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義娘とお呼ばれ。新たな出会いの予感がします。

シャウラちゃん宛のその招待状が届いて以来、我が家にはピリピリとした空気が漂っていた。けれど、いつ何時、何が転じて福となるかはわからないものだ。


「ハァ。任せましたよシャウラ」


「はい。責任は重々理解しております、お兄様」


(うふふ、棚ぼたで兄妹きょうだい仲急接近〜)


ピリピリしているのは、なぜかわたしの周りだけ。

むしろ、アケルナー兄妹はかつてない程団結していた。難しい表情かおで向かい合う2人はめっちゃ似ている。嬉しい……けど、なんだか微妙に腑に落ちないのはなぜだろうか。


「最大限努力致します。お兄様のご懸念、ごもっともですので」


「頼みます」


カウスくんは前々から予定されていた行事のために、今日から三泊の予定で領地に戻ることになっている。本当はわたしも一緒に行くはずだったのだけれど、


「しつこいようですが、間違ってもケネス殿下の偽名など人前で口にしないように。それからツィーナを──」


「もーっ、カウスくん心配性過ぎなんだってば! わたしだってイイ大人だよ!? 可愛い義娘むすめの保護者として行くんだから、やらかすわけないじゃないっ!」


未成年への招待状に応える時は、保護者同伴が一般常識。王族からの招待という、何を置いても行くべき案件に当主代理のカウスくんが行けない以上、わたしがシャウラちゃんに同行するのは当然だった。

招待されたのは明日の昼食。


(母親らしいイベントって初めてだもの、気合い入れて頑張って来るわ!)


「ツィーナ、肩に力が入り過ぎです。ハァ……今まで僕が言ったこと、覚えていますか? はい、復唱」


「え? えっと……常にシャウラちゃんを視界に入れておく、常にシャウラちゃんの視界に入っておく、勝手に約束しない、決断しない、余所行きモードを解除しない……?」


公爵夫人という立場で参加する以上、軽々しいことはできない。そんなの、わたしだって重々承知だ。


「護身用魔術具を身につけておく、護身用魔術具を身につけていることは他言無用、殿下と2人きりにならない、笑いかけない、必要以上に喋らない、帰宅後はアルギに全て仔細に報告する、緊急連絡用魔術具で僕にも報告する、それ以降は僕が帰宅するまで自宅待機──」


「わかってるってば! カウスくんこそ安全第一でホントに本当に気をつけて行ってきてね!? 無理しちゃダメだからね!?」


(過保護は親の特権じゃないの!? なんか悔しい!!)


我が家がピリついている理由。それは王弟殿下から舞い込んだ手紙、そして、それによってカウスくんの心配性が暴走したせい。

シャウラちゃんを1人で行かせるよりも、わたしを一緒に行かせる方が心配だなんて……どういうことよ!?


先日の夜会からこっち、カウスくんはアケルナー公爵位に就くことを以前にも増して強く意識し始めていた。亡くなった旦那様がいい加減だったせいで、元々実務の大部分はカウスくんが担っていたが、やはり、大看板は必要不可欠。目立つことを好まないカウスくんもついに、表に立つ覚悟を決めたようだ。

確かに夜会では就任式の話題もチラホラ出てたし……当主と当主代理では権限にも違いがある。


「アケルナー領の治安の良さはツィーナが一番よく知っているでしょう? ハァ……やはり今からでも……」


「ダメだってば! 冬を迎える前の大切な神事なんだから予定の変更は不可だし、当主代理は必須!」


「いえ、ツィーナは急病をこじらせて危篤ということに……シャウラ、1人でも大丈夫ですね?」


「はい。むしろそちらの方が……」


「ちょ、そっち!? て言うか何を勝手に納得してるのかな!? シャウラちゃんを1人で放り出すとかひどいよカウスくんっ! なんでわたしそんなに信用ないわけ!?」


当主就任を見据えたカウスくんは、どうやら、わたしがアケルナー公爵家の評判を落とすのではないかと不安で仕方ないようだった。

わたしの外面の良さ、カウスくんなら十分知ってるはずなのに……。


「約束を破ったヒトが『信用』などと烏滸がましい」


「う゛」


じっとりした目がとっても冷たい。まさに蛇に睨まれた蛙状態。


「も……もう大丈夫だもんっ」


「お義母かあ様、頬を膨らませるとお可愛いらし……子どもっぽく見えてしまいますわよ」


夜会で「身元不明の少年」を拾ったことをとことん根に持っているらしい。

正しい行動は教えてもらったし、あれ以来社交についてびっちり勉強させられているから大丈夫なのに。わたし、スパルタに耐えてよく頑張ったよ。

しかもなぜか、シャウラちゃんがカウスくん側についている。兄妹仲が良いことは本当に心底良いことなので、そこに異議はないのだけれど……。


(なんか最近、シャウラちゃんまで呆れモードでわたしを見るのはなんでかな!?)


不本意ながら、カウスくんとの義母子おやこ関係が時折逆転するのは仕方ないと割り切っている。だって、彼、当主になるし。親はわたしだけど、社会的にアケルナー家を背負うのはカウスくんだ。そもそも同い年だし、「たまには仕方ない」と諦めをつけた。

けど、シャウラちゃんは……。


(聞き分けのない子どもを見るみたいな目、地味に凹む……っ)


「も、イイからカウスくんはとにかく気を付けて行っておいでよ! ただでさえ当日移動の強行軍なんだから、いい加減出発しないと暴走馬車になって事故っちゃうよ? 馬の事故だけはダメだからね?」


父子二代馬の呪い、なんて噂が立ったら困ってしまう。貴族みんなそういう話し好きなんだから。

まったく……なんなの馬の呪いって。ニンジンの作付面積減らしたいせい、とか……?


「だからツィーナが一言『行かない』と言ってくれれば」


「ほらほらほらほら! ここはイイから! お互いお仕事頑張りマショー!!」


王弟殿下は亡夫の友人で、シャウラちゃんにとっては恩人だ。さすが類友という部分も……特に女性関係においては見え隠れする気がするけれど、旧友の娘を気にかけてくれるなんて、ケネス殿下は根はとってもイイヒトなんだと思う。

とはいえ、ケネス殿下が隠しキャラである以上、シャウラちゃんの人生においては良くも悪くも重要人物。イイヒトだからこそ、将来的にヒロインの味方……つまり、シャウラちゃんの敵になるストーリーなのだと思う。


(今のうちに「シャウラちゃんはイイ子だ」ってわかっててもらわないと。誤解されやすい子だもの、常識云々抜きにしたって1人で行かせられるわけないじゃないっ)


大事な義娘むすめを悲劇の悪役令嬢にするつもりはない。が、それでも、いざという時の抑止力は多い方が断然イイ。

わたしの明日の仕事は、念の為、セーフティネットを構築すること。


名残しか感じられない恨めしげな視線を浴びながら、なんとかカウスくんを送り出す。隣から注がれる不安げな視線にはにっこり笑ってちゃんと応えた。


「明日のお衣装、もう一度確認しましょうか」



※※※



悪役令嬢だからかなんなのか、シャウラちゃんにははっきりした濃い色のドレスが良く似合う。顔立ちもくっきりしているから、多少派手なデザインでも負けないし。

まだ子どもなのに大人っぽい服が似合うなんてすごいと思う。羨ましい。


だからつい、黒とか赤とかの華やかなドレスを着せたくなって……実際、そういうのが今まで多かったらしいけれど……実のところ、彼女の趣味はそうじゃなかった。

会話の端々、断片的な情報を集めると、襟ぐりの広い濃い色のドレスは亡き旦那様、つまりシャウラちゃんの実父の好み。そして、パトロンを慮った実母にマネキンのごとく着せられていたものだった。


(ホントわたしって旦那様の好みと真逆過ぎて笑えるわ。むしろラッキー。

……でも、シャウラちゃんもやっぱり親ガチャ失敗パターンだったね……。なんか、不幸な環境で育った子どもが悪役令嬢として不幸になるって、ひどい設定じゃない? 救いなさ過ぎ。これが負の連鎖ってヤツかなぁ)


親の一存で社交界デビューを待たずに嫁がされた継母が、自分が冷遇された原因である愛人の娘にキツくあたり。放蕩な父の元、肉親の情を知らずに育った兄も当然、娼婦上がりの娘だと妹を忌避し。結果、性格最悪の悪役令嬢が完成する。

何その悲劇。登場人物がしこたま被害者なんだけど。


(絶っっっっ対阻止!! 継母わたしの中身がわたしで良かった! シャウラちゃんもカウスくんもわたしが幸せにするんだからっ)


「あの……本当に変ではございませんか……?」


馬車を降りる直前、不安げにそう訊いてくるシャウラちゃんはめちゃくちゃ可愛い。


「よく似合ってるわ」


今日のシャウラちゃんのドレスは、一緒に暮らすようになってから仕立てたものだ。淡いモスグリーンの厚い生地に、ピンクのレースをあしらってある。ユメカワ系の色味だけれど派手さのないすっきりデザインで、シャウラちゃんの雰囲気によく合っていた。

ただ、家の中ならまだしも、人前にこういうドレスで出るのは彼女としては初体験。実母による刷り込みが強いのか、落ち着かない様子だった。


「うふふ、お揃いのリボン、嬉しいわ」


ピンクのレースは、わたしの臙脂色のドレスにもあしらわれている。そして、わたし達2人の髪にも。

義娘むすめとお揃い! 早くも小さな夢が1つ、叶ってしまった。なんて幸せ。なんてイイ子。


(シャウラちゃんのバッドエンドなんて断固拒否。回避よ回避!)


今のところまだ、シャウラちゃんには1つもフラグが立っていない。強いて言えば、ケネス殿下と面識があって、カウスくんと家族になったということくらい。

でもそれも、現時点ではかなり改変傾向にあると思う。だってゲームのシャウラちゃんは、「ケン・ネフェリー」という父の友人がケネス殿下だと気付いていなかった。だから失礼の連発で。それに、カウスくんとは目も合わせない仲だった。


(もしかしたら今日、新たな出会いがあるんじゃないかって思ってるけど……)


「……あの御方は本当に、すごい御方だったんですね……わたくし、実母の粗相をなんとお詫びすれば良いものか……」


今日お招きに与ったのは、ケネス殿下の暮らす離宮だった。

離宮と言っても、王城の敷地内にあるから、正直、気安さなんて欠けらも無い。夜会でも使った正門から入り、そのあと、クネクネと見知らぬ道を案内される。


王城の素晴らしさには前回わたしも圧倒されたけれど……今まさに、シャウラちゃんがその状態。


「大丈夫よ。その責は旦那様が負うべきもので、あなたが背負うものではないもの。旦那様亡き今は尚更だわ」


見慣れぬ光景に好奇心が疼くわたしと違って、シャウラちゃんは萎縮してしまうタチらしい。緊張する娘を励ます肝の太いお母ちゃん役ができるとか、嬉し過ぎる。わたし図太くて良かった。


(カウスくんと来ても「落ち着け」とか「浮かれるな」とか言われるだけだもんね、きっと。シャウラちゃん可愛い〜っ)


離宮というだけあって、ケネス殿下の住まいは少し離れた場所にあるらしい。いつしか案内役の侍従さんは庭園へ出て、さらに奥へと進んで行く。

当然、庭園も素晴らしい。できることならここだけじっくりゆっくり観光したい。


とはいえ、ちょっと疲れたな、と思いつつシャウラちゃんと小声で話しながら歩いていると、


「恐れ入ります。これより通りますは騎士の詰所でございます。王弟殿下たってのご希望で、離宮へは詰所を通らずには至れないようになってございます。ご婦人方に失礼のないよう教育致しておりますが、何分武骨な者達ですのでご容赦ください」


ほんの少しだけ困ったような雰囲気で、案内役の侍従さんが足を止めた。

完全なる無機質ではなく、ちょっと感情を覗かせるあたり、この侍従さん、かなり仕事ができるタイプ。お客さんに寄り添う姿勢を見せるって、大事だよね。……なんて、前世の記憶が脳裏をぎる。


「わたくし共は問題ございません」


なんだかんだ言っても市井育ちのシャウラちゃんは「なぜそんなことわざわざ訊くの?」みたいな表情かおだし、わたしはむしろ楽しみだ。

騎士の詰所に守られなければならないケネス殿下の殺伐とした生活は気になるが、


(詰所ってことは運が良ければ居るよね!?)


攻略対象とシャウラちゃんのファーストコンタクトの現場に居合わせられるかもしれない!


王城に居る攻略対象者は3名。リーベルト王子と、ケネス殿下、そして近衛騎士のマーカス・ダルク。

マーカスくんはシャウラちゃんやヒロインより三つ程年上で、ゲーム開始時点ではリーベルト王子の新人近衛騎士だった。経歴を現実的に考えると、今は近衛騎士見習いをしているはずだ。

真昼間だし、訓練中や職務についている騎士が大半だろうとは思うけれど、詰所と聞くと否応なしに期待が高まる。だってシャウラちゃん、ゲームの主要人物だし。マーカスくんとは設定的に因縁がある。


(確か、ワインレッドのツンツン頭に、真っ青の大きな目だったよね)


身体は騎士らしくがっしりしているが、キャラとしては子犬系。パタパタとシッポを振ってヒロインを追いかけ、外敵令嬢にはガルガルと牙を剥く……みたいなタイプだったと思う。

正直、前世のわたしはワンコ系とか体育会系に興味が薄くて……最推しだったカウスくんに比べると記憶がかなり曖昧だ。


「お邪魔にならないように素早く抜けさせていただきましょうか」


「殿方がたくさんいらっしゃるのですね……。お義母様、離れないでくださいね?」


「ふふ、もちろんよ。可愛い義娘を置いてどこかに行ったりしないわ。騎士の方々は夜会でもお見かけしたけれど、とても紳士的よ? 恐くないわ」


「…………お兄様とのお約束もたくさんありますもの、大丈夫ですわよね……?」


「さぁ、胸を張って参りましょう。今日はわたくし達がアケルナーの代表ですもの」


案内役さんに続いて、両脇に騎士の立つ門を潜った。重装備の甲冑に身を包んだ立派な体躯の騎士2人が鋭い目で睨んで来たが、それを笑顔で受け流す。


(お仕事ご苦労様でーす。ああいうアピール班が意外と一番大変なのよね。立ってるだけって、暇疲れひどいもん)


前世のテレビで見た外国の兵隊さんや、オフィスの守衛さんを思い出す。そしてふと、「わたし昔、着ぐるみバイトやったことあったわ」と思い出した。キツかった。


騎士の詰所という呼び方に想像したのは、守衛室みたいな小さな部屋。けれど実際の詰所は、立派な門構えの施設で、わたし達が通るのはその門と、訓練所や建物に則した道だった。

屋外の訓練場で打ち合う騎士達の姿を眺めながら、わたしは優雅に、けれど眼球だけキョロキョロと動かしつつ案内役さんのあとに続く。もちろん、隣には緊張した面持ちのシャウラちゃん。飛び交う騎士達の裂帛れっぱくの気合いに驚いたのか、どこかビクビクして見える。手を繋いであげたいところだけれど……貴族としてそれはさすがに自重した。


(んー……因縁イベントは今日じゃないのかな?)


ゲーム開始時点で、マーカスくんは既にシャウラちゃんを目の敵にしていた。詳しい内容は忘れたけれど、事前に何かあったのは設定上確実なのに。


「避けてくれ!!」


なんて思っていると、突然遠方から怒鳴り声が飛んできた。と、同時に、


──ザクッ!!


「ひぅっ!?」


すぐ目の前に、大きな槍も。


「お義母様!? 大丈夫ですか!?」


「ぁ……はは……だい、じょ……」


びっくりして腰が抜けた……。


すごい風が来たと思ったら目の前に棒が立って、何事かとフリーズしたのも束の間。

それが地面に刺さった大槍だと理解した瞬間、ドッと汗が湧いてきて……ヘナヘナとその場に崩れ落ちる。


「お義母様!」


咄嗟にシャウラちゃんが支えてくれて……慌てた侍従さんにも支えられて……。

いや、ホント、びっくりした。何かが自分の方向に飛んで来るなんて、小学校のドッジボール以来かもしれない。まさか、槍が降って来ようとは……。


「申し訳ない!!」


間違いなく行儀は悪いけれど、このまま地面にへたりこみたい。

そう思っていると、大声とともに身体が浮いた。


(へ? 今度は何……?)


「バックス騎士団長! あなたが付いていながら……ケネス殿下のお客人に万が一があれば……!!」


上がりきった心拍数が落ち着かなくて、わたしはパニック状態から抜け出せない。青筋立てた侍従さんの怒声に、責任者が出てきたらしきことだけ理解する。


「お義母様……っ、お義母様お気を確かに……っ!」


心配そうなシャウラちゃんの声はなんとか聞こえるから


「えぇ……大丈夫……大丈夫よ」


それだけを繰り返す。

メンタルは肝っ玉母ちゃんを目指して邁進中だけど、フィジカルは深窓の令嬢と大差ないわたしだ。この状況、気絶しても不思議じゃない。


「これは……少し休まれた方が良さそうだ。ケネス殿下のお客人と言われましたか。落ち着かれたらわたしがご案内しましょう。先に伝令を頼みます」


低めの、よく響く声が頭の上を踊っているような気がする。けれど、耳を通り抜けて行くから、よくわからない。

なんだか世界が遠くに感じられた。


「お義母様……お茶を……」


「え? えぇ……ありがとう……?」


なんだかふわふわと途切れ途切れだった意識がはっきりしたのは、見知らぬ部屋で温かなカップを手にした時だった。

じんわりと沁み込む温もりに、ひどく指先が冷えていたと気付かされる。


「……ここ……?」


「あぁ良かったわ……! お義母様、わたくしがおわかりになられますか!?」


「……え? シャウラちゃん……? どうかしたの?」


泣きそうな顔をしたシャウラちゃんが、寄り添うようにして座っている。


(あれ? わたし……?)


時間がとんだかのように、すっぽりと直前の記憶が抜けていた。


「えっと……?」


「痛いところはございませんか? あのような恐ろしい思いをされたのですもの、ご無理はなさらないでくださいね?」


痛い……? 恐ろしい……? と考えて、はたと思い出した。


「槍……!」


(え、刺さってないよね? ……うん、痛くないし、ドレスも……見る限りは破れてない)


「大変申し訳ございませんでしたっ!!」


「ひっ!?」


そうだった、槍が目の前にザックリ刺さってビイィンと立って……。うん、あれは衝撃的だった。そう一人で思い出しつつあちこち点検していると、今度は突然、大きな声が鼓膜を打った。

窓がビリビリと震えそうな大音声に思わずびくりと飛び上がる。


(さっきからなんなの!?)


ようやく落ち着いた心臓がまた跳ねて……


「痛てっ」


「大きな声を出すな。ご婦人が驚いておられる」


パシンという軽い音に続く2人分の声に、弾かれるようにそちらを見た。

とりあえず、お茶をこぼさずに済んで良かった……危なかった……。


「すみません……あの、大丈夫ですか? 自分が魔力操作を誤ったせいで……」


わたし達の座る長椅子からL字型で隣接する椅子に、ガタイの良い強面が一人。それから、その向こうにはピシリと立つ青年が一人。


「あの方の投げた槍がお義母様に当たるところだったのですわ」


状況を読みあぐねていると、シャウラちゃんが教えてくれた。ただ、


(忌々しさは隠しとこうよ! 全面に出ちゃってるから! ちょ……シャウラちゃん、目が怖いっ! なんかカウスくん思い出す!)


ギリリと青年を睨みつける氷の瞳が普段よりキツくつり上がっている。くっきり美少女の目力、半端ない。


(てかあの子……!)


申し訳なさそうに立つ青年は、叱られた子犬のように項垂れていた。短いワインレッドの髪に、しょんぼりした犬耳の幻覚が見える。


(マーカス・ダルク!)


まんま、ゲームのスチルみたいな大型犬ワンコ系男子。よく見れば表情は幼い感じもするが、体格といい髪型といい、どこからどう見ても4人目の攻略対象者のマーカスくんだ。あれで未成年とか、無理がある。


「本当にお義母様にお怪我がなくて良かったです……っ」


「ありがとう」


マーカスくんを睨むトゲトゲしい視線と打って変わって、わたしに縋り付くシャウラちゃんの目には涙が溜まっていた。どれだけ心配させてしまったのか、痛い程に伝わって来る。


(えーと……何から……)


まずは手に持ったままの茶器をなんとかしようか。

確かこれ、シャウラちゃんが持たせてくれたはずだから……一口だけ口をつけて、机に置いた。なかなかに香り高いイイお茶だ。それから、


「お見苦しいところをお見せ致しました。恐れ入りますが、こちらはいったい……?」


真面目な顔をした騎士2人に声をかける。

マーカスくんが気になるけど、座ってるヒトは真っ赤な目が鋭くて……上官に間違いない。どちらから声をかけるか迷った挙句の丸投げだった。


夜会以降、主に書物を使って、時折はカウスくんを先生役にして、社交マナーの勉強を頑張ってきた。だから「大丈夫!」と自信を持って送り出したのだけれど……有り得ないイレギュラーがまたしても生じてしまうとは、ツイてない。

だって、槍が降ってくるなんて思わないじゃない?


とりあえず、カウスくんに仕込まれた余所行きの貴婦人らしさを全面に出してみた。曰く、華奢で小柄なわたしは、それをフル活用するべき、らしい。下手に親しみを感じさせるより、「触れたら壊れる! 要注意!」と思わせることが身を守ることに繋がるんだとか。

キャラじゃない……けど、長年磨いた外面は、大人しく従順な幼妻。そこまで遠くないっちゃあ遠くないから、なかなか板に着いて見えるはずだ。まぁ、正直眉唾だとは思うものの……カウスくんが言うんだから、信じてみよう。


「あ、あぁ……。困惑なさるのも無理はない。ここは騎士団の応接室だ。休憩が必要かと思い、勝手ながらお連れした」


案の定、厳つい騎士2人が「うっ」と引いた気配を感じる。そりゃあ、危うく槍当てかけた女性が消え入りそうな表情かおしてりゃぁねぇ……同情しなくもないが、悪いのは完全にあちらだ。

マーカスくん、ちょっと可哀想なくらい肩落としてるけど。


「まず……」


コホン、と咳払いをした年上の男性が、やけに響く声で話し始めた。


「お詫びをさせていただきたい。この度は怖い思いをさせてしまい申し訳なかった。魔術式武具の訓練中、御身を危険に晒してしまい……守るべき騎士団がこのような事故を起こしたこと、大変恥ずかしく、責任は重大だと理解している」


「お義母様を故意に狙ったということは?」


「なっ! そんな! か弱いご婦人を狙うような真似は決して……!」


「終わってしまえばなんとでも言えますわ」


「騎士を愚弄するか……!?」


「マーカス黙れ。……失礼。後でキツく教育し直します」


なんだか、シャウラちゃんがやけに興奮している。それだけわたしを心配してくれたんだと思うと面映ゆいが、何もシャウラちゃんが泥を被る必要はない。


(優しい子だから……)


「わたくしを狙ったのではないのですね? ……わたくし、お名前も存じませんが……?」


まだ噛みつき足りない様子のシャウラちゃんの膝に手を乗せて宥めながら、マーカスくんをじっと見た。


(彼にはきっと、「名も名乗らないってことは怪しいよね?」って聞こえたはず)


義娘むすめに守られてたまるか。わたしのことはわたしが片をつけるし、嫌われ役が必要ならわたしがなる。

こちらは曲りなりにも公爵夫人だ。名目上だろうが未亡人だろうが、その事実は変わらない。しかも今日は王族の客。いくらゲーム内のゆるい設定とはいえ、この世界が封建社会である以上、わたし達の優位は絶対だ。


ちょっとでも偉そうに見えるように、わたしはツンと顎を上げた。上官さんはわたしより年上だけれど、そんなの今はどうでもいい。


「っ! 断じて狙ってなぞおりません! 自分はマーカス・ダルクと申しましてダルク伯爵家の三男であります!」


「そう……ですか」


(へー、三男なんだ。なら、近衛騎士って大出世じゃない? ……めちゃくちゃ努力したんだろうね……あ、今がまさにその真っ最中かな? 偉いわぁ。……って違う!)


萎れつつも真っ赤になって反論するマーカスくんに、つい、母心が顔を出す。

体格に恵まれたのは天与の才だろうが、下手すれば一生飼い殺しの三男が花形騎士として日の目を見るには、並々ならぬ努力が要るはず。

ゲームの頃にはまったく意識しなかった彼の背景に、思わずホロりとしかけて……気合いを入れ直した。今、そういう場面じゃないから。


「……申し遅れたが、私はローバー・バックスと申す。騎士団を預かる身であり、すべての責任は私にある。此度のお詫びは必ず」


「!」


続いた強面さんの名乗りに、隣でシャウラちゃんが息を飲むのが感じられた。彼女は有力貴族について学習中だ。思い当たるものがあったのだろう。


(やけにお腹に響くと思ったけど……さすが、声を張り慣れてるだけあるわ。騎士団長直々のお出ましとはね)


雑に撫で付けたオレンジ色の短髪の偉丈夫は、ゲームではわたし同様モブだった。でも、現実になった今では貴族ならまずその名を知る有名人だ。

史上最年少の騎士団長。一騎当千の鬼神、バックス。


「ダルク様にバックス騎士団長でいらっしゃいますね。お名前確かに頂戴致しました。誠意あるご対応、感謝致します」


家名にかけて、後暗いところはないと騎士2人が言うのだから、さすがにシャウラちゃんも納得するはず。柔らかな手をギュッと握りしめて、


「わたくしツィーナ・ハダル・アケルナーは、事故であった旨了承致します」


もう疑わないと宣言する。

貴族同士の会話にはどうしても疑心暗鬼がついてまわる。だから回りくどくて嫌なのだけれど、逆にこうして家名に宣誓すれば、それは真実だと言うことだ。


「……ハダル……やはり…………」


ホッとしたようなマーカスくんと違って、バックス団長が眉根を寄せた。

まだ20代だったはずだが、いかにも騎士といった厳つい風貌だからか、そういう表情をすると恐ろしいほど迫力がある。

彫りの深い端正な顔ではあるけれど、「男らしい」というよりは「強そう」。爽やか体育会系のマーカスくんがラブラドール系の大型犬ワンコだとすれば、団長はワイマラナーみたいな大型の狩猟犬だ。……まぁ、団長はワンコ系な性格には見えないが。


それにしても、「アケルナー」ではなく「ハダル」に引っかかった様子なのが気にかかる。


「あの……ハダルの者が何かご迷惑でも?」


確か、バックス団長は伯爵家の次男だ。うちの実家とバックス伯爵家に繋がりがあったかな……? と考えていると、ふいに、


「久しぶりだなぁ、チーニャ」


ガラッと雰囲気を変えた騎士団長が、ニカッと笑った。


(ん? チーニャ?)


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