学長の受難って!?
奈々が出ていった後の講堂は一気にざわつきががどよめきに変わった。
「美奈子って、あの尾藤美奈子だろ。」
「ああ、あの大手エステサロン、ビーナスの社長。」
「テレビで見た時もすごいと思ったけど、実物はとんでもなくすげえ、抵抗できない。」
口々に驚嘆の声を発するのは、その全てが男子生徒である。沙希をはじめとする奈々の信奉者である女子生徒たちは悲鳴にも似た金切り声を上げた。
「あなたたち迷惑よ。それでも日本の最高学府、帝都大学の学生なの!恥ずかしい。あなたたちのせいで阿部先生が出て行ってしまって講義が聞けなくなったじゃない!」
沙希の怒りは奈々のように世界を滅亡させるほどのものでもないが、それでも十分な迫力がある。男子生徒はタジタジとなったが、そこにまたしてもやわらかいオーラで中和されてしまった。美奈子である。
「ゴメンナサイネ、あなた沙希さんとおっしゃるの、とても優秀な生徒さんのようね。あなたのような子が私の講義を聞いてくれるととってもありがたいのだけど・・・、女はね奈々みたいなだけじゃだめなのよ、総合的に秀でていなければ。」
沙希は自分の名を言い当てあられたことに驚きを隠せず、戸惑ったように美奈子を見返すと、美奈子はすっと視線を沙希の抱えているノートに移して。
「とてもきれいな字ね、あなた才能あるわよ。」
そういわれた沙希は不覚にも顔を赤らめ、黙ってしまった。人間としては英雄クラスの力を持つ沙希であっても、さすがに相手は美の女神、しかもひとたび戦いとなれば残酷で恐ろしい力を発揮するアフロディーテである、相手が悪かった。
おそらく大講堂の外にいた学生たちはモーゼが海を割るとはまさにこういうことかと目の当たりにした。いつものように午前一番の講義が始まるころのキャンパスは学生たちであふれ活気の波がうねっていた。若者たちの海が日本の将来の明るい未来を予見しているようで訪れた人々の心に希望の光をさしていた。そんないつもどおりのキャンパスの風景だった。
そこに轟音とともに開かれた大講堂の扉に、群集の眼差しは釘付けとなった。そこにはまさに全てを切り裂く戦いの女神の姿があった。
「あっ、阿部先生・・・」
声を出せたものはほとんどいなかった。ようやく発せられた声も消え行くように女神の名をつぶやいただけだった。イージス艦の語源ともなったメデューサの首をはめ込んだアイギスの盾よろしく出席簿をはさんだクリップボードを片手に携え、パラスの槍と見まごう教鞭を振りかざして駆け下りる戦いの女神に目の前の学生たちは恐怖におののき一直線に海を分けた。その学生の海にできたモーゼの道を戦いの女神が一直線に突き進んでいった。
女神が過ぎ去った後もしばらく誰も口を利くことができず、呆然と女神が消えた方向を眺めていた。さらにしばらくしてようやく一人の生徒がくちを開いた。
「あっ、あれ、阿部先生だったよね・・・」
「ああ。確かに阿部先生だったと思う・・・でも何があったんだ。」
「確かに阿部先生はおこると怖い、講義を邪魔するものには容赦しないし、世界の誰が来でも邪魔ならたたき出すよね。」
「でもそんな先生が行講堂から出てきたんだぜ。しかもあの怒りよう、マジおれ死ぬかと思った。」
そんなことを口々に言いながら奈々の歩き去った方向を見ながら誰彼となくつぶやいた。
「この方向、学長室のほうじゃね。」
若き生命力にあふれた学生たちをして死をも覚悟させる戦いのオーラを噴出させながら女神は御年七十に届こうかという学長に神罰をくだそうというのである。
柔らかな日差しが窓から差し込んでいた。穏やかな春の日差しが。上品な面立ちの初老の紳士は、どこぞで会ったとしたら間違いなく貴族の血を引く元公爵か伯爵か、そんな雰囲気を漂わせていた。まさかこの紳士が元公爵でも元伯爵でもなく、今年のノーベル物理学賞の最有力候補、大田川教授であり日本の最高学府帝都大学の学長であるとはだれも思いはしないだろう。学長室の出窓のミニひまわりに水をやっている姿でかろうじて学長であることを推測されるかも知れない程度である。学長の大田川はひとりつぶやいた。
「ああ、今日はいい日和だ、柔らかな日差しが心地よい・・・」
ドオオオオオオオオオン!!!
大田川学長の朝のすばらしいひと時が、恐怖の大王、いや戦いの女神の降臨によって打ち砕かれた・
「があああくちょおおお!!!」
神魔覆滅、その神の託宣は大田川学長をいや学長室そのものを滅するのではないかと思われた。大田川学長はかっと目を見開き、今自分に何が降りかかっているかを必死で理解しようとした。宇宙誕生の謎を解き明かすかもしれないと言われるほどのニュートリノ反ミュー型素粒子を理解した大田川を持ってしても、自分自身の前に起こった超新星爆破のごとき現象を解き明かすことはできなかった。ちなみに宇宙の誕生を知るものは目の前にいるのだが。
「ああああああべくん、いいいったい何事かねえええ・・・・」
大田川学長は自らの命があることを確認するように何とかその言葉を絞りだした。神魔覆滅、学長室ごと滅しかねない超絶爆破と思われた力のなぞは永遠に解き明かされることは無いだろう。
「があああくちょおおお、いったいどうしてえ、いったいどうゆうことですかあああ。」
「あ・べ・く・ん・ちょ・っと・お・ち・つ・い・て・・・・・」
奈々は大田川学長の胸倉をがっしりとつかみ、ぶんぶんゆすりながら問いただした。大田川はこうみえても古武道の名手で学生時代は全国大会にも出場し、今でも健康の秘訣と言われるほど古武道の稽古を欠かさない、その大田川がなすすべもなくぶんぶんとゆすられているのである。白目をむいて泡を吹く太田川を見て、あっと軽く声を上げた奈々はようやく日本のいや世界の至宝といわれる脳みそをゆするのをやめた。もし大田川が古武道のたしなみが無かったら、そのまま永遠の旅立ちとなりかねなかった。奈々はやや平静を取り戻し、それでも怒りの炎は絶やさず学長を問いただした。
「学長、あの女はいったいどういうことですか。」
「あっ、あっ、あの女っていったい、どっ、どなたのことですか。」
普段は冷静すぎて氷のように冷たく感じる奈々の始めてみる怒りの炎にさらされながら、だらだらと汗をかき蚊の鳴くような声で答えた。
「誰ですって、あの女、美奈子です。私の講義を妨害しました。」
大田川はようやく怒りの源を理解したらしく、何とか抗弁を始めることができた。
「妨害だなんてそんなことはないと思いますよ、尾藤先生は・・・」
「先生!先生とはいったいどうゆう事ですか。」
「えっいやっご存知ないんですか、尾藤先生は皇宮大学の経営学部を主席で卒業されて、若くして教授になられたあと、経営の実践として起業された方ですが。阿部先生とは昔からのお知り合いだとうかがっておりましたが・・・」
皇宮大学いえば、帝都と並ぶ日本の大学の二大巨頭である。東の帝都、西の皇宮と並び称されるほどでありライバル心も相当なものである。
「皇宮!なぜ皇宮!、しかも私の昔からの知り合いですって、トンでもないあんな女知り合いでも何でも・・・・」
「ああら、ご挨拶ねえ。昔から、それもとおっても昔からの知り合いじゃない、奈々。」
百花繚乱、先ほどまでの学長室の覆滅オーラが華やいだむせ返るほどの愛くるしいオーラに変わっているのである。美奈子だ。
「みっ美奈子!!」
「だから言ったじゃないの、来週からこちらの教壇に立つって。」
「!!、許さない、全世界の神々が許しても私は許さない!」
奈々はオリンポスの神々が全員ドン引きした、不和のりんご以来の強烈な怒りを美奈子にぶつけた。美奈子ははるか昔に受けた怒りを思い出し、そして昔と同じように小ばかにしたように受け流すと軽く鼻で笑った。
「ふふん、大昔にもあなたがそんな風に怒ったことがあったわね。そして、そのときも私が勝ったのよね。」
もうやめてくれ、大田川は心底心の中で神に祈った。祈るべき対象の神二人が目の前にいることも知らずに、大田川はソドムとゴモラの中心にいた。
(なによ、あのいやらしい女。)沙希はまだ騒然とした講堂の中にいた。何かを期待してか、誰一人講堂から出て行くものはいなかった。通常なら講義の山場に差し掛かる時間であり、奈々が質問を受け付けてくれる時間である。毎回沙希は一番に質問し、その内容をほめられることに無常の喜びを感じていた。そのため沙希は毎回奈々の講義を予習していた。そんな努力をしらない、いや及びもしない学生たち、特に男子学生たちは口々に先ほどの顛末を興奮気味にしゃべっていた。
「いやあ、阿部先生は素敵だよ、そりゃあ認める。それに容姿だけじゃないじゃない。犯罪心理学じゃ日本、いや世界のトップと言ってもいいし、実際アメリカのFBIからもプロファイリングを依頼されることもたくさんあるし・・・」
「わかってるよ、そんな事わかってない生徒がここにいると思ってんの。でもさ、そうなんだよ、すご過ぎてちかよりがたいんだよなあ・・・、ほんとは俺だって、阿部先生とはお近づきになりたいけれども・・・その点さっきの尾藤・・さん、すごいよな、とにかくなんでも包み込んじゃう感じ・・・・でも、なんでここにいたんだろ、」とそのとき、スマホでせっせと検索していた生徒が歓声をあげた。
「おいっこれみろよ、あの人皇宮大学の経営学部を主席で卒業してるぜ。それで自分の経営理論を実践するために起業して、いまじゃ日本一のエステサロンの経営者だ。しかもその実践論文で皇宮大学の教授になってる。」
「えーじゃ。もしかしてさっき来週からお世話になるとか何とかって、こっちで講義をやるってこと。」
「そんなに珍しいことじゃない、確かにわが帝都と皇宮はライバル関係にあるし、大学界でも帝都派、皇宮派とか言われているけど、過去に教授の交流がなかったわけじゃない、それにライバルって事はお互いがお互いを認めてるってことさ。」
「にしたってよ、エステサロンの経営者ってイメージが強いし、テレビでも頻繁にそっちの肩書きで出てるだろ。なんで今更うちにくるんだろ。」
「阿部先生との関係かな、あんな阿部先生見たこと無いぜ。実際めっちゃ怖かった。」
「ほんとだよ、知り合いだとは思うけど、どう考えても友達って感じじゃなかったな。」
「でもさ、大学の帝都派とか皇宮派とか、現役の俺たちはあんまり気にしてないけど、阿部派とか尾藤派とかはしっかり立ち上がるんじゃないの。」
「あの雰囲気、男でも取り合ったのかな」
「まさか、でもあの二人に取り合われてみてえ。」
「馬鹿じゃねえの、あの二人に取り合われてみろ、生きてる心地はしねえぜ。」
さすがにこれには奈々信奉者の沙希は黙ってはいない。
「あなたたち、何を不謹慎なことを言っているの。阿部先生がそんな低俗な争いをするはずが無いじゃないの。」
沙希の迫力に盛り上がっていた男子生徒はすごすごと離れていった。沙希は思った。(阿部先生が男を取り合うなんて馬鹿なことあるはずがない、不謹慎この上もないわ)
しかし、はるか昔にこの二人に大神ゼウスの妻ヘラを加えた三人で一人の男を争ったことは紛れも無い事実である。さらにそのことがきっかけで大戦争が始まるのだが、今回の件がそうならないことを願ってやまない。
「でも沙希、阿部先生と尾藤って人どんな関係があるのかしら、尋常じゃないことはたしよ。」
沙希の親友でアテナの三人のミューズの一人麗華はいった。
「そうね、ただならぬ関係、しかもどう見ても友好的な感じじゃなかったわ。阿部先生のシンパを自負する私たちとしても、無視はできないわ。しっかりと敵の情報は把握しておかないと。」
ミューズのなかで最も冷静な涼子がいった。しかもさすがシンパである既に美奈子は敵として認識されているようである。深くうなづく沙希、この三人は帝都大の中でも容姿も頭脳も優れ、ましてや奈々のシンパとしても有名で教授たちにも一目置かれている存在なのだ。
「あの子たちが言っていた、皇大を主席で卒業して、すぐに教授になったって本当の話なの。」
タブレット三台を使いまわしている、三人のなかで最もデジタルエリートの麗華が沙希の問いに答えた。
「驚くべきことに本当みたい、フェイスブックやツイッターみたいなオフィシャルなSNSではばっちり乗ってるし、かなりの闇サイトでも事実として乗っている。まあ闇サイトでは教授になれたのは論文だけじゃないんじゃないかって載ってるけど、それもやっかみが半分以上入っているわね。」
「そんなにすばらしい論文なら、一度読みたいものだわ。ハーバード・ビジネス・レビューにでも載ってれば見れるのにね。」
冷静な涼子はやや皮肉交じりにつぶやいた。
「ところが載っているのよ、そうとうセンセーショナルだったらしくて、なんと表紙も彼女!」
麗華は驚きの表情を見せる他の二人のミューズに満面の笑みをうかべた美奈子が表紙となっている世界有数の経営論文集が映し出されたタブレットをかざした。
「「なっなんですって」」
二人のミューズはまるで地獄の門のように別世界を映し出しているタブレットを前にしてしばらく言葉を失った。
「ふん、格調高い経営論文集がまるでコンビニの成人向け雑誌のようになってるわ・・」
悪態をつく声も心なしか力ない。それも映し出された表紙は、英語の原書だが女ドラッガー出現とかドラッガー依頼の画期的経営論だとか絶賛の見出しを二人はみのがさなかったからである。しばらくの沈黙の後、沙希が冷静に口を開いた。
「偏った贔屓目はやめたほうがいい、私たちの阿部先生はどんなやつにも絶対負けない。だから冷静にこの美奈子という人を見たほうがいいわ。」
「そのとおりね。」冷静さをとりもどした涼子が言った。しかしそもそもまったく違う学問の分野である法学と経営学で勝ったも負けたも無いような気がするのだが。
「麗華、わたしたちにアドレス転送して。」
さすがアテナの三人のミューズたちは、感情に流されること無く、冷静に美奈子を知ろうと動き出した。
「でっですから、阿部先生、尾藤先生の我が校での教鞭は教授会でも承認されて・・・」
大田川の説明を奈々は全て言わせず。
「教授会、教授会で承認ですって。私にはまったく覚えがないわ、無効よ。」
「いえ・・前回の教授会で三分の二の以上の出席でしたので、ゆ、有効ということで・・」
「前回といえば、私がロスの学界発表で欠席したときじゃない。認めないわ。」
「いえ・・三分の二の・・・」
「認めないといってるでしょ!」
もうどちらが学長でどちらが一教授なのかわからなくなっている。
地獄の炎いや神の劫火に焼かれて息も絶え絶えになっている、大田川学長を哀れむように、またいつくしむようにやわらかい眼差しを送る美奈子に大田川学長は救いを求める視線を投げかけた。
「奈々、いい加減にしなさいよ、教授会で承認されたことは事実だし、あなたが学界で欠席だったことも事実。仕方ないでしょ、あなただってわかってるはずよ、子供みたいにわがままを言うのは、負けを認めた時のあなたの癖よ。」
「くっ・・」
奈々はきびつを返すと学長室のドアをまたも突き破らんがほどの勢いで出て行った。さすがは日本の最高学府の学長室の扉である、戦う女神の二度の挟撃にも耐え抜いた。
「大田川学長、大丈夫ですか・・・」
少し甘えたような、それでいてふんわりと包み込むような、柔らかな口調で美奈子は知らず知らずのうちに何千年もの太古の昔から変わらずいさかいを続ける神々の戦いに巻き込まれて奇跡的に命が助かった哀れな人間にかけられた。すると先ほどまで息も絶え絶えだったはずの学長が、にわかに活気を取り戻し、若かりしころはさぞや好青年だったであろうと思われる笑顔を見せて。
「いやあ尾藤先生、助かりました。私はぜんぜん大丈夫です。不思議なことに尾藤先生のお顔を見たらすっかり元気になりまして・・・。あっでも阿部先生が嫌いだとかそういうことではありませんから。阿部先生はとても素敵な先生ですが、怒るととても怖くて、あっいやいやいや素敵といっても尾藤先生も素敵でして・・・。」
もはや、ノーベル賞候補とは思えないしどろもどろさである。もし大田川学長の候補が物理学ではなく文学だったらノーベル賞どころか小学校の作文コンクールも予選落ちであろう。
(・・・そういえばパリスもこんな感じだったかな・・・)
美奈子ははるか昔の出来事を思い出しながら世界中の男を虜にする笑顔をみせるのであった。
(まったくなんてことなの、美奈子が、あの美奈子が、私と同じ教壇に立つなんて、ありえないわ!)
学長室の扉が轟音とともに開かれたとき、戦いの女神のオーラは本館出口からほとばしりまたもキャンパスに一筋の道が切り開かれた。回りの学生たちただならぬ事態に恐怖を感じ、普段なら活気あるキャンパス内は静まり返り、嵐にの過ぎさるのをじっと待つ木々のごとき様相となった。果たして本館出入り口からは怒りのオーラを撒き散らし触れるもの全てを消滅させてしまうかとも思われる、阿部奈々がゆっくりとした足どりで講義の終了にはまだ時間のある大講堂へ向かっていった。
大講堂ではまだざわつきが納まらない中、三人のミューズ達はタブレットの中の美奈子の経営論文を読みふけっていた。そこに怒りの女神が帰還した。大講堂の扉が怒号ととも開いたとき先ほどまでざわついてい大講堂がうそのようにしんと静まり返った。
(聞いてはだめ、いくら聞きたくてもさっきのことは聞いてはだめ、それこそ文字通り逆鱗に触れることになるわ。願わくば愚かな学生たちが軽はずみな行動に出ないことを祈るばかりだわ)沙希は奈々の姿を追いながら祈りにも似た感情を持った。さすがに皆日本の最高学府の学生たちである、沙希が心配したような愚かな行動やざわつきは一切起こらず、大講堂にいる学生たちは神殿に集い信託を待つ人々のように神妙な面持ちで奈々の動向に注目していた。奈々は講堂に入った瞬間のしんと静まり返った学生たちに不安と期待を込めた面持ちに、はるか太古の昔、神殿に集いし人々の姿を見た。
奈々は自分でも美奈子とのやり取りは感情的で子供っぽかったと反省の念が沸きあがってきた。奈々は思った、人々に信託を・・・いや先ほどのことを説明した方が良いのではないか。ましてや来週から美奈子が教壇に立つという、学生たちにも無用な詮索をさせないほうが良いだろうと。
学生たちが固唾をのんで見守る中、美奈子はゆっくりと教壇に戻ってきた。
「先ほどは失礼、講義を途中でやめてしまって。」
沙希をはじめ学生たちは一様に驚きを隠せなかった。奈々のほうからさっきのことに触れたからだ。大講堂内は張り詰めた空気が少し緩み、次なる託宣を期待した。
「ちゃんとお話したほうが良いでしょうね。美奈子、いえ尾藤さん、来週からは尾藤先生になるわね、彼女とは古い付き合いなの。」
(本当に古い、あなたたち人類が誕生する前からですものね・・・)
「なんと言うかライバル関係とでも言うのかしらね、お互い得意分野が違うし・・・」
それは学生全員が即納得した
「あの・・・幼馴染みという感じのものですか。」
ひとりの学生がおそらく相当の勇気を持って質問をした。
「そうね、幼馴染といえなくもないわね・・・」
確かにお互い生まれたときから知っている、しかし幼馴染みというのもしっくりこない、何せ幼い時期というものがないのである。親戚と言えなくもない奈々はオリンポスの大神ゼウスの娘アテナであり、美奈子はゼウスの祖父ウラノスの娘とも言えるアフロディーテであるため大叔母にあたるといえなくもない。
「まあそんなところの関係ね、正直言って彼女のことは好意的には思っていないし。」
それも全学生がわかっている。
「私が劣っているとは思わないわ・・・」
といったところで奈々の表情に一瞬かげりがさしたが、それはオリンポスの神々の中でも1・2を争う力を持つといわれた奈々が唯一他者に後塵を拝したといえるのが、トロイア戦争のきっかけとなったあの事件、そして相手はこともあろうか美奈子であることを思い出したからである。しかしすぐさま冷静に
「でも、彼女が優秀なことは間違いないわ。まあ、あなたたちのことですから、すでにある程度のことは調べているでしょうけれど・・・」
と冷ややかな微笑を向けられた学生たちは沙希も含めて、一瞬血も凍るような恐怖を覚えた。
「さあ、ずいぶんと今日の講義は時間を無駄に使ってしまったわ。続きを始めます。」
大講堂は再びいつもの奈々の講義の時と変わらずピンと張り詰めた雰囲気に包まれた。