第9話 「祐志さんって……私のこと、どう思ってますか?」
成竹祐志という人間は、往々にして理想に溺れがちだ。これはいうまでもない。〝転校生〟 に対する執着が、それを物語っている。
理想というものは、現実にはないから理想と呼ぶのだと思う。いますぐ達成できるようなものを、軽々しく理想とはいわない。手が届きそうにないものを、我々は理想と呼ぶ。
……というのが、成竹祐志が転校生について考え続けてきた結論のひとつである────。
麦茶を飲みつつ、そんなことを考えていた。
白羽円花という転校生は、どこか理想的すぎる。理想に近いことは喜ばしい。だが、少し不気味にすら感じてしまう。まさに、人間に似すぎた見た目の機械に違和感を覚えるように。
それぐらい、彼女は完璧なのだ。
「祐志さんって……私のこと、どう思ってますか?」
「そ、それはどういう意味かな」
口に含んでいた麦茶を、危うく吹いてしまうところだった。
「そのままの意味です。祐志さんは私にどんな印象を抱いているのかな、と思いまして」
「ストレートだね」
「私はまさしく真っ直ぐな人間なので」
「自分でいうんだね」
「祐志さんの前だけですよ?」
円花さんは小悪魔的な笑みを浮かべた。これまであまり揶揄われたことがないので、正直いまの発言が本気かどうか判断しかねる。
「どう思うか……いまのところ、悪いと感じるところはないかな。不満もない。好きクラスメイトであり、義妹だと思うよ。こういうと上から目線っぽくて申し訳ないけど」
「なるほど、いまのところ悪い印象はなかったんですね! 安心しました」
悪い印象はないけど、少し心の中で引っ掛かるところはあるかな。
「ちなみに祐志さんの印象ですが……お父さん似だな、と思うことがあります」
「……変人ってことをいいたいのかな?」
「それ以外にも色々褒めていたじゃないですか〜」
「あくまでも変人であるとは言及しないと」
「ご想像にお任せします。はじめから面白い人だと認識している、とだけはいっておきます」
親の背中を見て育つというからね。親父に似てしまうのは仕方ないのかもしれない。この原理でいくと、円花さんもいつかは僕にヘッドロックをかけるような人になるかもしれない(もしくは俺に隠しているだけで実は気性の荒い人間)、ということなのか?
「私、もっと祐志さんのことを知りたいです」
「それはどういう意味で?」
「クラスメイトとして、義妹して、仲を深めたいという意味なんじゃないでしょうか?」
「なぜ疑問系」
そんなことをはなしていると、食べていたポテチが空になったのに気づいた。空の袋をゴミ箱まで捨てにいく。クッキーやチョコレートもすでに切らしていた。もうお菓子タイムは終了だ。
「それじゃあ私、勉強しにいきますね。それに、このメイド姿も少し気が散るので着替えたくて」
すっかり忘れていたけど、今までずっとメイド姿だったんだよね。
「おー、頑張ってね」
「ありがとうございます!!」
円花さんは二階へといってしまう。心なしか、階段を上がる一歩一歩が軽やかな足取りに思える。都合のいい思い込み、大事。
「俺も勉強するかな……でもその前に休憩、と」
ぼうっとしていると、余計なことが頭をよぎってしまう。
円花さんが謎すぎる問題。
さきほども考えたように、彼女は自分の理想を体現しすぎている。これまでだと、他の可愛い子を見ても、理想の転校生像がちらつくことがほとんどだった。
しかし、円花さんにはそれがない。理想の転校生像がチラつくことはなく、むしろピッタリと重なってしまう。態度から容貌まで、どこからどこまでも。
インターネットの広告が、個人の検索傾向から最適化されるという話は有名だろう。それと同じように、完璧を超越した理想が少しずつできあがっていく感覚。
そして。誰かが、俺のことを見透かされているかのようにすら思う。
これはミステリーじゃあないか。
円花さんのことを、別の意味で気になりだしている。これまでは転校生の白羽円花に対して。今は、白羽円花という一個人に対して。
この疑問を解消するためには、とにかく円花さんの動向を意識してみることに尽きる。それしか、手がかりを掴む方法はないだろう。
さっそく、やっていくしかない。とっかかりとして、まずは二階にいき、部屋で何をしているのか聞き耳をたててみよう。盗聴みたいで申し訳ないが、疑問を解消するためだ。覗き見は気が引けた。
階段をのぼり、円花さんの部屋に一瞥をくれる。彼女は、ノートに必死で書いているらしかった。机の上には教材がいくつか開かれている。数学の勉強でもしているのだろうか。
部屋にいき、勉強の用意をするフリをしながら、聞き耳を立てる。
あいもかわらず、ペンが絶え間なくノートに押し付けられているようだ。
カリカリカリカリカリカリカリカリ…………。
どういうことだ。数学をやっているなら、途中でペンが止まるなりペースが変わるのがふつうじゃないか。それなのに、ずっと同じペースで、同じ筆圧で、同じ動きでペンが動いている。
同じ言葉を、何度も何度も書いているような音だ。短い周期が繰り返される。ページを捲る音がきこえる。不気味だ。
これは、じっさいに目にした方がいい気がしてきた。バレないように、忍足で近づいていく。
ドアを開けてすぐに、彼女の机はある。
「あの、いったい何を練習────」
俺の存在を察知するや否や、円花さんはノートを閉じた。
「どうかしましたか?」
「いや、凄まじい勢いでノートに何かを書いていたみたいだったから」
「それが何か?」
「果たして何を書いていたんだろうな、って思っただけで……」
「それなら、これじゃないですか」
円花さんはパラパラすることなく、ノートを一発で開く。
「魑魅魍魎?」
「はい。勉強に飽きると、こうやって同じ文字を何度も書きたくなるんですよ」
「へー、面白いな」
いや、断じて違う、魑魅魍魎なはずがない。ノートには数回しか書かれていない。同じ字を何度も何度も書いていたはずだ。そして何より、机に出ているペンの色と一致していない。
「ごめんなさい、少しお手洗いにいっててもいいですか?」
「もちろん」
「お願いですから、部屋の中身をジロジロ見たりは絶対にやらないでくださいね、絶対ですから」
「成竹祐志はそんなことをする人間じゃないから安心してください」
「そうですよね。信頼していますよ」
円花さんが一階に降りる。
絶対やるな、といわれたら、やりたくなるのが人の性。
「ごめんなさい、俺は最低な人間だよ」
トイレの扉が、カチャリと音を立ててしまる。俺は、ノートをパラパラと捲る。どのページも違う色で書かれていたので、目的のページにたどり着くのはさほど難しくなかった。
「おい、いったいどうなってんだよ……」
ページに目を落とし俺は、呆然とするしかなかった。
そこに書かれていたのは──────。