリヴィにとっては大変な道のりである。

 えっちらおっちら階段を下るリヴィを見やり、ヴィクトールはぽつりと呟いた。


「……花嫁教育を再開できれば、もっとたくさんのことを教えてさしあげられるのですけれど」


 リヴィは足を止めた。

 ドリスの提案により始まった花嫁教育は、大雨の夜を境にお休み中だ。お休みの理由の一つは、リヴィが足を骨折してしまったこと。

 そしてもう一つは、リヴィの屋敷での立場が非常に曖昧になってしまったことだ。


 リヴィがアシェルの結婚候補者として滞在しているうちは、ヴィクトールから花嫁教育を受けることになんら問題はなかった。

 しかし大雨の夜の一連の出来事を考慮すれば、今のリヴィはアシェルの結婚候補者であるとは言い難い。以前のように堂々と花嫁教育を受けることはできなかった。


(アシェル様は、なぜ私を屋敷に置いているのかしら。顔を合わせる機会ができても、私たちの関係は以前と何も変わっていない……)


 アシェルの客間訪問は続いていた。けれども相変わらずアシェルは何も話さない。不定期に客間を訪れ、30秒足らず無言で客間に滞在し、何事もなかったかのように帰っていく。

 不可解な訪問は、時が過ぎてもやはり不可解なままだ。


 ようやく階段を下り終えたリヴィは、廊下の片端で息をついた。リヴィの隣では、ヴィクトールが重たい本山を抱え直しているところだ。

 ここから客間までは、まだもう少し廊下を歩かなければならなかった。


「あ」


 とヴィクトールが声をあげた。廊下の向こう側にアシェルの姿が見えたからだ。

 アシェルは速足で廊下を歩いてくると、リヴィとヴィクトールの真正面で歩みをとめた。リヴィは緊張の面持ちで頭を下げた。


「アシェル様……ごきげんよう」


 リヴィがこうして社交辞令の挨拶をした回数は、両手の指では足りない。いつもアシェルからの返事はなかった。無表情でリヴィの顔を見つめていただけだ。

 しかし今日は違った。アシェルはリヴィからふいと視線を逸らし、ぶっきらぼうに口を開いた。


「明日からしばらく屋敷を空ける」


 リヴィは驚いたが、すぐに返事を返した。

 

「お仕事ですか?」

「そうだ」

「そうですか……ええと、お気をつけて」


 見送りの言葉としてはありきたりだが、それ以上かける言葉は見つからなかった。バルナベット家の家業は暗殺。彼らが仕事をすれば、どこかで人の命が潰えるのだ。安易な気持ちで「ご成功をお祈りします」などとは言えるはずもない。


 かち、こち、こち。小気味のいい音を立てて、柱時計が時を刻んでいた。廊下の一角に据えられた年代物の柱時計だ。

 規則的な音が響く中、アシェルはまたぶっきらぼうに口を開いた。


「道中、アンデルバール王国の王都で宿をとる。王国一、人と物の集まる場所だ。それでその――……」


 そこで一度言葉を切り、リヴィの反応を伺うように言った。

 

「み、土産を買ってこようと思うのだが、何がいい……」

「……お土産? 私にですか?」

「そうだ」


 アシェルから話しかけられただけでも驚きだというのに、まさかの質問である。リヴィは軽くパニック状態だ。

 

(お、お土産って何をお願いするのが一般的なのかしら……『何でもいい』ではアシェル様を困らせてしまうし、だからといって欲しい物もないし……)


 長く家族から虐げられていたリヴィは、土産などという物をもらった経験がほとんどない。どの程度の値段の土産が一般的であるのか、王都の土産物店には何が売っているのか、常識的なことを何も知らないのだ。

 あわあわと慌てふためくリヴィに、ヴィクトールが助け舟を出した。


「リヴィ様、あれなどいかがでしょう。物語の中に登場するお菓子で、一度食べてみたいとおっしゃっていたではありませんか。ほら、黄色やピンクといった色合いの……」


 そこまで言われてリヴィは思い当たる節を見つけた。

 あれはドリスの勧めで、昨年発刊されたばかりの恋物語を読んでいるときのことであった。その物語には様々なお菓子が登場し、そのうちの一つにリヴィは心惹かれたのだ。雑談の中で、ヴィクトールにその菓子の話をしたことを覚えている。

 ヴィクトールがその話を持ち出すということ、それすなわち、その菓子は土産としてねだるに相応しい物だということだ。リヴィは声を高くして言った。

 

「そ、そう。私、物語の中でとても美味しそうなお菓子を見つけたんです。卵白とアーモンドを使った焼き菓子で、ころりとしていて可愛い見た目なんです。色鉛筆みたいにカラフルに色づけされていて……確か名前は――……」

 

 リヴィは懸命に記憶をたどった。


「……『マカロン』だったと思います」


 3人の間にはしばし沈黙が落ちた。こち、こちと柱時計の規則的な音だけが響いていた。

 やがてアシェルはやはりぶっきらぼうに、しかしどこか満足そうに頷いた。


「ではそれを買ってこよう」


 そう言い残し、アシェルは元きた道を戻っていった。

 アシェルの背中が完全に見えなくなっても、リヴィの混乱は収まらなかった。


(わ、わからないわ……アシェル様の考えが全然わからない……。今まで挨拶も返してくださらなかったのに、なぜ急にお土産なんて……)


 リヴィのかたわらでは、ヴィクトールが興味深そうにモノクルを引き上げていた。「これはもしかすると、もしかするんでしょうかねぇ」などと意味深な事を呟きながら。

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