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12.死にぞこない

※※※ドリスの探査能力は魔法的な力。物語の後半で説明があるので、今はさらーっと流しておいてください※※※


 ドリスはすぐにリヴィを()()()()

 リヴィの居場所は、曲がりくねった馬車道を1キロメートルほど下ったところ。道端に座り込んでいるのか、木陰に身を潜めているのかはわからないが、その場所から動く気配はない。


 ドリスからそう伝えられたアシェルは、さっさと屋敷の玄関口へと向かった。

 廊下を歩く途中、ドリスとヴィクトールは何度も同行を願い出た。


「リヴィ様が今いる場所から移動する可能性もあります。どうか私を一緒に連れて行ってください」

「今夜は月が出ていませんから、人探しは大変です。お手伝いさせてください」


 口々に伝えられる申し出を、アシェルはすげなく断った。2人を連れて行けば、あの手この手でリヴィを庇おうとすることは目に見えていたからだ。

 1人の方が仕事はしやすい。相手が武器も持たない小娘ならば尚更だ。


 アシェルは玄関の扉を押し開けながら、追いすがる2人に向けて冷たく言い放った。


「ドリス、ヴィクトール。お前たちは今夜、屋敷から出てはならない。これは命令だ。背けば命はないと思え」


 愕然とするドリスとヴィクトールの目の前で、扉は無慈悲に閉められた。


 屋敷から1歩外にでたアシェルは、立ち込める冷気に身震いをした。山の夜は冷える。日中はよく晴れていても、日が暮れれば一気に気温が下がり、上着なしには屋外にでることができない。

 加えて今夜は雨が降っている。刺すような風が頬を撫で、しとしとと降りしきる雨が体温を奪う。山の気候に慣れたアシェルであっても、長いこと屋外にいるのは避けたかった。


(あの娘は、寒さにやられて動けなくなっているのかもしれない)

 

 ふとそんな考えがアシェルの脳裏をよぎった。

 いそうろうのリヴィは雨をしのぐための上着など持っていない。死の恐怖に駆られた人間が、呑気に傘を差して馬車道を歩いたとも思えないから、リヴィは冷雨に濡れそぼっているはずだ。


 今、リヴィが歩みを止めているのは、体温を奪われ動けなくなったためか。暗い夜道にうずくまり、降りしきる冷雨に身を震わせ、さらには迫りくる死の恐怖に怯えている。想像すればあまりにも哀れだ。


(哀れ、か。死の直前まで哀れな娘だ。温かな布団の中で眠っていれば、痛みも恐怖もなく送ってやったというのに)


 しかし哀れだということがリヴィを生かす理由にはならなかった。

 アシェルは白い息を吐き、真っ暗な馬車道をくだり始めた。


 ***


 探し人は意外にも早く、あっさりと見つかった。

 リヴィは木陰に身を隠すこともせず、岩陰にうずくまることもせず、馬車道の真ん中に倒れ伏していた。

 ルビーレッドの髪は雨に濡れ、ドレスは泥水を吸い込んで雑巾のような有様だ。枯れ木のような手指は真っ白で、アシェルの足音を聞いてもぴくりとも動かない。かろうじて呼吸はしているようだが、リヴィが死の淵に立っていることは火を見るよりも明らかであった。

 

 濡れそぼるリヴィを見下ろし、アシェルは感情なく言い放った。


「おい娘、最期に何か言いたいことはあるか」


 リヴィは答えなかったが、アシェルの問いかけに反応するように身じろぎをした。土の地面の上で身をちぢめ、右足を庇うような仕草を見せている。

 どうしたのだろうとリヴィが庇う場所を見てみれば、右足のすね辺りが赤く腫れあがっていた。捻るような場所ではないから、どこかに強くぶつけたのか。ひょっとしたら骨が折れているのかもしれない。


(獣にでも襲われたのだろうか? 運がない人間というのは、どこまでも運がない……)


 うめき声にまじり、消え入るような声が聞こえた。


「こ……殺さない……で……」


 それはアシェルの人生で何十回、何百回、飽きるほど聞いた言葉だ。

 死を目前にしたとき、人はおおよそ2種類の言葉を口にする。「俺を殺してただで済むと思うのか」と凄むか「殺さないでほしい」と懇願するか、そのどちらかだ。

 無論そのどちらの言葉を聞いたところで、アシェルが暗殺の手を止めることはないのだけれど。


(王族も貴族も商人も、騎士も聖職者も学者も、死に直面してしまえば言うことは同じ。己の犯した罪の重さなど忘れ、まるで自分だけ被害者のような顔をして、浅ましく生に縋りつこうとする……)


 アシェルはリヴィの傍らにしゃがみ込み、泥だらけの耳元に唇を近づけた。


「私にはお前を生かす理由がない。諦めろ」


 雨と同じく冷え切った声を浴びせかけてやれば、リヴィは抵抗するように身体を動かした。震える腕を立て、歯を食いしばり、濡れた地面を這って行こうとする。

 少しずつ、ほんの少しずつ遠ざかっていくリヴィの背中を、アシェルは呆れ果てたように見つめた。


「どこへ行く。その足で私から逃げられるとでも思うのか?」

「逃げるつもりなどありません。どうかもう少しだけ私に時間をください。()()()上手くやりますから」


 リヴィからは予想外にしっかりとした声が返ってきた。しかしアシェルには、リヴィの言葉の意味がわからなかった。けげんな表情で訊き返す。

 

「……何?」


 リヴィは這うことを止め、濡れそぼる前髪の隙間からアシェルを見た。夜闇に浮かぶルビーレッドの瞳には、強い意志がごうごうと燃え盛っていた。

 

「自分で飛び降ります。今度は死にぞこないません。だからどうか、私を殺すのは止めてください」

「お前は……何を言っている」


 アシェルはまた訊き返し、困惑を振り払うように周囲の様子をうかがった。

 するといくつか奇妙な点があることに気が付いた。リヴィの足の怪我は獣に襲われたものだと思っていたのに、付近のぬかるみに獣の足跡がないこと。うつ伏せで倒れていたはずなのに、ドレスの背中部分にまで泥がついていること。

 そしてリヴィの背後にそびえる崖には――何かが転がり落ちたような跡が残されていること。


 アシェルはぞくりと寒気を覚えた。


(まさかこの娘は……馬車道を下ってきたのではなく、崖上から馬車道に飛び降りたのか?)


 バルナベット家の屋敷から山のふもとを目指すためには、曲がりくねった馬車道を延々とくだる必要がある。馬車道は狭く、ところによっては道の片側が切り立った崖のようになっている場所もある。

 過去には一度、使用人を乗せた馬車が崖から墜落し、馬もろとも死亡する事故が起きた。それだけ危険な道だということだ。


(『死にぞこない』とはどういう意味だ。死ぬつもりで崖から飛び降りたのか? なぜ? なんのために?)


 アシェルにはリヴィの行動の意味が何一つわからなかった。

 誤って崖から足を踏み外したのならわかる。しかしなぜわざわざ、自ら崖に身を投げる必要がある。

 初めから死ぬつもりで屋敷を飛び出したのか。ならばなぜアシェルに「殺すな」という。ただ死にたいと思うなら、再び崖に身を投げるより、殺しに慣れたアシェルに身をゆだねる方が確実であろうに。

 

 アシェルの疑問はまもなく解消されることとなった。

 地面に這いつくばったリヴィが、雨と泥に濡れた顔をくしゃりと歪め、優しい口調でこう言ったからだ。

 

「私を夕食の席に呼んでいただきありがとうございました。短い時間でしたけれど、バルナベット家の一員になったようで、私にとって本当に幸せな時間でした。家族と一緒に食事ができることなど、もう2度とないと諦めていましたから」


 リヴィは泥溜まりの上で(こうべ)を垂れた。


「衣服を汚してしまい申し訳ありませんでした。マナー違反ばかりで申し訳ありませんでした。役立たずで申し訳ありませんでした。ですがどうか私を殺すのは止めてください。アシェル様に殺されるくらいなら自分で死にます。――家族に殺されるのは辛すぎるから」


 リヴィははっきりとした口調でそう言い切ると、また泥溜まりの上を這って行く。


 アシェルはリヴィの遺言に返す言葉を見つけられず、ただその場所に立ち尽くしていた。

 見開かれた瞳が見据える先は、雨に濡れたルビーレッドの髪。今まで気にも留めなかったその色が、残酷なまでに美しく、そして尊いもののように見えた。


 気が付けば雨は止んでいた。

 分厚い雲の切れ間からは零れ落ちんばかりの星空が見えた。

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