第42話 「これは、人間です!」
「おい、冗談はよしてくれ。気のせいじゃないのか」
「いいえ。どう考えてもその音なんです」
円花の耳が捉えたのは、心霊現象に遭遇したときにきこえるものと一致しているという。
まだ、円花の言葉を信じたくない。俺を揶揄うつもりでいっているのかもしれない。深刻そうな面持ちも、もしかすると演技かもしれない。
「俺は信じないからな」
「でも、明らかに危険なオーラが漂ってません?」
「……否定できないのが残念だ」
寒気はいっそう増している。どうも、気候のせいではないようなのだ。明らかに、ここ周辺だけ局地的に冷え込んでいる。
「ゆーくん、私が先にいった方がいいですかね」
「よろしく頼む。今になって現実味を帯びてきたところがあるからな」
下品だが、この後の展開次第ではちびりかねない。義妹の円花にそんな醜態を晒すわけにはいかないが、生理現象には逆らえない。そのときはそのとき、と覚悟を決めておく。
「そんなに怖いなら、手でも繋ぎましょうか」
「頼りない義兄さんで申し訳ないよ……ってもう握られてるし」
「左手でいいですかね。左手はゆーくん専用なので! あとで感触を……」
「久々にヤンデレっぽさが露見したね」
夏の間は、これまでと比べればやけに大人しかった。夏も終わりだ。その反動が夏終盤から秋にかけて現れないことを祈りたいものである。
「あ、左手が専用というのは冗談です。できれば全身、余すことなくゆーくんに捧げたいので!」
「もっとヤンデレしてくれという振りじゃないからね」
「じゃあ心の底から嫌われた方が興奮します?」
「ちょい極端すぎやしませんかね」
「……なんてはなしてるうちに、もう目の前です」
現在、俺は完全に瞑目している。
視認さえしなければいいんだよ。とにかく目を逸らしたいんだ。心霊現象がマジでありそうだから怯えてんだ。
これまでの自分の中での常識を覆されそうになるのが恐ろしいんだ。本当、それだけ。
「やっぱりまだ声がきこえますね。このまま引っ張りますよ」
「頼んだ」
「できるだけ音は立てないように気をつけましょう」
ぐいぐい腕を引っ張られ、半ば強制的に前に進んでいく。
トンネルの入り口をくぐり抜けてから、寒気はもう一段階増した。それに、円花のいっていた〝霊の声〟的なものも、きこえる気がする。
「これってさ、マジヤバいやつだよね? ね? ね?」
「大丈夫です。これまでの中で三本の指に入るくらいヤバいだけですから」
「なんの気休めにもなってないじゃん」
「文句をいうなら、過去のゆーくんにいってください」
たしかにさ、ここまでくるって宣言したよ。だとしても、この状況は想定外だった。近所のただの通り道程度とみなしていたものが、俺を怯えさせるようなものだったとは考えもしなかったのだ。
「このまま直進しますよ。いいですか?」
「ああ」
少しずつ、閉じていた目を開いていく。
なんの変哲もない、灰色の壁に覆われたトンネル。オレンジ色の道路照明が等間隔に設置されていて、その光がやけに絞られているせいで薄暗い。
そのせいで奥まで見渡すことが難しく、緊張が途切れそうになかった。少しでも気を緩めていると、化け物が目の前に、なんてことにもなりかねん。
目を細め、開いたり閉じたりを繰り返して様子をうかがうことにした。そうすると、聴覚に強く意識が向けられるようになるわけで。
「やっぱ、きこえるな」
「そうですね。歌、いや、お経のような……」
蚊の鳴くような声が、耳の前で消えていく。円花の声ではないが、高い声なので女のであろうか。
「歌手の亡霊、でしょうか」
「想像力豊かで結構なことだ」
「それじゃあゆーくんはなんの亡霊だと思います?」
「ぼ、亡霊なんていないに決まってんだろ!」
「この後に及んでまだそれをいいますか……」
「だってs……!」
突如、きこえていたはずの歌声が止まった。
代わりに、何か生物が動いている様子がきこえるようになった。
「いよいよご対面というわけですね」
俺はこくりと頷く。
もう、なにかしらのヤバイやつがいるのだろうという結論に至りつつある。これまでの常識なんぞ捨て去ってしまおうぜ。いえい。
『……ぃから……』
一歩ずつ、着実に足を進める。
蚊の鳴くような声も、だんだんとクリアになっていった。
『あ……し、……しいから』
もう目前というところだったろうか。
「あ……! いましたよ!」
円花さんが声を上げた。
「なにが? ねえなにが?」
その存在を確認する勇気なんて消えた。目を開けたくないんだ。
『♪あたしぃ、さびしいからぁ〜』
「これは、人間です!」
「え?」
『あのー、どちら様ですか?』




