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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

烏華

作者: サユリシウタ

 おはよう、と彼女は言った。酷く親しげな笑顔で私に朝の声掛けをした。私は「おはよう」と答える。彼女の名前はよく覚えていない。名前も顔も知らなくてもなんとなくやりとりができる。定型文とは便利なものである。


 彼女は今日も学校に行くそうだ。慌ただしく用意をする音が聞こえる。まぁ、私には関係ない。むしろ昨夜本当に"関係"があったのかと疑いたくなるほど私と彼女の間には関係がない。


「駅まで送ろうか?」

 私のほんのちょっとした気遣いはGoogle マップに負けてしまった。便利な世の中になったもんだ。

 彼女の立てる生活音にどうにも気まずくなって、ズルズルと身体を身体を起こし煙草に火をつける。午前6時48分。吐息なのか溜息なのか解らない何かが漏れる。

 何やら今の自分が酷く社会に準じた真っ当な人間に思えてゾッとした。--早く出て行ってくれ。--喉にヤニが張り付く。


 途端に彼女が「カァ」と鳴いた。


 そこにはもう無数の羽が散っていて、彼女はこちらを見ていた。黒々とした、髪が羽毛か分からぬ頭部をブラシで撫でつけながら、私に向かって何か訴えていた。なんとも気味の悪い女だ。髪か羽毛か分からぬ頭部を撫で付ける間にも彼女の腕は黒々として、翼が伸び、嘴が生え始めている。そうして彼女は必死で髪か羽毛か分からぬ頭部をブラシで撫で続けている。私にできることと言えば吸っていた煙草の、まだ残り少なくはないことを惜しみながら布団の中に潜り込むことだった。

 自分が社会に準じた真っ当たり得たかもしれないという幻想の代償に、彼女は烏になっていた。おそらく彼女は烏である事が正しかった。烏を人間だと思い込んでセックスまでしたのは私だ。常識とは、真っ当とは、いつだって裏切り者の名前なのだ。背後で彼女がカァカァと何か訴えている。次第にその声もガァガァと激しくなる。もう苦しいほど布団を被り、頭蓋など割れて良いと思うほどに耳を抑える。聞かない。聞かない。聞かない。


 いくらほどの時が過ぎだろうか。





見慣れた白い天井と、令和の日本に存在しているとは思えない前時代的四肢拘束。

「朝食ですよ。調子はいかが?」






おそらく烏になりきれていなかった彼女が今度は白い羽毛を生やして笑っていた。

「ねぇ、あなた…」

嘴から漏れたその音が脳震盪を引き起こした。


…暗澹たる絶望の話だ。

いつか君にもわかる日が来るのだろう。君は僕によく似てくれた…だが忘れないでほしい。殺人というのはわざわざすることだ。第一、奪ったものに見合う代償が払えない。そんなものの均衡も見えていないで行う殺人など、もはや殺人とも呼べない。肉片を生むだけの作業だ。殺人は、殺人として行われなくてはいかれないのだ。


その末路に美しさはあっただろうか?彼女は醜い人だった。肉付きの悪い体の上に、頭がヒョイと載っている様はまるでバランスが悪い。それでいて猫背だから、いつも壊れかけの吊るし人形のようだ。だが彼女は可憐であった。魅力のある顔をした。私は彼女は美しくあるべきだと思っている。彼女を醜くしたのは、彼女をその容器に納めたのは、現世と言うものの悪いいたずらなのだ。真実、彼女は美しい。そうあるに違いない。

彼女のその真っ当ならざる美しさに神が嫉妬したのだ。そうでなくてはその人生が惨憺たるものになろうはずもない。神に嫉妬された娘よ!私は彼女を本当の姿にすることを望んだ。ああ…美しいモノを見たいと思うのはヒトの根源に通ヅル欲求だ。欲求でありながら高尚だと思える…。だがそういった私の親切などを、彼女はエゴイズムであるとまた微笑んでいた。諦めを知っている笑顔だった。果たして私は彼女を愛しただろうか?…いや、私こそ彼女を醜いと信じて仕方なかったのだ。



あゝ、神様。アァ、どうかこの私の殺人に名前をください。



でなければなんだったと言うのだ。まるでひしゃげてしまって硝子瓶に美しい眼球を浸し、尊大に玉座にその身を任せ、植木鉢から四肢を生やす彼女は…

愛と名付けられたら良かった。

だと言うのに。だと言うのに。だと、言うのに。結局、私は彼女に欲情出来なかった。花の如く咲いた掌が腐り落ちてなお、最後まで劣情を催すことがなかった。今はそれが寂しくてならない。





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