第29話 「実は、祐志さんのお皿に私の唾液が入っていたんですよ」
朝起きたらいいアイデアが浮かんでくるとはいったよ。でもさ……。
「こりゃあないだろうがぁぁ!!」
早朝、まだ円花さんがぐっすり眠っている途中。俺は、食卓の上に一枚の紙切れがあるのを発見した。
『祐志へ
ごめんよ。しばらく家には帰らない。帰ってくるのは七日後だ。きっとこの手紙を見る頃には、沖縄行きの飛行機の中だろう。本当は祐志たちと一緒に過ごしたいところだが、夏蓮さんとの蜜月旅行も同じくらい大事なんだ。もしかしたら、夏蓮さんとの間に弟や妹といった愛の結晶が──────』
途中で馬鹿らしくなり、読むのをやめてしまった。親父と夏蓮さんの、そういうシーンが脳裏によぎっちまった。冗談でも書くなよ、親父。
「祐志さん? 朝からやけにハイテンションですね」
「ごめん、起こしちゃった?」
「問題ありません。目は覚めていたんですが、ベッドから出たくなかっただけなので。それで、ハイテンションの理由は?」
「いやぁ、天気がよくて気分がさわやかになって……」
「こりゃあないだろう、と?」
わかってたよ、こんな見え透けた嘘をついてバレることくらい。でもさ、親父たちが外出するってことをしられたくなかった。発覚まで早いか遅いかのことだけど。
「……痒いところに手が届くって話だ」
無駄な抵抗をしても仕方ないと、過去の自分を軽々と裏切る。円花さんに例のメモを手渡す。
「これですか?」
紙を手に取り、円花さんは視線を走らせる。
「ふむふむ……近いうちにイベントが発生するわけですね」
「だいたいそういうことだよ。これから七日間は親父と夏蓮さんは────」
「おはよう、祐志。なんて清々しい朝なんだろうな。小躍りでもしたくなるいい天気だ」
「ふぇ?」
あれ、親父ってもう沖縄行きの飛行機に乗ってるんじゃ。
「なんだ、幽霊を見たような顔をして」
「だ、だってよ、いま親父は飛行機に乗っているはずだ」
「どういうことだい。なぜ私がいま飛行機に乗っているんだ?」
これはまさか、親父のドッペルゲンガーですか?
「祐志さん、頭の方は大丈夫ですか。きょうの指導が不安で仕方ありません」
「円花さんまで!」
「話を最後まで読みましたか?」
返される紙切れ。そうだ。途中で、くだらないと読むのを断念したんだ。
「どれどれ……」
その後もくだらない駄文がつづられており、最後に。
『成竹大輔より ※この手紙は(きょうから一週間後の日付)に読まないと意味がないぞ! 注意するんだぞ』
これは、そう。問題文は最後まできちんと読めっていうやつね。
「出発は一週間後なのに、どうしてこんなの書いてんだよ」
「祐志なら変な勘違いをしてくれると信じていたからだ。サプライズだよ」
この男、息子の性格は手にとるようにわかるらしい。
「くそ、親父の敷いたレールに従ったわけか」
「ハハハ。私の敷いたレールは断崖絶壁に繋がっているからせいぜい気をつけたまえ」
「はぁ……なぜこの男が俺の親父なんだろうと考えても、どうせ無駄だろう。成竹祐志は内心思った」
「モノローグが筒抜けだぞ」
「わざとだよ」
取るに足らないやりとりを終え、朝食の時間が訪れる。起きて数十分もすれば、腹が空いてくるものだ。
「きょうは父さんが作ろうか。夏蓮さんはもう仕事にいってしまったから」
「〝男の料理〟は勘弁な」
「じゃあ、円花くんを朝からこき使おうというのかい?」
「ひどい言い草だな」
「いいですよ。私、料理は苦じゃないので」
「うーん。申し訳なくなってきたから、アシストくらいはしていいかな」
「もちろんですよ」
朝食はスクランブルエッグにソーセージ・牛乳・トースト。慣れた手つきで円花さんは仕上げる。アシストするまでもないくらい、彼女は手際がよかった。朝飯前と
でもいわんばかりである。
「ほぅ、円花くんはやはり料理がうまいんだね。私にひけをとらないレベルだよ」
「ありがとうございます!」
「私は料理については一家言を持っているタイプなんだが、これは文句のつけようがないね」
親父、あっけらかんとしてるが、あんたの料理と比べるなんて失礼すぎるぞ。
さて、うまい料理はあっという間に食べ終わってしまうものだ。もう片付けに入っていて、それぞれ皿を流しに運んでいる。
「円花さん、本当に美味しかったよ。さすがだ」
「そんなことありませんよぉ。祐志さんも手伝ってくれたじゃないですか。私は大したことなんてしていません」
皿を運んだり、調味料を渡したりしただけだよ。料理の味に直接的には関与していない。
彼女は皿を置くと、こちらの耳元まで顔を寄せてきた。耳に息が吹きかかり、背筋が伸びる。
「実は、祐志さんのお皿に私の唾液が入っていたんですよ」
「いや、さらっと怖いこといわないで」
「別の液の方がよかったですか?」
「唾液の方がまだましだよ……あ、これはキスならオッケーとか、そういう意味合いを含有していないからね」
「祐志さんはそんなことを考えていたんですね」
「これってさぁ、誘導尋問だよね?」
「……ちなみに唾液が入ってるかもしれない、というのは嘘です」
「おい」
夏休み初日から、完全に会話のペースを握られている気がしてならないんだけど。
「それでは、ご飯の後は勉強ですからね。指定の時間までにこなかったら一分ごとに罰金ですよ」
「家族同士でカネの奪い合いなんて、醜いからやめようぜ?」
親父が沖縄に飛び立っている一週間をどう過ごそうか、もっと真剣に考える必要がありそうだ。まあ、考えあぐねてしまうのだろうけど。




