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9.捨てられた花嫁

 リヴィとドリスは客間を出て、クラウスに会うためダイニングルームへと向かった。


 バルナベット家の人々が3度の食事をとるダイニングルームは、屋敷の2階中央部分に位置している。巨大なシャンデリアと数々の名画が集められた豪華な部屋だ。

 ちなみに使用人用のダイニングルームは屋敷の1階部分にあり、シェフが作りおいた食事を各々好きな時間に食べる決まりとなっている。


 2人がダイニングルームへとたどり着いたとき、部屋の扉はきっかりと閉ざされていた。左右開きの重厚な扉を前にして、リヴィは数度深呼吸をする。屋敷の主であるクラウスと2人きりで話をする。緊張しないはずがない。

 廊下の端に立ったドリスが、リヴィの背中に語りかけた。


「私はここでお待ちしています。どうぞクラウス様には『自らの意志でクラウス様の元を訪れたのだ』とおっしゃってください。『ドリスに入れ知恵をされた』などとは間違っても言ってはいけません」


 リヴィはこくりとうなずいた。


「ドリス、ありがとう。お言葉に甘えさせてもらうね……」


 リヴィはもう一度深呼吸をして、重たい扉をゆっくりと押した。左右開きの扉の片方が、音もたてずに開いていく。

 刹那、扉の向こう側からクラウスのものではない声が聞こえてきた。


「私はリヴィ・キャンベルとは結婚しない。父上に何を言われてもこの意思は変わりません」


 冷たい声音はアシェルのものだ。どうやらダイニングルームにはアシェルが戻ってきているらしい。

 リヴィは扉を押す手を止め、扉の隙間から聞こえる会話に耳を澄ませた。


「アシェル……お前も融通が利かない奴だな。服にソースを零されたのがそんなに面白くなかったのか。わざとではないのだから見逃してやればいいだろうに」

「ソースの件だけを取り立てて言っているのではありません。あの娘は最初のカーテシーこそ見事でしたが、以降の振る舞いはひどいものでした。食事マナーはお粗末だし、気の利いた会話のひとつも提供しない。父上のグラスに酒を注ごうともしない。あまつさえ粗相を働いた相手に謝罪すらしない。貴族の令嬢としては何もかもが落第点だ」


 何もかもが落第点、アシェルの言葉はリヴィの心に突き刺さった。

 それなりにうまく立ち振る舞えているものだと思っていた。少なくともバルナベット家の人々に不快感を感じさせない程度には。けれどもそれはリヴィの勝手な思い上がりだったのだ。

 

 アシェルが食事の途中で席を外したのは、リヴィがズボンにソースを零したことが理由ではなかった。本当にリヴィと食事をするのが嫌だったのだ。上っ面だけを上品に取りつくろった娘と家族のように食事をすることが、苦痛で苦痛で仕方なかったのだ。


 のどの奥に熱が込み上げてきた。気道がせばまり息をすることが苦しい。


(全て無駄だったというの……? ドリスがほどこしてくれた化粧も、ヴィクトールが教えてくれた礼儀も全部全部全部。あんなに頑張ったのに私はなにも変われなかったの……?)


 小刻みに震えるリヴィの肩に、ドリスの手のひらが添えられた。


「リヴィ様、客間に戻りましょう。これ以上彼らの話を聞いていても良いことなどありませんから……」


 ドリスの口調は優しく、そして悔しそうだ。リヴィの努力がアシェルに認められなかったことが、リヴィと同じく悔しくて仕方がないのだ。

 リヴィは熱い息を飲み、静かに首を横に振った。


「ううん、もう少しだけここにいさせて。盗み聞きがいけないことだとは分かっているけれど、アシェル様の素直な気持ちを聞いておきたいの……」


 リヴィの訴えにドリスは何も返さなかった。ただ微かにうなずいただけだ。

 ダイニングルームではアシェルとクラウスの会話が続いていた。


「父上は、結婚に関する最終判断は私に任せてくださると言いましたよね。あの言葉は嘘ですか?」

「嘘ではない。だが結論を急く必要はないだろう。ヴィクトールを師にしたというのだから、3か月もあれば人並みの礼節は身に付くだろう。結婚する、しないの判断はそれからでも遅くない」

「3か月もの間、あの娘と生活をともにしろと? あの娘が屋敷に来てから、私がどれほど生活に不自由を強いられているとお思いです」

「それはお前が必要以上にリヴィ嬢を避けているからだろう。変な意地など張らず、挨拶や雑談くらいしてやればいいだろうに……」


 クラウスの声はなだめすかすような調子だ。

 父親の説得にもアシェルは揺らがず、謡うような口調でこう言い放った。


「リヴィ・キャンベルとは結婚しない。これが私の最終決定です」


 ダイニングルームには沈黙が落ちた。

 リヴィは固唾を飲んで、じきに返されるであろうクラウスの言葉を待った。父ルドリッチは、馬車に乗り込むリヴィに向かって「2度と帰ってくるな」と言い放った。バルナベット家に見捨てられたら、リヴィにはもう帰る場所がないのだ。

 扉の隙間に張りつくリヴィの肩を、ドリスが叩いた。


「リヴィ様。客間に戻りましょう」


 その声は確かにドリスのものであるが、別人のもののようにも感じられた。ひどく冷たい声であったからだ。からくり人形の機械音にも似た無機質な声。

 異変を感じたリヴィが振り返れば、感情のない2つの瞳が瞬くこともせずリヴィを見つめていた。


「……ドリス?」

「客間にお戻りください、リヴィ様。この先の話を聞いてはいけません」


 ドリスの指先がリヴィの肩に食い込んだ。痛い、と感じてもリヴィはドリスの手を振り払うことができなかった。恐ろしい、と感じてもその場を逃げ出すことはできなかった。

 痛いほどの静寂の中、やがてリヴィの耳にはクラウスの静かな声が聞こえてきた。


「……そうか。ではこれ以上、私は何も言うまい。ただし後始末だけはしっかりとしてくれ。キャンベル候からはすでに()()を頂いているからな」


 続いて皮肉めいたアシェルの声。

 

「今夜中にけりをつけますよ。鳥ガラのような娘1匹、消すことなど造作もない」


 ドクン、とリヴィの心臓は音を立てた。アシェルとクラウスの会話の意味を嫌でも理解してしまったからだ。

 指先が震えひざは笑う。唇がかわき視界はかすむ。息をすることすら叶わなくなって、このままゴボゴボと絶望に溺れてしまいそう。


(お父様は初めからこのつもりで……私を暗殺一族の元に……)


 こつこつと床を打つ足音が近づいてきた。アシェルの足音だ。

 どこか楽しげな表情を浮かべたアシェルは、ぱきぱきと指関節を慣らしながらダイニングルームの扉へと向かってくる。

 

 アシェルの目的は不要な花嫁候補を消すこと。

 リヴィ・キャンベルを殺すこと。


「いや……いやぁっ!」


 リヴィは叫び、薄暗い廊下を駆けだした。

「リヴィ様」と呼び止めるドリスの声も、近づいてくるアシェルの足音も、もう何も聞こえなかった。

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