file006:襲撃
シャーロックに「指輪の正体を暴こう」と言われて、私は思考が停止した。
何故なら、シャーロックとは昨夜知り合ったばかりだが、この短時間に類稀な能力を見せられていたからである。
そんな彼から協力を求められるのは、望外の喜びであるのだが、その反面「私の知識など、役に立つのだろうか?」という疑問と不安が湧き起こったのだ。
「そんなに意外かい?」
シャーロックは私の様子に驚いているようだった。
「だって君なら、この指輪の正体なんかすぐに分かるはずだろう?」
私は思ったままを口にした。
「なるほど。そういうことか」
シャーロックはその一言から、私の考えを全て悟ったようである。そして視線を指輪に移して言った。
「僕が分かっているのは、この指輪が黄金と翡翠で出来ていて、刻まれた図形がアメリカ先住民の使う紋様に似ている事、これを作らせたのはドレバーであり、そしてドレバーの殺人に重要な意味を持っている、という事くらいさ」
私の知らない情報をシャーロックは流麗な口調で語る。それが推理によって導き出されたものなら、やはり彼に分からないことなど無いではないか。
しかし彼は「だけどね」と続ける。
「謎を解くにはこれでは足りない。この指輪の目的が分からなければ、真の謎は解けないんだよ」
シャーロックは指輪を僕の顔に近付けた。
「確かに僕は、一部の分野では誰にも負けない知識があると自負しているし、些細な事象から大抵の事は推測できる。でも世界の全てが分かっている訳ではないさ」
指輪越しに彼は視線を寄こす。
「だから僕の知らない世界を明らかにしてくれる存在は、興味と尊敬の対象なんだ」
彼の口調は心なしか楽しそうである。
「君だって同じだろう?君はこの指輪の正体が気にならないのかい?」
突然シャーロックは私に話を振った。
「だって君は、警備員のランスがポケットからこの指輪を取り出した時に、熱い視線を注いでいたじゃないか?」
指摘されて私は気付く。そうだ、私は指輪の正体に興味があった。しかしシャーロックの推理の鮮やかさや、思いもかけない言葉の驚きにより忘れていたのである。
「僕と君は指輪の正体を知りたいという目的で一致してるんだ。さあ、余計な事など考えずに指輪を受け取りたまえ」
シャーロックの言葉で、心の奥で小さくなっていた好奇心が膨れ上がった私は、彼から指輪を渡されると、すぐに検分の呪文を唱えた。
その時、周りは登校する学生たちで騒がしくなっていたが、集中した私は周りが一切見えなくなるので問題は無かった。これは私の数少ない自慢である。
呪文を唱え終ると、頭の中に広々とした白い空間が広がり、巨大化した指輪が現れた。指輪はゆっくりと回転し、全体を詳細に見る事ができる。
頭の中で右手を横に払い、緑の捜査光を指輪に通過させると、材質が浮かび上がった。
材質はシャーロックが言うように金と翡翠である。土台が金で、紋様に合わせて翡翠が埋め込まれているので見た目より重量があった。
ヨーロッパでは魔術アイテムには銀を使うのが普通だが、中南米では金も良く使われている。翡翠もそうだ。だとすれば、これはアメリカ様式の魔術アイテムなのだろう。
そして問題の紋様。一つを選び捜査光で覆うと、私の知識と合致するものが列記された。やはりアメリカの先住民が使うもののようだ。
アメリカ先住民の思想は、自然のあらゆるものに精霊が宿っているというものである。太陽、月、風、水、鳥、熊、コヨーテ…。彫られた紋様は、それらの幾つかに該当した。
次は術の流れを確認する為に、表示を魔術経路に変更すると、数々の魔法陣とそれらを繋ぐ線が表示された。
私は始点の魔法陣へ魔力を微量に注ぎ、その青い光の動きを見守った。
まずは魔力増幅の魔法陣を通り、青い光はその先の思念を飛ばす魔法陣へ流れる。そこで特定の対象を探しているようだが、その対象が見つからない為、術は途切れた。
紋様に込められた術は、対象が無ければ発動しない為、どのような効果なのかは確認できなかったが、紋様の詳細が分ればある程度の予測は出来るだろう。
また、この指輪の目的も分った。思念を飛ばす術が組み込まれているという事は、これは何かを操る為のものである。その対象は不明だが、かなり特殊なもののようだ。
私は魔法を解き、それらをシャーロックに伝えた。そして更に詳しい調査をする為に、図書館へ行く事を提案する。
「時間短縮の為に出来れば別行動したいところだが、僕は君の犬で、一緒に行動せずにそれが明るみになれば、スタンフォードが困るだろうから、一緒に行く事にするよ」
シャーロックは自身の首に巻いている首輪(位置追跡装置)を弄びながら承諾してくれた。
「ありがとう。なるべくスタンフォードには迷惑を掛けたくないからね」
一応、顔を立ててくれたシャーロックに礼を述べ、私は苦笑しながら図書館へと歩き出した。この男は私の犬だと口で言う割には、私を主人として扱った事など無いのである。
我がロンドン大学の図書館は、あらゆるジャンルの本が収集されている自慢の書庫だ。分野ごとに分館も存在するが、本館の蔵書が最多である事は間違いない。
図書館は正門から入ってしばらく歩いた場所にある為、私たちは来た道を戻る事にした。
「この道を行くと近道なんだ」
途中、私は大通から外れた道を選んだ。小川沿いに続いている道で、学生の頃には良く使っていたものである。木々が生い茂っているせいで、薄暗いのが難点だが、静かで落ち着く道だ。
そして、それは突然に起こった。
道の中程まで進むと、木立の陰で一層暗くなった場所がある。タイミングのせいか通る者もおらずひっそりとしていて、私は昔を思い出していた。
その時、顔の横を何かが横切り、仄かな熱を感じた後で、突如、爆発が起こったのだ。
何も分らない状態で、爆風が体に吹き付けられる。反射的に閉じた目をなんとか開けると、炎が行く手を阻んでいた。
すぐにシャーロックが私を庇って火が飛んできた方向に立ち塞がった。私も急いで振り向くと、そこにはあるものが浮かんでいた。
『嗤う太陽』。
鬣の様な炎がメラメラと燃え、その中心に高熱で白く輝く球体が存在している。そして球体には目と口の様な模様があり、それが嗤っているように見えたのだ。
だがそのユーモラスな姿とは裏腹に、今にも襲ってきそうな雰囲気に私は動く事が出来なかった。笑顔が反って不気味である。
「立てるかい、ジョン?」
嗤う太陽から目を離さずに問い掛けてきたシャーロックに、私は「勿論だ」と答えたが、上手く立ち上がれないでいると、それを察した彼は、背を向けたまま手を差し伸べて私を引っ張り上げてくれた。
(意外と力が強いんだな)
緊急時だというのに、私はそんな事を思った。
なんとか私が立ち上がると、嗤う太陽から声が発せられた。
≪指輪を渡せ≫
人の声ではない。思考に直接語りかける声で、寒気が走る。
私は指輪を握っている手に力が入った。渡した方が賢明だろうか?そう思っているとシャーロックが囁いた。
「僕が引きつけるから、君は人目の多い所まで逃げろ」
そう言われて戸惑ったものの、足手まといなのは承知していたので、言う通りにする事にした。
「今だ!」
シャーロックが嗤う太陽に向かっていくのと同時に、私は走り出す。思うように足が動かなかったが図書館までなんとか走ろうと足を前に出し続けた。
しかし嗤う太陽は、向かってくるシャーロックを無視して、図書館へ抜ける道を狙って攻撃してきた。どうやら図書館に行かせたくないらしい。
私は炎の壁を回り込む為に、川に足を向けた。すると次の攻撃は私自身を狙ってきたのである。私は防壁魔法を張ろうとしたが、普段使用しない為か、呪文が口から出てこない。
攻撃が当たるのを覚悟した瞬間、シャーロックが間に入って炎を体で止めた。炎はそのまま燃え上がり、彼の体は炎に包まれる。
「シャーロック!」
私は慌てて駆け寄り、鎮火の魔法を唱えた。しかし炎は消えずに燃え続ける。私の魔力が弱いのだ。もっと魔力の出力を上げなければ。そう思っていると嗤う太陽からまた声がした。
≪指輪を渡せ。そうすれば私は去る≫
私はシャーロットと指輪を交互に見る。
「ダメだ、ジョン!」
シャーロックが呻きながら止めたが、私は迷わずに嗤う太陽へ指輪を放り投げた。
指輪は光に包まれて、太陽の中心である白く輝く球体に飲みこまれていく。
その形が見えなくなった途端、目の前が眩しく光ったと思うと、嗤う太陽の姿は影も形も無くなっていた。
同時にシャーロックの炎も消え、私は可能な限りの治療魔法を掛ける。
そして「誰か来てくれ」と何度も叫び、駆けつけた学生に手伝ってもらいながら、シャーロックを大学病院へ運んだのだった。