戦闘開始って!?
沙希たちの友達、由紀子のために顧問弁護士となった奈々。沖田医師の無念を晴らせるか。
由紀子は気丈に振舞っていたが、さすがに涙があふれていた。奈々はこれまでの話を整理した。
(犯人は最初から沖田医師を殺害する目的でクリニックに来たにちがいないわ。そうでなければ廊下の照明をつけるはず、照明をつければ沖田医師に気づかれる恐れがある、犯行に及んだ人物は気づかれないようにクリニックに近づくため、照明をつけずにクリニックに向かい犯行におよんだ。おそらくごく短時間で実行したんだわ。そして現場をすぐ離れようとしたときに由紀子さんに出くわした。まさか暗い中に人がいるなどとは思いもしなかったでしょう。でもそんなアクシデントにも関わらず一言も発せず冷静に由紀子さんを観察した。そして抹消すべきかどうかを判断していたんだわ。本当に恐ろしいやつ、警察のとおりいっぺんの捜査ではおそらく解決しない。それに由紀子さんの身も安全とはいえない、周辺を見張っている可能性だってあるわ。)
三人が由紀子を元気付けながらオレンジペコを進めていた。由紀子もまた元気を取り戻したようだった。
「由紀子さん、大丈夫。質問に答えることができる?無理をしないで次回に回してもいいのよ。」
奈々は由紀子の様子を気遣いながら、話しかけた。由紀子はだいぶ顔色のよくなった表情で力強く答えた。
「阿部先生、大丈夫です。沙希さん、麗華さん、涼子さんに元気付けられていますから。本当にこの三人には感謝しています。」
「そう、本当にあなたたちはすばらしい力を持っているわ。」
沙希たち三人は奈々にほめられて少し顔を赤らめた。
「じゃあ、お話を聞かせてね、気分が悪くなったらすぐに言ってね、無理は禁物よ。」
「はい、わかりました。」
「まず、クリニックにいた人物にぶつかったときだけど、まったく声はださなかったのね。」
「はい、私は床に倒れてしまったので、かなり強くぶつかったと思うのですが、まったく声はしませんでした。」
「由紀子さんが床に倒れたということは、相手はかなり体格のよい、つまり男性だったとは考えられない?」
「はい、その可能性はあるとは思うのですが、可能性があるというだけで、明確に男性だったと思える確証は無いんです。」
そこで沙希が口を挟んだ。
「でも女性だった場合、香水とか特徴的な香りがあったのではないですか。」
「沙希さん、よいところに目をつけたと思うけど、多分最初から計画的だったと思われるので個人の痕跡は極力避けたと思うわ。」
沙希はシュンとして、
「すみません先生余計なことを言ってしまって・・・」
「いいのよ沙希さんそういった発想も大事だし、沙希さんが話しをすることで由紀子さんの負担も軽くなるから。」
そういってやさしい眼差しを沙希に向けた。沙希は少し顔を赤らめて、由紀子のほうに向き直った。由紀子は説明を続けた。
「ぶつかったときに私はとても驚いて、最初沖田先生かと思い、呼びかけました。」
「沖田先生かと思ったということは、女性だった可能性もあったということね。」
「はい、沖田先生の診療所へ行く目的だったので思い込みかもしれませんが、そう思ったのは事実です。その時ぶつかった相手は明らかに近くにいる気配がしました。」
「ぶつかった相手は転倒していたの?」
「はっきりりとはいえませんが、立っている気配でした。」
そこで由紀子は少し身震いすると。
「私のことをじっと見ているようでした。」
沙希、麗華、涼子の三人はその時のことを想像したらしく、三人とも身震いした。由紀子は話しを続けた。
「私は何回か、大丈夫ですかと呼びかけましたが、ぶつかった相手は何も答えずじっとしていたように思います。」
そこで由紀子は一息ついた。涼子が気を利かして紅茶を入れるとほっとしたように一口口をつけた。
「暫く、相手はじっとしていたように思います。私は手探りで杖を探しました。杖は少し離れたところに飛ばされていて、ようやく見つけて拾い上げることができました。その時相手が少し動いたような気配がしました。杖を手にして立ち上がろうとしたとき、初めて相手が動き出し、私から遠ざかって行きました。」
そこまで言って由紀子はまた身震いした。奈々は口には出さなかったが由紀子の命が救われた瞬間だと思った。奈々は由紀子の話を聞いて思った。
(とんでもなく、冷静で残酷なやつだわ。人を殺めた直後に予期せぬ訪問者にぶつかっても一声も出さず、しかも相手のことをじっくりと観察して、必要ならば口封じのために第二の殺人までいとわない。恐ろしいやつ。)奈々は由紀子に話しかけた。
「由紀子さん、ありがとう随分がんばって話してくれたわ。この続きはまた別の日にしましょう。」
奈々はこの後の話が由紀子にとって今までになかったもっともつらい話になると思い、後日にすることを提案した。由紀子は奈々の思いやりのこもった申し入れに、感謝の意を表しやや間をおいて力を込めていった。
「阿部先生、大丈夫です。記憶のはっきりしている今の方がよく伝えられると思います。」
そういって大きく息を吸い込むとしっかりとした口調で話始めた。
「ぶつかった相手がゆっくり離れていく気配と裏腹に胸騒ぎが大きくなってきました。とにかく杖を拾い上げ、沖田先生の診療所に向かっていきました。照明は落ちていておそらく真っ暗に近かったと思います。沖田先生の名前を呼びながら歩いて行きましたが、なんの答えも返ってきませんでした。」
由紀子は少し身じろぎをしたように見えたが、すぐさま言葉を継いだ。
「胸騒ぎはどんどん大きくなっていきました。沖田先生への呼びかけはとても大きくなっていったと思います。それでも何の答えもありませんでした。」
そこで由紀子は一拍置いたが、力を込めて続けた。
「更に先に進んでいくと、何も無いはずの廊下で杖の先に何かが当たりました。それが、そっそれが・・・。」
由紀子は見る見るうちに顔色が悪くなっていくのが傍目から見ても明らかだった。奈々は由紀子の手を強く握ると、
「由紀子さん、大丈夫、もういいのよ。もうやめましょう。」
奈々はそういって由紀子を抱き寄せた。由紀子はわなわなと震えていたが、やがて落ち着いてくると、奈々にもう一度力強く、
「阿部先生、もう大丈夫です。最後までお話します。先生は・・・沖田先生は廊下に倒れていました。杖の先に何が当たったのかわからなかったので、手探りで触ると人だとわかりました。その後どうしたかは、あまり覚えていません。どのくらい時間がたったかわかりませんが、大勢の人が入ってきたのを覚えています。多分警察の人だと思うのですが、手を引かれて車に乗せられました。その時、ようやく沙希さんに連絡することができたのです。」
奈々は優しく由紀子の手を握ると、
「由紀子さん、本当にがんばったわね。」
「本当にとっても怖い思いをしたのに立派だわ。」
沙希も由紀子のがんばりをたたえた。
「南って言ったっけ。あのいやなやつにはどこまで話したの。」
麗華が相変わらず歯に衣着せぬものいいで由紀子に尋ねた。
「実はほとんど何も・・・とにかくあの人は私が犯人みたいな訊き方をするので、しっかりと話をすることもできませんでした。」
奈々は麗華の物言いにだめよという眼差しを向けて由紀子に向き直ると。
「わかったわ。でも警察の聴取には協力しないとね。でもここまで詳しく話してくれたので、私からでも説明できると思うわ。」
由紀子はほっとした様子で紅茶を口につけた。麗華が元気よく、
「そうよ、そうよ、私たちの先生は最強よ!」
そう、言うとその場にのみんなはひと笑いして和んだが、少し間をおいて奈々が由紀子を含めた四人にはっきりとこう伝えた。
「いい、皆さん、この事件の犯人は、冷静で残酷でとてつもなく頭の切れる人物よ。今日聞いたことや関係することをうかつに他人に漏らしては絶対にだめよ。確証の無い軽はずみな言動は犯人を逃がすことにつながりかねないし、下手をすると身の危険が発生する可能性もあるわ、自分だけでなく、ここにいる人たちにね。」
四人はゴクリと固唾を呑むと、それぞれに顔を見合わせ。
「わかりました先生、充分注意します。」
とみんなを代表して沙希がしっかりとした口調で言った。奈々はまたやさしい眼差しに戻ると、
「それでは今日は、ここまでにしましょう。どうせ外には警察の警備がひかれているはずだから、由紀子さん安心して休むといいわ。明日朝一番で顧問弁護士の手続きをしましょう。それから警察に事情聴取を求められたら弁護士を通してほしいと断ってね。」
そう言ってにっこりと微笑んだ。
最寄の駅で奈々は三人のミューズたちと別れると自宅マンションに帰るまで歩きながら考えた。(由紀子さんがぶつかった相手が、ほぼ沖田医師を殺害した犯人に間違いないわ。本当に冷静で冷酷、恐ろしいやつだわ。きっと用意周到に沖田医師のクリニックに潜入して、本棚に書物をしまうように手際よく沖田医師を殺めたに違いない。きっと容疑のかかる人間はすぐ浮上するはず、でもおそらくその人物は犯人だと特定できないなずだわ。疑われるのも承知で実行しているはず。だからこそ本当に注意深く行動しないと、犯行を特定できず、逃げられてしまう可能性が高い。由紀子さんやあの子たちにも、更に十分注意するように言っておかないと。)
そう考えながらマンションの前まで来ると、奈々はぴたりと歩みを止めた。
「いまどきの警察はストーカーのようなまねをするのね。」
奈々はわざと聞こえよがしにつぶやいた。マンションの脇の物陰から、すっと長身の影が現れた。
「よく気がつきましたね、阿部先生。」
そういって近づいてきたのは先ほど由紀子の病室で会った刑事の南だった。
「もう少しうまく張り込みをしたらどうですか、捜査一課の名が泣きますよ。」
奈々は皮肉たっぷりに返した。南は少し鼻じろんだ様子だったがすぐに落ち着いた口調で、
「特に隠れていたわけでは無いですから、先生に用があってお待ちしておりました。」
エリート特有の俺負けてないぜ、感を出しながら話し始めた。
「第一発見者の近藤・・・さん・・・でしたかね、どんなお話をされたんですかね。」
相変わらずの上からのもの言いである。奈々の眉間にしわがより片方の眉がぐっと上がった。まさに柳眉を逆立てるである。
「第一発見者の重要な関係者のお名前もしっかりと記憶されていらっしゃらないようですわね。そんな方にお話することは何もありませんわ。しかも何の権利を持って私にしかもストーカーまがいの事までして、何を聞こうというのです。警視庁だか捜査一課だか知りませんが、しかるべき法的措置をとらせていただくのも可能ですのよ。」
さすがにこの迫力にはエリート意識の塊のような南であったがたじろいだ。
「阿っ阿部先生・・警察の捜査に協力するのは国民の義務ですよ・・・」
「義務!義務とおっしゃるなら正規の手段でお越しいただきたいところですわ。今この場であなたが所属する組織の方を呼んだら、連行されるのは南さん、あなたのほうですわよ!」
これにはさすがのエリート代表を自負する南も黙るしかなかった。
「おわかりになりました?おわかりになりましたらさっさとお引取り下さい!!」
南はそれでも何とかエリートの面目を保とうと、
「今日のところは、引き下がりましょう。今度はあなたの望むとおり正規の手段でお伺いしますよ。」
そういうのが精一杯だった。
(くそう、いったい何なんだあの阿部とかいう教師だかなんだかは、きれいな顔してるからと思って油断していたら、とんでもない食わせ物だ。弁護士とか言っていたが、本当なのか。本庁に戻って確認してやる。もしまがい物だったらその場で、逮捕状をとってやる。)
そう南は頭の中で悪態をつきながらその場を去っていった。その後姿をやれやれといったふうで見送った奈々が向き直りまた、柳眉を逆立てなおすと、
「出てらっしゃい!いきなり出てこなかったことは褒めてあげるけど、あなたの方は完全にストーカーよ。それにあなたが出てきた瞬間、連行の対象が私に移ってしまうじゃないの!それぐらいのことがわからないの!」
南とは別の物陰から現れたのは、なんと藤堂だった。
「姐さんすまねえ。姐さんのマンションの近くを不審なやつがうろついているって連絡があったもんだから・・・」
「だからってボディーガードのつもり、私があなたのボディガードを必要と思っているの!」
「申し訳ねえ、連絡を受けたらいても立ってもいられなくて・・・」
藤堂は相変わらず奈々の前では、渋谷最強と言われる男とは思えないいでたちでまるで運動会で熱くなりすぎてやりすぎたことを先生起こられるガキ大将のような体だった。
「大体私を守りたいと思うのならそれなりきに力をつけてこないとね、私が守ったことはあっても、守られた覚えは無いわよ。」
「申し訳ねえ・・・姐さん・・・」
「姐さんはやめろといっているだろう。それに今見たとおりさっきの男はお前たちの天敵警視庁の第一課の刑事だ。しかもエリートヅラした、いやなやつだ。お前と私が知り合いと知ったらそれこそお前たちの組がつぶされるぞ。」
奈々は藤堂たちと話すとどうしても男言葉になってしまう。それにまた藤堂は感激して、
「姐さん、うちの組の心配までしてもらって、なんてありがたいことだ。光栄です。」
藤堂は先ほどのシュンとしたガキ大将はどこへやら満面の笑みで奈々に答えた。
「うるさい!!それから姐さんはやめろ!!」
南は本庁へ帰ると早速自分のデスクで警視庁のデータベースを調べ始めた。南は帝都大学の法学部を主席で卒業してその後国家公務員上級試験をパスして警視庁に入庁した。その後頭角を現し、アメリカFBIへ研修留学し最近戻ってきたばかりだった。そのため奈々のことはまったく知らなかったが、データを確認している南の様子が見る見る変わっていった。
(マッマジか、何なんだあの女は。まさか俺の母校帝大の教授だと、あの若さで!!それに公安の特別顧問になっているだと!!FBIでも顧問を務めプロファイリングでは世界的権威だと!!)
南はにわかに信じられず、FBI研修時代の友人に流暢な英語で電話をかけた。
「ハロー、ジミーか。こっちは夜だがそっちは朝だろう。今いいか。」
ジミーと呼びかけられた電話口の相手がOKの返事をした。
「ジミー、阿部奈々って知ってるか?」
そう問いかけられた瞬間、海の向こうのジミーは一気に興奮して話し始めた。
「ワオNANAかい!知ってるどころの騒ぎじゃ無いよ。ワシントンD.C.はおろか、全米の警察関係者で彼女のことを知らないものはいないよ。その捜査能力の高さでこっちで捜査の難航した事件をいくつも解決している。操作能力の高さはもとより、身体能力の高さもずば抜けていて男顔負けとかいうレベルじゃない。こっちで捜査中も凶悪犯が彼女の見た目で甘く見て突っかかっていったことがあったけど、アットいうまに腕をへし折られて病院送りにされたぜ。」
その後もジミーは延々と奈々のことを語っていた。南は怪訝そうに、
「本当にそんなにすごいのか。」
「すごいなんてもんじゃないよ!日本に戻るって言ってたけど、会ったのか?会ったら是非もう一度FBIへ来てほしいといってくれよ。」
南は興奮気味に話すジミーの電話を食傷気味に切ると、ふうむと眉間にしわをよせた。
(なるほど、あの気位の高さは本物というわけか、しかし所詮は民間、捜査一課の沽券にかけてジャマはさせないぞ)
南は奈々の顔を思い浮かべながらなぜか挑戦的に意を決するのであった。
部屋に戻った奈々は情報を整理していた。
(優秀な女性医師、裁判に関係していた、前は大きな大学病院に勤務していた、いやな感じのする男・・・、決め付けるのは危険だけれど、前務めていた大きな病院で裁判沙汰になる事案があったことは確かね。まずは前に務めていた病院を調べる必要があるわね、南といったわねあの刑事、捜査一課の所属か・・・うまく利用できないかしらね・・・)
奈々は先ほどまで敵意をむき出しにしていた南に対しても、自分の敵というレベルにまったく感じておらず何か役に立てばいいぐらいでしか考えていなかった。先ほど奈々に対してライバル心をむき出しにしていた南のことを考えるとかわいそうな話である。
翌日三人のミューズたちが朝一番で奈々の研究室に飛び込んできた。
「先生、阿部先生、早速顧問弁護士の契約書を作成してきました。」
まだ中身を取り出す前の封筒をまるで前へ習えの様に顔の前に突き出して、研究室には似つかわしく無いほどの大きな声で麗華が叫んだ。
「ちょっとちょっと麗華、もう少し落ち着いて話ができないの、阿部先生がびっくりするじゃないの。」
いつも冷静で、美人ぞろいのミューズの中では一番男子の人気が低い?(近寄りがたい?)涼子が逆に一番人気の高い?(親しみ安い?)麗華にいつもどおりのダメだしをした。
「そうよ、麗華、落ち着きの無いのはあなたのよくないところよ。冷静になって。」
ミューズのリーダー格、沙希がいつもどおりたしなめた。麗華はぺロッとしたを出して肩をすくめた。その様子を見ていた奈々は思わず吹き出し、
「あはははは、相変わらずねあなたたちは。」
そう言うと、三人のミューズは一同に顔を赤らめて、またうれしそうに奈々の方に向き直った。
「先生、由紀子さんとの顧問弁護士契約を早く結んだ方がいいと思いまして、昨日の南とか言う刑事、何かいやらしいことをしてくるような気がします。」
沙希は昨日の南の印象がよほど悪かったらしく警戒心をあらわにした。
「そうね、確かにあの刑事はエリート意識を丸出しにした、鼻持ちなら無いやつだったわね。」
奈々は静かにだがきつい言葉を放った。麗華はその言葉を受けて少し調子に乗った感じで、
「先生さえ納得していただければ既に口約束で言ったときからの契約にしようと思っています。その方が昨日のあの刑事のやり口を糾弾できると思って!」
「流石に麗華さんは契約に関しては造詣が深いわね、私はかまわないから、あとは由紀子さんの方ね。」
麗華は奈々に褒められうれしそうに顔を赤くした。しかも麗華は奈々の法学教室の中でもとびきり契約に関しては自信を持っていただけにうれしさもひとしおだった。
(やったー、沙希も涼子もいろいろすごいことは認めるけれど、契約だけは負けないと思っていた。先生に褒められるなんてもう死んでもいい!!)
実際に死んでしまっては困るのだが、麗華のうれしさは傍目からみても明らかだった。
「流石に契約は麗華のお得意ね。」
「本当にすばらしい契約書だわ、これで落ち着きがあればもっといいのに。」
沙希も涼子も口々に麗華をたたえた。涼子は少し嫉妬を交えてチクリと射したつもりだったが、今の麗華にはそんなネガティブな言葉は届かなかった。
「それじゃあ決まり!今から由紀子さんの所へ行きましょう!」
麗華にはもう契約締結しか頭になかった。
「ちょっと、ちょっと、麗華待ってよ、大事な事がまだ決まってないから。」
沙希はあわてて麗華を制した。
「なによ、沙希、先生の方はぜんぜん問題ないって言ってるんだから、すぐさま由紀子さんの同意を得るべきだわ!」
麗華は奈々に褒められて有頂天になっているところに横槍を入れられた感じがして口を尖らせて講義した。沙希はそんな麗華に
「麗華、その契約に支払いの件は定義されているの?」
「そっそれは・・・」
流石の麗華も黙るしかなかった。
「ごめん麗華、麗華が十分承知しているのはわかっているわ。あえてそこに触れないようにしていることもね。でもやっぱりそこに触れないわけには行かない。それに由紀子さん自身がそこをうやむやにしてほしいと思っていない。ちゃんとしとかなきゃ。」
麗華はすっかりシュンとなってしまったが、奈々は優しく微笑むと、
「わかっていたわ、麗華さんがそこにあえて触れていないこともね。」
「先生そこはどうしたら・・・」
沙希も心配そうに奈々に聞いた。
「支払いの件は大丈夫。あなた方の教育実習に使う形にしようと思っているから。だって、だめといってもこの事件にあなた方は首を突っ込んでくるでしょう。」
沙希たち三人は心を見透かされたように感じて、恥ずかしいそうにうつむいた。
「それに、警察から賠償金を取るという、裏技も使えなくも無いからね。」
奈々のこの言葉に三人は流石という感じで目を見張った。
奈々と三人のミューズたちは話を終えるとさっそく由紀子の入院している、病院に向かった。奈々は病院が近づいてくると三人に話しかけた。
「沙希さんは、私と一緒に行きましょう。涼子さんと麗華さん少し間を空けて病院に来て。」
三人はえっといった感じで奈々を見返した。
「昨日の感じだとあの南という刑事は病院に監視員を張り込ませているに違い無いと思うの。私と沙希さんが病院に入ったあと必ず連絡を取るなどの動きがあるはずなの、それを涼子さんと麗華さんで把握してほしいの。できれば写真も撮れるといいわね。」
涼子と麗華はしっかりとうなづくと、涼子は、
「了解しました、先生、しっかりと観察します。」
麗華はわくわくした感じで、
「はいっ先生!さあ、面白くなってきた。」
大きな声で答えた。
「ちょっと麗華、遊びじゃ無いんだから、ちゃんとまじめにやってよ。」
涼子はお調子者の麗華を心配してたしなめた。
「大丈夫だって、へまなんかしませんよ。」
麗華は涼子に反論した。この二人はまったく違った性格だが、不思議なことに二人は沙希との関係以上に仲がよかった。
「ふふふ、麗華さんは見た目よりもずっとしっかりしているから大丈夫よ。でも相手は警察、それも捜査一課、逮捕は礼状が必要だけど、職務質問や任意同行、別件逮捕など権力を行使しようとすればいくらでも汚い手は使えるわ。注意してね。」
四人は病院のも寄り駅で降りると、手はずどおり奈々と沙希が先に歩き始めた。沙希は麗華と涼子に頼んだわよといった感じで振り返り目配せした。
先に歩き始めた奈々はやはり気配を感じていた。沙希に目配せすると、沙希も少しだけうなづいた。
(玄関先に一人、ロビーにも、多分そばの駐車場に止まったままの車に人が乗っているのもそうね。)
奈々は視線を飛ばすと病院に向かっていった。
(まったく、捜査一課も暇な刑事が多いのね。でも、まさかあいつらが来ていないでしょうね、来ていたらそれだけで逮捕もんだわ。)
奈々はほとんどストーカーと化している梟組の面々が浮かんだ。
病院の玄関を入ると受付に向かっていった。
「すみません、近藤由紀子さんのお見舞いに来たのですが。」
そう伝えたときに、奈々は受付の女性が一瞬妙な間があったのを見逃さなかった。
(あらっなるほど、ちゃんと手を回しているということね。)
受付の女性はその後はプロらしく手続きと注意を説明すると入室のIDカードを渡してくれた。それを受け取りながら、奈々は受付の女性に、
「南さんによろしく伝えておいて。」
と微笑みながら伝えると、受付の女性は驚いたように目を見開きなき何か言おうと口を開いたように見えたが、奈々はそれを待たずにさっと振り返ると沙希の下に戻ってきた。
「先生、どうされたんです、何かうれしそうに・・・」
沙希はニコニコと笑いながら自分の下へ戻ってくる奈々に不審そうに問いかけた。
「あらっ、うふふふ、ごめんなさい、今受け付けをしたらしっかりと対策がとられていたのでおかしくなっちゃって。」
沙希はまあと驚き、奈々と同じように微笑むと、日本の警察はすばらしく優秀ですねと皮肉っぽくつぶやいた。
「ああ受付の人、阿部奈々という人物が来たようでね。」
受付の人と呼ばれた女性は鈴木といったが、どうせ名前は覚える気も無いのねと言った不満げな表情で、えらそうに話しかけてきた南をみた。
「はい、南さんによろしくって言ってました。」
えっ、と南は眉間にしわを寄せると、渋い表情になった。
(悟られてしまったか、流石に鋭いな。)そう心の中でつぶやくと奈々が乗ったであろう病室行きのエレベーターを見つめた。それを横目で受付の人と呼ばれた鈴木さんは(ふん、バレバレじゃないの。)と警視庁のエリート代表を自負する南を冷ややかに見つめた。
コツッコツッコツッと三回のプロトコールをし、中から了解の意思表示がされると奈々と沙希は由紀子の病室に入った。
「由紀子さん、調子はどう?」
沙希が心配そうに声をかけると、由紀子はだいぶ血色のよくなった顔を向けて笑顔で答えた。
「ええ、だいぶよくなったわ、沙希さんや涼子さん麗華さんたちのおかげで・・・、あらっ今日は沙希さんだけ・・・」
怪訝そうに由紀子が問いかけると、沙希が含み笑いをしながら答えた。
「うふふ、ちょっと作戦があってね、先生の提案で後から来ることになっているの。」
しばらくたわいも無い話を続けていると、騒がしくドアがノックされ、返事をする前に麗華が飛び込んできた。
「ちょっと麗華!いきなり飛び込んじゃ失礼じゃないの。」
冷静な涼子がすぐさま麗華にだめだしをした。
「だって、とっくに先生たちがきているんだから、大丈夫よ!」
麗華は口をとんがらして反論した。見た目も性格も、行動リズムも正反対に見えるこの二人だが沙希がうらやむほど仲がよいのが不思議だ。
「いきなりにぎやかにになったわね。でもここが病室だということを忘れないようにね。」
奈々は元気に入ってきた麗華にちょっと釘を刺した。麗華はぺロッとしたを出すと、
「すみません先生、でも先生のにらんだとおりです。先生と沙希が入っていった後、玄関の横の物陰から、あの南というやなやつと、もう一人が先生たちをつけて入っていきました。」
「やはりね、由紀子さんに監視をつけているということね。」
「それから先生、それだけではありませんでした。」
落ち着いた口調で涼子が続けた。
「玄関横の駐車場に人が二人乗ったままの乗用車が止まっていました。南刑事の相棒の人がその車に向かって合図を送っていました。」
「そう、それは収穫ね、駐車場を監視の拠点にしているのね。」
そう奈々が話すと、由紀子は先ほどまで回復を示していた顔色が見る見る血の気が引いていった。それを見た沙希は心配そうに声をかけた。
「大丈夫由紀子さん、心配しないで由紀子さんには私たちの阿部先生がついているから。」
由紀子はそれを聞くと力強くうなづいた。
「でも先生、由紀子さんにこんなに監視の目がつくなんておかしくありませんか。」
奈々は考え込む時の癖で腕を組みながら右手をあごに当てた。
「そうね、おそらく由紀子さんに監視をつけているわけでは無いと思うわ。今回の事件で何かしらのかかわりのある人物或いは団体が、それほど監視をつけなくてはならないことがあるということね。」
由紀子は更に不安そうな表情を見せた。奈々はそれを見て取ると、
「由紀子さん、大丈夫よ、これだけ監視の目があると言うことは逆に身の安全は保障されているようなものだから。」
そういってやさしい笑みを由紀子に向けた。
「そうそう、先生、まずは顧問契約を進めましょう。」
そういって、麗華が準備していた顧問弁護士の契約書を出した。
「由紀子さん、今から読み上げるから気になったところは、何でもいってね。」
といったところで由紀子がさえぎり、
「麗華さん、読み上げる必要はないわ、あなたたちは信頼しているから。」
ときっぱりと言い切った。
「由紀子さん、いくら信頼しているといっても、内容の確認はしておかなければだめよ、それは契約者の義務でもあるのよ。」
奈々はやわらかく由紀子を諭した。
「すみません先生、皆さんがしてくれていることがうれしくって・・・、麗華さん改めてお願い。」
麗華は目をリスのようにきょろきょろさせると、ドヤ顔で話始めた。
「契約期間は、完全解決まで。完全解決といっても、あいまいだからその定義は今回の件の犯人が逮捕され、刑が確定されるまでとします。そして弁護士費用は大学の研究費用として計上します。」
そういったところで、由紀子はエッと小さな声を上げた。
「ちょっと待って麗華さん、それはいけないわ。ちゃんと正規の料金をお支払いいたします。」
そうきっぱりと言い切る由紀子を見て奈々はやわらかく話し出した。
「由紀子さん、費用の件は心配しないで。そもそも今回由紀子さんに弁護が必要なのは、警察の捜査に問題があるからなのよ。はっきり言って警察から賠償金や弁護士費用を請求することは十分可能だし、そんなに難しいことではないわ。」
そうきっぱりという奈々を三人のミューズたちは頼もしそうに見つめ、由紀子は大きくうなづいた。その後、麗華から細かの条件が読み上げられた。由紀子は愛用のパーカーを取るとサインの位置を左手で確認しながら署名した。奈々はそれを見て、
「さあ、これで正式な顧問弁護士になったわ。戦闘開始ね。」
捜査一家のエリート南、奈々と渡り合うことができるのか!?