次期公爵の独り言
【Side カウス】
父の再婚を知らされたのは、結婚式の3日前だった。相手については、「木っ端貴族を保護してやるのだ」とだけ知らされた。
父の女性関係がどうであろうと興味はない。ただ、婚姻となればアケルナー家としての繋がりができてしまう。跡取りとして無視するわけにはいかない事案だった。
仕方ない。それ以上を語ろうとしない父にため息を噛み殺しながら、僕は詰まっていた予定の調整をした。
「本日はおめでとうございます」
「これは皆様。遠路のお越しありがとうございます」
来客を出迎える傍ら、父の嫁……と表現して良いのかわからないが、婚姻を結ぶ相手を見て驚いた。
(いくらなんでも……幼過ぎる)
あまりにも小さくて稚い。
貴族の結婚に年の差は付き物だ。20歳差だろうが30歳差だろうが、珍しくもない。ないはずなのだが。
父の隣に並んだ少女は、自分より遥かに年下に見えた。まだ社交界にもデビューしていないだろう年齢にしか見えない。
「14ですか。いやぁ公が羨ましい。あれは将来性がありますよ」
「成金貴族の娘にしては道理を弁えているようだ。あれならウチに迎えても良かったかもしれない」
そんなタヌキ共の囁きは、衝撃であると同時に不快だった。
まさか、あの幼い少女が自分と同い年だとは。しかし、それ以上に、子どもにしか見えない少女を女性として見る大人連中が信じられない。
「まぁ、下衆の血筋の娘です。万が一男児が生まれようとも、カウス様の優位はまったく揺るぎませんな」
「正しいお血筋の跡取りがいらっしゃるからこそ、アケルナー公も思い切った行動に出たのでしょうね」
「見目良い少女と資産を同時に得られるなど、なかなかどうして、公も遣手だ」
──うるさいうるさいうるさいうるさい。
誰も彼も、気持ちが悪い。
よりにもよって、母上の思い出の残るこの屋敷で。
なぜ父は満足そうに笑っているのか。
なぜあの少女は静かに微笑んでいられるのか。
(……地獄だ……)
この時から、僕は行き場を無くした。
いや、本当はもっと前から、居場所なんてどこにもなかった。
母上が亡くなったあの時から、僕は僕でなく、ただの父のスペアパーツ。次期アケルナー公爵という価値しかない、ただの歯車として生きているのだから。
母上が亡くなった時、どうせなら僕の「心」も死ねば良かった。そうすれば、課せられた役割に徹せたのに。
下手に「心」なんてものがあるから……気持ち悪い。辛いと感じる。
あれ程までに尽くした母上。その死からまだ六年しか経たないというのに、俗物の父はその後釜にあんな子どもを座らせて、一方で王都には愛人を何人も囲っている。
披露宴の翌日、父は王都へと戻って行った。もちろん、都合のいいスペアである僕を連れて。
そんな、ヒトをヒトと思わないような男の吐いた息が漂うタウンハウスは、窓を開けていても尚、臭い。以前から居心地の良い場所ではなかったが、もはや、生理的に無理だった。
気持ち悪くて吐き気がする。公爵とはそんなにも偉いのだろうか。他の何を踏みにじっても許されるほど……?
アケルナーは歴史ある由緒正しい家柄だ。父の父も、その父も……王国の建国と共に歩んで来た家だった。だからいずれ、僕も公爵に……あんな愚物に成り下がる。
負の連鎖からは逃れられない。父だって所詮、祖父のスペア。未来を思えば父が目の前に立ちはだかる。それはひどく絶望的で、確定的なことだった。
将来は公爵という名のゴミになる。
心底くだらなくて反吐が出る。さらにくだらないことには、そのゴミになるためには勉学や仕事が必要なのだ。立派なゴミになるために。
渋々社交に出れば、おべっか、自慢、差別、嘲笑。飾り立てたうるさい令嬢が笑顔を浮かべて「カウス様大好き」と喚き囀る。気持ちの悪い存在に好かれる自分もまた、気持ち悪い。
(「心」を殺せば──)
公爵の仕事は領地にもある。しかし父は王都に固執していた。となれば、スペアがやるべきことは、当然、「代役」。
母上の大切にしていたあの屋敷。温かな思い出の残る、僕にとっても大切だった、我らが領地。
けれどその場所は、既に別の……あの少女を女主人として戴いている。今や、少女のためにある場所なのだ。
領主代理を名乗ろうが、僕の拠り所は一つもない。
母上との幸せな思い出は……むしろ思い出せば出す程、その後の吐き気をひどくした。
人間とは百害だ。一利も無いどころか、こうして生きていることで、自分自身をも害していく。
全てを害して、それなのに生きることを求められる────なんと滑稽な存在なのか。
(この世の地獄から逃れる術は……)
元凶であるはずの「心」は、殺しても殺しても、しぶとくまた息を吹き返して自己主張を繰り返す。そして、常に僕を苦しめた。
僕の本当の敵は、父ではなく「心」なのかもしれない。そうだとしたら、ひどい話だ。父とは物理的距離を置けるが、「心」とは常に一心同体なのだから。
僕が完璧なアケルナー公爵のスペアとなるべく努力する傍らで、しかし、アケルナー領の新たな女主人は、一切の努力を放棄していた。
彼女は母上のスペアではなく、人形だった。俄には信じ難いが、中身がないのだろうと思う。
少女は常に静かに微笑んでいた。不気味なくらい変わらない。いつもただじっとこちらを見て……ニコニコしている。
社交で見かける同年代の令嬢のように無体を言うわけでも、母上のスペアとして主人風を吹かせるわけでもなく。ただただ、ニコニコ、ニコニコ、静かに見て来る。
(……もしかして……彼女は「心」を殺すことに成功したのか……?)
ふんわりと波打つ桃色の長い髪も、滑らかな陶磁のような肌も。丁寧に作り込まれた人形よりもさらに上質の、生きた人形。
若草色の瞳だけがやけにキラキラ輝いて見えるのは、苦しみを知らないからだろうと思えた。
スペアに徹することのできない僕と違って、人形の彼女に「心」はない。
「ようこそおいでくださいました」
だから、彼女の声を初めて聞いた衝撃は大きかった。今でも鮮明に思い出せる。
父の拠点であるタウンハウスよりはまだマシかと、カントリーハウスの自室で仕事に専心するようになって半年が過ぎた頃のことだった。
ある晩、家令のアルギに呼ばれ、滅多に使うことのないサンルームに行った。そして……僕は絶句した。
幾つかの植物が飾られていただけのはずのその部屋が、中心に立つ人物も含めてすっかり様変わりしていたのだ。
「……っ?」
ジャリリ。
しかも、なぜか足下には石が敷き詰められている。少し大きくて平らなものと、小さくて丸いもの。
白っぽい石が、入口から小路のように敷き詰められて、窓際まで続いていた。
「坊っちゃま、そちらの平らな石を踏むようになさると歩きやすいですよ」
アルギのアドバイスに眉を顰めた。なぜ歩きにくいのにこんな無駄なことをするのだろう。
さらには、灯りも普段使う照明魔術具とは形が違っていて薄暗い。あとで「灯篭」という名を教えられたが、石造りの飾りに灯りを閉じ込める意味がまったくわからなかった。
奥に進むと、石造りの大きな円卓。その周りには植物の蔓を編んで作ったとおぼしき椅子が数脚。
「お揃いですわね。本日はこの四人でお話し致しましょう」
にっこり微笑む顔かたちは同じなのに、少女の雰囲気だけがいつもと違う。
それは彼女の纏う不思議な夜着のせいかもしれないし、普段とは違う髪型のせいかもしれなかった。
(…………何事だ?)
悪魔に取り憑かれて乱心した者や、病を得て人格が変わった者の話ならば書物で読んだ。だが、これは……。
禍々しい感じはない。単にとにかく変貌していて……違和感がある。
「後妻殿……?」
「ツィーナです」
ハダル男爵家から嫁いで来た彼女の名前は知っている。しかし、これまでそれを呼ぶ必要を感じなかった。彼女はあくまで、父の後妻。僕には何も関係ない。
それより、彼女がそうして自己主張をすることに驚いた。ほわりと泡が舞うかのような、柔らかな声。その聞き覚えのない高い声が、少女の口から発せられたものだと理解するまで数瞬かかった。
「まずはお掛けください。アルギさんとエバさんもよ?」
幽玄、と表現するのだろうか。
大きな窓の向こうに広がるのは、薄らと白く雪化粧を施した庭。月の明るい夜らしく、青白い月明かりを映す様は深閑としていた。
その庭と、宝石のような星空を背景に立つ、小柄な少女──。
見慣れない衣服は、両方の袖が床につきそうなくらいに長かった。明るく深い色味の赤で、大きく花の模様が何種類も、何色も描かれている。前で合わせる着こなしはローブに似ているが、胴のあたりを幅広の紐で巻いて結んでいる様子は異国風とでも言うのだろうか。
実際、どこかの民族衣装なのだと思う。そう言えば、ハダル男爵家は貿易商からの成り上がりだ。
「カウス様はこちらへどうぞ。今、お茶をお煎れしますね。遠方から取り寄せたベール茶と言います。緑色をしておりますが、毒ではございません」
促されるまま、とりあえず席に着いた。何が始まるのか不明だからこそ、当主代理として見極めなければならない。
ギシリと背もたれが風変わりな音を立てる。クッションが敷かれているため座り心地は悪くないが、今にも崩壊しそうで心許ない気分になった。
後妻殿はティーポットに見慣れない茶葉を入れる。まるでそこらの雑草のような色味の茶葉で、さらにあろうことか、彼女は沸いた湯の入った入れ物を氷水で冷やし始めた。
「では、まずはわたしがお毒見を」
ハーブよりも色味の濃い、雑草の緑。それをぬるい湯で入れたものなど……到底、「茶」とは呼べない。気持ち悪い。
そもそも、茶を淹れるのは側仕えの仕事だ。エバが居るのだから任せれば良いものを。
(嫌がらせか? この娘……人形かと思ったが、虎視眈々と機を狙っていたということか……?)
コポコポとカップに注いだソレを一口口に含み、彼女は「ほう」と息を吐いた。上気した薔薇色の頬が、下ろされた桃色の髪や赤い着衣と相俟って、人形ではない、生きた人間なのだと主張して来る。
「慣れないお味だとは思います。けれど、甘みの強い茶葉ですので、ゆっくりと楽しんでいただけると幸いですわ」
(……そういえば、外国には魅了した人間を喰らう美しい魔物が居るのだとか…………)
後になってみれば、この時の彼女は本心から寛いでいたのだとわかる。けれど、母上を喪ってから長いこと、取り繕った作り笑いに囲まれて生きてきたから……。彼女の笑顔が妙に際立って見える理由も、自分が覚えた奇妙な動悸の理由も、この時の僕にはわからなかった。
「では……ワタクシから……」
チラチラと目配せし合っていたアルギとエバのうち、妻の方が意を決した面持ちでカップを持った。無難な判断だと思う。いざと言う時、アルギが残っている方が便利なのだ。
こくり。
エバのゆったりとした喉が謎の液体を嚥下するのを、じっと見守る。口に含んだ瞬間に目元が動いたのを確かに見たが、その意味は何だったのか。
ごくり、ごくり。
エバは続けて、カップの半分程を飲みきった。
「お茶……なのでしょうか……? なんだか不思議な感じが致します。……苦くありませんし、香りも違いますし……ほんのり渋いような……でも甘味も確かにあって……ワタクシは、好きなお味です」
「うふふ。いつも飲んでいるお茶と同じ茶葉なのよ? ただ、作り方が少し違うだけ。こちらの方が工程が少ないのだけれど、保存はこちらの方が難しいの」
「……ご実家の商会で?」
「えぇ。保管の関係で少量しか輸入できないうえに、煎れられるヒトが少ないから、まだほとんど広まっていないわ」
「……左様でございますか。でしたら、今のうちにワタクシ達に煎れ方を教えてくださいませんか?」
数年内に流行ると思う。エバはそう言うと、アルギに強く頷き掛けた。
「ベール茶が広まると嬉しいもの、喜んで教えるわ。ね、アルギさんもお味はいかが? そちらのお菓子も併せて召し上がって頂戴ね。甘納豆と言って、わたくしの好物なの」
「ところで後妻殿。御用件を承りましょう」
薄明かりの中で和やかに進む夜の茶会。失礼は承知の上で、僕はその流れをプツリと切った。
──イライラする。
茶は毒ではないらしい。だが、何の薬効もないとは限らなかった。精神に作用し、自分に有利に事を進める作戦も十分有り得る。
(なぜ僕がこんな女と貴重な時間を……)
懇親が目的、などと言おうものなら、問答無用で帰らせてもらう。物珍しい雰囲気や品物で釣ろうとする態度がまず、気に食わない。自分の土俵を見せつけようというのか。
「用件、ですか?」
しかし彼女は令嬢らしくおっとり笑い、
「こちらです」
手元の袋から奇妙な物を取り出した。
折りたたまれた紙と、四角い……石? 小さな立方体に見えるそれには、赤で丸が描かれている。
(白い石ばかり……なんなのだ、この空間は)
何か異国の魔術だろうか。否が応でも警戒心が高まった。
知識量ではそこらの大人に勝る自分ですら知らないモノ。それを領分とする少女は得体が知れない。こうなると、雪明かりに映える可憐な姿すら、不気味に思える。
「サイコロ、と言います。こうして……点の数が1から6の数字を表しているのがわかりますか? 転がして、上を向いた面の数字を読むのですが……」
カサカサと乾いた音を立てて紙を開いた。見やすいよう机に置かれたそれには、
『1 好きなもの
2 嫌いなもの
3 将来の夢
4 許せないこと
5 秘密
6 座右の銘』
と整った文字で書かれている。
(個人情報を聞き出して……呪詛でもする気か?)
「一人一人順番にサイコロを振って、出た目に合う内容のことを話してください。ではまずわたくしからね」
たおやかな指先が、つまんだサイコロをコロリと放った。
コロコロと机の上を転がって……
「3、ですね。あらまぁ、なんてお誂え向き!」
紙に書かれた「将来の夢」という数字を表して止まった。
彼女の輝く表情が、やけに目につく。
「わたくし、『温かい家庭』というものに憧れているのです。だから、将来は『肝っ玉母ちゃん』になるのですわっ!!」
※※※
ガタガタと揺れる狭い馬車の中、すぐ隣に座る細い項を見下ろした。
いつもは春色の長い髪に隠されている、柔らかな項。5年前には感じなかった女性らしさを見せつけられているかのようだ。
ツィーナは本当にキレイになった。
(……リーベルト殿下め……)
まさか、あんな大きな虫がつくとは……痛恨の極み。そもそも彼はあんなに積極的な性格だっただろうか。……もしや、ツィーナにあてられた……?
夜会に参加する条件として、アケルナー公爵の未亡人に相応しい落ち着いた装いを求めたのは僕だった。ツィーナの年齢を考えれば、未婚の令嬢達のような華やかで可愛らしい格好をさせても良かったのだろうが、彼女に余計な虫がつかぬよう、既婚であることを強調するデザインを選ばせた。
なのに。予想外の人物に興味を持たれてしまうとは……。
アケルナー公爵の未亡人であるツィーナをエスコートできるのは今や、次期アケルナー公爵である僕だけだ。社交界に出ることのないまま花瓶に活けられた可憐な花を、僕だけが間近で眺められる。そのはずなのに。
(王族なぞ……越権行為を見逃してたまるか)
後れ毛の一本さえもが温かく輝く、常春の花。
華奢な項が……腕が……庇護欲をくすぐる、愛くるしい花。
若葉の瞳は柔らかに輝いて、紅く熟れた唇は雪解けを誘う──。
僕が、守ると決めたモノ。生きる意味。唯一無二の宝物。
「ツィーナ、疲れたのでしょう? 少し眠ってもイイですよ。ここには僕しかいませんから」
木漏れ日のような瞳が先程からうつらうつらと閉じかけているのには気付いていた。大人びた装いに隠した、本当の彼女。
その無邪気な様子は、いつまでも見ていられるものだったが、
「ん…………かうすくん……」
「はい?」
「おひざ、かして?」
「……あなたが『どうしても』と望むなら。ちゃんとお願いしてご覧なさい」
「ん。どうしてもかうすくんのおひざがかりたいです。かしてくだた……かしてください」
「ハァ。仕方ありませんね。イイですよ」
「わぁい。かうすくんだいすきぃ」
もう、5年もの付き合いだ。そのうち4年程は、家族としてお互い、一番そばにいた。
ことあるごとに母親ぶりたがるツィーナだが、基本、甘えたがりの子どものような性格をしている。甘えたいし、甘えて欲しい。そういうことなのだろうと思う。それはアルギに対してもエバに対しても、最近ではシャウラに対しても変わらない。けれど。
「まったく……調子がイイですね」
「だってかうすくんだもーん」
眠たい時のツィーナは……僕にだけ、甘えたがる。他の誰にもそんな素振りは見せないのに、僕の前でだけ──。
「うふふ、かうすくんあったかぁい」
しかも、無意識。
極度に眠い時にだけ、この無邪気で素直な僕だけのツィーナは姿を現す。そして、ぐっすりと寝た翌朝には、全て忘れてしまうのだ。僕を信用して、僕に一切を託して。
「あまり暴れないでください。化粧がついてしまうでしょう?」
膝の上の、かけがえのない重み。染み込むように温かくて、ふわふわと柔らかくて…………愛しい。
「ふふっ、かうすくんのて、きもちぃ、だぁいすき」
そっと頭を撫でれば、嬉しそうに目を細めて擦り寄ってくる。
得も言われぬほどに愛らしいが……滑らかな頬の感触には、何度触ってもドキッとさせられる。なぜ彼女はこんなにも無防備でいられるのか。胸が苦しい。抱き締めてしまいたい衝動に、ジッと耐える。
このまま時が止まればイイのに──これまで幾度、思ったことか。
誰よりも僕を必要としてくれているツィーナ。義息子としてだとか家族としてだとか……関係ない。地獄のようなこの世界で、ツィーナが誰よりも信頼しているのが僕である以上……僕にとってツィーナが唯一の光である以上……。
胸の奥がドクリと疼く。身を引き絞られるような苦しみと、同じくらい強く全身を駆け巡る甘美な喜び。
(ケネス殿下に感謝しなくては)
今日初めて、喜びが苦痛を上回った。
(僕はわかっているようでわかっていなかった……)
気付かせてくれた。
気付いてしまった。
時が動き出せば「父の妻」に戻ってしまっていた彼女が。
純潔のままに温室に飾られていた、花瓶の中のまっさらな花が。
手に入る────。
もう、我慢する必要はない。
(ツィーナ・ハダル・アケルナー……「ハダル家で生まれ、アケルナー家に嫁いだツィーナという女性」、か……。ならば、ツィーナははじめから、僕に嫁ぐ運命だった)
彼女の名が表す意味。その真実。ツィーナは、アケルナーの妻なのだ。
彼女の言う、「大暴露大会」。僕の人生を塗り替えたその晩に、彼女は父との関係もあっけらかんと語っていた。
あの好色な父が。ツィーナには髪一筋さえ触れなかったのだという。娼館などに通う下衆な父が……いや、疑うべきところは欠片もない。きっと彼女は、腐った父には清らか過ぎた。
「かうすく……あり、がと……。やさし、ね…?」
ならば……僕こそが、彼女に触れる唯一。彼女だけを愛する僕こそが──。
「いいえ。ツィーナは特別です」
この柔らかな感覚は、僕だけのもの。僕のツィーナ。
「うふ……おやす、な……さ……」
ふわりと溶けて消えそうな髪の手触りを楽しみつつ、まろやかな頬をそっと撫でる。このまま時など止まらなくとも、ツィーナはアケルナー家の……僕のものだ。
王弟殿下に言われて気付いた。父はもういない。僕はもう、スペアじゃない。
暗闇が晴れたかのような喜び。同時に、熱く深い感情がとめどなく湧いてくる。
ツィーナは僕のものだ。
ツィーナは誰にも渡さない。
ツィーナは僕だけの…………。
(早速、婚約の手筈を整えなくては。王子殿下だろうが誰だろうが……邪魔はさせない)
ついに、手に入れたのだ。
美しいツィーナ。
幼く頼りなかった少女は、魅力的な女性に育って僕の膝で眠っている。
愛しいツィーナ。
温室に飾るだけだった邪魔者は、もう、いない。
すやすやと規則正しい寝息を立て始めた、僕の女神。
夫に顧みられなかった未亡人。それは不名誉なことではなくて、幸せへの布石だ。僕とツィーナの、新しい暮らしへの──。
きっと、ツィーナも喜んでくれるに違いない。
僕が本当の夫に、真実の家族になるのだから。彼女の望む大家族も……たくさんの子ども達も、僕なら彼女の望むままに…………。
「ツィーナ……愛しています、ツィーナ……」
剥き出しの耳に、そっと口を付けた。
きっとすぐだ。すぐに、今度は堂々とキスしてみせる。その立場を、掴んでみせる。
阿呆な父の、ただ一つの功績。温室に飾っただけで終わった、可憐な花。
その温室の鍵をもう、僕は手にしていたのだ。花瓶を手に取って愛でるだけでなく……ついに、手折って、自分のモノに……。
義母だなんて思えない。
僕にとって、欲しい女性はツィーナだけ。
ツィーナ・ハダル・アケルナー。
ハダル家から、アケルナー家に嫁いで来た、僕の、妻────。