テレビって!?
反社と付き合ってはいけません。
「たっ、大変よ、沙希!涼子!」
次の日、朝の講義が始まる前の数刻の間キャンパスの一角、陽光差し込む五郎池のそばのいつもの場所で沙希と涼子が昨日の余韻に浸りながら、これもいつものことに講義ギリギリになって現れる麗華を待っていた。そこへいつもなら眠そうな目をこすりながら、これからの講義を本当にしっかりと聴けるのだろうかと心配になる感じで現れるはずなのに、いつもと違って血相変えて息せき切って現れた麗華に、沙希も涼子も一様に驚きの表情を見せた。二人は異口同音に。
「「どっどうしたの、麗華」」
麗華はぜいぜいしながら、沙希の前にあったペットボトルのお茶「五右衛門」を一気に飲み干した。
「あっ、それ、私の・・・」
沙希はあっけにとられていたが、麗華はお構いなしに。
「大変よ、昨日のこと、ネットで話題になってるわ。」
確かに現代のネット社会で、しかも日本の駅で五本の指にはいる、一日二百万人の利用者を超える渋谷の駅前の出来事である、ネットで出回らないほうがおかしいともいえる。
「どんなことになってるの」
沙希は麗華に尋ねると、麗華は自分の相棒と化しているタブレットを指して。
「これを見て。さすがに渋谷で有名なヤクザが関わっているからだと思うけど、はっきりとした画像が出回っているわけではないわ。でも見る人が見れば、阿部先生の前でどこかの男が土下座しているのはわかる画像よ。」
沙希と涼子は麗華が指し示す常に最新の機種になっている何代目かのタブレットの画像を食い入るように見つめた。そこにはシャープなピントではなかったが、凛として立つ髪の長い女性の前にうずくまる男の姿、見ようによっては土下座にも見える、そんな風な画像が奈々の斜め前あたりから遠目に取られているのである。沙希も涼子もそして麗華はちょっと前に、胃の府が暑くなるような思いにとらわれた。
(そう、そうよ、あれだけの大騒ぎ、あのまま済むなんて方がおかしかったのよ。甘かったわ、浮かれている場合じゃなかった。)
「二人とも、すぐ先生の所にいくわよ。先生はネットだけはあまり得意じゃないから。とにかく知らせなければ。」
そう言うなり、三人は立ち上がると奈々の研究室へ向かった。
「阿部先生、失礼します。沙希です、いらっしゃいますか。」
沙希にしては珍しく強めにドアをノックすると、中からいつもと変わらず落ち着いた声で返答があった。
「どうぞ。」
三人は顔を紅潮させながら奈々の研究室になだれ込んだ。
「あら、皆さんおそろいで、昨日はお疲れ様。ちゃんと無事に帰れたようね。」
「はい、昨日はありがとうございました。でも興奮が収まらなくって、喫茶店によって帰りました、ってそうではなくて、先生大変です、昨日のことがネットで流れてます。」
奈々は少しきょとんとした表情を見せたが、すぐうんざりとした表情となった。奈々はこの世界、現代の日本に権限したとき、様々なものに触れ、知恵の神たるゆえんの能力で全てのものを把握していった。人間にとって本当に必要かどうかわからないものもあったが、現在の世界に存在している以上何らかの理由があるのだろうと思って、なるべく否定的に見ることは控えていたが、ネットだけはあまり好きになれなかった。現実では無いのに現実であるかのような、また自分の経験ではないのに自分の経験のような錯覚を起こさせるネットというものが、奈々の琴線に響かなかった。そんな思いを抱いているところに、検察に拝み倒されてしぶしぶ出演したテレビ番組で本当に伝えたいこととは別に奈々の見た目だけが取りざたされ、それに抗議したところ、根も葉も無い中傷がネット上で流されたときいて余計に好きではなくなった。そんなことから、ネットが社会にとって必要だとは理解しているが、ネットのこととなると後ろ向きの反応となってしまうのである。
三人のミューズたちは奈々のネット嫌いは承知のうえだが、今はそんなことは言ってられないと感じてストレートに報告した。当の奈々はやれやれといった表情で沙希を見た。
「沙希さん、そんなにあわててあなたらしくも無い。ネットの情報ほどあてにならないものは無いわ。」
沙希は少しあわてすぎたことを反省しながら、それでも麗華のタブレットを受け取ると、画像を見せた。
「先生、すみません。でもネットにどんな形で流れているかはお知らせしておいた方がよろしいかと思いまして。」
奈々は画像をちらりと見た。
「ふうん。こんな不鮮明なものしかないの。あなたがたが写っていなくて良かったわ。」
沙希も涼子も麗華も自分のことより私たちのことを気にしてくれる奈々の気遣いがうれしかったが、それよりも奈々がネットのことをあまり気にしていないことの方が心配で差し出がましいようだが言葉を継いだ。
「でも先生、このネットの情報がもとでどんな誹謗中傷が始まるか・・・」
奈々はふんわりと微笑みながら三人を見た。
「ネットに誹謗中傷されるのは経験済みよ。それよりあなた方を巻き込んでしまった感じがしてそれが心配。もし、今回のことで少しでも何かあったらすぐ知らせて頂戴。」
そういい残して奈々は、なんとなくいやな感じをいだきつつもあまり好きでは無いテレビ番組の出演に向かった。
(いまさら大学の宣伝なんて必要ないと思うのに、学長ッたら・・・)
藤堂はボウっと空を見上げていた。渋谷梟組本部、江戸時代からの任侠の流れを汲む組である。しかし最近では、ハングレと呼ばれるわけのわからないチンピラをうまく使い、危険ドラッグ、いわゆる脱法ハーブや、オレオレに代表されるなり済まし詐欺、闇バイトによる強盗や窃盗の斡旋など社会に悪影響を及ぼす組織犯罪を法の目をかいくぐって行っている組織が金回りも良く裏の社会では幅を利かせている。そんな中で素人さんには迷惑をかけねえなどという昔ながらの梟組は弱小組織の部類であった。
(どうもいけねえ、あの姐さんの顔がちらつきやがる、現実にいるかもわからねえのに。大体ヤクザもんを何人も手玉に取るなんて、やっぱり夢だったのかも知れねえ・・・)
「トラ、何をボウッとしてやがる。」
小柄だが、妙に迫力のある雰囲気を持った初老の男が立っていた。十三代目梟組組長、篠原重蔵である。
「あっ、おやっさん、おはようございます。」
藤堂は深々と礼をした。
「聞いたぞトラ、おもしれえたちまわりをやったんだって。」
「面目ありません、決して油断したわけじゃありませんが女一人にやられちまいました。」
「そっちじゃねえよ、惚れたといって交際を申し込んだって言うじゃねえか。」
「えっ!?いやっそのっあのっ・・・」
この男には珍しくあからさまにうろたえて、額から汗が噴出していた。
「ほっ本当に何でそんなことになったのか、今でも現実だったのどうかもわからねえしまつで・・」
「ふふっ、硬派一辺倒だったおめえが、遅ればせながら青春を取り戻すことは悪いことじゃねえ。」
そういって穏やかに笑う昔ながらの江戸っ子と言った風情のこの男が渋谷で最強と言われる藤堂をさらに上回る伝説の男とはとても見えない。
「あっ兄貴、大変です!!」
大男の剛田がコマネズミのように走りこんできた。藤堂は組長に突っ込まれてうろたえているところに、大男に乱入されてため、真顔で切れ気味に剛田を制した。
「バカやろう!おやっさんのまえだぞ、控えろ。出入りでもあったのか!」
もし出入りがあったとしても藤堂は動じなかっただろうが、剛田の次の一言にはさすがの藤堂もあわてた。
「すっ、すみません兄貴。でもっ、でもっ、姐さんが、姐さんが、テレビに出てます!」
「何だと、何チャンだ!」
藤堂は組長がいるのにも関わらずあわてて居間のテレビのスイッチを入れた。
画面に映し出されたのは、報道特番にコメンテーターとして出演している奈々の姿だった。
『現役弁護士で帝大の教授でもある阿部先生の見解は、いかがでしょう』
番組の進行役である若い男性アナウンサーの言葉に藤堂は息を呑んだ。
(弁護士で教授だって!!!)
『今回の事件に関する犯人像はきわめて明確ですね』
あまりテレビ向きでは無い冷たく無機質な奈々のコメントが始まった。
「なんと、ものすごい別嬪さんじゃねえか。」
あいた口がふさがらないといった体の藤堂に代わって、伝説の組長が口を開いた。
「しかも弁護士で教授だって、こいつぁ、あたしらとはまったくの別世界の人間じゃねえか。」
「姐さんがこんな人だったとは、いまだに信じられねぇ。こんな華奢な人に簡単にとっちめられるなんて。」
同じようにあいた口がふさがらなかった大男の剛田がようやく口を開いた。剛田の言葉を組長が否定的に言った。
「バカやろう、人を見た目で判断するんじゃねえ。この別嬪さん、いい目をしている。並の鉄砲玉が何人かかってもかなわねえ、戦う男の目をしている。」
「戦う男って・・・」
ようやく我を取り戻した藤堂が口を開いた。
「でも、そういや、この人は不思議なことを言ってた・・・マジになった俺にそれまでとはかわって、笑いかけてくれたように見えたんだが、そのときに戦士の目になったわねって・・・」
「まったく、青春しやがって。しかし戦士たあ時代がかった言い方だなあ。だが不思議としっくりくる。確かに戦士の目を持った別嬪さんだ。ただ、ちょいと心配だなあ。俺たちなんぞと関わっちゃあいけねえお人なんじゃねえのかい。」
藤堂は自分の中で盛り上がった感情が一瞬にして冷めるのを感じた。伝説の組長の悪い予感が画面の中で現実となってしまう。
一通り奈々の解説が終わると、画面の端に座っていた中年の男が口を開いた。
「相変わらずのご高説ですねえ、阿部先生。」
奈々はちらりとその男を見るとうんざりしたような表情で思った。(この男良く教授になれたわね、法務大学といえばうちほどでは無いにしろ、法学の世界では名の通った大学のはず・・・)
東京六大学の一つ法務大学の芹沢教授の評判はあまり芳しいものではなかった。確かに法務大学といえば法律学校を前身に持ち法学世界では名の通った大学だ。しかしそこの教授職にある芹沢教授は学内でも職員や学生にセクハラのうわさが絶えず、法務大学の教授という肩書きと立ったキャラのおかげでテレビ出演も数多くこなすが、そのたびにテレビ局のクルーや女子アナにたいするセクハラまがいの言動でテレビ局では鼻つまみもの、ゆわゆる要注意人物としてマークされていた。
しかし、極端なもの言いと法務大学の教授であるという肩書きからその法的知識は深いと思われていて、テレビ出演も多くこなしていた。しかしテレビ局内で芹沢教授が出演するとなると、番組クルーも進行を努める女子アナも戦線恐々となるのである。プロデューサーとしても頭の痛いところだったが、そこそこ視聴率が取れている以上、芹沢教授の出演を続けていたが、ここ最近は本職の法学の解説も一般視聴者がよめるほどマンネリ化しており、実は本職の法学の知識は実はたいしたことが無いんじゃないか、とのうわさも流れ出しプロデューサーとしても、芹沢教授も賞味期限切れかと考えていた矢先に、センセーショナルに登場したのが奈々だったのである。
しばらくアメリカにいたということから日本で注目されることが無かったが、ある事件をきっかけに注目されることになった。帝都大学法学部教授と言う肩書きもさることながら、その肩書きすらかすむほどの実績が彼女にはあった。犯罪心理学の論文を多数書き、その論文は学界でも高い評価を得て、アメリカ連邦警察(FBI)でも教科書的に扱われている。おまけに本人はFBIの犯罪顧問となり、世界一とも称されるプロファイリングでも活躍していた。日本に帰国してからは、あっさり帝都大学の教授に収まり、ついでに公安委員会の顧問にまでなってしまった。
この番組のプロデューサーはこの話を聞きつけ、本物が現れたと小躍りした。やっとあの胡散臭い教授に引導を渡せると。しかし出演交渉に奈々のもとを訪れたプロデューサーは自分の想像をはるかに超える存在に圧倒された。法学の実績だけでも十分なのに初めて会った奈々の美しさに言葉を失った。プロデューサーという職業柄、日本一の人気を誇るアイドルや、世界の美しい顔ベストテンに入った女優、大人気のグラビアアイドルなど美人は見慣れているはずだった。そんなプロデューサーが言葉を失うほど次元の違う美しさが奈々にはあった。
「どうされました。」
奈々に穏やかに問いかけられ、我に返ったプロデューサーはしどろもどろになりながらようやく挨拶を済ませると、大スター誕生の予感に興奮した。しかしこのあとテレビ出演にまったく興味の無い奈々に、出演交渉に多大なる労力を使い、果ては公安委員会からの紹介状まで取り付けてようやくの番組出演となったのである。
番組プロデューサーの山崎は、奈々の解説をセットの袖で聞きながら考えていた。
(阿部先生がテレビ出演を嫌いだというのは残念だ。惜しい、本当に惜しい。最初はあの芹沢教授のメッキをはがせたらいいくらいにしか考えていなかったが、今は本当に阿部先生をメインで番組を作りたい。本業の法学のすごさも当然だがスーパーモデルと張り合っても引けをとらない美しさ。本当に惜しい)
奈々はしぶしぶ引き受けたテレビ出演で一緒になったこの芹沢という教授にうんざりしていた。法務大学の教授ということだったので多少は期待していたのだが、どうも知識が古くて研究もしていないような感じがしてならなかった。奈々は見た目が若い女性の姿のため、最初は明らかに上からのもの言いをしてきたが、関連する判例や犯罪記録などを引き合いに出して議論するとほとんど返せず、声を荒げてくるのではっきりと力足らずであると指摘するとシュンとなってしまった。奈々は思った。
(私は、あなたが生まれる前というより人類が創生される前から世界の秩序を司っていたのよ。)
ところが何がどう転ぶかわからないのがテレビの世界である。お茶の間でも女性の敵とみなされつつあった芹沢教授に対して、その本業で鼻っ柱を打ち砕いた奈々はものすごいインパクトを持って視聴者に迎えられた。そのおかげで奈々と芹沢教授のマッチングはかなりの視聴率を取れる組みあわせとなってしまい、図らずも芹沢教授のテレビ出演の寿命を延ばしてしまう結果となった。
「いやあ、相変わらずのご高説、すばらしい。それはハーバードじこみ、それともケンブリッジですか。」
この男の特徴であり、嫌われる元となっている、ニヤニヤと人を小ばかにするような表情で奈々に話しかけた。最近ではめずらしく奈々に対して上から目線のもの言いに、番組の出演者はいやな予感を感じた。
「芹沢先生、何かおっしゃりたいことでも、おありになるんですか。」
奈々は古の時代であればおそらく、一瞬にして命が尽きるのでは無いかと思われる、氷の視線を芹沢に向けた。
「いやっ、あっあの・・・」
さすがの芹沢も恐ろしい氷の刃に貫かれて心臓が止まるかと思ったが、なにか持っているものがあるらしく、何とか気を取り直して、あろうことか奈々に立ち向かってきた。
「せっ、先生は、なにやら反社会的な団体とつながりがあるそうですね。」
芹沢が放り投げた爆弾は本人の想像以上のインパクトをその場に与えた。スタジオ内は一瞬にして凍りつき、司会のアナウンサーは目を見開いたまま固まってしまった。あわや画面切り替えの放送事故となるかと思われた瞬間、奈々が先ほどと変わらぬ冷たいトーンで冷静に答えた。
「芹沢先生、私には身に覚えの無いことですが、何かご存知なことでもあるのですか。」
冷ややかに放たれた二つ目の氷の刃に芹沢教授はたじろぎながらも、切り札を切ってきた。
「いっ、いやあ阿部先生は昨日、渋谷でその筋の人たちとお付き合いしてたようじゃないですか。」
芹沢教授はやや勝ち誇ったように、どうだといわんばかりに奈々を見返した。芹沢はこれでこの高慢チキな女の鼻をへし折れる。と内心ほくそえんでいた。スタジオ内の緊張はピークに達し今後の成り行きを皆、固唾を呑んで見守っていた。しかし、当の奈々はまったく動ぜず、先ほどよりは、やややわらかめに答えた。
「あら、そのことでしたら、昨日渋谷で食事しているときに、なにやら怖そうな人たちに絡まれて、警察官の方に助けていただいただけですわ。渋谷のような繁華街ではよくあるお話しではありませんか。」
緊張のピークに達していたスタジオ内は一気に討論の場になった、というか芹沢に対するバッシングの場になった。
「芹沢先生、自信満々にとんでも無いことをおっしゃいましたが、確固たる証拠がおありになるんでしょうね。」
芹沢に対する攻撃の口火を切ったのは、野党第一党の党首でこちらも弁護士の伊藤博子であった。野党の党首ということもあり、政府に対する糾弾の激しさで名をはせている。その迫力は奈々のような氷の冷たさではなく、炎のような激しさを持っていた。芹沢は奈々とは違った攻撃にたじろぎながら、ゴクリと生唾を飲み込むと、口を尖らせながら言った。
「はっ、ネット上では、写真つきで話題の嵐ですよ。」
勝ち誇ったように伊藤を見返す芹沢に一瞬伊藤は、奈々を見たが、奈々はまったく問題なしといった落ちつた表情を変えることはなかった。
「芹沢先生、そこまでおっしゃるのなら、そのネットとかの情報は確実に阿部先生と反社会団体との不適切な証拠となっているのでしょうね。」
伊藤は奈々の表情に力を得ると、不祥事を起こした与党政治家を追い詰めるように芹沢に迫った。
「そっ、そりゃあもうバッチリですよ。」
芹沢は口ごもりながら答えたが、そこは国会答弁で百戦錬磨の伊藤に自信なしと見られ、口撃を畳みかけられた。
「大体、ネットの情報と言うものの信憑性がどれほどのものですか。写真が載っているとか、みんなが証言しているとか、拡散て言うんですか、まことしやかに広められますけど、現代のデジタル技術全盛の時代、写真ですら本当のことを映しているかどうかも疑わしいものですわ。」
先ほどのニヤついた表情はどこへやら芹沢は吹き出す汗をぬぐいながら、議論で負けそうなときのこの男のクセである大きな声で早口でまくし立てた。
「何を言ってるんですかあなたは、全国いや全世界の人がみて検証しているネットの情報ですよ。間違っているわけが無いじゃないですか。可能ならネットの情報を今ここで出してくださいよ。」
進行役のアナウンサーがチラッと番組プロデューサーの方を見ると、先ほどまであわただしく動きまわり各スタッフに指示を与えていたプロデューサーが腕を組み、小さくうなづいた。
「今話題に上っている画像の準備ができたようですよ。」
アナウンサーの一声が合図となり先ほどまで喧々諤々だったスタジオが一瞬のうちに静まり返った。一拍おいて芹沢教授が勝ち誇ったように声を上げた。
「やっぱり、本当でしょう!!早く出してくださいよ。スタジオの皆さんにも視聴者の皆さんにも見ていただきましょう!!」
スタジオの面々に一瞬緊張がはしり、代議士の伊藤をはじめ全員が画面に集中した。当の奈々はあの子たちが写っていなければいいけれど、などと漠然と思っていた。
「では、お願いします。」
アナウンサーの合図とともにスタジオに設置された画面に髪の長い女性の後姿とその前にうずくまるように見える男らしき姿の写真が映しだされた。それは朝、沙希たちが大慌てで知らせてくれた写真だった。少し間をおいて伊藤代議士がつぶやくように言った。
「これ、阿部先生ですか・・・」
写真に大きな期待を込めて注目していた芹沢教授は、完全に期待を裏切られた感じで声高に叫んだ。
「ちょっ、ちょっと、こんな写真だけじゃ無いでしょう。もっとはっきりと写ったものがあるはずですよ。」
おうおうにしてこの男は、つめが甘いというかしっかりとした調査能力が無いというか、おそらく今回も誰かから聞いたネット情報をしっかりと調べもせずに、生放送でぶちかましたのであった。
「番組の誠意を持ってお伝えしますが、今現在ネット上で流れている当件のものと思われる写真はこれだけです。」
アナウンサーは静かにしかしきっぱりと言い切った。芹沢はあわてたようにしどろもどろになりながら早口で言った。
「そんなバカな、ネットでは大きな話題になっていて、あの阿部教授がヤクザ者と付き合いがあると・・・。」
「芹沢先生。いい加減にしてもらえませんが、ネットの情報が信憑性の低いものだということは周知の事実でしょう。しっかりとした写真があればまだしも、この写真は阿部先生かどうかもわからないようなものではありませんか。」
伊藤代議士が国会での糾弾よろしく芹沢に詰め寄ると、額に汗を吹き出しながら、奈々に対して何とか最後の矢を放った。
「あっ、阿部先生、あなたも法曹界に人間なら、正直に認めてください。」
奈々は、冷たい氷のようなめ目で芹沢をまっすぐに見詰めると、淡々と言った。
「確かに、渋谷で怖い人たちに絡まれたのは事実ですが、その写真が何を意味しているかは正直わかりかねますわ。」
奈々の言葉にスタジオ内は一気に芹沢教授に非難の目が向けられ、何の証拠も無いのにネットのうわさだけで奈々を非難したことに対して逆に非難の嵐となり、果ては名誉毀損で訴えられても仕方が無い、そのときは私が阿部先生の担当になると伊藤代議士がのりのりで申し出るなど、ちょっとした騒ぎとなってしまった。
「とにかく芹沢先生、はっきりとした証拠もなしに非難されるのは、もう終わりにしていただきたいですわ。もうこの話題はよろしいですか。」
奈々ははっきりとそして刺さるような氷の視線を既に息も絶え絶えとなっている芹沢教授に向けた。芹沢は言葉にならない不審な音を口から漏らしながら目を見開いたまま固まっていたが、勝負がついたことを示すように画面からフレームアウトしていった。その後はまるで最初から出演していなかったかのように画面から外れてしまった。
番組は芹沢の横槍で中断していた話題に戻り、奈々をはじめ伊藤代議士による解説で盛り上がりを見せ終了した。心なしか伊藤代議士が普段より饒舌に感じられた。
「あのやろう、ぶっ殺してやる!」
番組を見終わったシンが息巻いて飛び出そうとするのを、さすがに剛田も羽交い絞めにした。
「バカやろう!そんなまねしやがったら、俺がお前をぶっ殺してやる。わからねえのか、俺たちが少しでも姐さんの周りをうろちょろしたらそれこそ、ヤクザもんとつながりがあるように見えるじゃねえか、バカたれが!」
藤堂は羽交い絞めされている何かと揉め事の種にたるシンを小突いた。
「そんなんだから、おめえはしょっちゅう揉め事を起こすんだ。少しは考えて行動しろ!」
さらに藤堂の説教が続きそうな雰囲気だったが、伝説の組長がやんわりとそれを制した。
「トラその辺にしとけ。しかしおめえたちも注意した方がいい。今のテレビを見ている限り、あの芹沢ってやつはおめえらの大好きな別嬪さんを恨んでいるようだ、しかもあの口ぶり何か誰かにそそのかされているような気がする。あの別嬪さんを誰かが落としいれようとしてるんじゃねえのかなあ、少し心配だぜ。」
藤堂は何か心に黒い不安のようなものが広がっていた。
(おやっさんの洞察力は良くあたる。何かまずいことが起こらなきゃいいが)
「お疲れ様」
奈々は出演者とテレビ局のスタッフに挨拶を済ませると渋谷のスタジオを後にした。出演中の厳しい雰囲気とは裏はらにスタッフへの評判はすこぶる良く、ほとんどのスタッフは奈々の出演を心待ちにしていた。
(本当に今日は疲れたわ。あの芹沢という男、どこで仕入れたか知らないけれど昨日のことを知っていたのは事実ね、注意しないと。でもあの子たちに教えてもらっていて助かったわ。大学に戻ったら御礼をしないとね。)
当然というか、やっぱりと言うか、芹沢は番組終了とともに逃げるように消えてしまった。その代わりといっては何だが、伊藤党首はかなりの熱意を持って奈々に接近してきた、今度講義を聴講させてほしいだの、一緒に食事でもどうかだの、やたらと誘ってきた。
(あの男もそうだけど、伊藤さんにも参ったわ。あの感じ今度の総選挙の候補者にでもしようというのかしら)
あながち思い過ごしではなさそうである。
このことがきっかけで大騒動になりそうです。