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11.アシェル・バルナベット

 ダイニングルームでクラウスとの会話を終えたアシェルは、一度屋敷の3階にある自室へと戻った。そこで衣服を着替え、短い瞑想(めいそう)を済ませたあと、上ったばかりの階段を静かに下っていく。

 

 目的地は屋敷の1階にある客間、目的はそこにいるリヴィ・キャンベルを殺すこと。

 娘1人殺すことなど、アシェルにとってはか弱い花を手折るように簡単だ。


 アシェルが客間の扉を開いたとき、そこにリヴィはいなかった。無表情のドリスがただ1人、黒く塗りつぶされた窓を背に立っていた。


「娘はどこだ」


 アシェルの問いかけにドリスは答えなかった。アシェルの足元に視線を落とし、身じろぎもせず人形のように立ち尽くしている。

 ドリスの沈黙にアシェルは一瞬いらだちを滲ませたが、すぐに落ち着いた口調で言った。


「父上との会話に聞き耳を立てていたのはお前たちだろう。娘は森へ逃げたのか、それとも屋敷のどこかに隠れているのか? いずれにせよ抵抗は無意味だ」


 バルナベット家の次期当主であるアシェル。暗殺者としての腕は一流で、与えられた仕事を失敗した経験はない。冷徹無慈悲の暗殺一族、その呼び名を体現したような男だ。

 ドリスは目線を上げた。アシェルを見る眼差しには切実な思いが込められていた。


「アシェル様。リヴィ様の件、どうか考え直してはいただけませんか」


 アシェルは顎先を上げ、馬鹿にしたような口調で答えた。


「考え直してどうする。私に、あの鳥ガラのような娘と結婚しろと?」

「そこまでのことを望むわけではございません。ですが殺さずに済む方法は他にもありましょう。例えばリヴィ様を使用人として屋敷に――」


 ドリスの訴えを遮り、アシェルは鼻で笑った。


「あの娘に一芸があればそれも可能だった。しかし最低限の礼儀もなっていない、目立った特技もない、みすぼらしいだけの娘をどうして使用人にしようと思う?」


 ドリスは唇を噛んだ。アシェルの主張が真実だからだ。

 暗殺を生業とする特殊な貴族家系、バルナベット家。バルナベット家に雇われるためには、使用人としての技能だけではなく、他者にはない優れた特技が必要となる。ドリスもヴィクトールもその他の使用人たちも、その優れた特技が認められ、こうしてバルナベット家に雇われているのだ。

 しかしリヴィには――そうするに足るだけの特技がない。


 アシェルは腕を組み、ドリスを説き伏せるように言った。


「それでも私は10日間待った。あの娘が『他者を呪う力』を秘めているのなら、屋敷に置くのも面白かろうと思ったからだ。しかしこの10日間、呪いと認めるに足る出来事は何ひとつ起こっていない。山の天気は穏やかなものだし、使用人が怪我をしたという話も聞かない」


 ドリスが言葉を返すより早く、アシェルはさらに続けた。


「『厄憑き娘』の名は虚妄。世間の愚か者どもは、キャンベル家に偶然降りかかった不幸を、呪いなどという便利な言葉でリヴィ・キャンベルに押し付けただけだ。あの娘に、屋敷に置くだけの価値はない」


 アシェルがそう言い切ったとき、客間の扉が小さく音を立てて開いた。アシェルが首をひねって見れば、客間の入り口にはヴィクトールが立っていた。長く伸びた髪を後頭部でひとつに結わえ、左目には古びたモノクル。独特の容姿をした男だ。

 客間の出入り口を塞ぐように立ったヴィクトールは、アシェルをまっすぐに見据え口を開いた。

 

「アシェル様。リヴィ様の件、私の方からも再考をお願いしたく存じます」


 これにはアシェルも溜息を零した。


「ようやく話が済んだと思ったら今度はお前か、ヴィクトール。何を言われても私の決定は変わらない」

「でしたら私も言葉を尽くさせていただきます。リヴィ様は非常に優秀な生徒です。物覚えがよく、私が教えたことはすぐに飲み込みます。この10日間のリヴィ様の成長については、私の方が驚いているくらいで――」


 アシェルはいらだった口調でヴィクトールの言葉を遮った。

 

「その成長の結果が今夜のアレだろう。話にならない」


 強い口調にヴィクトールはたじろいだが、背筋を伸ばし主張を続けた。

 

「10年間の空白をたった10日で埋めることはできません。ですがあと3か月も時間をいただければ、必ずやリヴィ様を立派な貴族令嬢に育てあげて見せましょう。どうか最終的なご判断は、そのときまでお待ちくださいませ」

「どいつもこいつも口を開けば『待て』『待て』と。耳にタコができそうだ」


 アシェルは辟易したように2度目の溜息を吐いた。

 

 アシェルはリヴィが嫌いだ。おどおどとした立ち振る舞いも、他人の機嫌をうかがうような話し方も、自身のなさげな顔つきも、リヴィの全てがアシェルの神経を逆なでした。

 身なりが綺麗になってもリヴィの本質は変わらなかった。フローレンスの嫌味を軽く受け流すこともできず、自分からアシェルに話しかけることもせず、他人の顔色をうかがうように食事の席についていただけ。

 リヴィの食事マナーは貴族令嬢としては情けないほどお粗末で、そのことが気にかかったことは事実だ。けれどももしもリヴィが堂々として、「食事マナーは勉強中なんです」と果敢に笑ってみせたなら、アシェルの判断は違ったものになったかもしれない。


 死ぬ行く者の顔ばかりを見ていると、生きている者の表情が見たくなる。強い意志を持ち、生気に溢れ、ごうごうと瞳の中で燃え盛る炎が見たくなる。

 リヴィの瞳にはそれがなかった。死人とおなじ暗く淀んだ瞳。だから生かす価値などない。


「アシェル様……どうかこれを受け取ってはもらえませんか」


 ドリスが震える手で差し出した物は、ぐちゃぐちゃになった紙包みだ。「汚らしい」と拒むことも考えたが、アシェルは大人しくその紙包みを受け取った。中に何が包まれているのか、ほんの少しだけ気になったからだ。

 

 濡れてもろくなった紙包みを大雑把に剥いだ。中から現れた物は綺麗な空色のハンカチだ。シンプルなデザインであるが、ハンカチの右隅に花の刺繍がほどこしてある。真っ白な花弁の、星のような形をした花だ。


「……これは?」

「リヴィ様がお作りになった物です。アシェル様とお話をするきっかけが欲しいからと、毎日遅くまで針を刺しておられました」


 アシェルは「ほう……」と呟き、花の刺繍を指先で撫でた。小さな刺繍であるがよく出来ている。街で買った物だと言われれれば信じてしまいそうだ。

 

 しかしリヴィが想いを込めたハンカチも、アシェルの心を動かすことはできなかった。

 アシェルはハンカチを興味なさげに床へと投げ捨てて、呆れを滲ませた口調で言った。


「いい加減、気は済んだか。娘の居場所を言え」


 ドリスとヴィクトールはすがるようにアシェルを見た。


「アシェル様……」

「娘を助けようとする姿勢は結構だが、自分たちの主が誰であるかを忘れるな。これ以上私をいらだたせるようなら、屋敷の使用人とて容赦はしない」


 猛る獅子を目の前にしたかのように、ドリスとヴィクトールは動けなくなった。

 

 カタカタと風が窓を揺らしていた。雨が地面を打つ音も聞こえてきた。降り始めたばかりの雨は時間が経つにつれて強くなる。空は相変わらず厚い雲におおわれていて、どんなに願っても星空を見ることは叶わない。

 ドリスは窓の外を見やり、それから観念したように口を開いた。


「リヴィ様は屋敷の中にはおられません。1人で森の中に……」


 ドリスの言葉をアシェルの呆れ声がさえぎった。

 

「森? 私に殺されるのが惜しいからと、娘を獣にでも食わせるつもりか」

「いえ……夜の森は危険だと説明はしたのですが、私の力では引き留めることが叶わず……」


 アシェルは面倒くさそうに窓の外を見やった。

 山頂に位置するバルナベット家の屋敷は、当然ながら四方を森に囲まれている。山のふもとへと続く馬車道は整備されているが、リヴィが大人しく馬車道を歩いているという保証もない。探すとなれば骨が折れそうだ。

 うつむくドリスを見下ろし、アシェルは冷たい口調で言い放った。


()()、ドリス」

「……承知しました」


 雨はずっと降り続いていた。

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